第732話

「では、メルクリオ殿下、ヴィヘラ様、テオレーム殿。この度はお世話になりました」


 早朝、まだ太陽が東の空にも登り切っていない時刻に、ウィデーレは陣地の外で見送りに来てくれた者達に礼を告げる。

 白い鎧にマント、腰には長剣の入った鞘と、白薔薇騎士団の完全装備といった様子のウィデーレは、朝日の影響もあってかその姿を見ている者達にとって非常に凜々しく見えた。


「ああ、フリツィオーネ姉上の件は楽しみにしているよ。出来れば私達に合流してくれると嬉しいんだけどね」

「確かにそれが一番いいのは分かりますし、フリツィオーネ殿下自身皇位継承権には特に拘っていません。恐らくは大丈夫だと思いますが……」


 反乱軍に合流するのであれば、フリツィオーネが自分の下について貰う。

 メルクリオが付けてきた条件を思い返して言葉を返すウィデーレだったが、ここで言質を与える訳にはいかずに誤魔化す。


「レイには……気をつけてって言っても、セトと一緒の時点であまり危ないことにはなりそうにないわね。けど、帝都では何があるか分からない。それこそこう言ってはなんだけど、魑魅魍魎のような人達がいる場所よ。くれぐれも気をつけてね」

「分かってるよ。そもそも、俺はこのローブを被っていればそうそう人には見つからないし、セトも帝都の外で待機しているから、何かあった時にはどうとでも対応出来ると思う」

「そうね。セトが帝都の中に入れるのなら、私の心配は少なくなるんだけど」


 レイに対して強い信頼を抱いているヴィヘラだが、当然レイの相棒であるセトに対しても同様に信頼している。

 一見するとひ弱な魔法使い。それも冒険者になったばかりのようにしか見えないレイだが、セトの場合は見ただけで圧倒されるような力を持っている。

 いらない相手に絡まれる心配がないという意味では、セトの存在は最高の抑止力と言ってもいいだろう。

 ……もっとも、代わりにセトを狙ってくるような者が現れたりすることもあるのだが。


「それと……いい、くれぐれも騒動を引き起こさないのよ。今のレイはあくまでも白薔薇騎士団の客人として付いていくんだから。向こうで騒動を起こせば、フリツィオーネ姉上にも迷惑を掛けることになりかねないわ」

「正直、その辺はあまり自信がないんだけど……ま、やるだけやってみるよ」


 今回のレイの役は、白薔薇騎士団が任務の途中で助けて貰った客人というもの。

 当初はレイの顔が女顔であるというのを理由にして、白薔薇騎士団の一員にしてはどうかという意見もあったのだが、レイにしても今の自分の顔が女顔であるというのは理解しているものの、だからといって自分が女装をしろと言われれば答えは否だ。

 ……白薔薇騎士団に所属する者である証の白い鎧は――そちらも女の体格に合わせた鎧なのだが――ともかく、化粧をしたりするのはレイとしても勘弁して欲しかった。

 この世界に来てからの自分の顔が童顔な女顔であると理解しているだけに、女装に対する忌避感は人一倍強い。

 人がするのを見る分には問題ないのだが、自分がやれば下手に似合うだろうと予想が出来るだけに忌避感が強いのだろう。


「あのねぇ……やるだけやってみるじゃなくて、やらなきゃ駄目なのよ」


 どこか呆れたように溜息を吐きつつも、ヴィヘラの視線に不安の色は殆どない。

 まるで東の空から昇りつつある朝日が祝福するかのように、徐々に周囲の明るさは増している。

 そんな光景を見ていれば、レイがどんな真似をしようとも結局はなるようになるとヴィヘラには思えた。


「ではメルクリオ殿下。そろそろ出発しますので」

「ああ。君達が無事に戻ってきてくれるのを期待しているよ。念の為に今朝の内にこの近辺にいる偵察の者達は片付けておいた。いずれまた派遣されてくるだろうが、今なら安全だ」

「はっ! 色々とお手数をお掛けして申し訳ありません。必ずや親書の方、フリツィオーネ殿下にお届けします」


 決意を込めた声で言葉を返すと、ウィデーレは馬の上へと乗る。

 自分達が乗っていた馬はレイと合流する時のいざこざで既に全てが死んでいる為、今ウィデーレ達が乗っている馬は反乱軍から譲り受けた馬だ。

 馬の値段を考えると、メルクリオやテオレームがウィデーレに期待しているということを現していると言ってもいい。

 もっとも、その馬は所詮普通の馬であり、小さい頃から厳しく調教されてきた馬と比べると、どうしても色々な面で劣る。当然グリフォンであるセトを怖がるので……


「では、レイ殿。上空から偵察の方をお願いする」

「ああ。……じゃあ、行ってくる」

「ええ、気をつけて」


 ヴィヘラと短く言葉を交わしたレイは、馬を怯えさせないよう少し離れた場所に移動していたセトの方へと向かう。

 その時……


「レイ隊長ーっ!」


 背後から聞こえてきた声に思わず振り向くと、そこにはまだ早朝というにも早い時間だというのに、遊撃部隊の者達が勢揃いしていた。

 ご丁寧なことに、副隊長であるペールニクスの姿まである。


『お気を付けて!』


 声を揃えて叫んでくる遊撃部隊の面々に、少し照れたように笑みを浮かべて軽く手を振る。

 近くにあるテントの中から、今の声を聞いて敵襲かと思った兵士達が飛び出てきてはいたが、周りにいるのが遊撃部隊の面々や反乱軍の幹部とも言える者達であることを知ると、小さく溜息を吐いてからテントの中へと戻っていく。

 その際に遊撃部隊の方へとジト目を向けてからテントへと戻っていったのは、睡眠を邪魔された苛立ちからか。

 もっとも、メルクリオやヴィヘラ、テオレームといった面々にそんな視線を向けなかったのは、多少寝ぼけていても男にとって的確な判断だったと言えるだろう。

 もしそんな真似をしていれば、色々と不幸な出来事が起こっていたことは間違いないのだから。






「じゃあ、俺は上空から周囲を警戒しながらゆっくり移動するけど、それでいいんだよな?」

「うむ、そうして貰えると助かる。……出来ればレイ殿には私達の近くを移動していて欲しかったのだが、馬がこの様子ではな」


 近くにセトがいるということで、見るからに怯えている自分の馬に、ウィデーレは苦笑を漏らす。

 それは他の白薔薇騎士団の騎士が乗っている馬も同様であり、このままセトと共に進み続ければ、間違いなく肉体的なものよりも精神的な疲労の方が高くなってしまうだろう。

 そうなってしまえば、歩きで帝都まで向かわなければならなくなる。

 一時間、一分、一秒ですらも時間が惜しい今の状況で、そんな真似が出来る筈もない。

 周囲の偵察役が必要であるというのは間違いのない事実であり、その点で考えてもセトは間違いなく最適の存在だった。

 上空から地上を見張るのだから、偵察範囲も圧倒的に広い。

 そもそも、ウィデーレを含む白薔薇騎士団が上空を偵察していたレイとセトに見つけて助けて貰ったのだから。


「ま、その辺はしょうがない。ただ、ここから真っ直ぐに帝都に向かうにしても、必ず一泊はすることになると思う。その時に馬はどうするんだ? 俺の場合は基本的にマジックテントの外でセトに見張っていて貰うから、馬が怖がるとなると離れた場所になるけど」

「そうするしかないであろうな。そもそも、私達は白薔薇騎士団。例えレイ殿のような年齢の相手でも、同じテントの中で一晩過ごすというのは出来かねる」


 当然、といった様子でそう告げるウィデーレだったが、白薔薇騎士団の騎士の中には、レイの口から出たマジックテントという言葉に惹かれた者もいる。


「隊長、レイ殿はまだ子供なんだから、そこまで気にする必要はないのでは?」

「ならん、ふしだらな。……そもそも、レイ殿はヴィヘラ様の想い人だぞ? そのような人物と一晩を共にしたりすれば……さて、どうなるであろうな」

「……すいません、私が悪うございました」


 ウィデーレの言葉に、騎士が全面降伏といった形で頭を下げる。

 馬に乗っていながら頭を下げても、全く不安定なところはない。まるで、馬の上こそが自分が本来いる場所だとでも言いたげな程の乗馬技術は、フリツィオーネの直属である白薔薇騎士団に所属するだけものはあった。


「どうやって野営をするのかというのは、そっちで決めてくれればいい。幸い、俺の持っているマジックテントはこの人数なら多少狭いけど、全員入れることは出来ると思うし」

「うむ、ではその辺に関してはこちらで話し合っておく。それよりも空から偵察して貰うのはいいが、出来ればあまり離れないで欲しい。以前にも思ったが、グリフォンの……セトとか言ったか? セトの速度は非常に速い。私達では、とてもではないが追いつけないからな」

「グルゥ!」


 当然! と嬉しそうに喉を鳴らすセトに、その背に乗っているレイが頭を撫でる。


「セトなら数時間で帝都まで到着するからな。とにかく、話は分かった。こっちもゆっくりと上で偵察させて貰うよ」

「頼む」


 ウィデーレの口から出た言葉を聞くと、レイはセトに合図を送って空へと向かう。

 数m程度の助走で、翼を羽ばたかせて空へと上っていくセト。

 飛ぶというより、空を走ると表現した方が正しいような姿を見送り、ウィデーレは馬の足を早めながらつい先程余計なことを……レイと一緒のテントで夜を越そうと口にした部下へと向かって鋭い視線を向ける。


「あまり馬鹿なことを言うな」

「ですが、隊長。レイ殿の実力は既にご存じでしょう? 単独で一軍を壊滅状態に陥らせ、グリフォンを従え、多数のマジックアイテムを持っている。どう考えても優良物件です。出来れば白薔薇騎士団に引き入れたいくらいに」

「だから、馬鹿なことを言うんじゃない。そもそも、レイ殿は男だ。その時点で白薔薇騎士団に入れるのは不可能だし、何よりお前達もレイ殿と接してその性格を理解しているだろう」

「外見は女の子っぽいんだから、ちょっと頑張れば誰も男の子だとは思わないかと。服装も身体のラインを隠すようなローブを着てますし」


 その言葉を聞いた時、ウィデーレは不覚にも一瞬いけるか? そんな風に思ってしまった。

 だが次の瞬間には、レイが貴族達を相手に……それこそ敵対している貴族ではなく、第1皇女派の貴族をも含めて揉めごとを起こす様子を想像してしまう。


「無理だ。確かに強力無比な戦力ではあるが、扱いづらすぎる。今回のように臨時で冒険者として雇うのならそれ程の問題はないだろうが、身内に入れるとなると相当な覚悟がいる」

「……反乱軍は立派に自分達の戦力として使っていますが?」

「ヴィヘラ様がいるからだろうな。残念ながらフリツィオーネ殿下ではレイ殿を御すことは出来ないだろう。それは白薔薇騎士団の団長でもあるアンジェラ殿でも難しい」


 ウィデーレにしてみれば、レイという存在を味方に引き入れ、その上で特に問題も起こしていない辺りでメルクリオの器の大きさ……より正確には人使いの上手さを感じてしまう。

 自分達ではどうあっても問題が起きる未来しか思い浮かばないのだから。


「とにかく、レイ殿に関しては今のような距離感での付き合いがいい。敵対するのは論外だが、だからといって身内に入れるというのも難しい。……その辺を考えると、よくラルクス辺境伯はレイ殿を身内として扱っていたな。やはり辺境の出身だと、その辺の考え方が違うのか?」

「そうかもしれませんね。それに以前フリツィオーネ殿下から聞いた話によると、レイ殿が本拠地としていたギルムには貴族らしい貴族というのが殆どいないらしいですし。中立派の中心人物でもあるラルクス辺境伯の力があってこそでしょうが」


 部下の言葉に、ウィデーレは頷く。


「もっともギルムで上手くいっていたというのは、やはり辺境だからというのが大きい。幾らラルクス辺境伯がレイを身内として扱っていても、ミレアーナ王国の王都であれば間違いなく何らかの騒ぎにはなっていただろうから。そう考えれば、やはりレイ殿の居場所というのは礼儀とかにそれ程厳しくない場所なのだろうな」


 上空を飛んでいるセトへと視線を向け、ウィデーレは残念そうに呟く。






 太陽も完全に昇り、既に周囲が完全に明るくなった中でレイはセトの背の上で周囲を眺めていた。

 地上を進んでいるウィデーレ達は既に小さく、ごま粒程の大きさに見える。


「グルルゥ」


 周囲に異常なしと喉を鳴らすセトを撫でたレイは、ミスティリングの中から干し肉を取りだして自分の口へと運び、当然のようにセトにも与える。

 口の中の干し肉は悠久の空亭で作られた干し肉だ。

 値段が高い分非常に美味で、文句をつけるべきところはない。

 敢えて難を挙げるとすれば、美味すぎて他の干し肉を食べた時に少し物足りなく感じることだろうか。


「……帝都に戻るんだし、運がよければ悠久の空亭に寄って干し肉とか料理を買えるだけ買ってきたいところだな」


 レイが小さく呟き帝都の方角へと視線を向けると、セトが嬉しげに干し肉を食べながら喉を鳴らすのだった。

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