第662話
時は戻り、ヴィヘラとティユールが門の前で暴れる少し前。
城の裏口付近にテオレームとその副官でもあるシアンス、そして下働きの姿をしている5人の姿があった。
この5人に関しては目立たぬように下働きの格好をしているが、その正体は第3皇子派の騎士である。
折角ヴィヘラやティユールが陽動の意味を込めて堂々と城に入ろうとしているのだから、出来るだけ目立たない格好でくるのは当然だった。
事実、テオレームにしろシアンスにしろ、腰に長剣の納まった鞘を下げてはいるが、鎧の類は身につけておらず普通の服だ。
ヴィヘラが城にいる者達の注意を引きつけている間に、捕らわれている自らの主君を助け出す。
その為の第一歩としてこっそり城に忍び込むべく城に幾つも存在している裏口へとやってきたのだ。
「……テオレーム様、遅くないですか?」
「キューケンのことだから、何かドジを踏んでないといいんですけどね」
「確かに。ほら、覚えているか? 以前盗賊達のアジトに夜襲を仕掛けようとした時……」
「あったあった。あれは笑ったな。……あいつ、腕自体は悪くないのに、何で時々あんな風になるんだか」
周囲に聞こえないように言葉を交わす部下達を一瞥したテオレームは、特に注意するでもなく……いや、寧ろ満足げに笑みを浮かべる。
これから城に忍び込み、第3皇子が軟禁されている場所を急襲するというのに全く緊張した様子がないのだから、頼もしいと言えるだろう。
勿論城に忍び込むのに全く不安を感じていない訳ではなく、寧ろその重大さはきちんと理解している筈だ。
だがそれでも緊張している様子がないのは、やはり自らの上司であるテオレームを信じており、何よりも自分達の主君でもある第3皇子のメルクリオを助け出すことを待ち望んでいる為だ。
「……全く、私には出来すぎた部下達だ」
「そうでしょうか? 寧ろテオレーム様の下だからこそ、このような者達が揃ったのだと思いますが」
近くで控えていたシアンスが、相も変わらず表情を動かさずにそう告げる。
その様子に、唇の端を小さく曲げるだけの笑みを浮かべるテオレーム。
表情が殆ど動いてはいないが、それでもシアンスが部下達に対して抱いている思いを長年の付き合い故の感覚で理解したからだ。
だが本人にとってはそれが面白くなかったのだろう。無表情なのは変わらずとも、どこかジトリとした色の視線をテオレームへと向ける。
「何か?」
「いや、何でもないさ」
そう告げたテオレームはピクリと扉の向こう側の気配に反応する。
「さて、気楽にしていられるのもここまでだ。どうやら来たようだぞ」
テオレームの口からその言葉が発せられると、まるで今までのやり取りが幻か何かだったかのように会話が終了し、それぞれが気持ちを切り替えて意識を集中する。
計画通りであれば、裏口の扉が開いて姿を見せるのはキューケンの筈だ。だが、自分達が相手取っているのはこの国の上層部。つまり、この裏口の扉を開けた時点で騎士や兵士達が待ち構えていてもおかしくはない。
そんな思いと共に裏口の扉が開けられるのを待ち……ギギッという若干の軋み音と共に扉が開かれ、テオレーム達の中に一瞬の緊張が走る。
「お待たせしま……あれ、どうしました?」
扉から顔を出したのは、メイド姿のキューケン。
その姿に安堵しながらも、テオレーム一行は息を吐く。
「いや、何でもない。それで中の方はどうなっている?」
テオレームのその言葉に、キューケンは首を傾げた状態からすぐに説明を開始する。
「やはり闘技大会の決勝戦ということもあり、多くの者はそちらに出向いています。城の中の警備自体も普段に比べると大分緩いかと。ただ、ちょっと問題が……」
言い淀むキューケンの様子に、微妙に嫌なものを感じるテオレーム。
そんなテオレームの代わりという訳ではないだろうが、副官であるシアンスが口を開く。
「具体的には?」
「……メルクリオ殿下の軟禁されている場所の近くに、4人の騎士が待機しています。それも、それなりに腕の立つ。昨日まではそんなことはなかったのですが……」
「なるほど。つまりカバジード殿下はこちらの行動を読んでいて対処したと?」
「恐らくですが。ただ、シアンス様の考えている通りだとすれば、戦力が中途半端すぎます。もしも本気でメルクリオ殿下の奪還を阻止したいのであれば、騎士だけではなく子飼いの腕利きも用意しておくと思いますから」
「でしょうね」
そう答えるシアンスの脳裏には、生真面目で鍛錬好きな女と、どこか幼稚でありながらも実力だけは一級品の男。それ以外にも数名の顔が過ぎる。
本気でカバジードが自分達の行動を防ぐつもりがあったのなら、そのような腕利きを揃えておくのは間違いない。
確かにベスティア帝国に仕える騎士は腕利きの者が多いが、それでもテオレームや自分のような相手を数人でどうにか出来る程ではないのだから。
そんな風に考えたシアンスだったが、不意に右肩に手を乗せられる。
そちらを振り向くと、そこにはテオレームの姿があった。
「今ここで何を考えたとしても、どうにもならない。ともかく今は、メルクリオ殿下を助け出すことだ。恐らくもうそろそろヴィヘラ様も陽動として動き始めるだろう。その隙を逃さずに動く」
「……そうですね。考えすぎて動けなくなるのは本末転倒。では行きましょうか。キューケン、案内を」
テオレームに頷き、続けてキューケンへと声を掛けるシアンス。
声を掛けられた本人はそれに頷き、裏口から城の中へと全員を招き入れる。
その瞬間、外で感じていた熱気とは全く違う涼しさに、騎士だけではなくテオレームまで微かに安堵の息を吐く。
外の気温が秋とは思えない程に上がっている為、やはりマジックアイテムで快適に過ごせるようになっている城の中というのは快適なのだろう。
そのまま数秒。城の中の空気に身体を慣らすようにして深く深呼吸をすると、テオレームが無言で部下達を見回して頷く。
他の者達もその視線に頷き、キューケンの案内に従って城の中を進む。
やはり闘技大会の決勝ということで、城に残っている者は少ないのだろう。貴族の類とは殆ど会うことなく進む。
たまにキューケンの同僚と思しきメイドとすれ違うこともあったが、テオレームやシアンスの姿をみれば仕事中だと判断し、声を掛けることもなく軽く目礼するだけで去って行く。
そのまま城の中を進み続け……やがて喧噪のようなものが聞こえて来始めた。
「ヴィヘラ様が始めたようだな」
呟くテオレームの声に、皆が頷く。
ただ1人、城に潜入していた関係で詳細な作戦内容を……具体的には誰が陽動をやるのかを聞かされていなかったキューケンが、ヴィヘラという名前を聞いて目を見開く。
「ヴィヘラ様が……」
「そうだ。それよりも少し急ぐぞ。ヴィヘラ様が暴れ始めたとなると、城の中も慌ただしくなる」
「分かりました。少し急ぎます」
キューケンが頷き、テオレーム達を引き連れて城の中を進む。
そのまま5分程が経つと、城の中でもかなり奥の部分までやって来たのかメイドの姿すらも見えなくなってくる。
「もうすぐです」
「ああ。……いや、ちょっと遅かったらしいな」
キューケンの言葉にテオレームが頷きつつ視線を向けると、そこには2人の騎士が通路を自分達の方へと向かって歩いてくる様子が見えた。
その視線に映っているのは、メイド姿のキューケン……ではなく、その後ろにいるテオレームの姿。
やがて近づいてきた騎士の歩みが止まると、緊張で強張った顔で口を開く。
「テオレーム様、ここには何の用でしょうか?」
「私を知っているのか。ならば黙って通してくれてもいいと思うのだが?」
騎士へとそう言葉を返しつつ、そっと自分の後ろにいる部下達へと後ろに回した手で合図をする。
隙を見て無力化しろ。その命令に騎士達は頷き……
「申し訳ありませんが、ここから先にテオレーム様を通さぬようにとの命令を上から受けています」
「ほう? それは……この先にいるのが、我が主君メルクリオ殿下だからか?」
その言葉がテオレームの口から発せられるのと同時に、隙を窺っていたテオレームの部下が一気に前に出る。
それに対する騎士は、城の奥にあるこの場所まで入って来たからにはある程度の目星を付けていたのだろうと知りつつも、明確にこの先の部屋に第3皇子が軟禁されているというのを知られたのに驚き……それが決定的な隙となった。
一気に二人の騎士の側まで近寄ると、素早く口を押さえて声を上げられないようにし、続いて近づいた他の者達が首の裏へと手刀を振り下ろす。
本来であれば鳩尾を殴って気絶させるのが手っ取り早かったのだが、騎士だけあってハーフプレートアーマーを身につけており、胴体も鎧で覆われている。
であるのなら、いっそ首の骨を折ってしまえば後腐れはなかったのだろうが、今は敵対しているとしても同国人を相手にそんな真似はしたくないというのがテオレームの思いだった。
(ヴィヘラ殿下が聞けば、甘いと言うか? ……いや、ヴィヘラ殿下が好むのはあくまでも戦闘であって、殺しではない。寧ろしょうがない奴だと苦笑を浮かべる……といったところか)
小さく苦笑を浮かべつつ、そのまま気絶した騎士を近くの空き部屋へと押し込む。
「キューケン、お前が言っていた4人騎士のうちの2人はこいつらか?」
テオレームの問い掛けに頷いてそれを肯定するキューケン。
「そうか。なら素早く片付けるぞ。シアンス」
「はい。幾ら腕利きとはいっても、この程度の腕であれば無力化するのはそう難しくないでしょう。それも残り2人であるのなら、尚のこと」
表情を変えずにあっさりと言い切るシアンスに、自分の腕を認められたとテオレームの部下達は笑みを浮かべる。
だがすぐにその表情も消え、気絶した騎士達を置いた部屋から出て行く。
(すぐそこ……そう、すぐそこだ。メルクリオ殿下、すぐにお助けに上がります)
そのまま部屋を出て通路を進み続けると、不意に先頭を歩いているキューケンが手を振って背後に注意を促す。
テオレームやシアンスを始めとした一行は静まり、注意深く周囲の様子を探ると……やがて、微かな話し声が通路の先にある部屋から聞こえてくるのに気が付く。
「ったく、出来れば俺も闘技大会を見に行きたかったんだけどな。何だってこんな所でこうしてなきゃいけないんだよ」
「おい、その件に関しては前もって話を聞いてる筈だろ? 殿下を助け出す為に動いている奴らがいるって」
「はんっ、動いているったって、テオレームの野郎だろ? 春の戦争で逃げ帰ってきた、堕ちた英雄様の」
「言っておくが、その堕ちた英雄様が来た時には俺達がどうにかしなきゃいけないんだぞ。それを理解しているんだろうな?」
「大丈夫、大丈夫。何とでもなるって」
そんな会話に、テオレームはともかく他の者達が額に血管を浮かび上がらせる。
その中でもシアンスはとても怒っているようには見えないのだが、明らかに周囲に与える迫力が増していた。
このままではいずれ見つかる。何よりも、憤っている部下達をそのままにしておくのも寝覚めが悪いということで、テオレームは素早く手で合図を送っていく。
その合図に従い、それぞれが部屋へと突入する準備を整える。
「……」
無言でテオレームが頷くのを見たキューケンは、そのまま一気に扉を開け放つ。
「ん? 何だ、戻って……」
中にいた騎士が、てっきり見回りにいった同僚が戻ってきたのだと思ったのだろう。そう告げるが、その視線がキューケンへと向けられ、何故メイドがこんな場所にいるのかと一瞬呆気に取られた顔を浮かべる。
それに比べると、もう一人の騎士は対応が素早かった。キューケンの背後にテオレームの姿を見るや否や、腰の鞘へと手を伸ばす。
だが……一瞬ではあっても、キューケンの姿に意表を突かれたのは致命的だった。
騎士の手が長剣の柄へと手を触れた時には既にシアンスが騎士の隣に立っており、首筋へと手刀を叩きつけられて意識を失ったのだ。
そしてキューケンに意識を奪われていた方の騎士はテオレームによって長剣の切っ先を突きつけられ、その部下達によって組み伏せられている。
その際に殆ど音を立てなかったのは、テオレームの部下がどれだけ戦闘の技量が高いかを意味していた。
「……さて、私がお前の言っていた堕ちた英雄という奴だが」
「ほ、本当にこんな場所に来るなんて……こ、こんな真似をしてただで済むと思っているのか!?」
「さて、どうだろうな。確かにただで済みそうにもないが」
そう言葉を返しつつも、ここにこの騎士達を配備したというカバジードは元からただで済ませる積もりはなかったのだろうという疑惑がテオレームの中にある。
暗殺の危険を理解させてメルクリオを強引に城から連れ出し、合法的に討ち取る大義名分を欲する為に。
だが、この城の中で暗殺の危機にあるのが事実である以上、テオレームとしても動かない訳にはいかなかった。
「私のことはいい。それよりも……メルクリオ殿下の居場所を教えて貰おうか」
テオレームがそう告げると、一瞬だけ騎士の男は視線を部屋の中にある扉……テオレーム達が入って来たのとは別の扉へと向ける。
殆ど反射的な動きではあったが、それでもテオレームが自らの主君の居場所を悟るのに時間は掛からなかった。
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