第663話
騎士達の詰め所となっていた部屋。その部屋の中に自分達が入って来た扉以外の扉があるのを見て、更に騎士がメルクリオの居場所を尋ねられた時、反射的にだが視線をそちらに向けたのを見れば既にその答えは明らかだった。
「シアンス」
「はい」
その短い一言だけで上司の意図を汲み取り、未だ意識を保っていた騎士の首筋へと手刀を振り下ろす。
そのまま気を失った騎士に一瞬だけ軽蔑の視線を向けたシアンスは、扉の前で待っていた上司の下へと向かう。
軽蔑の視線の原因は、やはりこの部屋に突入する前に聞こえてきた会話の内容からか。
それはテオレームが引き連れてきた他の部下達も同様であり、気絶した騎士を鼻で笑いながら縛り上げていく。
真っ先に意識を失った騎士の方も既に手足を縛られ、意識を取り戻しても身動きが出来ない状態にされたまま転がされていた。
部屋の中に突入してからここまで二分も掛かっておらず、驚異的な手並みで二人の騎士の鎮圧が完了する。
そうして全員が扉の前にいるテオレームの下へと集合し……気絶した騎士が持っていた鍵をテオレームへと手渡す。
その鍵が何の鍵なのかは、考えるまでもないだろう。
「……ん?」
ふと鍵を受け取ったテオレームが、視線を自分達が入って来た扉の方へと向ける。
その行為の意味を理解出来たのはシアンスだけであり、小さく頷きを返す。
「揺れましたね」
「ヴィヘラ様の仕業だと思うか?」
「恐らく。……いえ、間違いなく」
「となると、向こうの方は大きな騒ぎになっているのは間違いないか。なら一応確認のためにこっちに顔を出す者がいるかもしれない。ちょっと急いだ方がいいか」
テオレームの口から出た言葉に全員が頷き、部下の一人が口を開く。
「テオレーム様、俺とこいつは一応念の為にここで待機しています。もし誰かが様子を見に来た時に対処する者も必要でしょうから」
「え? 俺も? いやまぁ、いいけどよ」
突然この場に残るように言われた男は、一瞬戸惑いつつもすぐに頷く。
確かにこの場を確保しておく必要があるのは事実であったからだ。
折角軟禁されているメルクリオを助け出しても、部屋から出た瞬間に大勢の騎士や兵士に待ち伏せされていては堪らないというのもあるのだろう。
それを理解したテオレームは、頷いて口を開く。
「頼む、メルクリオ殿下が出てくるまでこの場の確保はお前達に任せる」
『はい!』
二人揃って了承の声を上げるのを確認したテオレームは、その騎士二人をその場に残してシアンスを従えたまま、この場にいた騎士達が持っていた鍵を扉の鍵穴へと入れる。
カチッという音と共に鍵が開かれる音。
そして扉が開かれ……目に入ってきたのは、自らの主君を軟禁するための部屋……ではなく、通路。
その通路の先には再び扉が設置されているのが見て分かる。
(なるほど、脱走防止用か)
何となくこの通路の目的を理解し、テオレームの顔は不愉快そうに歪む。
自らの主が閉じ込められているのを実感した為だ。
だが、すぐにこの通路の先に心酔する主がいると思えば、その不愉快さも我慢出来る。
そう判断し、シアンスやキューケン、残りの部下達を引き連れて通路を進む。
一分程進んだその行き止まりにある扉には、こちらもやはり鍵が掛かっていた。
幸い、同じ鍵で開くらしく苦労せずに鍵を開け……テオレームはシアンスと無言で顔を合わせ、お互いに小さく頷くと扉へと手を伸ばし……
「おや、食事にしては随分と早いと思ったら……テオレームかな?」
その扉を開けた先の部屋で、ソファへと座りながら本を読んでいた十代後半、あるいは二十代前半くらいに見える男が顔を上げてそう告げる。
顔つきや髪の色だけで言えば、ヴィヘラと非常に似ている。それに関しては同腹の姉弟なのだから当然なのだろうが、受ける印象は全く違っていた。
華やかで攻撃的な印象を持っているヴィヘラに対し、目の前にいる人物は穏やかな印象を持つ。
動のヴィヘラに、静のメルクリオといったところか。
その瞳には深い知性の光があり、小さく笑みの気配を浮かべながら自分を見ているテオレームの方へと視線を向けていた。
皇子であるメルクリオにこう表現するのは不的確であろうが、大輪の薔薇であるヴィヘラに対して他の花々に紛れるような、それでいて決して存在感を薄れさせないような、そんな花。
「メルクリオ殿下……」
その人物の姿を目にし、テオレームはそれ以上の言葉を発することが出来なかった。
間違いなく、目の前の人物は自分が会いたいと……忠誠を尽くすことを誓った人物であったからだ。
「どうやら苦労を掛けたようだね」
「いえ。……殿下こそご無事で何よりです」
「私の場合は、軟禁されていたといってもこうしてゆっくりと読書の時間を取ることが出来ていたから。寧ろ骨休めになったと言ってもいいさ。それより君達は私がこうしていたおかげで色々と大変な目に遭っただろう?」
「殿下がご無事であれば、この程度の苦労など苦労ですらありません」
とても敵地の奥深くで行われているとは思えない程の、穏やかな時間。
だが、久しぶりに訪れた主従の時間に割り込む声があった。
「メルクリオ殿下、テオレーム様、申し訳ありませんがいつまでもこのままという訳にもいきません。今はまず、この場を脱することが先決かと」
シアンスのその言葉に我に返ったのだろう。テオレームはシアンスに頷き、口を開く。
「メルクリオ殿下、現在ヴィヘラ様が陽動のために暴れています。今ならまだこちらに目は向いていませんので、早めに城を脱出しましょう」
「……姉上が?」
テオレームの口から出た言葉は余程意外なものだったのだろう。今までの大人しい様子からは信じられない程にメルクリオの目が大きく見開かれる。
「姉上は国を出奔していた筈だが……」
「はい。勝手とは思いましたが、殿下をお助けするためにお力添えをして貰っています」
「……そうか、姉上を巻き込んでしまったか。このままここで朽ちていくのもいい。そう思っていたんだけどね」
「殿下」
メルクリオの言葉に、テオレームは思わずといった様子で咎めるような言葉を発する。
だがそれ以上何かをテオレームが口に出す前に、メルクリオは頷く。
「分かっている。けどね、私がここにいれば家族との争いを考えなくてもいいと、ふとそう思っただけだよ。……さて、では行こうか」
呟き、メルクリオは座っていたソファから立ち上がる。
その動作には何の緊張もなく、これから敵地であると言ってもいい城から脱出するのだとはとても思えない程に気楽なものだった。
それだけ自らの部下でもあるテオレームを……そしてそのテオレームの部下達を信じているからこそだろう。
軟禁されていた部屋を出て、通路を歩きながら口を開く。
「それで、これからの予定は?」
「まず城を脱出します。そうすればヴィヘラ様も陽動の為に暴れるのを止めて脱出するでしょう。その後、帝都から脱出して味方の軍と合流します」
「……そうか。やはり内乱は起きるか」
憂いの表情を浮かべるメルクリオだったが、それでもすぐに意識を切り替えてテオレームへと視線を向ける。
この辺はさすがに皇族というところだろう。
「それでこちらの戦力は?」
「第3皇子派の戦力と、ヴィヘラ殿下が自ら引き入れた貴族達の戦力となります。それと……」
どこか言い淀むテオレームに、内心で首を傾げるメルクリオ。
そんな会話をしている間にも歩き続け、騎士達の待機所となっていた部屋へと入ると、ここに残してきた二人の騎士がメルクリオを見てその場で跪く。
「そう仰々しくしないで欲しい。私は君達に助けられたのだから」
「いえ、殿下がご無事で何よりです」
跪きながらそう告げてくる騎士の肩に、柔らかく笑みを浮かべたメルクリオがそっと手を伸ばす。
「私は君達のような有能にして勇猛な、そして何より誠実な騎士を部下に持てたことを嬉しく思うよ。さぁ、それよりも立つんだ。今は再会を喜ぶよりも、この場を脱出する方が先だからね」
「は!」
そうして立ち上がる騎士に笑みを浮かべたメルクリオだったが、次にその視線が向けられた先は縛られて床に転がされている二人の騎士。つまり、自分をここに閉じ込めていた者達だ。
少し前に気絶させられた筈なのだが、既に意識を取り戻しているのは精鋭の騎士だからこそか。
「君達のことも、私は忘れないよ」
そう告げるメルクリオの口元には柔らかな笑みが浮かんでおり、だがその目は普段と比べると鋭い光を放っている。
「むーっ! むぐぐぐぐ!」
「むぐ、むぐぐぐ!」
騒がれないようにだろう。猿轡を嵌められた騎士達がその下で呻く。
だがメルクリオは既に騎士からは興味失ったかのように視線を外し、改めてテオレームの方へと視線を向けて口を開く。
そんなメルクリオに、テオレームは視線で合図をすると部下が騎士達の首筋へと手刀を振り下ろして意識を絶つ。
「話がまだ途中だったね。それで、こちらの戦力は?」
そう声を掛けられたテオレームもまた、再度気絶した騎士達を全く気にした様子もなく言葉を続ける。
「はい。実はヴィヘラ様を探し出した時に予想外の人物と再会し、その者から協力を取り付けることに成功しました。また直接の戦力ではありませんが、ミレアーナ王国の貴族でもあるラルクス辺境伯も協力を約束しており、現在この地にやって来ています」
ミレアーナ王国という名前を聞き、メルクリオの動きがピタリと止まる。
テオレームを見る目には、若干だが鋭さが入り交じっていた。
「ベスティア帝国で起きるだろう内乱に、ミレアーナ王国の協力を仰いだのかい?」
「申し訳ありません。どうしても私達の戦力だけでは……メルクリオ殿下をお助けするだけであればどうにでもなりましたが、内乱となってしまうと」
そこまで呟き、首を振るテオレーム。
それを見たメルクリオも、しょうがないと小さく溜息を吐く。
確かに第3皇子である自分とその仲間だけで内乱になってしまえば、どうしようもなく戦力不足であることは事実なのだ。
現実を知っているからこそのメルクリオの態度だった。
「それで、引き入れた戦力というのは?」
「春の戦争で最大の大手柄を挙げ、ベスティア帝国敗戦の切っ掛けを作った男。そこまで言えば、分かりますか?」
その言葉は予想外だったのだろう。メルクリオが思わずといった様子でテオレームへと視線を向ける。
「まさか、深紅を?」
「はい」
「……よくまぁ、私達に味方してくれたものだ。春の戦争では敵対したというのに」
「それは……」
そこまで告げた、その時。扉が大きく開かれ、一人の人物が姿を現す。
攻撃的な美貌に艶やかな笑みを浮かべ、踊り子や娼婦と見紛うような、向こう側が透ける服を着ているその人物は、部屋の中にいるメルクリオに目を止めると大輪の花の如き笑みを浮かべる。
「メルクリオ、無事だったのね」
そのまま近寄ってきて、ヴィヘラは弟を思い切り抱きしめる。
そんな姉に対し、メルクリオは固まっていた。
何に固まっていたのかは、言うまでもない。
「あ、姉上!? 何ですかその格好は!?」
抱きしめられたことにより自らの姉の巨大な双丘に顔を埋め込んでいたメルクリオが、何とか離れながら叫ぶ。
「あら、ご挨拶ね。久しぶりにあった姉弟の再会なのよ? もっと喜んでもいいんじゃないかしら?」
だがヴィヘラはそんなのは関係ないとばかりに笑みを浮かべつつ、メルクリオへと話し掛けていた。
先程までの落ち着いた様子は何だったのかと言いたいくらいのメルクリオだったが、やがて今はそれどころではないと判断したのだろう。小さく溜息を吐いて口を開く。
「姉上の服装には色々と言いたいことがありますが……本っ当に言いたいことがありますが、それに関しては後でゆっくりと話しましょう。それより、陽動として暴れていたと聞きましたが?」
「ええ。ただ、貴方達と合流した方がいいかと思ってね。丁度どこにメルクリオが閉じ込められているのかという情報も教えて貰えたから、真っ直ぐにきてみたのよ」
「……よく教えてくれましたね」
「ええ。着ている鎧を手甲の爪で斬り刻んだら素直に教えてくれたわ」
それは素直にとは言わないのでは。その場にいる者達の気持ちが一つになった瞬間だったが、誰かがそれを口にするよりも前に、再び新たな登場人物が姿を現す。
「ヴィヘラ様、騎士と兵士、合わせて十五人程がこちらに向かってきているようですが、どうします?」
扉から顔を見せてそう告げたのは、ヴィヘラに心酔しているティユール。
自らの姉がここにいる以上ティユールがここにいるのは何の不思議もないと判断したメルクリオは、自らの姉へと視線を向ける。
するとそこには、予想通り……いや、予想以上に嬉しそうな表情を浮かべ、闘争への期待に身を焦がしているヴィヘラの姿。
「テオレーム、姉上に言っても無駄だろう。このまま正面突破と行こう」
「そうですね」
その言葉を聞き、弟でもゾクリとするような流し目を向けるとヴィヘラはそのまま部屋から出て行く。
そんな姉の後ろ姿を眺めつつ、メルクリオは何かを諦めたように口を開く。
「それで、結局深紅が私達に協力してくれる理由は?」
一瞬、正直に言っていいものかどうか迷ったテオレームだったが、どのみちいずれは知ることになるだろうと判断して口を開く。
「一つは報酬としてのマジックアイテム。それと……その、少し言い辛いのですが、実はヴィヘラ様が深紅……レイと色々とただならぬ関係のようでして」
「……何?」
自らの信頼する腹心のその言葉に、メルクリオは思わず足を止めて問い返すのだった。
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