第667話

 魔の山に対する探索許可が下りたのを見たノイズは、小さく笑みを浮かべて一礼し、後ろへと下がっていく。

 そして闘技場内から疎らに拍手が起き……それはやがて次第に大きくなっていく。

 一般の観客席にいる観客達、そして貴賓席の観客達の拍手の音が響く中、式の進行を行っている貴族の声が再び闘技場内へと響き渡る。

 そんなノイズと入れ替わるように、次はレイが舞台の端から闘技場の真ん中へと向かう。

 そうして闘技大会の運営委員の前で歩みを止めると、先程のノイズとは違って皇帝の方へと向かって跪く。

 あまり人前で跪くという行為を好まないレイだったが、それでも他国とはいえ皇帝の前。更にはヴィヘラの父親だと思えば、儀礼上しょうがないというのがレイの思いだった。

 それに皇帝を前にして跪かないというのは、ランクSのノイズだからこそ許されたのだ。幾らそのノイズと決勝を戦ったとはいっても、ランクB程度の冒険者に許される筈がない。

 そんなレイの様子に、ほっと安堵の息を吐いたのは表彰式の進行を行っている貴族だ。

 ノイズの行動が行動だったので、もしかしたらレイも同じように礼儀を無視するのではないかと思ってしまった。

 そして何より、一番安堵の息を吐いているのは貴賓席でこの様子を眺めていたダスカーだろう。

 レイの関係者である以上、どうしてもそのレイの態度はダスカーに対する評価に、そしてミレアーナ王国の評価にも繋がってくる。

 一国の皇帝を……それも高い国力を持つベスティア帝国の皇帝を相手に礼儀を無視するような真似をした場合、ダスカーの立場がミレアーナ王国を代表してきているというものである以上、国際問題にもなりかねない。


『闘技大会準優勝、レイ。準優勝の賞品として何を望むか』


 跪いているレイに対してそう尋ねられる声。

 その声に対し、レイは顔を上げて口を開く。


「実戦で使えるマジックアイテムを」


 そう答えつつも、レイはこの望みが叶うことはないだろうというのが正直な思いだった。

 この場で賞品を授与されるのであればまだしも、正式な賞品の授与に関しては後日城で改めて行われる大々的な式典で授与されるのだから。


(恐らくさっきの爆発はヴィヘラ達の仕業だろう。となると、式典が行われない可能性も高い)


 そんなレイの言葉に、トラジストは貴賓席からレイを見下ろしつつ頷く。


「うむ、分かった。闘技大会準優勝者に相応しいマジックアイテムを贈ると約束しよう。後日の式典を楽しみにしているがよい」


 トラジストからの言葉に、レイもまた頷き、跪いた状態から立ち上がって舞台の端へと戻っていく。

 賞品を貰えないというのは大きいが、今のレイはそれよりも考えていることがある。

 即ち、ノイズの望みだ。

 魔の山。それがどのような場所なのかは、何となく想像がつく。そしてノイズが恐らく闘技大会が終わったらそこへと向かうということも。

 だからこそ……レイは複雑な気持ちを抱かざるを得なかった。


(確かに内戦状態になった時、敵にノイズの姿がないというのは第3皇子派としてはありがたいだろう。もし敵にノイズがいれば、味方にどれだけの被害が出るか分かったものじゃないしな)


 そう、純粋に第3皇子派の勝利という面を考えれば、それは最善の流れだ。それはレイも理解している。

 だが……


(戦場で力の制限がない状態で……俺もセトと共にノイズと戦ってみたかったという気持ちがあるんだよな。俺とセトの一人と一匹で深紅なんだし。それを求めてヴィヘラ達と合流しようかと考えていたんだが、な)


 この闘技大会では、舞台の広さやこれまでの経緯から召喚獣や従魔を戦闘に参加させるという真似は禁止している。

 だが戦場でそのような制限は一切ないのだ。

 それを考えれば、レイが初めて出会ったノイズという壁を相手にして全力を出して戦ってみたいと思うのも当然だったのだろう。


(まぁ、その前に覇王の鎧とかいうスキルを十分に使いこなせるようにならないと、どうしようもないんだが)


 ノイズと戦うということは、即ち再び覇王の鎧を使って高速移動しながらの戦いになる。

 現状のレイでは、覇王の鎧自体莫大な魔力を消費して何とか身体に纏っているに過ぎない。高速移動を可能とする、覇王の鎧を足に集めて使うというのは、とてもではないが使いこなせないだろうというのがレイ自身の分析だった。

 実際にはノイズとの試合中に未熟ながらもそれを使おうとしたこともあるのだが、殆ど無意識の上での行動だった為か、本人は殆ど覚えていない。


(遠すぎる程に遠い。だが、それでもノイズに届くまでの道筋は見えた。なら後は俺自身の力次第だ)


 内心で呟くと、チラリとノイズの方へと視線を向けてから運営委員が集まっている舞台中央へと向き直る。

 そのタイミングを待っていたかのように、トラジストが貴賓席で口を開く。


「今年の闘技大会も、素晴らしいものだった。力、技、魔力。あるいはそれ以外の色々なものを見ることが出来て、余も嬉しく思う。これだけの戦いを見ることが出来たのは嬉しいが、来年の闘技大会では今年程盛り上がるかどうかと考えると、少し残念だ」


 今年の闘技大会は、ランクS冒険者のノイズが試合に出てきた。更にベスティア帝国では悪い意味で有名だったレイも出場した。この両者は良くも悪くも高いネームバリューを持っており、それ故に今年の闘技大会が例年になく盛り上がったのは事実だった。

 もっとも、有名人はこの二人だけではない。他にも水竜のディグマを始めとしたランクA冒険者も数名出場しているし、知る人ぞ知るといった者達、あるいは本拠地にしている村や街、都市といった場所で名を馳せている者も少なくない。

 それでも、やはりノイズとレイの二人が今年の闘技大会に参加していなかった場合、ここまで盛り上がったかと言われれば、誰もそれに自信を持って頷くことは出来ないだろう。


(それに……来年の闘技大会は開かれるかどうかも微妙だしな)


 チラリ、と横に立っているノイズへと視線を向けてレイは内心で呟く。

 これから起こるだろう騒動は、下手をすればベスティア帝国での内乱にすら発展する可能性もある。

 そして、概して内乱というのは同国内での戦いという関係上長引くことが多いし、身内同士なだけに下手に他国と戦争するよりも悲惨な経緯を辿ることも珍しくない。


(もっとも、これまでに何度もベスティア帝国に戦争を仕掛けられているミレアーナ王国としては、それを狙っているんだろうけどな)


 ミレアーナ王国としては……より正確には今回の件に絡んでいる中立派、貴族派としては、この内乱でベスティア帝国の国力が減って欲しい。そういう思いが強いというのは、レイにも理解出来た。

 ミレアーナ王国の中でも最大派閥である国王派は今回の件に絡んではいないが、それは一介の冒険者である自分には関係のないことだし、ダスカーや貴族派の中心人物であるエレーナの父親のケレベル公爵がどうとでもするだろうという思いもあった。

 そんな風にレイが内心で考えている間にも、トラジストの話は進んでいく。

 ベスティア帝国の皇帝をやっているだけあって、そのカリスマ性に関しては間違いなく一流……いや、一流を超えて超一流と言ってもいいだろう。


(確かにこういう人物が上に立っているのなら、ベスティア帝国がここまで強大になったのは理解出来るな。……覇権主義というか、周囲の小国を占領したのだって、あの覇気に満ちた印象を考えれば納得してしまうし)


 闘技場内に響くトラジストの声は、観客達の意識を集めるだけの何かを持っている。それが理解出来ただけでも、今回闘技大会に参加した甲斐はあった。

 内心でそう思いつつも、レイ自身はトラジストの話を聞き流す。


「……っ!?」


 だが、そんなレイの態度に気が付いたのか、あるいは単純に偶然だったのか。

 ともあれ、トラジストの視線が不意にレイの方へと向けられる。

 自分の友ではなく、その隣にいるレイへと。

 そんな状態であるにも関わらず、トラジストの話はまだ続き……じっとレイに視線を向けたまま、数分程でようやくその話も終わる。


(何だったんだ? いやまぁ、ベスティア帝国の皇帝だけに俺のことが気になったとしても不思議じゃないけど。ただ、そういう視線じゃなかったような……まさか俺がヴィヘラやテオレームに協力してるってのを知ってたりはしないだろうな?)


 微妙に嫌な予感を抱きつつも、表彰式はその後も続いていく。

 もっとも正式なものは後日城でやる以上、あくまでもここで行われているのは簡易的な式だ。当然それ程時間が掛かるでもなく、運営委員の今回の闘技大会についての話といったものが終わると、自然と表彰式も終了する。


『では、これにて表彰式を終了とする』


 式の進行を任されていた貴族の声が闘技場内に響くと、自然と拍手が起き始めた。

 それも貴族のいる貴賓席からではない。一般の観客席からだ。

 今までの闘技大会であれば、そのようなことは殆どなかった。それが起こったのは、やはり今回の闘技大会がこれまでになく白熱したものになったからだろう。

 レイとノイズの二人は、そんな拍手を背に舞台の上を去って行く。






 そんな二人を……正確にはレイの背を見送っていた者達は、闘技場内に多くいる。

 それぞれが様々な思いを抱きつつ、それでも今はただ黙って見送るしかなかった。

 憎悪、憧憬、妬み、尊敬。多種多様な感情の籠もった視線が向けられる中、その視線を送っている者のうちの一人が呟く。


「……化け物ね、あれは」


 その声は小さく、一般の観客席であるここでは周囲の観客達がそれぞれに闘技大会の感想を言い合っているだけに、誰に聞かれるでもない。

 そう。ただ一人、自分の隣にいる者以外は。


「ああ。俺達が襲った時も全力を出さずに手加減していたという訳だ」


 もしもここにレイがいれば、恐らくはミスティリングからデスサイズを取り出して斬り掛かっていただろう。それとも槍を投擲するか、新しく手に入れたマジックアイテムのネブラの瞳を用いて鏃を放つか。

 その手段はどうあれ、攻撃という行動を取っていたことは間違いない。

 何故なら観客に混ざるようにしてそこに存在していたのは、ムーラとシストイ。即ち、数日前にレイの命を狙った鎮魂の鐘の刺客だったのだから。

 毒の付着したナイフを投擲されて背中に突き刺さったはずのシストイだったが、鎮魂の鐘のメンバーであり、その中でもトップクラスの実力であるが故に、何とか毒による即死は免れ、ポーションや毒消しといった物を使って傷を癒やした。

 驚くべきは、瀕死の重傷に近かったシストイがほんの数日で普通に歩き回れるまでに回復したことか。

 それだけ高価なポーションを使ったのだが、それでもシストイの鍛えた体力あってこそのことだろう。


「ノイズが使っていたスキルを真似した、のよね?」

「だろうな。見た感じだとまだ技量的には未熟極まりないってところだが、実際にランクS冒険者のスキルを盗んだってのはちょっと信じたくない」

「……もしかして、一度でもスキルを見ればそれを真似出来るとか、そんな規格外な存在じゃないでしょうね?」


 ムーラのその言葉に、シストイは黙り込む。 

 確かに普通に考えれば、絶対に有り得ないことだ。だが実際に目の前でその有り得ない光景を見ているのだから、それを否定することも出来ない。

 それに控え室で戦ったレイの力を……殆ど一方的に蹂躙されたと表現してもいいような戦いを思い出すと、レイが全く全力を出していない状態でもそうだったのは、否定出来ない事実だ。

 そんなシストイの様子に、ムーラは嫌そうに眉を顰めて言葉を続ける。


「ちょっと、やめてよね。あのレイがそんな化け物だったりしたら、それこそどんな手を打てばいいのよ」

「それは分からんが……やるしかないだろう。まさか仕事を放り出す訳にもいかないしな」


 シストイの言葉に、ムーラは嫌そうに溜息を吐く。

 鎮魂の鐘の刺客として動いている以上、本気で仕事を投げ出す訳にはいかなかったからだ。

 これまで世話になってきたという恩もあるし、組織の中には親しい人物もいる。

 鎮魂の鐘の仕事を放り出すというのは、即ちそれら全てを捨て去り……更には、自分達に追っ手としてやってくるかもしれないのだから。

 だがムーラにしてみれば、今日の戦いを見た上でレイをどうにか出来るかと言われれば、答えは非常に難しいとしか言いようがなかった。

 それこそ、レイとことを構えるよりは鎮魂の鐘を相手にした方がいいんじゃないのかと思うくらいには。


「まぁ、そうは言っても本気でそんなことをする訳にもいかないしね。……可能性としては、城の方かしら」


 既に城でヴィヘラが暴れているという情報は組織の者から知らされている。

 レイとヴィヘラが友好的な関係である以上、今回の件にもレイが絡む可能性はあり、そこを狙えば……そんな思いで口にしたムーラの言葉に、シストイもまた頷きを返す。

 こうして、鎮魂の鐘から放たれた二人の刺客は、再びレイへと牙を突き立てるべく行動を開始する。

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