第675話
ハンバーグのレシピを教えた翌日。レイは帝都に来てからの日課のように身支度を済ませて一階の食堂へと向かうと、そこでは予想外の光景が広がっていた。
「おい、この情報は本当か!?」
「メルクリオ殿下が帝国に対する反逆って……やっぱりこの前噂になってた城に忍び込もうとした盗賊ってのは……」
「恐らくそうだろうな。だが、何だってメルクリオ殿下がこんな真似を」
「理由はどうあれ、このままだと下手をすれば内乱になるぞ!? 城を襲って逃げ出したんだから」
「内乱か。商機であるのは事実だが……気が重いな」
「そうは言っても、この機会を逃す訳にはいかないだろ。下手をすればこの流れに乗り遅れて、他の商人や商会に置いていかれるぞ。そうなれば、俺達が雇っている者達の生活はどうなる? そうしない為には……」
「ちょっと待ってよ! それってつまり、この内乱に乗じて商売をするってこと!?」
「……お前、どっちにつく?」
「勝ち目って点で考えれば、やっぱり帝国側だろうな。メルクリオ殿下の方はどう考えても戦力が少な過ぎて帝国軍を相手にどうにか出来るとは思えないし」
「けど、逆に考えてみろよ。既に勝利が決まっている陣営につくのと、戦力の足りない方の陣営につくの。どっちの方が腕を高く買って貰えると思う?」
「それで死んだら意味がないだろうが」
「……けどさ、メルクリオ殿下にしても帝国に対する反乱に踏み切ったってことは、何らかの対抗手段があるからこそなんじゃないの? 例えば、何らかの切り札的な何かがあるとか」
「あああああああああっ、くそが、くそが、くそがぁあっ! 何だってこんな時に内乱なんかになるんだよ。おかげでこっちの取引の予定が目茶苦茶じゃねえか!」
まさに混乱の坩堝とも言うべき光景に、そうなった理由は何となく理解出来るレイは特に何も言わずにテーブルへと着く。
そこにすかさず注文を取りに来る食堂のウェイトレス。
ベーコンエッグとサラダ、ウィンナー、野菜スープ、パンと内容的には軽いが量は3人分注文すると、既にレイの食欲に関して慣れているウェイトレスは特に驚いた様子もなく注文を受け付け、口を開く。
「レイさんはあまり驚いてないわね」
「いや、十分に驚いているさ。ただ、周囲が驚き過ぎているのを見て変に冷静になってしまった感じだな。……ああ、冷やした果実水と食後に適当に果物を頼む」
「はいはい、相変わらずの食欲ね。……けど、どうなると思う? 闘技大会が終わったと思ったら内乱だなんて」
周囲を見回し、不安そうに尋ねるウェイトレス。
周辺諸国を併呑して国を大きくしてきた帝国だ。当然反乱というのはそう珍しくもない出来事ではある。だがそれはあくまでも征服し、併合した国が起こすものだ。
そのような相手であれば戦場は当然その周辺国の近くになる為、帝都に住んでいる者が戦争を実感することは少ない。
勿論帝国軍の兵士を家族や知り合いに持っている者にしてみれば、話は別なのだろうが。
だが、今回帝国に対して反乱を起こしたのは第3皇子のメルクリオだ。
そうなれば、帝都そのものが戦場になる可能性も否定は出来なかった。
メルクリオやヴィヘラが帝都からそう距離が遠くないオブリシン伯爵の領地に陣を構えているというのは、まだそれ程知られてはいない。それでも、やはり内乱ともなればその辺の心配をせざるを得ないのは事実なのだろう。
そして……
「食堂にいる人達の噂を聞く限りだと、メルクリオ殿下の行動に周辺国家が呼応するんじゃないかって話もあるのよ。……レイさんはどう思う?」
不安そうにレイへと尋ねてくるウェイトレスに、レイが返したのは小さく首を横に振るという行為だけだった。
「そもそも、知っての通り俺はベスティア帝国の人間じゃないからな。その辺の事情はあまり詳しくないし、それを聞かれても返事に困る」
「あ、そうね。そう言えば確かにそうだったわね。レイさんがこの宿に来てからすっかり馴染んでたから……」
あはは、と自分のドジを誤魔化すかのように笑みを浮かべたウェイトレスは、調理場から料理が出来たという連絡を貰ってすぐに去って行く。
それを見送ったレイだったが、不意に視線を感じてそちらへと顔を動かす。
そこにいたのは、どこか不機嫌そうな表情を浮かべつつ近づいてくるルズィに、ヴェイキュルとモースト。風竜の牙の3人だった。
(結局まだ帝都にいたのか)
近づいてくる3人を眺めながら、レイは内心で呟く。
それなりに親しい関係となった3人だ。出来れば今回の内乱に巻き込まれる前に帝都を出て行って欲しかったのだが、そんなレイの期待は叶わなかったらしい。
どさり、とレイの隣に腰を下ろしたルズィは、鋭い視線をレイへと向ける。
その近くにいるヴェイキュルやモーストもまた、今までとは違う視線をレイへと向けていた。
「どうしたんだ? そんなに怖い顔をして」
「……惚けるな。お前、知ってたのか? いや、あの口ぶりから考えれば知ってたんだろうな」
「何のことだ? と言っても無駄だろうな」
ルズィ達3人の視線の厳しさから、既に大体の話の裏は取っているのだろうと判断したレイは、小さく肩を竦めて言葉を返す。
「ま、座れよ。話をするにしても立ったままってのは良くないだろ。それに俺も朝食を食べに来たところだし」
自分の座っているテーブルへと注文した料理を運んでくるウェイトレスの姿を見ながらそう告げると、ルズィ達にしても自分達が周囲の視線を集めていることに気が付いたのだろう。不承不承ながらもテーブルに着く。
それを見たウェイトレスが、安堵の息を吐きながら料理をテーブルに並べていく。
今のこの時期に……しかも、この前までは仲の良かったレイと風竜の牙の3人が険悪になっているのだ。ウェイトレスとしては、どうしても不安にならざるを得なかった。
それでも表情を表に出すことなくレイの注文した食事をテーブルの上に並べていくのは、さすがに悠久の空亭でウェイトレスとして働いているだけはあるのだろう。
「それで、ルズィさん達の注文は?」
料理を並べ終えたウェイトレスの言葉に、ルズィ達3人はそれぞれパンとスープという軽い食事を注文する。
純粋に腹が減っているのではなく、食堂でテーブルを使わせて貰う為の代金代わりといったところだろう。
それぞれの注文を確認して去って行くウェイトレスを見送り、再びルズィは口を開く。
「で、お前は何を知っているんだ?」
そんなルズィの言葉に、レイは特に気にした様子もなくテーブルの上にたっぷりと置かれた焼きたてのパンへと手を伸ばす。
今日は白パンらしく、触れただけで柔らかな食感を予想出来る程の柔らかさだ。
白パンを千切って口へと入れながら、レイは器用に肩を竦める。
「何を、と言われてもな。闘技場で行われた表彰式が終わって宿に戻る途中に、あからさまに第1皇子を持ち上げるような話をしているのがいたからな。その辺を考えれば、今回のことは予想出来ただけだよ」
レイの口から出たのは、全くの出鱈目という訳ではない。確かにカバジードの手の者と思われる人物が、酒場で大々的に色々と話していたのを聞いたのだから。
だが実際には前々から知っていた通りの流れで事態が進んだだけであり、だからこそレイにしてもこの結末に関しては半ば予想出来ていた。
「……嘘ではないけど、本当でもないってところね」
レイの言葉を聞いたヴェイキュルがそう告げる。
盗賊としての勘か、あるいは女としての勘か……はたまた何らかの情報を掴んでいるのか。
そのどれなのかは分からなかったレイだったが、それに返すのは小さく肩を竦めるということだけだった。
「この前も言ったと思うが、俺が出来る情報提供は全てした。後はお前達がどう判断するかだけだ」
「お前……いや、これ以上聞くのは止めておくか」
これ以上追求してもレイは絶対に情報を漏らさないと判断したルズィは、小さく溜息を吐く。
そんな自分達のリーダーに、モーストが口を開く。
「いいんですか?」
「ああ。これ以上こいつから話を聞き出そうとしても、絶対に何も喋らねえさ。もしどうしてもこいつから話を聞くとすれば、それは力尽くでどうにかするしかないが……それが出来ると思うか?」
そう言われてしまえば、モーストにも何を言い返すことも出来ずに黙り込む。
レイの実力がどれ程のものなのかは、その目で直接見ている。
自分達の中でも最強と言える実力を持つルズィが殆ど一方的にやられた相手と、曲がりなりにも渡り合っていたのだから。
(それに……)
モーストの脳裏を過ぎるのは、レイの従魔であるグリフォンのセト。
闘技大会ではルール上参加することは出来なかったが、ランクAモンスターであるグリフォンの実力は相当に高い筈だ。それこそ、自分達程度ではどうやっても対処出来ない程には。
そんな化け物クラスの一人と一匹をどうにか出来るかと言われれば……それに頷けるだけの実力も自信も、はたまた自惚れも持ってはいなかった。
「そうですね、これ以上話しても無理なようですし。何より、丁度朝食も来ましたしね」
呟くモーストの視線の先には朝食を運んでくるウェイトレスの姿があり、結局この話は済し崩し的にここで終わりとなる。
その後は多少ぎこちないながらも、特に敵対的な雰囲気にはならずに朝食を終える。
……多少時間が前後したとしても、一人前を……それもパンとスープ、それとウェイトレスからのサービスとしてサラダを食べ終えるのと、三人前のしっかりとした朝食を食べ終えるのが殆ど同時だったというのに、ヴェイキュルが驚く場面もあったが。
尚、別にレイは早食いをしている訳ではなく、十分に味わって食べているのだが……そう言われても、ヴェイキュルとしてはどこか信じられないものがあった。
ともあれ、食事を終えた四人は果実水を飲みながら軽い雑談を続ける。
食堂の中では、未だに内乱に関して騒々しく話し合ったり、情報交換をしたりしている者も大勢いたのだが、レイにとっては特に気にする必要はない出来事だった。
……ルズィ達は微妙に気になっていたようだが。
そうして食事が終わると、ルズィ達は席を立つ。
「お前が何を考えているのかは分からないが、もしも一般人に対して妙なことをするようなら、例え敵わなくても俺達が立ち塞がる。それだけは覚えておけ」
「そうだな。お前達が俺の前に立ち塞がったら、その時は俺も全力で相手をしてやるよ」
お互いにそう言葉を交わし、レイはルズィ達が去って行くのを見送る。
(さて、ルズィ達はどっちの勢力につくことになるのやら。あんな風に啖呵を切っておいて、第3皇子派のところで合流したら、色々と微妙だな)
そんな風に内心で考えながら、レイは食堂を去る。
向かうのはセトのいる厩舎……ではなく、レイが借りている部屋……でもなく、ダスカーの泊まっている部屋。
いつものように部屋の前には護衛の騎士が2人おり、レイが近づいて行くと微かに警戒の表情を浮かべる。
だが近づいてきたのがレイだと知ると、その警戒を解き笑みを浮かべて口を開く。
「闘技大会の準優勝者様がどうしたんだ?」
「ダスカー様にちょっと用事があってな。いいか?」
「分かった、ちょっと待て」
そう告げ、扉をノックして中に入っていく騎士。
ダスカーに面会の許可を貰いに行ったのだろう。
すぐに扉から出てきて、中に入る許可を得て出てくる。
普通であれば、そう簡単に貴族との……それも辺境伯という地位にある者との面会の許可を得ることは出来ない。
前もって約束しておく必要もあるし、いざ面会に来たとしても細々とした準備のようなものもある。
それを省略してレイがダスカーに面会出来るのは、やはりそれだけダスカーから信頼されているという事実があるからだろう。
これまでにレイがギルムにしてきた貢献は、それこそ叙爵してもおかしくない程のものなのだから。
……もっとも、本人は絶対にそれは望まないだろうが。
それ以外にも、ダスカー本人が無駄なことを嫌っているというのもある。
ともあれ、普通では降りない程の早さで面会の許可を得たレイは、ダスカーの部屋へと入っていく。
そこには机の上で何らかの書類を読んでいるダスカー、少し離れた場所でソファへと座っているエルクとミンの護衛2人の姿があった。
「失礼します」
「ああ、俺に用事だってな。何だ? また鎮魂の鐘にでも襲われたのか?」
レイの実力を理解しているからこその、軽い口調。
鎮魂の鐘に襲われても、レイであればどうにでも対処出来ると理解しているのだ。
だが……次の瞬間にレイの口から出た言葉は、ダスカーの考えていたものとは全く違っていた。
「実は、第3皇子派に合流したいと思います」
それは、内乱で起こるだろう戦いにレイが参加するということを意味していた。
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