第733話
夕暮れの中、街道沿いにある林の近くでレイとウィデーレ達白薔薇騎士団の一行は野営の準備を始める。
もっとも、野営の準備といってもレイが用意するのはマジックテントを取り出すだけであり、白薔薇騎士団の者達はウィデーレも含めてアイテムボックスというものの理不尽さを羨ましそうに眺めていた。
「で、結局どうすることにしたんだ? 俺としては多少狭いけど、マジックテントの中に全員が入るならそれでもいいぞ」
ウィデーレへと向けて尋ねつつも、レイの視線は木に繋がれている馬達へと向けられている。
どこか落ち着かない様子で、少しでもセトから距離を取ろうと……もしくは木の陰に隠れようとする馬達は、明らかにセトに怯えていた。
セトとしては、自分に敵対しない限りは基本的に人懐っこい性格をしているので、馬達から恐がられて寂しそうにしている。
厩舎のような場所なら、それなりに長い時間一緒にいれば馬達もセトに慣れるかもしれない。
だが、この馬達は今日セトに会ったばかりなのだ。
更に、昼食の休憩の時以外はセトは空を飛んでおり、顔を合わせる機会も殆どなかった。
そうである以上、馬達がセトに慣れないのは当然と言えるだろう。
「……済まないが、私達は少し離れた場所で休憩させて貰う」
「どうしても馬がセトを気にするんなら、セトを少し離れた場所に向かわせてもいいけど? セトの五感があれば、多少の距離は関係ないし」
レイの言葉にウィデーレの部下は顔を輝かせたが、その騎士が口を開く前にウィデーレは首を横に振る。
「いや、残念ながらそういう訳にもいかない。こう見えても私達は貞淑を旨とする白薔薇騎士団だ。幾らレイ殿が信用出来る相手だとしても、まさか一つ屋根の下どころか同じテントの中で一晩過ごす訳にはいかぬよ」
「マジックテントだから、その辺のテントとは違うんだが……まぁ、そこまで言うのならこっちも無理にとは言わない。ならそっちはどうするんだ?」
「テオレーム殿から普通のテントを借りているから、それを使わせて貰うつもりだ。見張りの人数を考えると、交代制にすれば不足なく眠れるであろうし」
「見張り、か。その辺に関してはこっちでもある程度対応出来るけど? 今も言ったようにセトの五感は鋭い。多少離れたくらいでそっちのテントに近づくモンスターや盗賊の類を見逃したりはしないだろうし」
「だが……」
何かを言い掛けるウィデーレだったが、その前にレイが口を開く。
「このまま順調にいけば明日の昼前くらいには帝都に到着する筈だが、それには当然かなりの強行軍となる」
白薔薇騎士団が反乱軍から与えられた馬はいい馬ではあるのだが、それでもフリツィオーネに与えられた最高級の馬のような高い能力を持っている訳ではない。そうである以上、当然今日と同じかそれ以上の強行軍になる。そう説明するレイの言葉に、ウィデーレは納得してしまう。
「それは……確かにそうだな。今フリツィオーネ殿下の為に私達がやるべきことは、意地を張るのではなく少しでも早く帝都へと戻ることか。分かった、レイ殿。では見張りの方はそちらにお願いする」
「俺じゃなくてセトだけどな」
呟き、呼んだ? と首を傾げるセトの頭を撫でる。
「ウィデーレ達の方も、今夜は見張りを頼むって話だよ」
「……セト、よろしくお願いする」
「グルゥ!」
頭を下げるウィデーレに続いて他の騎士達も同様に頭を下げるのを見て、レイは少し驚きながらミスティリングから料理を出す。
そこにあるのは、野菜と肉をたっぷりと時間を掛けて煮込んだシチュー。
実は、本来ならもっと簡単な料理を出すつもりだったのだが、セトに向かって頭を下げた今のウィデーレ達を見て少し感心した為に、若干料理のグレードが上がっていたりする。
ふわり、と秋の夕日が降り注ぐ中で周囲にシチューの匂いが漂う。
まるで行軍ではなくキャンプに来ているかのような光景に、白薔薇騎士団の騎士達がわっと歓声を上げる。
騎士ではあっても、生きている存在であることに変わりはない。当然美味い料理というのは、気分を沸き立たせ、明日のやる気に繋がる。
「夕食にするか。今日の昼食は急いで食べたからサンドイッチくらいだったし、夕食くらいは豪華にいこう」
尚、一応この作戦が反乱軍としての行動である以上、当然レイはテオレームから食費を貰っている。
レイとセトが満足する程に食える量を買えるだけの食費ではないが、それでも普通の者であらば十日は食い繋げるだろう金額を。
……寧ろ、それだけの金額があっても往復四日程度の道のりで満足出来る程に食べられない、レイとセトの燃費の悪さを嘆くべきか。
ともあれ、今日ここでウィデーレ達に食事を振る舞ったとしても、自分の腹は殆ど痛まないという理由もあっての大盤振る舞いだ。
「これは……すまない、ご馳走になる」
レイの出した鍋から漂ってくる匂いに、ウィデーレは遠慮もせずにあっさりと食事をご馳走になることを決める。
もしもレイからの申し出を断ったりしたら、自分はともかく部下からの突き上げが物凄いことになると理解出来た為だ。
また、ウィデーレ自身も鍋から漂ってくる匂いに食欲を刺激されたというのもある。
「ああ、たっぷりと食べてくれ。さっきも言ったが、明日も明日で大変だろうし」
それぞれの食器にシチューを入れて手渡していく。
ごろっとした野菜や肉がたっぷりと入っており、スープらしいスープではなく、メインの料理と表現してもおかしくないだろうスープ。
そのスープと共に出されたのは、こちらもまた焼きたてのパン。外はカリッと中はもっちりとしたパンは、ベスティア帝国で主食になっている黒パンではなく、いわゆる白パンだが、それだけで食べても美味しく食べられる程。
飲み物はワインや果実水の類ではない水だが、当然この水にしてもレイが流水の短剣に魔力を込めて生み出したものである以上、その辺の水とは明らかに違う。
スープ、パン、水。普通に考えれば質素な食事のメニューだが、その一つ一つの味がその辺のものとは違っている。
「うわ、うわ、うわぁ……」
「これは……また、何とも贅沢な」
「確かに。普通野営で食べられる料理じゃないわよね」
「普通どころか、かなり高位の貴族でも野営でこれだけの料理が食べられるかと言われれば……」
ウィデーレを含めた白薔薇騎士団の面々がそれぞれに感想を言う中、レイは慣れた様子でスープとパンを食べていく。
この手の反応はこれまでに幾度となく経験してきたので、既に慣れている為だ。
それよりも、今は目の前にある料理をじっくりと味わう方が大事だと言いたげに食事を楽しむ。
尚、当然セトも食事をしているが、セトの食事は夕方近くになって上空から見つけたファングボアの丸焼きだ。
体長二m程もある大きさのファングボアだけに、丸焼きと言っても内部の方はレアに近い。
内臓の類を抜いて処理してレイの魔法で焼き上げたのだから、じっくりと火を通した丸焼きとは大きく違うのは当然だろう。
だが、セトは街中で売っているような串焼きのように調理した肉を好むが、生肉もまた好む。
そういう意味では、大雑把に塩や香草で味付けしただけのファングボアの丸焼きも、十分満足出来るものだったらしい。
嬉しそうに喉を鳴らしつつ、ファングボアの肉を啄んでいた。
そのまま二十分程。料理の美味さに皆がそちらに集中して食べていたが、ようやく落ち着いてきたのか言葉を交わし始める。
「それで、明日の昼前には帝都に着く予定だけど、向こうの方の準備はどのくらい掛かるか分かるか?」
「……私からは何とも言えない。フリツィオーネ殿下次第となる。派閥の者も連れて行くのか、それとも今回の騒動が収まるまでは自分の領地に戻って貰うのか。その辺の状況次第だろう」
「つまり、それは帝都に着いてからも暫くの間は行動出来ないってことか?」
レイのイメージとして、貴族は何を決めるにも時間が掛かり、更に準備をするのにも形式を整える為に時間が掛かるというものがある。
特に今回は第1皇女であるフリツィオーネが移動するのだから、下手をすれば一日二日どころではなく、一週間や二週間掛かるのかもしれない。そんな風に思ってしまってもしょうがないだろう。
だが、ウィデーレはレイの問い掛けに首を横に振る。
「フリツィオーネ殿下のことだ。恐らく私達が派遣された時点で帝都を脱出する準備を整えていると思って構わない。それに形式を整えるということは、当然周囲の注目を集めやすい。だとすれば、シュルス殿下やカバジード殿下にも見つかってしまうだろう」
「そんな真似はしない、と」
「うむ。フリツィオーネ殿下は優しい方だが、現状を理解出来ないということはない。その辺は安心して欲しい」
大丈夫だ、問題ないと断言するウィデーレの言葉を聞いたレイは、視線を他の騎士達へと向ける。
もしかしたらウィデーレが無条件にフリツィオーネを信じているだけではないかと思っての行動だったが、騎士達全員が問題はないと言いたげに頷きや笑みを返してくる。
(どうやら本当らしい、か。まぁ、考えてみれば半分ではあってもヴィヘラやメルクリオと血が繋がっているんだ。その上で皇族としての教育も受けてきたんだから、無能ってことはないよな)
有能な人物の兄弟姉妹が無能に育つということは珍しくない話だが、レイがヴィヘラやメルクリオ、テオレームといった者達から話を聞いた限りではそんな印象はなかった。
「なら、帝都にいる時間は思ったよりも多くはない、か」
「うむ。……何かあるのか?」
レイの言葉に疑問を感じたのだろう。ウィデーレが尋ねてくる。
「ちょっと寄りたい場所があったんだよ。料理とかの補充も考えて。それに上手くいけば今の帝都の情報に関してもある程度得られるかもしれない」
「それは大事ね」
即座に同意したのは、ウィデーレ……ではなく、騎士の一人。
レイの出した料理が美味かっただけに、殆ど反射的に賛成したのだ。
「お前は……」
現金というしかない部下の様子に、思わず溜息を吐くウィデーレ。
レイはどこか漫才のようなやり取りに、小さく笑みを浮かべる。
もっとも、レイにしても既に悠久の空亭からはチェックアウトしている以上、宿の中に入ることは出来ないのだが。
ギルムにある夕暮れの小麦亭は宿の他に食堂もやっているが、ベスティア帝国の中でも最高の宿である悠久の空亭は当然そんなことはやっていない。
ダスカーがまだ宿に残っていれば話は別だったかもしれないが、そのダスカーも既にチェックアウトしている。
「言うまでもなく、レイ殿はかなりの有名人だ。出来るだけ目立つ真似はしないで欲しいのだが」
ウィデーレの言葉に、レイは自分の着ているローブへと視線を向ける。
「このローブは隠蔽の効果がある。余程魔法に詳しい人物でなければ見破られはしないさ」
「帝都だからこそ、その余程の人物がいる可能性が高いのだがな」
「えー、隊長。こんなに美味しい料理を食べられるんですよ? レイ殿もマジックアイテムのローブがあるから大丈夫だって言ってるし、ここは是非!」
美味しい食べ物を逃がしてたまるか、とばかりに叫ぶ騎士に、レイは小さく笑みを浮かべつつ頷く。
「ウィデーレが構わないというのなら、俺の方は寧ろ歓迎だぞ」
「本当ですか!」
レイの言葉に、騎士の顔が輝く。
「レイ殿、あまり甘やかさないで貰いたい。一度甘やかせば、その者達は際限なく甘えてくるぞ」
「そんな、ウィデーレ隊長。私をそんな風に思っていたんですか!?」
「……以前の果物の件、忘れたとは言わせんぞ」
「うっ!」
心当たりがあったのだろう。騎士は動きを止める。
つい数秒前までとは全く違う様子は、見ている者を呆れさせると同時に小さな笑みをもたらしもした。
「ふふっ」
同僚のそんな様子に、騎士の一人が思わず笑みを漏らすと、他の者達にも連鎖的に笑みが広がっていく。
「ふぅ。全く……とにかく話を戻すが、レイ殿がどこに寄りたいのかは大体理解した。あまり目立たなければその辺は問題ないと思う。もっとも、実際には帝都に戻ってからの状況次第と言えるだろうが……まさか、レイ殿と僅かな部下だけで討伐軍をどうにかするとは思っていなかったのでな」
この状況になるのを全く予想していなかった、と溜息を吐くウィデーレ。
もっとも、幾らこの世界では質が量を容易く凌駕するといっても、限度というものがある。
たった三十人くらいで討伐軍を殲滅してしまうというのは、ウィデーレにしても予想外の出来事だった。
「さすがにあの不動のノイズとまともにやりあっただけはある。予想通り……いや、予想以上に凄い力を持っていると言うべきだろう」
「そこまで褒めても何も出ないぞ。……取りあえずこれでも食ってくれ」
ミスティリングから取り出されたのはライオット。
陣地から出発する前にヴィヘラからこっそり分けて貰ったものだ。
見た瞬間に梨の一種だろうと理解したレイは、ありがたく受け取った。
元々梨は嫌いではなかったということもあり、ライオットはレイにとっても嬉しい贈り物だった。
ウィデーレは、何も出ないと言っていた一瞬前の行動とは全く違う様子に驚きつつも、ライオットを受け取る。
ベスティア帝国人である以上、ウィデーレを含む白薔薇騎士団の者達もライオットを嫌いな筈がない。
「ありがたく頂こう。……それにしても、帝都までの短い旅ではあってもレイ殿には世話になりっぱなしだな」
どこからともなく出したナイフでライオットの皮を剥きつつ、ウィデーレは嬉しげに笑みを浮かべるのだった。
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