第717話

 時は戻り、討伐軍が陣地を築いて夕食を食べていた頃……レイの姿は、その陣地から十km程離れた場所にあった。

 レイの周囲には当然ながらセトもおり、他にも遊撃部隊や、それを実質的に率いるペールニクスの姿もある。

 林の中にいる為、周囲の全てを真っ赤に染める秋の夕焼けも、木々によって殆どが遮られていた。

 そんな状態で、レイ達は夕食を食べていたのだが……


「美味っ! 何だこれ。まさか軍事行動中にこんな美味い料理を食えるとは思わなかった」

「この細長いのって……何だ? 弾力がある割には噛み応えがあって、ツルツルと幾らでも入るんだけど」

「あー……スープが染みこんで美味い……」

「その、レイ隊長。この料理はなんていう料理なんですか?」


 兵士の言葉に、レイは口の中に入っていた食べ物を飲み込んでから口を開く。


「これはミレアーナ王国の辺境にあるギルムで開発された料理で、うどんという」

「うどん? 聞いたことがない名前の料理ですね」

「だろうな。けど、その美味いというのは理解しただろ? こういうのは理屈じゃない、素直に味を感じるんだ」

「ええ、確かに。……けど、ギルムってのも凄いですね。こんな新しい料理を作り出すなんて」


 半分はお世辞であっても、もう半分は本気なのだろう。感心したように呟く兵士に、レイはそっと視線を逸らしながら再びうどんを味わうのに戻る。

 このうどんという料理は、レイがギルムで広めたものだ。

 だが当然レイ自身が開発した訳ではなく、日本にいる時にたまたま作り方を知ったからこそ出来たことだった。

 それ故に、こうも褒められるとどこか居心地が悪くなった気分になるのだが……

 その辺は努めて気にしないようにしながら、うどんの入っていた器が既に空になっているのに気が付き、出しておいた鍋から新たに盛りつける。

 うどんの入っている鍋は、当然の如くギルムにいる時に満腹亭で用意してもらったものだ。

 高さ一mはあろうかという大きさの寸胴鍋の中、零れ落ちそうな程にまで入っていた煮込みうどん――スープを使った煮込みうどんだが――は、既にその量を半分程にまで減らしていた。

 近くには既に二つ、完全に空になった鍋も転がっている。

 勿論遊撃部隊に所属する兵士達もそれなりに食べたが、やはりその大部分を食べたのはレイとセトの一人と一匹だった。

 本来であれば軍事活動中に強い匂いを発する料理を食べるというのは言語道断なのだが、討伐軍の陣地からこれだけ離れていれば問題はない。

 中には匂いに釣られて近寄ろうとしたモンスターもいたが、その殆どはセトの気配に気が付き去って行く。

 ゴブリンのように力の差を理解出来ず近寄ってくるモンスターもいたが、それは全て遊撃部隊の者達の手で処分されていた。

 そんな風にレイやセト、遊撃部隊を率いているペールニクスを入れると三十人を超える者達の夕食の時間が過ぎていく。

 スープで作った煮込みうどんの入っている大鍋の三つ目が空になる頃には、夕焼けも完全に沈み終わって周囲は夜の闇に包まれ始めていた。

 夕焼けの影響でまだ若干の明るさが残ってはいたが、林の中にいる為にそれを感じるのも難しい。

 そしてもう少しで身体を動かす必要がある為に、レイも含めて遊撃部隊の面々は暫しの間、食休みを楽しむ。


「俺、この遊撃部隊に配属するように上から言われた時は、どんな罰だって思ったんだけど……」

「あ、それは俺もだ。だって、あの深紅の率いる部隊だぜ? 絶対に色々と嫌な事態に巻き込まれると思ってた。けど、作戦行動中にこんなに美味い飯が食えるんなら、寧ろ大歓迎だな」

「そうね。そういう意味では、私もこの部隊に配属になっても良かったと思うわ。……けど……」

「うん? どうしたんだよ。あんなに美味い飯を食えたのに、何か不満でもあるのか?」

「不満……不満はないわ。ただ、アイテムボックスって凄いとは思うけど」

「ああ。あれな。まさかあんなに巨大な鍋が三つも入るとは思わなかった。アイテムボックスがあれば、物資の輸送とかも大きく変わるよな。干し肉とかの保存食じゃなくて、毎日ああいう美味い飯が食えるってことだし」

「春の戦争でもミレアーナ王国軍の先陣を務めた部隊の士気は高かったって話だけど、美味い飯ってのが影響してるんだろうし」

「俺としては、寧ろレイ隊長が短剣から出した水の方が信じられなかったけど」

「ああ、それそれ。俺もそう思った。ただの水だってのに、何であんなに美味いんだろ? ちょっと信じられない程に美味かったよな。ただの水だってのに」

「何で同じことを二回も繰り返してるんだよ。……いやまぁ、実際それだけ美味い水だったけど」

「セトちゃんのような可愛い従魔がいて、アイテムボックスを持っていて、本人はランクBの冒険者なのに異名持ち。それでいながら、ヴィヘラ様から想いを寄せられているってのを考えると、レイ隊長はどれだけ恵まれているのかしら。寧ろ私も貰って欲しいくらいよ」

「……やめておけ。大体お前、レイ隊長に貰われるってことはヴィヘラ様とその愛情を競い合うってことだぞ? お前、正気か?」

「そこはせめて本気かって言ってくれないかしら。……けど、そう考えるとどう考えても無理よね」

「まあな。あの美貌や肢体。それでいながらかなりの強さを持っていて、既に出奔したとはいってもベスティア帝国の皇族。……勝ち目があると思うか?」

「りょ、料理とか掃除とか洗濯の家事なら何とか……」

「ああ、そっちなら勝ち目はあるかも? ヴィヘラ様は皇族として育ってきたんだから、家事とかは人に任せていただろうし」

「あー……でも、ヴィヘラ様って今は弟のメルクリオ殿下を助ける為にここにいるけど、本来なら数年前に国を出奔したんだろ? ならそれからはメイドとかもいなかった訳だし、当然自分で家事とかも……」

「やめてぇっ! 私の最後の希望を踏みにじらないで。せめて……せめて一つだけでもあのヴィヘラ様に勝ってるところがあるというのが私の女としての最後の希望なのに」

「あははははは。まぁ、ヴィヘラ様とレイ隊長の寵愛を競うのは、どう考えても無理だってことだよ」


 そんな風に食休みも兼ねて話している遊撃隊の兵士達から少し離れた場所で、レイは遊撃部隊の副隊長であり、実質的に率いているという意味では隊長と呼んでもいいペールニクスと最後の打ち合わせをしていた。

 既に遊撃隊の中から数人の偵察を出しており、討伐軍がどこに陣地を張っているかという情報は既に得ている以上、これから行われる作戦に最適な時間まではまだ少しあった為だ。


「つまり、先制攻撃を仕掛けるのはレイ隊長。その攻撃で敵が混乱したら遊撃部隊が弓で攻撃するということでよろしいですね?」


 ペールニクスの視線が、地面に寝転がっているセトへと寄り掛かっているレイへと向けられる。


「ああ。普通に戦う分には部隊の一部が大きな被害を受ければ撤退を始めるだろうが、野営ともなれば逃げ出すにしても通常よりも時間が掛かる。まず見張りの兵以外は殆ど寝ているから、起きて状況を判断するのに時間が掛かるだろうし、襲撃されているというのを悟ってからでも逃げる為には着の身着のままで逃げないといけない。そして何より、防護柵を使っているおかげで脱出路が限定される」

「その判断が出来ずに死ぬ者も多いでしょうし、上手く判断しても防護柵が檻となるということですか」


 テオレームの部下として参加した春の戦争で見た光景を思い出しているのだろう。しみじみと呟くペールニクスに、レイは頷きを返す。


「だろうな。それに、間違いなく相手は油断している。これが明日か明後日の野営なら反乱軍の陣地に近いという影響もあって、それなりに用心はするだろうが……ここは向こうの勢力圏内の真っ只中だからな」

「確かに。普通であればこんな敵の勢力圏内の奥深くまで侵入するということ自体が考えられない出来事ですからね」


 現在レイ達がいるのは、帝都から討伐軍が行軍して一日の場所。つまり、帝都と反乱軍の陣地の距離で考えれば明らかに帝都に近い位置だった。

 普通であればここまで入り込むまでに見つかるのは間違いないのだが、それでもレイ達がここにいるのは、空を飛ぶことが可能なセトがいたからだ。

 勿論討伐軍も竜騎士を連れてはいるが、帝国軍ですらその希少性からなかなか大々的に運用することが出来ない竜騎士だ。幾ら第1皇子派の中に有力な貴族や軍人達がいるとしても、そうそう使える訳もない。

 ただでさえ春の戦争でレイとセトにより多くの竜騎士が殺されたのだ。そのレイとセトが反乱軍にいるかもしれないという、未確認だが決して聞き逃せない情報がある以上は慎重にならざるを得ない。


「……俺達が敵の陣地を攻撃したら、恐らく敵は逃げ出す。逃げ出さないにしても、一度陣地から距離を取って態勢を立て直す筈だ。その隙を突くようにして攻撃してくれ。ただし、今回は前回と違って敵の捕虜を取っている暇も余裕もない。なるべく殺すことを心掛けるように」

「分かりました。ただ、少し惜しいですな。第1皇子派に所属しているということは、有能な者達であったり、家が高い地位の貴族という者が多い筈です。捕虜にすればシュルス殿下の時と同じように身代金の交渉をしながら時間を稼いだり出来ますし、他にもこちらに寝返ってくれる者がいるかもしれないのですが」


 テオレームに信頼されている軍人らしく厳めしい顔でそう告げるペールニクスだったが、レイは首を横に振る。


「ここが俺達の本拠地でもある陣地に近い位置ならそれも可能だったかもしれないが、ここで捕虜とした場合は遠すぎる」

「では、もっと引き寄せてから今回の件を行えば良かったのでは?」

「こっちに近づけば、当然向こうもこっちを警戒して夜の見張りも十分に行うだろ。向こうが油断して気が抜けているから、いざという時の反応に遅れるというのが今回の件の肝だ」


 そう説明するレイに、ペールニクスは一瞬探るような視線を送る。

 それを受けたレイは、視線に気が付きながらも気にせず受け流す。

 実際、今回の件をレイが提案したのは、ベスティア帝国の優秀な人材を多く殺すという理由も含まれていたからだ。

 ミレアーナ王国の障害となる人物だけに、出来れば排除しておきたいという思いも勿論あった。

 それを承知の上でも、ペールニクスはそれ以上レイを責めることはない。

 確かに有能な人材かもしれないが、その人材にしてもメルクリオの下にいるのではなく敵対している現状では厄介極まりないというのを理解している為だ。

 それから暫くの間最終確認を済ませ……そうして数時間後、討伐軍の者達の殆どが眠りについた頃にいよいよ時を迎える。






 大きな月が夜空に浮かぶ中、レイはセトの背に乗りながら地上へと視線を向けていた。

 そこにある陣地は、大きさでは反乱軍のものよりも随分と小さい。

 だが、それも当然だろう。反乱軍の陣地には戦力以外にも武器や防具を売る商人や、それを修繕する鍛冶師、兵士の夜の独り寝を慰める娼婦といった者達が押し掛けてきており、人足として働いたり、中には料理を出すための屋台を持ってきている者といったように、既に一つの村や街に近い規模となっているのだから。

 それに比べると、現在レイの眼下にあるのはあくまでも討伐軍が今夜一晩の為に作られた野営のための陣地でしかない。

 当然その陣地の中にいるのは討伐軍のものだけであり、例え反乱軍よりも人数が多くても、その規模は知れている。

 一応モンスターや盗賊に対処する為に組み立て式の防護柵で陣地を覆っているが、空を飛ぶレイとセトに柵が効果を発揮する訳でもない。


「さて……出来れば補給物資とかは全て鹵獲したかったが、陣地を一掃するとなると無理だよな。可能な限り、ってことにしておくか」

「グルゥ……」


 レイの言葉に、残念そうな鳴き声を上げるセト。

 前回の討伐軍から鹵獲した物資の中には、戦場で食べるのはおかしいと思える程の食材があったのだから、それを思い出しているのだろう。

 もっとも前回の無能な貴族と違って、今回の討伐軍は相応に有能な者が多い。

 そうである以上、必要以上に贅沢品を持ってきている筈もなく、もしも討伐軍の補給物資を強奪したとしても前回のような豪華な宴会を開くことは無理だろう。

 残念そうなセトの首筋を軽く撫でると、レイはミスティリングからデスサイズを取り出して意識を切り替える。


「さ、セト。行くぞ。陣地で眠っている奴等を過激に起こしてやろう」

「グルルルゥ!」


 レイの言葉でセトも意識を切り替えたのか、見張りに気が付かれないように羽ばたかせるのではなく滑空しながら陣地へと降りて行く。

 これから行われるのは、大いなる蹂躙。本来であれば災害と呼ぶべきもの。

 討伐軍に降り注ぐのは、紅蓮の如き死の抱擁。

 討伐軍を率いているソブルやブラッタにとって、思いもしていなかった致命的な一撃が加えられようとしていた。

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