第681話
テオレームの口から出た言葉に、距離を取ったまま向かい合っていたレイとオブリシン伯爵はお互いに武器を下ろしながらも、不満そうな表情を浮かべる。
最初は半ば嫌々オブリシン伯爵の戦いに付き合っていたレイだったが、それでも戦っているうちにそれなりに楽しくなってきたところだったのだ。
味方であるとはっきりとしている以上は覇王の鎧を使う練習台にする訳にはいかなかったが、それでもここに来るまでに戦った盗賊達とは違って一流の腕を持つ相手であるのは間違いがなかった。
戦闘狂というのは色々と面倒臭いと思ったが、そもそもヴィヘラという戦闘狂の知り合いがいる以上は慣れていると言ってもいい。
オブリシン伯爵は、もっと単純にこれからもっと戦闘に没頭していけるところだったのを止められたのが、不愉快そうな表情を浮かべている理由だろう。
ジロリ、と瞳に力を込めてテオレームの方へと視線を向ける。
「おい、何の真似だ? 折角これからだったってのによ」
並の兵士であれば、腰を抜かしてもおかしくないだろう迫力。だがテオレームはそんなのは関係ないとばかりに口を開く。
「だからですよ。あのまま戦い続けていれば、いずれお互いが本気になっていた筈です。ただでさえ私達の戦力は少ないのですから、こんなところで無駄に消耗する訳にもいきません」
テオレームの隣に控えているシアンスも、オブリシン伯爵から向けられる視線を気にした様子もなく頷く。
「そうですね。ここで私達が無駄に戦力を消耗するというのは、帝国……いえ、カバジード殿下に利する行為となるかと」
敵に利する行為とまで言われてはオブリシン伯爵もこれ以上戦いを続けることは出来なくなり、両手に持っていた二本のバトルアックスをそれぞれ背中へと収める。
確かにここでレイと戦うのは楽しいだろう。だが味方である以上は殺し、殺されといった戦いが出来る筈もない。
更に、レイはヴィヘラの想い人なのだ。仮にも以前忠誠を誓っていた相手の想い人を殺す訳にもいかなかった。
そんな中途半端な戦いに固執して帝国という圧倒的強者との戦いを楽しめないというのは、絶対に御免だという思いがあったのだろう。
(もっとも、この深紅とかいう相手と本気で殺し、殺される戦いを繰り広げてもいいのなら、話は別なんだがな)
バトルアックスをしまったままだが、チラリとレイへと向ける視線に宿っているのは、紛れもなく闘争本能だ。
それを受け止めたレイは、小さく溜息を吐いてから口を開く。
「俺がこう言うのもなんだが、どうせ戦うのならもっと大きな相手と戦った方が良くないか?」
「ほう」
自分が考えていたことと同じことを言われ、オブリシン伯爵はニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。
「気が合うじゃねえか。いいじゃねえか、気に入った。刃を交えた感じでも、ヴィヘラ様に対して何か二心があるようには思えなかったしな。グルガスト・オブリシン伯爵だ。お前とならいい戦いが出来そうだ」
「……ですから、レイと戦われては困ると言ってるんですが」
オブリシン伯爵の言葉に、テオレームは苦笑を浮かべつつそう告げる。
それでも微かに安堵の表情を浮かべているのは、これ以上の戦いはないと判断したからか。
そんな二人のやり取りを見ていたレイは、近づいてくるセトに円らな瞳で視線を向けられ、苦笑を浮かべる。
「グルルゥ?」
大丈夫? といった視線を向けられたレイだったが、問題はないと笑みを浮かべてその頭をコリコリと掻く。
この場ではどこか和やかな雰囲気が広がっているが、野営中の……それも真夜中に陣地の近くでこれだけの戦闘が行われたのだ。そうなれば、当然陣地にいる他の者達にしても気が付き、次第に人が集まってくる。
それでも集まってきた者達が物見遊山的な意味で来たのではなく、何かあった時に対処出来るように長剣や槍といった武器を持ってきているのは、この第3皇子派の士気が高く、高度に訓練されている証なのだろう。
そんな風に集まってきた兵士達は、そこで戦っているのがオブリシン伯爵であると知って納得の表情を浮かべ、次に誰と戦っていたのかと視線をレイへと向けると、動きを止める。
第3皇子派であるテオレームの部下である以上、この兵士達も当然春の戦争でセレムース平原へと共に戦いへと参加しており、レイを見たことがある者も多い。
「お、おい……あれ……」
「ああ。……嘘だろ? 何だって深紅が」
「いや、けどこうして見る限りだと、こっちの味方っぽくないか?」
「……あれ? もしかして勝ったか?」
月明かりの中に浮かぶ小柄な体格と、その側に佇むグリフォンのセト。
そんな一人と一匹を見間違う筈もなく、兵士達はそれぞれに感想を言い合う。
また、兵士達から離れた場所に身を潜めていた魔獣兵もまた、レイという存在には興味を抱かざるを得なかった。
自分達魔獣兵が公の場に初めて出た戦いで、あそこまで見事に逆転負けをしてしまった最大の原因なのだから。
それだけにレイが自分達に味方をしてくれるのであれば、既に自分達の勝利が決まったかのように錯覚してしまってもおかしくはない。
実際、春の戦争に参加した者達が戦場に出てくるというのは決して有り得ないことではないだろう。寧ろ、第3皇子派を一気に蹴散らすという意味では、戦力が多い方がいいのだから。
「ふむ、なるほど。どうやら兵士達からの信頼は厚いようだな。……どちらかと言えば畏怖といった感じだが」
兵士達の言葉を聞いたオブリシン伯爵が嬉しそうな笑みを浮かべてそう告げる。
ただし、その表情を見て嬉しそうだと認識する者は殆どいないだろう。大半の者が獲物を見つけた獰猛な肉食獣の笑みと評価する筈だ。
(ダスカー様といい、このオブリシン伯爵といい……どうして俺の周囲にはこういう強面系の男が多いのかね?)
脳裏を過ぎった中にはいなかったエルクにしても、分類するならば優男とはとても言えず、どちらかと言えば強面系に入るだろう。
そんな風に考えながら、レイは改めて視線をテオレームへと向けて口を開く。
「それで、ヴィヘラは寝てるって話だが……会うのは明日になるのか?」
ヴィヘラと呼び捨てにしたことで、再び周囲の兵士達がざわめく。
オブリシン伯爵との戦いが終わってから集まってきた者達だ。
ヴィヘラとレイの関係に関してはまだ知らない者が殆どなのだろう。実際、別にヴィヘラがレイに思慕の念を抱いていると公表している訳ではないし、それを知っているテオレームやシアンスにしろ、わざわざ言い触らすことでもない。
「そうだな、悪いがそうしてくれ。……一応念の為に確認しておくが、私達の力となる為にやって来てくれたのだな?」
テオレーム自身はレイの性格や言動から、自分達に合流する為に来たというのは疑っていない。だが、それはレイのことをよく知っているテオレームだからこそだ。
周囲にいる他の兵士達は半ばそうだろうと予想していても、確信はない。
その確信を得る為に……そのことによって兵士達の士気を上げる為に、テオレームはレイへと尋ねる。
戦力的には自分達第3皇子派が圧倒的に劣っている為、少しでも明るい材料を用意したいのだろう。
そんなテオレームの思惑を知ることはないレイだったが、それでも返事は決まっていた。
「当然だろ」
短い……しかし、確実にテオレームの言葉に肯定したレイの返事に、兵士達が喜びの表情を浮かべる。
だが兵士達が感情を爆発させる前に、レイは再び言葉を紡ぐ。
「ただし、俺はあくまでも一人の冒険者としてお前達に協力するんだ。純粋に戦闘を目的としてな。この内乱が終わった後で仕官する気とかはないというのは、はっきりさせておく。……まぁ、俺が仕官しようとすれば反対する者が続出するだろうけど」
小さく肩を竦めるレイの言葉に、テオレームとしても同意せざるを得ない。
確かにレイの力は魅力的だ。だが、目の前のレイ……いや、深紅という異名で呼ばれている男は、それ以上にトラブルを呼び寄せる。それだけに、もし本当に仕官しようものなら色々な意味で自分の忙しさは増すだろう。その手間暇を考えれば、幾ら魅力的であっても……それこそ上手くいけばヴィヘラすらもベスティア帝国に戻すことが出来るかもしれないと分かってはいても、仕官を要請する気にはならなかった。
だが……テオレームはそうであっても、その場にいたもう一人の男は違ったらしい。
「なんでえ、ヴィヘラ様やメルクリオ殿下に仕官しねえのかよ。お前となら飽きない戦いを出来そうなのによ」
「オブリシン伯爵」
どこか咎めるようなテオレームの声。
その声を聞き、分かった分かったとオブリシン伯爵も肩を竦める。
「ま、それならそれでいいさ。お前がいなくなるまでの間に思う存分戦いを楽しませて貰うだけだ」
「……一応俺は味方なんだがな」
どう考えても、味方ではなく戦う相手として自分を見ている相手に小さく溜息を吐いてから、レイは改めて周囲を見回す。
「随分と人が集まってきたな」
既に二十人、三十人では利かない数が集まってきている。
「それはそうでしょう。あれだけ派手にやらかせば、近くにいる兵士達が寄ってきても当然です」
テオレームの隣に立っていたシアンスが、相変わらず表情を殆ど動かさずに、それでいながらどこか呆れているというのを表現しながら呟く。
その言葉に、それもそうかと頷くレイ。
実際にバトルアックスとデスサイズをそれぞれの刃で打ち合った訳ではないのだから、甲高い金属音のようなものは響かなかっただろう。だが、それでも近くにいた兵士達を引き寄せるには十分だったらしい。
「ま、それはともかくとしてだ。今更聞くのもなんだが、一応聞いておくか。こうやって第3皇子派が反逆者という扱いになったってことは、無事に目標の皇子を助け出せたんだよな?」
「ああ。それに関してはレイに感謝の言葉を述べないといけないな。おかげでメルクリオ様を無事に助け出すことが出来た。感謝している」
深々と頭を下げるテオレーム。
それを見た周囲の兵士達は、小さくどよめく。
自分達を率いてここまで来たテオレームが、こんな簡単に頭を下げるとは思ってもいなかったのだ。
だが実際レイが闘技大会に参加し、普段は城に残っていただろう者達の多くを闘技場へと向かわせたのは事実。
もしもレイが参加していなければ、メルクリオを助け出すにはもっと時間が掛かっただろう。
(カバジード殿下の狙い通りだというのなら、レイがいてもいなくても変わらなかったかもしれないが)
そう考えはするものの、それでもレイのおかげで助かったのは事実なのだ。である以上、頭を下げるくらいは特にどうということはなかった。
そんなテオレームに対し、レイは軽く手を振る。
「別にそこまで気にする必要はないって。それより、肝心の助けられたヴィヘラの弟には……こっちも明日か」
「済まないが、そうなる。この時間だしな」
実際、夜空の月の位置を見る限りでは、今は既に真夜中といった時間帯だ。
そうなれば、ヴィヘラ同様に眠っているというのも想像するのは難しくはない。
そもそも、メルクリオは第3皇子派の象徴だ。その象徴が寝不足で目の周りに隈を作っていたとすれば第3皇子派の士気に関わるだろう。
それを理解しているだけに、レイもまた強く言えずに会うのは朝に起きてからと納得する。
「それで、だ。レイ。実はその……メルクリオ殿下に会ったとしても迂闊な行動を取らないようにしてくれ」
「……迂闊な行動?」
何を言っている? そんな風に視線を向けるレイだったが、それに戻ってきたのは小さな苦笑。
「メルクリオ殿下はヴィヘラ様と同腹の姉弟だ」
「ああ。そう言えばヴィヘラが以前そんなことを言っていたな」
当然闘技大会に出場して手助けをすると決めた以上、その辺の事情に関しては聞いていた。
それがどうかしたのか? そう尋ねるレイに、テオレームは苦笑を浮かべたまま言葉を続ける。
「メルクリオ殿下は、同腹の姉であるヴィヘラ様を非常に慕っている。……あれさえなければ、最高の主君なのだが」
「ですが、テオレーム様。完璧すぎる主君というのは、部下にとっても距離を取らせます。多少欠点があった方が親しみを抱き易いのではないかと」
「……まぁ、確かにそうかもしれないな」
一人で何でも完全にやってしまう者というのは、確かに能力的には文句はないだろう。だがそれはその者を孤独にするし、何よりもし何かを間違った時に、一人でそのまま暴走してしまう可能性もある。
「何となく言いたいことは分かった。精々気をつけるとするよ。……で、俺は朝までどうすればいい? 何ならセトと一緒に野宿でもいいけど」
「さすがに深紅と呼ばれる異名持ちに対してそんな扱いは出来ない。……そうだな、テントを一つ用意しよう」
「いや、マジックテントがあるからその辺は心配ないんだけどな。まぁ、そう言うのなら甘えさせて貰おうか。セトも当然いいんだろう?」
確認するようなレイの言葉に、テオレームは躊躇なく頷く。
従魔であり、迂闊に暴れるようなことがないのは知っているが、それでも抑える者が近くにいた方がいいと思ったからだ。
特にこの陣地には春の戦争に参加した者が大勢いるのだから。
「さて、なら早速レイとセトをテントに……」
「そうか、なら私が彼等を案内しよう」
そう告げ、兵士達の中から姿を現したのはどこか優男といった印象を受ける男だった。
その人物の姿を目にし、テオレームは思わずその人物の名を呟く。
「ティユール」
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