第766話

 その報告は、反乱軍の陣地にて皆が寝静まっている頃に入って来た。

 普段であれば見張りの兵士くらいしか存在しない夜。

 秋らしい月明かりが降り注ぐ中、反乱軍の陣地へと向かって近づいてくる馬の足音。

 それに気が付いた見張りは、敵襲か!? と息を呑むが、その足音は少ない。

 事実、月明かりや陣地の出入り口付近で燃えている篝火の明かりで見えたのは、一騎の騎兵だけだった。

 それでも一応念の為と、見張りに立っていた兵士は同僚に視線を向けて小さく頷きを返し、手に持った槍の柄を強く握る。

 陣地の中で真夜中に騒動が起きてから、まだそれ程日数は経っていない。

 だからこそ、当然警戒は厳しいままだった。


「止まれ!」


 その言葉と共に、近づいてきた騎兵へと槍を向ける数人の兵士達。

 だが騎兵の顔が疲れ果てているのに気が付くと、思わず疑問を持つ。

 騎兵はそんな兵士達の姿を見て、安堵の表情を浮かべながら口を開く。


「すまないが、オブリシン伯爵に至急お目通りを願いたい。私はオブリシン伯爵領にある、ラクロワという街の領主代理に仕えている者だ。至急の連絡があってやってきた。これが領主代理のヘイトル殿からの手紙だ」


 そう言い、騎兵は兵士達に手紙を見せる。

 その手紙は封蝋がされており、ヘイトルという人物から渡されたものであるという証拠でもあったが、一介の兵士達がそれを理解出来る訳もない。

 お互いがお互いと視線で会話をし、やがて最初に声を出した兵士が再び口を開く。


「すまないが、こちらでは判断出来ないから、上司に連絡をしてもいいか? そちらも相当に疲れている様子だし。その間に少しでも休んではどうだろう?」


 一応まだ警戒はしているものの、既に兵士の中では目の前にいる騎兵を疑うという気持ちは殆ど残っていなかった。

 ここまで疲弊しながら、わざわざ怪しまれるだろう夜にやってきたのが、逆に騎兵の疑いを和らげている。

 まさか、こうもあからさまに怪しい真似はしないだろうと。

 同僚の兵士が上司を呼びに行くべく走って行ったのを見ると、兵士の一人が取りあえずとばかりに水の入った水筒を騎兵へと手渡す。


「すまない、助かる。ずっと走りっぱなしだったからな。……出来れば馬も休ませたいんたが」

「厩舎は陣地の中にしかないんだよ。……ああ、でもちょっと待っててくれ。水くらいなら何とかなる」


 兵士がそう告げ、再び一人の兵士がその場を後にする。

 本来であればもっと警戒してしかるべきなのだが、ここにいる兵士達の人数は十人以上。更に相手の騎兵は既に馬から降りており、見るからに疲労している様子だ。

 そんな状況では警戒心を残しつつも、親切にしてやりたいと思う心を捨てる訳にもいかない。

 兵士の一人が水をたっぷりと入れた桶を持って来て、馬の前に置く。

 それを見た瞬間に馬が桶に口を付け、水を飲み始める。

 走り続けて喉が渇いていたのだろう。桶の中の水はみるみる少なくなっていく。

 そんな愛馬に、騎兵は感謝を込めて背中を撫でる。


「それで、こんな真夜中に一人で騎兵が来るなんて、何があったんだ?」


 水の入ったコップを騎兵へと差し出しながら尋ねる兵士。

 騎兵はそのコップを受け取ると一気に水を飲み干してから首を横に振る。


「いや、俺も詳しい話は知らない。手紙の方には書いていると思うが……ただ、領主代理の住んでいる屋敷に何人も人が忙しく出入りしていたから、その関係だとは思うけど」

「……嫌な予感しかしないな。少なくても、俺達にとっていい知らせって訳じゃないのは確かだと思う」


 兵士の一人が呟いた言葉に、他の兵士達も頷きを返す。

 それは手紙を持ってきた男も同様なのだろう。水を飲みつつ、あるいは馬の背を撫でつつも、どこか不安そうな表情を浮かべていた。

 そのまま五分程が経ち、周囲に重苦しい空気が流れている中でやがて先程陣地の中に知らせに行った兵士が戻ってくる。


「オブリシン伯爵が会うそうだ。手紙を持ってすぐに来てくれ」

「分かった。……馬の世話は任せても?」

「ああ、こっちでやっておくから行ってきてくれ」


 コップを渡した兵士が告げると、男は軽く頭を下げてからコップを返し、たった今戻ってきた兵士と共に陣地の中へと入っていく。

 その後ろ姿を見送りながら、兵士達は再び槍を手にして警護に立つ。


「なぁ、何があったと思う?」

「分からないけど、多分いいことじゃないんだろうな」

「あー、やっぱり? けど、もしかしたら……本当にもしかしたら……」

「じゃあ、賭けるか? 俺は悪いことだったにエールを三杯」

「ぐっ、わ、分かった……けど、エールを一杯で頼む」

「お前、微妙に弱気なのな」


 その言葉と共に、陣地の出入り口周辺には押し殺した笑い声が響く。






 警護の兵士達が笑い声を上げている中、手紙を持ってきた男は反乱軍の陣地中央にあるマジックテントの中に通されていた。

 この真夜中にも関わらず、反乱軍の幹部陣の多くが既に集まっている辺り、眠りにかまけている者が少ない証拠だろう。

 そんな中、マジックテントの中に入ってきた男はまず最初にメルクリオへと向かって跪く。


「突然の来訪、申し訳ありません。私はオブリシン伯爵領のラクロワに配属されているサイラスと申します。メルクリオ殿下にお目に掛かれて光栄です」

「確かにこんな真夜中にいきなり集まれと言われて何かと思ったけど……それで、グルガストに用件だという話だけど?」

「はい。領主代理よりこの手紙を預かって参りました」


 陣地の出入り口を守っていた兵士に見せた手紙を取りだし、近くに来た兵士へと手渡す。

 その手紙が特に危険物の類ではないと確認した兵士は、グルガストへとその手紙を渡す。


「……うむ、確かにこの封蝋はラクロワで領主代理をしている者のものに間違いない」


 その封蝋を確認し、手紙を開けて一瞥し……グルガストの表情が不愉快そうに歪む。

 ただでさえ強面のグルガストだけに、その迫力は慣れていないものにとっては今すぐ殺されるのではないかと思う程に迫力を放つ。


「グルガスト、何が書いてあったのかしら?」


 そう尋ねるヴィヘラに、グルガストは無言で手紙を渡す。

 読んでもいいということだろうと判断したヴィヘラは、手紙に目を通し……美しい顔を微かに歪める。


「私達に直接手を出さず、オブリシン伯爵領にある街や村に対して兵を出す、か。カバジード兄上の策かしらね」


 ヴィヘラの言葉で、何の為にわざわざ夜を徹して騎兵に手紙を持ってこさせたのかを理解し、その場にいる殆どの者が顔を顰める。

 事態の深刻さが判明したからだ。

 今までは討伐軍が出撃したとしても、その目的はこの反乱軍のみだった。

 だが今回カバジードが取った手段は、反乱軍を直接叩くのではなく反乱軍を支えている土台の方を狙うというもの。


「だが、何故だ? 確かにそれが効果的なのは分かるが、今までは私達の方にのみ攻撃を仕掛けてきていただろう。なのに、何故今になって……」

「今になったからこそ、でしょうね」


 戸惑ったような貴族の言葉に、ティユールが冷静にそう告げる。

 ただし言葉程には冷静ではなく、その表情には微かな焦りが浮かんでいる。

 反乱軍の陣地が張られているのは、元々はオブリシン伯爵領だった。

 今ではそのオブリシン伯爵領を出て帝都に近い貴族の領地に進入しているが、それでも近くにオブリシン伯爵領があるというのは、反乱軍に所属する者にとっていざという時にはオブリシン伯爵領に逃げ込めばいいという思いがあった。

 また、物資の類に関しても行商人の類もいるが、その多くは当然オブリシン伯爵領からの仕入れとなっている。

 そんな、反乱軍にとって重要な場所からの物資の入手先を潰されればどうなるのか。

 討伐軍に連戦連勝して、反乱軍に参加する者が増えてきたからこそ物資の消耗も激しい。

 つまり……


「カバジード兄上の狙いは兵糧攻め、という訳ですね」


 メルクリオの言葉に、ヴィヘラが頷く。


「ええ」

「では、私の領地から物資を!」

「待ってくれ。オブリシン伯爵領からの距離を考えれば私の領地の方が……」


 貴族の多くが自分の領地から物資を運ぶと口にするが、それに待ったを掛けたのはテオレームだった。


「待って欲しい。カバジード殿下のことだ。私達が次にどうするかというのはきちんと考えて手を打っているだろう。恐らく、街道沿いにそれぞれ部隊を派遣していると考えた方がいい。ここで迂闊に補給物資を輸送すれば、その補給部隊が襲われて物資を焼き討ち……下手をすれば奪われて向こうの懐を暖めるだけになってしまう」


 テオレームの言葉に考えすぎだと言える者はいなかった。

 実際、カバジードであればその程度のことは当然やってくるだろうと誰もが思ったからだ。


「けど……今まではこの内戦終了後の民衆からの反発を考えて街や村といった場所を攻撃しなかった筈なのに、何故今になって急に?」


 皆が悩む中、貴族の一人がふと思いついたかのように呟く。

 その言葉を聞いた者達の多くは、確かにと疑問に思う。

 民衆からの反発というのは、皇族にとって出来れば避けたい出来事だ。

 それも、一つの街や村そのものが纏まって反発してくるとなれば、色々な意味で面倒な出来事になる。

 それなのに、何故今……と。


「考えられる可能性としては幾つかあるね」


 メルクリオがグルガストから渡された手紙を眺めつつ口を開く。


「一つ、フリツィオーネ姉上が帝都から脱出することに成功して、その戦力がこちらと合流されると困るから苦渋の策として兵糧攻めを考えた」


 メルクリオの口から出た言葉は、周囲の貴族達に興奮を与える。

 もしその話が事実であるのなら、自分達の戦力増強は確実と言えたからだ。

 ……もっとも、その分補給物資の問題に関しては大きな問題となるのだが。

 しかし、それを解決する手段を持っている人物をこの場にいる何人かは知っていた。


「補給物資なら、レイのアイテムボックスを使えば問題ないでしょう。セトがいるから道を封鎖されても上空を移動出来るし、何ならレイが封鎖している相手を倒してしまってもいいかもしれないわね」


 春の戦争で負けたベスティア帝国は、当然その最大の原因でもあるレイに関しての情報を集めている。

 その中に、レイが戦争の時にアイテムボックスを使って物資を運んでいたというのがあり、それを知ったベスティア帝国の者達はアイテムボックスがあってこそだと悔しく思う者が多かった。

 勿論ベスティア帝国にもアイテムボックスを持っているノイズがいる。

 だがノイズは戦争に関して興味がないとばかりに手を貸さず、結果的にベスティア帝国は多くの補給部隊を用意せざるを得なかった。


「なるほど! それなら街道を封鎖されていても大丈夫ですね!」

「……馬鹿ね。それだと根本的な解決にはならないわ。精々こっちの負けまでの時間が延びるだけよ。運べるのは物資のみ。生きている人は運べないんだから。大体、カバジード兄上だってレイがアイテムボックスを持っているのは知っているのよ?」


 生きている人。

 例えば、武器や防具を補修したりするには材料だけがあっても、鍛冶師がいなければどうにもならない。

 今はまだ反乱軍の陣地内に鍛冶師がいるし、貴族達が連れてきた鍛冶師もいるからいいが、それも絶対ではない。

 他にも、こういう場所では絶対に必要な娼婦の類は商品云々といった問題ではないだろう。


「さて、話を戻させて貰うよ。二つ目。元々カバジード兄上やシュルス兄上はこの展開を狙っていた。具体的には何度か戦いをやって負けてみせ、それを見て反乱軍に人が多く集まるように仕向けた。この場合は全てが向こうの掌の上だったということになるけど……」

「そんなことが有り得るのですか? 何故わざわざ自分達に被害を出すような、そんな真似を?」


 メルクリオの言葉に貴族の一人が反射的に言い返すが、それに答えたのはメルクリオではなくティユール。


「ベスティア帝国に散らばっている不穏分子の類を一ヶ所に集めるという意味では、これ以上ない程に有効ですね。こう言っては何ですが、ベスティア帝国に対して色々と不満を持っている者は多いので。過去に国を飲み込まれた者の関係者、民衆から多くの税金を強引に搾り取っている貴族の領地で反抗を考えている者、権力闘争で負けて都落ちした貴族……といった具合に」

「それは……」


 先程メルクリオに反論しかけた貴族が、ティユールの言葉に思わず息を呑む。

 それが事実だと知っていた為だ。


「まぁ、だからといってオブリシン伯爵領の街や村が占領されたり、街道を占拠されるのを黙って見ている訳にはいかないよね。確かに反乱軍はレイがいれば暫くは何とかなるけど、他の村や街は行商人の行き来が出来ないと致命的な場所もあるだろうし。それに……戦力を分散してくれたということは、各個撃破の好機でもあるんだから」


 マジックテントの中に、メルクリオの言葉が響く。

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