第696話

「何と言うか、ここまで脆いとは思わなかったな」


 一目散に戦場を逃げ出し始めた討伐軍の姿を反乱軍の本陣から眺めていたレイは思わず呟く。

 そんなレイの意見に賛成だったのだろう。本陣でレイ以外にもメルクリオの護衛として残されていた者の殆どが頷いていた。


「ふふっ、以前にも言ったと思うけど、討伐軍は負けるのが前提の者達で組織されていたからね。こっちの手札を少しでも晒そうという狙いだったんだろうけど」


 そう告げるメルクリオの視線の先にいるのは、一目散に逃げ出している討伐軍へと追撃を仕掛けているヴィヘラ、グルガスト、ティユール、テオレームの部隊の姿。

 撤退している時に攻撃され、多大な被害が出ているのが分かる。


「本来なら殿軍という形で死兵となって敵の追撃を防ぐ部隊がいれば、撤退する軍の被害も少なくなるんだろうけど……残念ながら意思統一すら不可能な討伐軍では、どうしようもなかったようだね」

「……まあ、そりゃそうだろ」


 メルクリオの言葉にレイが頷き、他の者達も同様に頷く。

 死兵となれば、それは文字通りに死んでも戦い続ける必要がある。

 そんな真似の出来る兵士が、無能を揃えたという今回の討伐軍にいるとも思えなかったのだから。


(高い指揮能力を持つ指揮官がいれば話は別だったかもしれないけど、討伐軍の方は指揮系統すら明確じゃなかったって話だしな。もっとも、一目散に逃げ出した部隊は戦場を見る目があったんだろうが)


 内心で呟くレイだったが、実際にはもうどうしようもないとなれば降伏する者も出ており、それを見た他の者も降伏し……となっていた為、討伐軍の被害はレイが予想していたよりも多くはなかった。

 特に兵士は、武器を捨てれば攻撃されることもなく捕虜とされる。

 だがそれはあくまでも兵士だけだ。貴族は見苦しく暴れ回っており、捕まえられた者にしても扱いがなっていないと叫んでいる者も多い。


「始末した方がいいんじゃないか?」


 そんな貴族を見ながら呟くレイだったが、それに返ってきたのは何故か嬉しそうに笑みを浮かべているメルクリオの姿。

 ただし、その笑みは嬉しそうではあっても、どこか黒い……悪辣なものを感じさせる笑み。


「そんな勿体ない真似は出来ないよ。彼等にはきちんと捕虜として役立って貰うんだから」

「役立つ、か?」


 見るからに見苦しく喚いている貴族の捕虜達の姿を見て、レイは首を傾げる。

 捕虜としても、無駄飯食らいにしかならないと思えたからだ。

 だが、メルクリオは笑みを浮かべたまま口を開く。


「勿論だよ。まず捕虜を引き渡す際に身代金を受け取ることが出来るし、その交渉の為に少なくてもシュルス兄上の第2皇子派とは暫く休戦状態になる筈だ」

「……無能だと言われている相手を、わざわざ身代金を支払ってまで助けるか? 聞いた話によると、かなり現実主義というか、使える者は使うけど、使えない者には見向きもしないって性格らしいが」


 聞いた話と断ってはいるが、レイの中ではその言葉が真実だというのは既に規定事項だった。

 何しろ無能だと言われている者を集めて捨て駒にして反乱軍の戦力分析をしようとしており、それが今の視線の先にあるような光景を作り出していたからだ。

 そんなレイの考えは、メルクリオにしても理解しているのだろう。再び小さく笑みを浮かべて言葉を続ける。


「確かにシュルス兄上自身が身代金を支払うような真似はしないと思う。けど、捕虜になった貴族の家はどうかな? 今回集められた貴族は、基本的に当主や跡継ぎが多い。兄上としても使えない人材をここで整理して、有能な人材をその後釜に据える。そういった考えだったのは間違いないだろうしね」

「……当主や跡継ぎ、ねぇ」


 呟くレイの視線の先では、テオレームが率いた兵士達に武器を突きつけられて何やら喚き散らしている者、あるいは震えて声すら出せないといった者達が続出している。

 これが、例えば堂々としているものがいたとすれば貴族らしいと見えただろう。だが、今レイの視線の先にある光景はとてもではないがそのような立派な人物達には見えなかった。


(ま、貴族ってのはそういうのが多いってのはミレアーナ王国で既に理解していたけどな)


 これまでに幾度か見てきたミレアーナ王国の貴族。その中には、確かにダスカーのような堂々としている貴族もいたが、逆に自らの特権意識に凝り固まり、平民というだけで見下してくるような者も大勢いた。

 そんな風に考えているレイだったが、メルクリオが再び口を開いたことで我に返る。


「幾らシュルス兄上であっても、自分の派閥の者が私達と身代金の交渉をしているともなれば迂闊に手を出せない。もしもここで手を出せば、派閥の他の者達が捕まった時に身代金の交渉を行えないかもしれない。そんな風に疑心暗鬼になるからね。もっともシュルス兄上にしてみれば、有能な者は身代金を支払ってでも取り返したいけど、今回出撃してきた者達であれば私達に始末して欲しい。捕虜にして身代金の交渉で時間を無駄にさせるな。それが正直なところだと思うけど」


 難しいものだよ、と告げるメルクリオ。

 だが兄をその難しい状況へと陥らせようとしているのは、そう呟いた当の本人なのだ。

 怖いところがある。メルクリオを見たレイは、思わずそう感じてしまうのは当然だっただろう。

 そんな空気をどうにかしようと思ったのか、今回はレイ同様に出番のなかったカラザが口を開く。


「それよりも、シュルス殿下直属の騎兵がいるという話でしたが……そちらの対処はいいのですか? 一応テオレーム殿の部隊が優先的に狙ってはいるみたいですが、それでも相手は騎兵。全員を仕留めるのはまず無理でしょうし。それなら、セトを従えているレイ殿に出向いて貰った方がいいのでは?」


 そんなカラザの言葉に、本陣の空気が多少なりとも緩んだのは事実だ。

 だが……


「確かにそれが出来ればいいかもしれないけど、セトは今回連れてきていないしな。まさか走って追いかけろとでもいうのか? ……いや、無理じゃない、か?」


 言葉の途中でふと考えるレイ。

 覇王の鎧を纏った状態の速度を考えると、騎兵であっても追いつくのは容易いだろう。だが、問題はレイがまだ覇王の鎧を使いこなせていないことか。

 それこそ、下手をすれば覇王の鎧の力に振り回されて騎兵を討つことが出来ず、シュルスに……ひいては帝国側にレイという巨大な戦力が反乱軍側に協力しているという情報をただ与えるというだけになりかねない。


「それは出来れば止めて欲しいな。レイという戦力に関しては、それこそ一発逆転の効果を発揮出来る切り札なんだ。どうしようもない時ならまだしも、こんなところでそれが発覚する危険はなるべく冒したくない。それに、あの覇王の鎧とかいうスキルはまだ自在に使いこなせていないんだろう?」


 確認の意味も込めて尋ねてくるメルクリオの言葉に、レイは小さく肩を竦めて答える。


「それに、こちらの強さもある程度は向こうに知らしめる必要があるんだ。その辺の匙加減がちょっと難しいけど……テオレームや姉上ならその辺、上手く調整してくれると思うよ」


 そんな風に呟くメルクリオの視線の先では、馬に乗ったヴィヘラが逃げようとしている騎兵へと向かって横並びになり、軽く鎧へと触れる。

 鎧の上から触れただけなのに、次の瞬間には騎兵は地面へと崩れ落ち、意識が絶たれた。

 敵に触れただけで内部に魔力を使った衝撃を与えることが出来る浸魔掌というスキルは、大ぶりにならないで済む分だけ長剣や槍といった武器で攻撃するよりも速やかな一撃を可能とする。

 通りすがりの一撃であっさりと気絶させるその一撃は、レイの目から見ても使い勝手のいいスキルに思えた。


(まともに制御すら出来ない覇王の鎧に比べると、物凄く便利だな)


 そう考えるも、浸魔掌というスキルは簡単そうに見えるだけで、実際に使用するのにかなりの技量が必要になるのだというのは、レイにしても何となく理解していた。

 確かに使い勝手がよく、便利な技だろう。だがノイズの使っていた覇王の鎧に比べると、やはり一段、あるいは二段は落ちてしまうように感じられる。


「今の状況であれば、レイ程に目立つ者でなければ参加しても構わないだろうね。この場にはレイがいれば護衛としては十分だから、君達も向こうに参加してきて欲しい。正直、これ程一方的な戦いは好まないんだけど、それでもこの機会に出来るだけ向こうの戦力を減らしておきたいしね」


 メルクリオの言葉に、この場にいるカラザ達はお互いに顔を見合わせる。 

 確かに折角の戦場ではあるのだし、危険がない状況で戦場の空気を吸えるというのはこれからの戦いを思えばありがたい。

 だがそれでも、レイだけをこの場に残していってもいいのか。そんな風に思ったのだ。


「安心しろ」


 そんな躊躇を断ち切るかのようにレイが呟く。


「レイ殿?」

「俺がここにいる。それだけで大抵の危険からは守ってやれるさ。それこそ、ノイズのような規格外が来ない限りはな」


 大胆不敵。そんな表現が似合うような笑みを浮かべるレイに、カラザを含めてこの場にいる貴族達は何の躊躇もなく納得してしまった。

 この場にレイがいれば、何があっても反乱軍の旗頭であるメルクリオが害されることはない、と。


「それに……いや、何でもない。とにかく、明日からも幾度となく戦闘はあるかもしれないが、その時になって初めて戦場の空気を吸うなんてことになるより、少しでもここで慣れておいた方がいいだろ?」

「……あの、別に私達はこれが初陣の新兵って訳じゃないのですが」


 レイの言葉に、カラザの近くにいた貴族の男が思わずといった様子で呟く。

 だがそんな言葉にレイが返したのは、肩を軽く竦めるという行為だけだった。

 このエルジィンにやって来てから二年も経っていないうちに無数の戦いを潜り抜けてきたレイにしてみれば、目の前にいる者達がこれまで経験してきた戦いは物の数ではない。


(もっとも、実はこの中に伝説の勇者とか、そういうのがいたら話は別だろうけど)


 内心でそんな風に思いつつも、レイの口から出たのは別の言葉だ。


「それに、ここに残るのは俺だけじゃないしな」

「……レイ殿だけではない、ですか? それはどういう意味でしょう?」


 貴族の一人にそう尋ねられ、レイは視線をメルクリオへと向ける。

 だが返ってきたのは、無言で首を横に振るという行為のみ。

 それを見たレイは、ここで魔獣兵の存在を明かすのは止めて欲しいというメルクリオの意思を理解し、話を誤魔化す。

 それでも一瞬視線を地面の方へと向けたのは、地面の中という場所に潜んでいる者の気配を感じ取ったからだろう。


(モグラ系のモンスターを使った魔獣兵か?)


「ま、その辺に関してはいずれ分かるだろ。それよりも、ここはいいからさっさと行ってこい」

「ええ、頼みます」


 レイだけの言葉ならまだしも、メルクリオにまで言われては従わない訳にもいかない。

 それでも本当にここに誰も残さずに戦場へと向かえる筈もなく、結局はそれぞれが部隊から数名ずつここに残すということに決まる。


「では、メルクリオ殿下、レイ殿。私達は出撃してきます」


 そう言い、部隊を率いるべく本陣から去って行く貴族達の背を一瞥し、再び戦場へと視線を向ける。

 そこでは既に残党狩りと表現すべき戦いになっており、それすらも既に収束へと向かっていた。


「あいつら、間に合えばいいんだけどな」


 小さく呟くレイの言葉に、メルクリオは笑みを浮かべて口を開く。


「確かに間に合えばそれが一番だけど、間に合わないなら間に合わないで、少しでも戦場の空気を経験して貰えばそれでいいさ。……それより、黙っていてくれて感謝しているよ」


 そう告げながら、メルクリオは地面を軽く蹴る。

 地中に潜んでいると思われる魔獣兵に関しての話だと理解したレイは、口元を笑みに歪ませる。

 魔獣兵という存在とは色々と因縁のあるレイだったが、それでも戦力として有能な存在であることはこれまで幾度となく魔獣兵と戦ってきた経験から、誰よりも……それこそ、ベスティア帝国の者達よりも自分が分かっているつもりだった。


「あの、一体?」


 そんなレイとメルクリオの意味ありげな会話に疑問を抱いた兵士が尋ねてくるが、それに返ってきたのは曖昧な笑みだけだ。

 これ以上話を聞こうとしても意味はない……どころか、寧ろ危険だと判断したのだろう。問い掛けてきた兵士自身も曖昧な笑みを浮かべて視線を逸らす。


「お、カラザ達が出てきたな。予想していたよりも早い」


 レイの呟きに、全員がどこか助かったという表情を浮かべて視線を戦場へと向けた。

 結局この日行われた討伐軍と反乱軍の戦いは、反乱軍の圧倒的な勝利という結果に終わる。

 それ自体はシュルスにとって予想通りだったのだが、最大の誤算はこの戦場に派遣した直属の騎兵のうち生き延びたのは一騎だけであり、それを知ったシュルスは苛立ちを込めて執務机に拳を振り下ろすことになる。

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