第695話

 討伐軍と反乱軍がぶつかり合っている……より正確には殆ど一方的に討伐軍が攻められているという光景を陣地の後ろから眺めていたメルクリオは、近くに控えているテオレームへと視線を向け、口を開く。


「幾ら相手がこちらの手札を確認する為の捨て駒でも、少し脆すぎないかな?」

「確かに向こうが圧倒的に劣勢ですが、それはヴィヘラ様のお力によるものです。元々武闘派のヴィヘラ様ですので、その下にもオブリシン伯爵のような猛者が多く集まります。もっとも、攻撃に関してはそれこそ比類なき方であるのは事実ですが、防御に回ると……良くも悪くも攻撃力特化と表現すべきでしょう」

「ふむ、そのような尖った能力の持ち主が集まる辺り、姉上の性格や能力を現しているね」


 言葉では褒めているかどうか微妙なところではあるが、そう告げるメルクリオの口に浮かんでいるのは笑みだ。

 そんな風に嬉しそうなメルクリオだったが、やがてすぐに表情を引き締めて隣に佇むテオレームへと視線を向ける。


「確かに姉上の力が強いのは分かるし、それが私の大きな力となっているのも事実。とはいえ、だ。この軍の旗頭はあくまでも私。姉上ばかりが目立つというのは些か不味いような気がするけど?」


 主君の言葉に、テオレームもまた頷く。

 この反乱軍の中でも、ヴィヘラ派とでも呼ぶべき者達の力が突出しているというのは、体裁的にも実力的にも色々と不味い。

 メルクリオ派とでも呼ぶべき自分達もきちんとその実力を周囲に知らしめておかなければ、姉に頼り切りの弟という評価になってしまうだろう。

 そもそも、本来であればレイなら一掃出来るだろう討伐軍を相手に自分達が戦うという判断をした理由の中には、反乱軍の者達の練度を少しでも高めたいという思いがあった。

 だというのに、こうしてヴィヘラが戦っているのを見ているだけでは本末転倒だろう。


「では、私が出向こうと思います」

「ああ、頼んだよ。私達の実力をシュルス兄上にきちんと示して欲しい」


 テオレームへと言葉を返したメルクリオの視線は、敵陣の中にいる騎兵の姿を見て取っていた。

 討伐軍の中にいる騎兵……それこそヴィヘラに内部から食い尽くされようとしている騎兵達とは明らかに違う。

 乗っている馬、着ている鎧、騎兵の練度。それら全てが有象無象の騎兵とは格が違うことを意味していた。

 そして、メルクリオはそんな騎兵達がシュルス直属の部隊の者であるというのも理解している。だからこそ……


「出来れば、シュルス兄上の直属である騎兵は出来るだけここで仕留めておきたいね。シュルス兄上にこちらの情報は出来るだけ渡したくはないし、それがなくても向こうの戦力を減らしておくのにこしたことはない」


 特に騎兵のように攻撃力と機動力に優れた兵種は、と言外に告げるメルクリオに、テオレームも頷く。


「確かに討伐軍の大多数に関してはどうとでもなる相手ですが、シュルス殿下の直属ともなれば話は違ってきます。分かりました、そちらを優先的にしましょう」

「ああ、頼んだよ」

「は! シアンス、行くぞ。……レイ、ここは任せてもいいな?」


 テオレームはシアンスへと声を掛け、続いて今までのやり取りをただ聞いていたレイへ尋ねる。

 そんなテオレームの問い掛けに、レイは頷いてから口を開く。


「どのみち今回俺の出番はないって話だしな。護衛くらいなら構わないさ。……お前達を抜いてここまで来る敵がいれば、それはそれで歯応えのある奴だろうし」

「……私としてはそんな風になって欲しくないんだが」


 溜息を吐きつつも、レイがこの場にいるという時点でメルクリオの絶対的な安全は約束されたも同然だった。

 それこそノイズのような桁外れな存在が現れない限りは。

 それに、テオレームにしてみればここに残しているのはレイ以外にもそれなりにいる。

 今回の戦いは、出来るだけ反乱軍側の力を見せず、その上で圧倒するという戦い方が求められているのだ。

 テオレームにしてみれば奥の手でもある魔獣兵も今回は使う予定はない。

 メルクリオやヴィヘラを慕って集まってきている部隊に関してもなるべく使わず、更には一見するだけで強く印象に残るセトにいたっては、この戦場にすら連れてきていないという念の入れ用だ。

 もっとも、反乱軍の部隊に実戦経験を積ませるという意味もあるので、その辺の調整が難しいところなのだが。


「本当に敵が来れば……それはそれで面白いことになりそうなんだが」


 いつもであれば、その呟きに同意してくれるセトが……そしてシルクの如き滑らかな手触りのセトがいないのを残念に思いつつ、レイは出撃していくテオレームとシアンスの後ろ姿を見ながら呟くのだった。






「うわ、来た来た来た! 一旦退け! 陣形を組み直すんだ!」

「ふざけるな、この臆病者めが! ここで退いてどうする! 今はとにかく反乱軍の攻撃を凌いで、向こうの攻撃が限界に達したところで一気に逆撃を行うべきだろう!」

「理屈だけで戦争が出来ると思うな! 既にうちの部隊の士気はどん底だ! この状態で持ち堪えるのが無理なのだ!」


 統一された指揮系統を持たない為、部隊の指揮官同士……貴族同士でお互いに自分の意見を言い争う。

 更には、そんな風に言い争っている間にも先鋒部隊を蹂躙しているグルガストの部隊と、討伐軍の横から突き進んでいるヴィヘラ率いる騎兵隊による被害が加速度的に増えている。

 そして……


「て、敵本隊が動きました!」


 その報告に、貴族達が反乱軍の陣地の方へと視線を向ける。

 そこではテオレームが第3皇子派と呼ばれた者達を率いて、討伐軍の方へと真っ直ぐに進んでいるのが見えた。

 決して移動速度が速い訳ではない。そして人数が討伐軍よりも多い訳でもない。だが、それでも自分達に向かって進んでくるその迫力は、この部隊に集められた者達であってもまともにぶつかれば死ぬと判断せざるを得ない程のものがある。

 指揮官としての格が……そして、何よりも戦場に生きる者としての格が違うのだ。

 貴族達は本能的にそれを理解したのだが、それでも殆どが自らの高いプライドと自尊心故にそれを認めることは出来なかった。

 ただし、スコラ伯爵のようなごく少数の者達は討伐軍の敗退を確信し、少しでも撤退するときに有利なように秘密裏に部隊を下げていたが。


「おい、どうする? あのような者達を相手に私達で勝てるのか!?」

「……それなら、この場から逃げ出せと言うのか! シュルス殿下直々の命令だぞ。もしも何の手柄もないまま敗走してみろ。どんな目に遭うかくらいの想像は出来るだろう!」

「そ、そうだ。帝国に対して反乱を起こすような者達だ。そのような者達を相手に、私達が負ける筈はない! 違うか!?」

「勿論だ。あのような者共……」

「けど、見てみろ。既に前衛は殆ど切り崩されているぞ。ヴィヘラ殿下を相手に一方的にやられ、オブリシン伯爵の部隊の足を止めることも不可能。この状況でどうやってテオレームの……閃光の異名を持つ相手に対抗しろというのだ!」


 悲鳴のような声が周囲に響き……その声に思わず周囲の貴族達は押し黙る。

 既に三千の兵力の三割程は失っている。しかも一方的にだ。

 ヴィヘラとグルガストという、二つの部隊相手にこの有様なのだ。そこに大部隊を率いているテオレームが合流すれば、絶対に勝ち目はない。そう判断するのは当然だった。

 もしもこの時、すぐに逃げの一手を打っていれば被害は少なかったかもしれない。

 だがその行動の遅れは、致命的とすら言ってもいいだけの結果を討伐軍にもたらす。


「進め、メルクリオ殿下が見ている前で無様な姿は見せるな!」


 テオレームの言葉と共に、つい数秒前までの進軍速度は何だったのかと思える程の速度で地を駆ける。

 軍馬に乗ったテオレームが率いるその第3皇子派と呼ばれる者達で結成された、反乱軍の本隊とも言える部隊は見る間に討伐軍との距離を縮めて行く。

 その速度は、速く、鋭く、躊躇いがない。

 まさに閃光の異名を持つテオレームが率いるに相応しいものだった。


「第一から第五部隊はオブリシン伯爵と共に敵先鋒部隊に攻撃を仕掛けて前線を押し上げろ! 第六から第十部隊はヴィヘラ殿下と反対方向から討伐軍に襲い掛かれ。向こうが混乱している今であれば、一方的に攻撃を行える筈だ。第十一部隊は第六から第十部隊の背後を通って敵の後ろに回り込め。尚、その際に敵騎兵がいたら最優先で始末するように。第十二部隊はヴィヘラ殿下の部隊の背後を通って同じく背後に回り込め。騎兵に関しても同じくだ」


 素早く命令が下され、部隊の指揮官達はそれぞれが部下達を率いて命令に従った行動を取る。

 テオレームから下される命令に、一瞬の躊躇いもなく従い、命じられた行動を行うべく動く。

 その早さもまた閃光と呼ばれるだけのものであり、貴族達は目の前の光景についていくことが出来ない。


「第十三部隊は討伐軍の中にいる騎兵を中心に倒せ。残りの部隊は討伐軍が撤退を始めた時に追撃を行うので、今は待機だ」


 新たに下されたテオレームの命令により、第十三部隊が討伐軍へと襲い掛かっていく。

 ただし、狙うのは基本的にはシュルス直属の騎兵であり、それ以外は自分達に攻撃を仕掛けてくる者達のみに反撃をしていた。

 テオレームの参戦により、討伐軍と反乱軍の戦局は一気に動く。

 ジリジリと反乱軍側が有利であったところに、テオレームの部隊千人強が参加したのだ。討伐軍はその勢いに抗うことも出来ず一気に数を減らしていく。

 誰もが逃げたいが、自分が最初にその声を上げれば臆病者と見なされる。

 そんな意地の張り合いからその場に留まり、被害を出し続けていた討伐軍だったが……


「退くんだ、皆退くんだ!」


 そんな声が響くと同時に、雪崩を打ったように一気に退却へと移っていく。

 既に貴族達の表情には余裕というものは一切ない。ただここにいれば自分が死ぬかもしれないという思いで、逃げ出していく。

 討伐軍にとって幸いだったのは、背後に回り込もうとしていた部隊が完全に態勢を整える前に逃げ出せたということだろう。

 その中でも、真っ先に逃げ出した者……退くようにと叫んだスコラ伯爵は、馬に乗って自分の部下と共に逃げつつ、ただでさえ病弱で悪い顔色を、更に青くしながら先程の戦闘とも呼べない戦闘を思い出していた。


(戦闘時間は実質三十分以上一時間未満といったところ。私達討伐軍の練度が低いのは事実だけど、それでもこちらの方が千人程多かったんだ。だというのに、これだけの戦闘で一方的にやられたということを考えると、反乱軍の練度は非常に高い)


 内心で呟きつつも、その胸の中には一つの疑問がある。

 どれ程自分達の練度が高いと分かっていても、人数的に上の相手と戦うとなれば少なからず緊張する筈だ。更に自分達は兵力で千人も勝っていたのだから。

 だというのに、反乱軍はまるでそんなことを気にする様子がなかった。

 そう。まるで自分達よりも強大な相手と戦うのは慣れているかのように……それどころか、千人程度数が多い相手と戦うのは寧ろ楽であるというかのように。


(……いや、考えすぎだろう。幾ら何でもこの短時間でそんな風になるとは思えない。となると、恐らくは元々それだけの練度を誇っていたということか)


 レイやセトという存在がいると知っていれば、もしかしたらその疑問は晴れたかもしれない。

 だが今回の戦いではレイもセトも出番はなく、その戦力は温存されていた。

 それ故に、スコラ伯爵は疑問を抱きつつも真実へと行き着くことはない。


「ぎゃああああああああっ!」


 後ろの方から聞こえてくる声に、馬の上で我に返る。

 そう。今の自分達は追撃されているのであって、悠長に考えている暇というものは一切ないのだ。

 とにかく今は逃げるのが何よりも最優先であり、反乱軍の追っ手からどうにか逃げ延びなければいけない。


「皆、走れ。走るんだ!」


 自分の後を追ってくる部隊の者達、そして他の貴族の兵達に対して大きく叫ぶスコラ伯爵。

 他の者達も、背後から追撃を仕掛けている者達に追いつかれれば、良くて捕虜。最悪殺されると分かっているだけに、本来は他人に命令されるのを嫌う貴族が、文句一つ言わずに走っていた。

 背後を見て、当然ながら騎兵と歩兵では距離が開いているのを確認してスコラ伯爵は眉を顰める。


(私の部隊だけではない。他の貴族の部隊も含めて歩兵は殆ど全滅に近いか。出来れば兵力の消耗は避けたかったんだけど……けど、だからと言って今この状況で足止めを命じても、あるいは頼んでも、誰も引き受ける者はいないだろうね)


 追っ手を防ぐには、誰かが命を捨てる覚悟で足止めをするのが効果的だ。そうであると知っていても、その命を捨てるというのが出来る者は少なく、それはこの戦いで生き残ることを最優先にしているスコラ伯爵にしても同様だった。

 今はとにかく逃げて、逃げて、逃げ延びる。

 この戦いが終わったら、絶対に弟にスコラ伯爵の座を引き渡して自分は悠々自適に暮らす。

 そう思いつつも、スコラ伯爵は他の討伐軍の者達と一緒に逃げ続けるのだった。

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