第680話

 その夜、第3皇子派の陣地で見張りをしていた兵士はバサッバサッ、という音に気が付く。

 まるで巨大な鳥が羽ばたくような音だったが、今は夜だ。フクロウを始めとしたような鳥以外は殆どの鳥が動けない筈だと思いながらも、もしかしてモンスターの襲撃か? そんな疑問を抱きつつ、月明かりが降り注ぐ空へと視線を向ける。

 尚、ここはオブリシン伯爵の領地の中でも比較的端の方にあり、帝都へと向かう街道からそう遠くない場所にある場所だ。

 そうである以上定期的にモンスターの駆除はしているし、何よりも闘技大会に先立って帝都へと向かう旅人の為に大規模な駆除も行われている。 

 だが空を飛ぶモンスターであれば、そんな駆除を行った兵士や騎士、冒険者が近づいてきたらさっさと逃げ出し、いなくなったらまた戻ってくるモンスターも多い。特にハーピーは下手にそれなりに高い知能があるだけに、悪知恵を働かせることも多かった。

 もしも何らかのモンスターが襲撃して来たのであれば、すぐにでも応援を呼ばなければならない。

 帝国軍の竜騎士が夜襲に来た可能性すらも頭に浮かべつつ、見張りをする時に渡されたマジックアイテムの魔笛を手に、もう片方の手で槍を構え……次の瞬間、視線の先で空中から降下してきた存在を見て、思わず動きを止める。

 それは、ハーピーとは比べものにならない程の迫力を持っていた。

 大きさで言えば竜騎士の操るワイバーンよりも小さいのだろう。だが、その身から放つ迫力はワイバーンを小さなトカゲかと思わせる程に圧倒的な代物だ。

 更に兵士の視線の先では、その存在の背に乗っていた人物がフワリと体重を感じさせないような動きで地面に着地し、自分に近づいてくる。

 何者だ! そう叫び、魔笛を吹き鳴らしたかったが、それより前にその人影は口を開く。


「ここは第3皇子派の陣地で間違いないか?」


 その言葉に、兵士は叫びだそうとした言葉を無理矢理飲み込む。

 第3皇子派。その言葉を口にした割には、全く敵意のようなものを感じなかった為だ。

 自分達が帝国に反旗を翻したということになっているのは知っている。そうである以上、てっきり帝国側の……より正確には第1皇子のカバジードの手の者が夜襲を仕掛けに来たのかと思ったのだが、この様子を見る限りではそうは見えない。寧ろ、どこか友好的なその様子は、まるで自分達の味方のようにすら感じられる。

 だからこそ、兵士は魔笛を吹き鳴らそうとした手を止め口を開く。

 一瞬、これこそが相手の手であり、この隙を狙って自分を殺そうとしてるのではないか。そんな疑問が脳裏を過ぎったが、視線の先にいる巨大な存在感を持つモンスターがいれば、そんな真似をしなくても自分を倒すのは難しくないと判断する。


「……お前は誰だ?」


 それでもこうして尋ねなければいけないのは、見張りとしては当然なのだろう。


「ランクB冒険者、レイだ。そうだな、ベスティア帝国の者にはこう言った方が分かりやすいか? 深紅のレイ、と」


 レイの口から出たその言葉に、見張りの男は目を大きく見開く。

 深紅のレイ。その名前を知らない軍関係者は……いや、一般人でも知らない者はいないだろう名前だったからだ。

 フードを被っている為、顔の全てを見ることは出来ない。それでも、月明かりによって見える範囲内では童顔というか、女顔というか、少なくても戦争を一変させるような力を持っているようには思えなかった。

 また、深紅としての代名詞の一つでもある大鎌を持っていなかったのも影響しているだろう。

 だが……それでも、見張りの男は目の前にいるのが深紅であると判断する。

 大鎌よりも何よりも明確な証拠……グリフォンが目の前にいた為だ。深紅がグリフォンを従魔としているというのは、既に広く知れ渡っている事実。

 そしてランクAモンスターであるグリフォンを従魔にするという真似は、ランクA冒険者でも困難だ。

 そうである以上、目の前にいるのが深紅であると見張りの男が判断するのは当然だった。


「いや、それにしても驚いたな。オブリシン伯爵領に陣地を構えているって話だから、てっきりどこかの街や村に拠点を構えていると思ったら、まさか何もない場所にいるとは思わなかった」


 何気なく呟いたレイの言葉に、若干だが見張りの緊張も解けたのだろう。小さく笑みを浮かべて口を開く。


「拠点が人のいる場所にあれば、一般人も戦いに巻き込まれると思ったらしい。ああ見えてもオブリシン伯爵は民思いの一面もあるからな。……で、話を戻すが、深紅が何をしにここに? 見た感じだと敵対するといった感じではなさそうだが」

「グルゥ?」


 敵対という言葉に反応したのだろう。セトが喉を鳴らしながら見張りの兵士へと視線を向ける。

 レイならともかく、セトにそのような視線を向けられれば兵士としても緊張せざるを得ない。ランクAモンスターというのは、それ程の存在なのだから。


「落ち着け。別にセトはお前をどうこうしようとは思っていないよ。ただ、ちょっと好奇心旺盛なだけだ」

「グルルゥ?」


 どうしたの? と首を傾げるセトだったが、それでもやはり見張りの兵士の動きは固まっている。

 これは駄目だ。そう判断したレイは、セトを馴染ませるのを諦めて口を開く。


「ともあれ、ここに第3皇子派が集まっているのは事実なんだろう? ならヴィヘラやテオレームもいる筈だな? 俺が来たと伝えてくれ。そうすればすぐに理解してくれる筈だ」

「……あ、ああ。わ、分かった。ちょっと待っててくれ」


 先程の一瞬の落ち着きはどこに消えたのか、見張りの兵士はそのまま陣地の中へと去って行く。

 その背を見送ったレイは、ふと思う。


(見張りが一人しかいないってのも問題だが、そもそも、俺をここで自由にしたまま報告に行ってもいいのか? もしも俺がスパイか何かだったりしたら、中に入って幾らでも破壊活動を……ああ、いや。そう簡単でもないのか)


 陣地の中へと視線を向けていたレイは、ふとその先に気配があるのを理解する。それも、ただの気配ではない。ある程度の実力がある者に思えるような気配だ。


(恐らくここにいた見張りは釣りの餌。それに引っ掛かった奴をこの気配の主達が狩るんだろうな。攻撃的な要素が見えるこの陣地の配置は、ヴィヘラか? テオレーム? どっちもやりそうではあるが、やらなさそうでもある)


 そんな風に考えている間にも、先程の兵士が上へと連絡をしたのだろう。レイの視線の先では俄に騒がしくなっている声が聞こえてくる。


「グルルゥ」


 陣地の方を眺めているレイに、喉を鳴らしながら顔を擦りつけるセト。

 その表情に空腹の色を見て取ったレイは、ミスティリングから取り出した干し肉をセトへと与える。


「グルゥ……グルルルルゥ」


 悠久の空亭で作られている干し肉だ。素材自体が一級品であり、作るのに手間も非常に掛かっているその干し肉は、当然の如く美味だ。

 その手間暇の掛かった干し肉を嬉しげに喉を鳴らしながら食べるセトを撫でていると、やがて陣地の奥の方から数人の人影がやってくるのが分かる。

 秋らしく大きく丸い月がくっきりと夜空に浮かんでいる為に、元々暗視能力を持っているレイにしてみれば近づいてくる者の顔を判別するのはそう難しい話ではなかった。

 だが、その近づいてくる者達を見たレイは思わず首を傾げる。

 テオレームの姿があり、その副官でもあるシアンスの姿もあった。ここまではまだいいのだが、ヴィヘラの姿がない。

 その代わりに筋骨隆々の初老の男の姿があった。

 更には身体中から闘気を剥き出しにしており、両手にそれぞれ持っているバトルアックスを見れば、とてもではないが話をしに来たのではないことは明白だ。


(何でこんなのが出てくるんだ?)


 自分の方に近づいてくるその男に面倒な事態になりそうな予感を抱き、思わず内心で溜息を吐くレイ。

 もしかして自分を帝国からの刺客だと判断した騎士か何かが出てきたのか? そうも思ったのだが、周囲にいる者達の態度は男が相応の地位にいるということを示していた。

 そうして、いよいよテオレームを含む集団がレイの前へと辿り着き……


「おう、お前が深紅のレイか。ヴィヘラ様から聞いてた話だと随分強いってことだったが、とてもそうだとは見えないな」


 何だ、こいつも外見で判断するのか。

 内心で溜息と共に呟いた時、まるでレイが何を考えているのかを理解しているのかのように男は笑う。


「まぁ、普通の奴ならそう言うだろうな」

「へぇ。……テオレーム、こいつは?」


 男の言葉に小さく興味を引かれたように視線を向け、その男の隣にいるテオレームへと声を掛ける。

 声を掛けられた本人は、レイの登場という事態に唇を小さく曲げて笑みを浮かべながら口を開く。


「オブリシン伯爵だ。元々ヴィヘラ様が帝国にいた時にはヴィヘラ様の部下だった方だよ。今回の件でも私達の中では戦力的にかなり重要な役割を担っているお方だ」

「ヴィヘラの……ねぇ」


 テオレームの言葉に思わず呟いたレイだったが、その呟きを聞いた周囲の者達がざわめく。

 それはそうだろう。この第3皇子派の中でも最大戦力と言ってもいい存在であり、第3皇子メルクリオが慕っているのを見れば、実質的にこの中での最大権力者であると言ってもいい存在。それがヴィヘラなのだから。

 だがレイはそんな周囲の様子を気にした様子もなく、目の前にいるテオレームへと続けて尋ねる。


「それで、肝心のヴィヘラは?」

「お休み中だよ。そもそも、既に真夜中なんだ。今起きているのは、レイが来たのを知らせてくれたような見張りの兵くらいだ」


 自分達が起きているのは取りあえず置いておくらしい。

 レイとテオレームのやり取りを見守っていたオブリシン伯爵は、やがて不意に片手のバトルアックスを大きく振るう。

 勿論レイを狙った一撃という訳ではない。何もない空間へと向けて振るわれたバトルアックスは、夜の空気そのものを砕くかのような音を周囲へと響かせる。


「おいおい、あまり俺を無視するような野暮な真似はよしてくれねえか。俺はヴィヘラ様にお前の話を聞いてから、是非会ってみたいと思っていたんだからよ」

「何をどう言われたのかは分からないが、味方同士ってことになるかもしれないんだ。戦う必要はないと思わないか?」


 目の前にいるのが、ヴィヘラと似ているようなバトルジャンキーなのだろうと気が付きつつも、駄目元でそう告げる。

 だが、オブリシン伯爵は黙って首を横に振ってから、両手のバトルアックスを握り締めつつ口を開く。


「確かにお前は異名持ちで有名なのかもしれねえ。けどな、俺は自分の目でお前の実力を確認しないと納得は出来ないんだよ。って訳で……死ぬなよ? 行くぜぇっ!」


 そう叫ぶや否や、両手のバトルアックスを構えたままレイとの距離を縮めてくるオブリシン伯爵。

 着ている鎧は金属で出来ているブレストアーマーだが、その重さを一切感じさせない程の速度。

 そのままレイへと向かって振るわれるバトルアックスは、右手が縦に、左手が横に振るわれる。

 十字を描くような形で振るわれたその攻撃は、しかしレイが軽く後方へと跳躍したことにより、あっさりと空を切る。

 そのまま音を立てずに後方へと着地したレイは、ミスティリングからデスサイズを取り出す。

 今の一撃は楽に回避したが、それとて向こうが自分の実力を知らしめる為にわざとそうしたというのは、オブリシン伯爵の口元に浮かんでいる笑みを見れば明らかだろう。


「グルゥ?」

「いや、この場は俺に任せておけ」


 手伝う? と小首を傾げて尋ねてくるセトに、小さく言葉を返すレイ。

 そんなレイの様子に、セトもまたこれが本気の戦い……殺し合いではないと悟ったのだろう。小さく喉を鳴らして後ろへと下がり、草の生えている場所へと寝転がった。


「ふんっ」


 そんな一人と一匹のやり取りを見ていたオブリシン伯爵は、満足そうに鼻を鳴らすとレイの持っている巨大な鎌へと視線を向ける。


(あれがデスサイズ、か。確かに禍々しい程の力を感じるな。これを見ることが出来ただけで収穫だったか)


 内心で呟きつつ、それでもこれで戦闘を終わらせるのは勿体なく、もう何度か刃を交えたい。そんな思いから、口元を好戦的な笑みで歪ませる。

 それはレイもまた似たようなものだったのだろう。目の前にいるのは名前だけの貴族ではなく、確固とした力を持っていると。

 だからこそ……


「ほら、次は俺の番だな」


 そう呟くと、そのまま一気に地を蹴りオブリシン伯爵との間合いを詰める。

 それでもさすがに殺してしまっては不味いという意識はあるのだろう。オブリシン伯爵へと振るわれたのは、デスサイズの石突き。

 もっとも、それでもレイがその気になれば金属の鎧を貫くことを平気でやってのけるのだが。


「はぁっ!」


 自分の鳩尾を狙ってくる石突きを、持っているバトルアックスで弾くべく振り下ろし……

 ギィンッという金属音と共に、振り下ろした方のバトルアックスが弾かれる。

 オブリシン伯爵はまさか自分の一撃がこうも容易く弾かれるとは思ってもおらず、レイはバトルアックスとデスサイズがぶつかった時の感触から、マジックアイテムであると知って両者が驚く。

 そのままお互いが距離を取り……


「そこまで!」


 テオレームの言葉と共に、握っていた武器を下ろすのだった。

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