第660話
自分の目の前に突きつけられた30本を超えるハルバードや槍、長剣の切っ先といった武器を目にしたティユールは、特に慌てた様子もなく口を開く。
「これは何の真似だ?」
「先程も言いましたが、ブーグル子爵には現在騒乱罪の容疑が掛けられています。申し訳ありませんがご同行願います」
「貴様、ティユール様に何を無礼な!」
ティユールの後ろにいた騎士の一人がそう叫ぶが、門番の騎士は特に気にした様子もなく口を開く。
「これに関してはカバジード殿下から直接の命令です。後ろのお前達も迂闊には動くなよ。こちらとしても同じ帝国の人物を相手に血を流すのも、流させるのもごめんだからな」
殆ど表情を変えぬままティユールに対しては丁寧に、その背後にいる騎士達には落ち着かせるように告げてくる騎士に、ティユールは微かに眉を顰める。
(闘技大会の決勝を狙って私達が城に乗り込むのを読んでいた? ロドスとかいう者からの情報を考えると、こっちが動いていたのは察知していたようだが、いつ動くのかまでは分かっていなかった筈。そうなると、ここで既に騒ぎを起こして陽動とするのもやむを得ない、か?)
内心で呟くティユールが視線を向けると、先程通り過ぎたばかりのヴィヘラが戻ってくるのが見えた。
そうして、笑みを浮かべながらヴィヘラは口を開く。
……そう。それはとても艶やかな笑顔であり、ヴィヘラが着ている踊り子や娼婦の如きシースルーの衣装と合わさって、本来であれば城にいるのが場違いな筈の格好をしたヴィヘラが、だ。
騎士の者達は、その殆どが当然ヴィヘラの性格を知っている。
ヴィヘラが出奔してから騎士になった者もいるが、上司や同僚からヴィヘラがどのような性格をしているのかは聞いているのだ。
だからこそ、ヴィヘラの浮かべている笑みが幾ら美しく、見惚れる程に魅力的ではあっても騎士達は緊張を解かない。
「悪いけど、ティユール達は私の用事でついてきて貰ったの。城に入っても構わないでしょう?」
その言葉が最後通牒である。半ばそうと知っていながらも、騎士を代表して先程からティユールと会話をしていた人物は首を横に振る。
「申し訳ありません。先程も申しましたが、この件に関してはカバジード殿下から直々に命令を受けております。幾らヴィヘラ殿下であっても、その言葉をお聞きする訳には参りません」
「……最後にもう一度聞くわ。どうしても通す訳にはいかないのね?」
「はい。残念ながら。ただ、ヴィヘラ殿下にどうこうとは命令を受けている訳ではありません」
「……そう」
この騎士の言葉で、ヴィヘラは覚悟を決めた。そのままティユールの方へと視線を向けると、返ってきたのは微かな頷き。
その頷きを見たヴィヘラは、そのまま何でもない様子でティユールの方へと槍を向けている騎士へと近づき……鎧に包まれた胴体へとそっと手を伸ばす。
ここで騎士が動きを見せなかったのは、ヴィヘラが勢いよく踏み込んだり、あるいは手甲のマジックアイテムから爪を伸ばしたりしなかったからだろう。
本当に軽く触れる程度に騎士の男の胴体へと手を触れ……
「ふっ!」
軽い気合いの声と共に直接魔力を通して相手の胴体へと衝撃を通す。
ヴィヘラが少し前から鍛えていたこの技術。本人は知らないが、ノイズが使っているものと殆ど同一のものだった。
「……え?」
短く呟き、そのまま体内から生じる衝撃という初めての感覚を味わった瞬間に、騎士の男は意識を失って地面へと崩れ落ちる。
それを見ていた周囲の騎士達は、一瞬何が起きたのか理解出来ない。
そして、ヴィヘラにとってはその一瞬があれば次の行動を起こすのに十分だった。
「はぁっ!」
そのまま地を蹴り、肉付きのいい白い太股を剥き出しにしながら放つ蹴り。
騎士の男が一瞬その脚線美に見惚れてしまったのは、男としての本能故か、はたまた何が起きたのか理解出来ていなかった現実逃避故か。
ともあれ、ヴィヘラの蹴りによってフルプレートメイルの胴体部分を破壊されながら吹き飛んだ騎士は、その先にいた同僚を巻き添えにしながら意識を失う。
ぶつかってこられた同僚にしても、相手は城で働くことを許された騎士の中でもエリートの一人だ。当然相応に身体が鍛えられており、フルプレートメイルの重さもあって、その重量は100kgを優に超えている。そんな相手に押し潰されてすぐにどうにか出来る筈もなく……何とかしようとジタバタ暴れている時には既にことは始まっていた。
「ヴィヘラ殿下! 何のおつもりですか!」
「こういうつもり、よ!」
騎士の一人が叫んできたのにそう返し、地を蹴ってそのまま相手の持っている槍の間合いの内側へ踏み込み、再びその胴体へと軽く手を触れ、一撃を放つ。
すると先程の騎士と同様に、自分の身体の内から生じる衝撃により気を失う男。
本来であればフルプレートメイル諸共に斬り裂く力を持つ爪を物質化させないのは、やはり同じ国の仲間だという意識が残っているからこそか。
放たれる一撃は、意識を刈り取り、あるいは骨折のような怪我を与えてはいくものの、決して命を刈り取るような攻撃ではない。
それでも敵対されたというのは事実であり、騎士達はその半数が……いや、まだ意識のある6割程がヴィヘラへと向かって己が持つ武器の切っ先を向ける。
ティユールと騎士10人がいるにも関わらず、だ。
この辺は、やはりヴィヘラが皇女であるというのも関係しているし、それ以前にヴィヘラ自身の強さを理解しているからこそだろう。
「ヴィヘラ殿下、これは一体どのようなおつもりでしょうか? 幾ら皇族の方であるとしても、これは冗談では済みませんが?」
騎士の口から出た言葉に、ヴィヘラは艶然とした笑みを浮かべて口を開く。
「あら、私がティユールを連れてきた以上、もう分かっている筈でしょう? なら今すべきは何? 私と問答をすること? それとも、自らの職務を全うすること?」
「……後者、ですな」
「そうね。おかげで私も自分の故国に対して落胆しないで済んだわ。なら、もう交わすべき言葉はないでしょう? 掛かってきなさいな。言っておくけれど……私は強いわよ? 手加減して無傷で捕らえようなどと思っているのなら、それは地面の上で後悔することになるわよ。そうしたくないのなら……殺す気でおいでなさい」
皇女が口にするには、あまりにも過激な言葉。
皇族にある者を殺せばどうなるのかというのは、考えるまでもなく明らかだろう。
だが……それでも、騎士達が動揺したのは一瞬。
自分達が城を守る為の最後の砦であると理解している騎士達は、すぐに気を取り直してヴィヘラへと向かって攻撃を開始する。
そこに突き出される槍は、明確にヴィヘラの胴体を狙っており、もしも突き刺されば致命傷になるだろう一撃。
騎士の顔に躊躇はない。既に敵だと判断したのだから、皇女であろうとなかろうとただ倒すのみ。
その思いで突き出された槍の穂先だったが……
「甘い、わね」
その衣装に相応しく、まるで踊るかのような動きで槍の動きを回避し、そのまま手甲に魔力を流して爪を生み出す。
足取りも軽く振るわれたその爪は、自らに突き出された槍を回避しながらも、その穂先を斬り飛ばしていく。
次々に冗談のように空中を飛ぶ穂先に、一瞬……そう、一瞬だけだが騎士達の視線が向けられる。
「温いわよ」
その呟きが騎士達の耳に入った時には、既にヴィヘラの姿は槍の間合いの内側にあり、最初に気を失った者達同様に手を伸ばされ……体内から生じる衝撃に、その意識を失う。
瞬く間に二人の騎士が意識を失い、地へと崩れ落ちたのを見た他の騎士達がヴィヘラへと向かって己の武器を振るおうとした、その時。
「うわあああああああっ!」
そんな悲鳴を上げながら、騎士の一人がヴィヘラと対峙していた騎士達へと突っ込んで来る。
フルプレートメイルを着ている大の男が空を飛ぶのだ。そのまま当たれば大きなダメージを受けることになるのが確実な以上、騎士達は慌てて回避する。
「その判断は間違いだったわね。私に隙を見せたくなければ、回避するのではなく打ち落とすべきだったわ」
騎士が耳元で聞こえた声にそちらを振り向こうとして……そのまま鳩尾に強い衝撃をくらい、地面へと崩れ落ちた。
「まぁ、普通は仲間が飛んでくるとは思わないから、しょうがないんでしょうけど」
騎士達の中でまだ意識のある者が自分を包囲しようとしているのを眺めながら、チラリとティユール達の方へと視線を向けるヴィヘラ。
その視線の先では、ティユールとその部下の騎士達が自分達へと向かってきている騎士達を相手に戦いを繰り広げていた。
「とばっちりだったわね」
恐らく騎士達の誰かが殴り飛ばして、先程のようなことになったのだろうと判断したヴィヘラは、そのまま視線を城の方へと向ける。
そこでは、こちらに近づいてきている騎士の姿が……中には魔法使いの姿すらもあった。
城の門でこれだけ大きな騒ぎを起こしているのだから、当然城の中に残っている騎士達がそれを知るのも容易であり、そうであれば援軍に来るのは自然な流れだろう。
「ヴィヘラ様、こうして援軍が来た以上もう勝ち目はありません。どうか大人しく投降を……」
そう告げてくる騎士に、軽く肩を竦めるヴィヘラ。
その際にユサリと巨大な胸が揺れ、自然と騎士達の視線を惹き付ける。
自分の身体に見惚れている騎士達に向かい、ヴィヘラはからかうように口を開く。
「あら、どうしたのかしら。私を取り押さえるんじゃなかったの? それとも……こうして見ているだけで満足した?」
艶を含んだ流し目に、ゴクリと誰かが唾を飲み込む音が周囲に響いた。
だが、それも一瞬。すぐに我に返り、援軍として城の中からやってきた騎士達に向かって叫ぶ。
「相手はヴィヘラ殿下とブーグル子爵だ!」
咄嗟に出てきたその言葉に、騎士達が驚愕の目を向ける。
ティユールはともかく、ヴィヘラの姿に目を見開き、それでも特に何を口にするでもなくすぐにそれぞれが行動を開始した。
「ヴィヘラ殿下、大人しくして頂きます!」
援軍に来た騎士の中で、先頭にいた人物がそう叫びながら持っていた長剣を振るう。
ただし、その長剣は鞘に納まったままであり、その騎士がヴィヘラを本気で傷つけるつもりがないのは明らかだった。
「……馬鹿ね、認識が甘すぎるわ」
振るわれた一撃を踊るような足取りで回避し、そのまま騎士の懐へと潜り込む。
そこで行われるのは、既に何度となくこの場所で行われてきたのと同じ行為。体内に生じた衝撃に、騎士は一声呻くとそのまま地に伏せる。
そのまま援軍として駆けつけてきた相手を次から次に振るう拳や掌、あるいは足といった一撃で意識を絶っていく。
ティユールやその部下達も同様にまだ意識のある騎士達へと攻撃を加えていき、気が付けば既にその場に立っている者は5人を切っていた。
「ひ……ひぃっ!」
その、まだ立っていた人物の1人。騎士ではなくローブを身に纏い杖を持っている10代後半程の男の魔法使いは、現状を見て恐怖を覚え……殆どその恐怖に導かれるままに呪文の詠唱を口にする。
『火よ、汝の力により我が敵に熱き制裁を与えよ、その力は全てを燃やし尽くすべきものなり』
呪文と共に杖の先端に姿を現したのは、半径30cm程の大きさの炎。
ただし、レイの使う炎の魔法を知っているヴィヘラにしてみれば、特に驚く程の威力ではない魔法であった。
更に魔法使いは余程に混乱していたのだろう。放たれた炎の玉は、ティユールやその部下の騎士ではなく……そして当然の如くヴィヘラでもなく、何故か城門へと向かう。
「なっ!?」
それに驚いたのは、寧ろヴィヘラ達よりも魔法使いの仲間の騎士達だった。
城門の近くには気を失って倒れている自分達の仲間が数人いる。
そんな場所で魔法による爆発の類が起こればどうなるか。
例え魔法自体でダメージを受けなくても、その魔法で破壊された石や鉄といった破片がぶつかる可能性もある。
城門自体は魔法耐性が高くなるように錬金術師が特殊な加工をしている、一種のマジックアイテムだ。城壁に関してもそれは同様だった。だがそれでも、地面を爆破されれば土や石といった破片が大きく飛び散るのは間違いない。
この時に不運だったのは、魔法を放った魔法使いがまだ新人だったことだろう。
そもそも、ベスティア帝国の貴族からの紹介で国に仕えることになった魔法使いの案内をしている最中に、この騒ぎが起こったのだ。
その結果、案内をしていた騎士と共に魔法使いも済し崩し的に騒ぎのあった方へと向かい、他の騎士達と合流して美しくも恐ろしい相手であるヴィヘラと相対することになったのだ。
そしてどちらかと言えば気の弱い魔法使いは目の前で見せられた光景に圧倒され……その結果が、半ば暴走にも近い魔法の行使へと繋がる。
放たれた魔法はそのまま真っ直ぐに城門へと向かい……轟、という音を立てながら爆発を巻き起こすのだった。
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