第767話

 秋晴れの朝日が降り注ぐ中、フリツィオーネ軍は既に出発の準備を整え、いつ号令が掛かってもいいように隊列を組み、待機していた。

 前日にこの近くでフリツィオーネ軍とカバジード、シュルス連合軍の戦いがあったとは思えない程に兵士達の士気は高く、もしこれからすぐに戦いが行われるとしてもすぐにでも対応出来るだろう。

 これは、一晩休んだというのもあるが、元々フリツィオーネ軍が少数精鋭だったというのも影響していた。

 ましてや、この軍にはフリツィオーネ軍の象徴でもある第1皇女のフリツィオーネや、その直属の騎士団の白薔薇騎士団、更にはベスティア帝国では色々な意味で有名なレイもいるのだ。

 戦力的には非常に強大であり、その実力はそれこそ前日の戦いで自分達の倍以上はいる相手に前後と横から攻撃されても、自軍には殆ど被害を出さず、相手を完膚なきまでに打ちのめすだけの実力を持っている。

 ……もっとも、本来はフリツィオーネ軍の横から攻撃する筈だった伏兵部隊は、レイとセトにより何をするでもなく全滅してしまったのだが。

 それらの戦闘でも怪我人はそれなりに多く出たが、死者は殆ど出ず、怪我人にしてもフリツィオーネが用意してあったポーションの類や回復魔法を使える者により、多くの者が既に怪我を癒やしている。


「出発するわよ! 進軍速度で考えれば、恐らくメルクリオ殿下の軍と合流するのは明日になると思うけど、昨日のようにカバジード殿下、シュルス殿下の軍が待ち受けている可能性もあるから、くれぐれも油断しないように!」


 白薔薇騎士団の団長、アンジェラの声が周囲に響き、フリツィオーネ軍は進軍を開始する。

 補給部隊を含めて五百人程度の比較的小規模な軍らしく、その進軍速度は数千人の軍隊とは比べものにならない程に速い。


「レイ、偵察をお願い出来る?」


 先頭を進むフリツィオーネの乗る馬車の近くをセトの背に乗り進んでいたレイに、アンジェラからそう声が掛けられる。

 本来であればレイの役目はフリツィオーネ軍の護衛である以上、偵察は他の者の仕事だろう。

 事実、フリツィオーネ軍には偵察部隊として編成されている者達もいるのだから。

 だが高い機動力で空を飛べる能力を持つグリフォンのセトがいるのだから、広範囲に素早く偵察出来るというのはフリツィオーネ軍にとって非常に魅力的だった。

 それ故、本来の偵察部隊はフリツィオーネ軍の周辺の偵察を、レイとセトには機動力を活かして遠くを偵察して貰うというのがアンジェラからレイに朝のうちに打診されており、レイもそれを受け入れている。


「分かった、じゃあこっちの方は頼むな。……まぁ、昨日あれだけ叩いてやったんだ。それなのに二日続けて手を出してくるなんてことはないと思うけど」

「そうね。けど、それを言うならレイの方も気をつけてよ? こう言ってはなんだけど、レイがいる時点で私達の戦力は二倍……どころか、それ以上になっているのは明らかだもの。向こうがとにかくレイを狙ってくる可能性はあると思うから、くれぐれも気をつけてちょうだい」


 心配そうに尋ねてくるアンジェラ。

 だが近くでその様子を見守っていたフリツィオーネにしてみれば、アンジェラの表情には純粋な心配以外のものがあるようにも思えた。


(気のせい、かしらね?)


 馬車の中で呟き、レイとセトに軽く手を振る。


「グルルルゥ!」


 そんなフリツィオーネにセトが喉を鳴らして応えると、周囲で馬車を守っている白薔薇騎士団の女騎士達がキャーキャーと騒ぐ。

 幾ら腕利きの精鋭揃いであるといっても、やはり可愛いものには弱いのだろう。


「セトちゃん、また後で美味しいものを上げるから、一緒に遊ぼうね」


 昨日川魚の干物を持ってきた女騎士の言葉に、セトは嬉しげに喉を鳴らす。

 そしてレイを背に乗せたセトは、数歩の助走の後で翼を羽ばたかせ、空中を蹴るようにして上空へと向かって行く。

 その途中、白薔薇騎士団だけではなくフリツィオーネ軍全体から聞こえてくるざわめきは、やはりそれだけレイとセトの注目度が高い証なのだろう。


「さて、セト。このまま何事もなければ明日には反乱軍の陣地に着く。今日は昨日みたいに戦いにならないといいな」

「グルルゥ?」


 だから偵察するんでしょ? と後ろを向きながら喉を鳴らすセトに、レイはそっと首の後ろの部分を撫でてやりながら、空を飛ぶ。






 空中へと飛び上がっていくレイとセトを、しっかりと見ている者達がいた。

 フリツィオーネ軍から離れた場所、丁度前日に戦闘が起こるということでムーラやシストイが一旦立ち止まっていた場所だ。

 そこで上を見上げていた者達は、自分達の上をセトが飛んでいくのを確認すると、用意してあった焚き火へ手元から取り出した何かを放り投げる。そして、すぐにその場を離れて行く。

 同じように周囲にいた者達は男達が急いで去って行く様子に多少疑問を覚えたが、ただ急いでいるんだろうと考え、それ以上は特に何もしなかった。

 元々この場にいるのはフリツィオーネ軍が陣地を張っていた為に帝都への足を止められていた者達だ。

 勿論フリツィオーネに道を封鎖されている訳ではないので、帝都へ向かおうと思えばそれは可能だった。

 だが相手が軍隊だけに荷物の徴発や、あらぬ疑いを掛けられて取り調べを受けるのではないか? と不安を抱く者も一定数おり、その結果がこの現状だった。

 フリツィオーネが率いている軍であり、その部下達も精鋭が揃っている以上、この場に残っている者達の心配は杞憂でしかなかったが、念には念を入れるのはおかしな話ではない。

 しかし、この場合はその慎重さが余計な揉めごとへとこの場にいる者達を巻き込むことになる。

 焚き火の中に放り込まれた何かが、赤い煙を上空へと昇らせたのだ。

 普通の焚き火であれば、上がっても黒い煙程度だろう。

 だが今焚き火から出ているのは赤い煙であり、その煙を見ていた者にとっては狼煙の一種にしか思えなかった。

 その狼煙に気が付いたのだろう、周囲にいた商人や冒険者達が慌てて自分の荷物を纏め始める。

 このままここにいては、確実に揉めごとに巻き込まれる。

 慎重な者達であるが故にそう判断し、移動を始めたのだが……それは、少し遅かった。


「この狼煙は何!?」


 白い鎧を身に纏った女騎士……白薔薇騎士団の女騎士達がこの場へとやって来る。

 馬に乗っているだけあって、その機動力は高い。更にはフリツィオーネ軍そのものも移動を始めていた影響もあり、自分達の進行方向で赤い狼煙が上がったのを見たアンジェラが迅速に部下を派遣したのだ。


「答えなさい! あの狼煙は何!」


 一人の女騎士が強い口調で周囲にいる者達へと尋ねている横で、別の女騎士はその狼煙に土を掛けて消していく。


「その、さっきここにいた二人の男が何かを焚き火の中に投げ入れたかと思ったら、すぐにこの有様で……」


 狼煙の近くにいた商人がそう告げるが、当然その言葉をすぐに信じて貰える訳がない。


「ではその男二人はどこに?」

「いえ、そのままさっさといなくなってしまったので……」

「その二人の顔は? 何か特徴的なところはあった?」


 相次いで訪ねてくる女騎士だが、商人の男は別に消えた男と知り合いという訳でもない。

 ただ偶然近くにいただけなのだ。

 そうである以上、口に出来る情報は殆どなかった。






 地上から昇っていた赤い狼煙は、当然周辺の様子を空から偵察しているレイやセトにも見えていた。

 フリツィオーネ達から狼煙を使うといったことは聞いていなかった為、恐らく敵が何らかの動きを見せたのだろうというのも予想出来たのだが……


「これは、さすがに予想外だったな」

「グルゥ」


 視線の先にいる存在を目にレイが呟き、同意するようにセトが喉を鳴らす。

 ただし、その予想外というのはいい意味での予想外ではなく、寧ろ期待外れという意味での予想外。

 何故なら、レイの視線の先にいるのは五匹のワイバーン。そしてワイバーンの背の上には騎士の姿があり……つまり、竜騎士が五騎いるということだったからだ。

 確かに竜騎士というのは非常に強力な存在だ。

 ワイバーンの口から放たれる火球や、その背の上に乗っている騎士の槍や弓、魔法を使った攻撃。

 そして何より、ワイバーンの名前通りに空を飛べるというのが最大の利点だろう。

 普通の兵士であれば、それこそ百人、二百人と集まっても竜騎士一騎に敵うかどうかというのは難しい。

 それ程の相手ではあるが……レイやセトにしてみれば、春の戦争で大量に倒した相手だ。

 それこそ、今更竜騎士が五騎程度出てきたところでどうということはない。


「カバジードかシュルスか、どっちの手の者かは知らないが、こっちを甘く見ているのか? ……いや、幾ら何でも今更俺達をこの程度でどうにか出来ると思っている筈はない。となると、必ず何らかの仕掛けがある筈だが……さて、何を企んでの行動だ?」


 向こうが何を企んでいるのかを考ていたレイだったが、竜騎士にしてみればこんな絶好の機会を見逃す筈がない。

 五匹のワイバーンが大きく口を開き、火球を吐き出す。


「セト!」

「グルゥッ!」


 短い一言だったが、セトはそれだけでレイの意図を察知し、翼を大きく羽ばたかせて上空へと上がっていく。

 同時に、レイの放った飛斬が数個の火球を斬り裂きその場で爆発。他の火球諸共にその場で誘爆する。


(向こうの連携も出来ていない?)


 一連の動作を見ながら、首を傾げるレイ。

 春の戦争の時に戦った竜騎士は、確かに火球を吐く遠距離攻撃をメインにしてきたが、それでも今のように攻撃が誘爆するといったことはまずなかった。

 そうしないよう、お互いにきちんと距離を取ることを訓練で身体に染みこまされていたのだ。

 だが今レイとセトの視線の先にいる竜騎士は、それぞれが好き勝手に動いているように見える。

 そう。まるで全く違う部隊にいた竜騎士を、無理矢理一つの部隊として纏めたかのように。


「……向こうが何を企んでいるのかは分からないが、好きに戦力を減らして下さいってことなら、その心遣いには感謝して、ありがたくそうさせて貰うか。行くぞ、セト!」

「グルルルゥッ!」


 レイの声にセトは素早く反応し、翼を大きく羽ばたかせながら下にいる竜騎士へと向かって突っ込んで行く。

 翼を畳むのではなく、羽ばたかせることで更に速度を得たその降下は、竜騎士が反応する前に強烈な一撃を叩き込む。

 竜騎士の集団の中を通り抜け様にセトの前足の一撃により一匹のワイバーンの頭部を砕き、レイの振るうデスサイズの一撃が別のワイバーンの上に乗っている竜騎士を袈裟懸けに切断する。

 一度の交差で二騎の竜騎士が使い物にならなくなったのを見て、他の竜騎士は思わず息を呑む。


「うっ、うわあああああああ! 誰か、誰か助けてくれぇっ!」


 セトに頭部を破壊されたワイバーンに乗っていた竜騎士の叫び。

 頭部を失った以上、当然既にワイバーンは息絶えており、そのまま空を飛べる筈がない。

 つまり、地上百m以上の場所から落とされた竜騎士は、落下の恐怖のままに叫びながら地上へと落ちていく。

 それに比べれば、レイの一撃で死んだ竜騎士の方は幾らかマシだった。

 ワイバーンそのものは無傷であったのだから。

 もっとも、ワイバーンと竜騎士はワイバーンが生まれたときから共に育ってきている。

 そんな自らの相棒、友人、兄弟といったものに近い存在を殺されて、ワイバーンが大人しくしている筈もない。


「ガアアアアアアアアアアアッ!」


 自分達の下にいるセトへと向かって火球を吐き出す。

 だが、セトはそのまま速度を落とすことなく真っ直ぐ地上へと向かって降下していく。

 まだ三騎残っている竜騎士達は、その様子に自滅する気か? と思わず期待したが……


「グルゥッ!」


 セトがそれを警戒していない筈もなく、地上へと着地する寸前に翼を大きく羽ばたいて若干ではあるが速度を殺し、そのまま地面を跳ね返るようにして蹴って上空へと向かう。

 まさか、数秒前に突っ込んで行ったセトがこうも早く戻ってくるとは思ってもいなかったのだろう。

 完全に予想外という形で、先程竜騎士を失ったワイバーンの首をレイがデスサイズで斬り飛ばし、セトが近くにいた他の竜騎士の乗っているワイバーンの頭部を砕く。

 そのまま地上へと落ちていく二匹のワイバーン。

 既に空中には二騎の竜騎士しか残っておらず……その二騎も、瞬く間に仲間が仕留められたのを見て、勝ち目がないと悟ったのだろう。二匹のワイバーンに一斉に火球を吐き出させると、急速にその場を離脱する。


「セト、逃がすな!」

「グルルゥッ!」


 レイの言葉に、セトが翼を羽ばたかせて竜騎士の後を追う。

 竜騎士が厄介だというのは、自由に空を飛べる自分が一番よく分かっている。だからこそ、レイはここで竜騎士という存在を逃す訳にはいかなかった。

 このまま竜騎士を自由にさせれば、フリツィオーネ軍に大きな被害が出る可能性も高いし、もしくは反乱軍の方に大きな被害が出る可能性もある。


(向こうが何を思って竜騎士を使い捨てるような真似をしてきたのかは分からないが……それでも絶好の好機を見逃すつもりはない!)


 内心で呟き、見る間に近づいてくる竜騎士の後ろ姿へと向けてデスサイズの柄をしっかりと握るのだった。

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