第650話
「深紅の異名は伊達じゃなかった。……そう言っておこうか」
試合が終わり、ディグマが魔剣を鞘に戻しながらレイへと声を掛ける。
その言葉に、レイはデスサイズを振るって炎の鳥を消しながら肩を竦めて口を開く。
「今回は俺にとって有利だったしな」
チラリと視線を向ける先にあるのは、闘技場の舞台の上に広がる大量の水。
現在運営委員の者達が必死になってその水を舞台の外へと落としていた。
この後にもう一試合準決勝があるのだから当然だろう。
いや、寧ろ現在闘技場にいる観客にしてみれば、もう一試合こそが本命であるとすら言える。
ランクS冒険者、不動のノイズの試合なのだから。
「確かに私は全力を出すことが出来なかった。それは認めよう」
自分が負けても変わらぬディグマの涼しげな態度に、だろうな、と内心で頷くレイ。
そもそもディグマが作り出した水竜は、水竜とは名ばかりの頭部だけの代物だ。
本来であれば、その異名通りに丸々一匹の水竜を水で作り操るのだろう。
レイ自身も広域殲滅魔法を得意としているだけに、この舞台程度の広さではディグマが本気を出せないというのはすぐに分かった。
「だが……」
そんなレイの考えを遮るかのように、ディグマは言葉を続ける。
「この舞台の広さに苦戦したのはレイも同じだろう? そもそも、君が得意としている炎の竜巻を使うことは出来なかったしな」
「あー、いやまぁ、うん」
どこか曖昧に誤魔化すレイ。
そもそも、レイが深紅という異名を持つに至った火災旋風。それを作り出すにはセトの協力が必要である以上、もしここが舞台の上ではなくどこぞの荒れ地や草原であったとしても、それを使うことはなかった。
(そういう意味では、俺とセトで深紅って異名が付けられているのはそれ程間違っていないんだよな)
デスサイズをミスティリングへと収納しつつ、内心で呟くレイ。
傍から見れば、セトはレイがテイムしたグリフォンであるという認識だが、セトが魔獣術で生み出されたと知っている――生み出した本人だから当然だが――レイとしては、一人と一匹で深紅。そういう認識を持っていた。
「うん? どうかしたのか?」
そんなレイの様子に疑問を覚えたのかディグマが尋ねてくるが、レイは何でもないと首を横に振る。
「ちょっと考えごとを……そう、明後日の試合でノイズを相手にどうやって戦うかをな」
「なるほど。まぁ、可能性としてはノイズが次の試合で負けるというのもほんの微かではあるが、あるかもしれないけど……」
「ないな」
ディグマの言葉をあっさりと否定するレイ。
レイにとっては、既に決勝でノイズと戦うというのは確定事項であり、それが覆る要素はどこにもない。
そんなレイの態度に小さく目を見開くディグマだったが、次の瞬間には口元に笑みを浮かべて頷きを返す。
「確かにあの不動が準決勝で負けるなんてのは、まず有り得ないか。ただ、それを言うのなら決勝で負けるというのも同様に有り得ないと思うんだが?」
「普通ならそうかもな。ただ、決勝まで行けばノイズと戦うと分かっていた以上、俺だってそれなりの対応はしてきているさ」
「……それが、あの風の魔法か?」
ディグマの言葉に、小さく肩を竦めて無言で返すレイ。
深紅という異名や、春の戦争で作り出した火災旋風の関係から炎の魔法専門であると思われているのは知っていたし、何よりその噂を利用してもいた。
事実、レイが使える魔法は炎の魔法のみであるというのは間違いないのだから。
ただ違うのは、デスサイズ自体がスキルを持っているということか。
それを使えば風の魔法や地の魔法といった風に取り繕うことが可能だった。
ディグマが言っているのが飛斬やマジックシールドに関してのことだろうと察したレイは、表面上は取り繕いつつも内心では溜息を吐く。
デスサイズのスキルが他の者に知られていなかった以上、それはノイズとの戦いで切り札になり得るものだったのだ。
だがそれを使った……より正確には、目の前の存在に使わざるを得ないところまで追い詰められた。
(今の試合だけを見ていなかった……なんてことは有り得ない、か)
チラリと貴賓室の方へと視線を向け、そこにノイズと皇帝の姿があることを確認する。
何かを話しているようだが、それでも貴賓室にいた以上は自分の戦いを見ていないということは有り得ないだろうと。
「俺の手札については、明後日の戦いでのお楽しみってところだな」
「うん? そうか、レイがそう言うのなら、楽しみにさせて貰おう。どうやら風の魔法以外にも色々と手札はあるようだし。……それにしても、あの盾は凄かったな。まさか水竜の一撃を完全に防がれるとは思っていなかった」
「……だろうな」
そう答えつつも、レイは内心で微かに焦っていた。
(攻撃してマジックシールドを噛み砕こうとして、そのまま噛み続けていたからこそ一回の攻撃と見なされた。マジックシールドの性能から考えて、もしも最初に噛み砕こうとして失敗した後で一旦退いてたりすれば、マジックシールドは消えてた筈だ)
そんな風に考えていると、近くで二人の様子を窺っていた審判が恐る恐ると声を掛けてくる。
「その、申し訳ありませんが次の試合の準備がありますので、場所を空けて欲しいのですが」
丁寧な口調なのは、その相手がベスティア帝国の中でも名の通ったディグマからだろう。もしもレイだけであれば、いつも通りの口調で話し掛けてきた筈だ。
「ああ、悪い。……実際にこの状態を作り出した私が言うのも何だが、ちょっとやり過ぎたな。……そうだな、ちょっと待ってくれ」
「は? はあ、別に構いませんが」
審判の男の言葉に頷き、ディグマは一歩前に出て口を開く。
『水の精霊よ、我が下に集え』
その短い詠唱により、精霊魔法が発動。舞台の上に未だに多く残っていた水が空中へと浮き上がりディグマの前に集まって一つとなる。
戦いが終わった後の、未だに興奮冷めやらぬ観客達がその巨大な水球に、驚愕、感嘆、絶句、歓喜といった様々な感情を浮かべて騒ぐ。
そんな観客達の様子を見ていたディグマは、改めてその視線を自分の支配下にある巨大な水球へと向ける。
レイの作り出した炎の鳥によってかなりの量が蒸発させられた。だがそれでも、まだ小さな池なら丸々満たすだけの水量があった。
(この水の中を炎で生み出した鳥が突破する、か。色々な意味で規格外な力だ)
一瞬だけレイの方へと視線を向け、唇の端を曲げるだけの笑みを浮かべ、再び魔力を込めて詠唱を口にする。
『水の精霊よ、空を舞い、汝が美しさを全ての者へ示せ』
精霊魔法の発動と共にディグマの周囲に浮かんでいた巨大な水が上空へと向かい、瞬時に霧と化す。
季節は既に秋であるが、それでもレイとディグマの戦闘に興奮していた観客達にしてみれば、その霧は寒いというより気持ちのいい涼しさと受け取られる。
霧と秋晴れの太陽から降り注ぐ光により、空中に二十を超える数の虹が生み出され、観客の目を楽しませる。
「へぇ……」
ディグマの近くにいたレイもまた、その虹へと目を奪われた。
(もしかしたら……本当にもしかしたら、万が一の逆転があるかもしれないな)
虹に見とれているレイへと視線を向けたディグマは試合内容を思い出しつつ内心で呟き、これ以上この場に自分が留まるのは無粋としてそのまま控え室へと向かう。
そんなディグマに気が付いたレイが背中へと声を掛けようとするも、それを察したディグマは軽く手を振って挨拶とし、その場を去って行く。
結局観客達が……そして審判がディグマの姿がないことに気が付いたのは、空を覆う二十を超える虹が姿を消してからだった。
慌てて我に返り、舞台を次の準決勝であるノイズの試合の為に整備しているのを横目に、レイもまたその場を去って行く。
勿論このまま帰るのではない。今日がノイズと戦う前の最後の試合である以上、それを見て少しでもノイズの戦力を解析する為だ。
(ディグマとの戦いでは、飛斬とマジックシールドを見せてしまったからな。出来れば向こうにも相応のものを見せて貰いたいところだが……さて、どうだろうな)
内心で考えつつ、レイがやって来たのは貴賓室。
今までは闘技場の観客席で試合を見ることも多かったレイだが、今回の戦いはゆっくりと、そしてじっくりと見たい為に、周囲がうるさい場所は遠慮したかった。
「おう、レイ。見事に勝ったな。ほれ」
貴賓室に入ってきたレイへと声を掛け、そして手に持っていた布袋を放り投げてきたのは、当然エルクだ。
その受け取った布袋の重さが、間違いなく預けた時よりも重くなっているのを確認する。
(相手はランクAの異名持ちだったから、同じ異名持ちでもランクBの俺が勝てるとは思わない奴が多かった……ってところか)
内心で納得しつつ、エルクに軽く礼を言ってからミスティリングの中へと収納する。
確かに手持ちの金が増えるのは嬉しいが、今はそれよりもノイズの試合だ。
そんなレイの様子に、エルクは小さく肩を竦めてから口を開く。
「安心しろ。まだ試合は始まっていない」
その言葉通り、舞台の上ではまだノイズと対戦相手の男が向かい合っている。
既に実況による対戦相手の紹介は終わったらしいと知り多少残念に思うが、それを見ていたミンがエルクの代わりに口を開く。
尚、この二人が護衛しているダスカーはと言えば、周囲でベスティア帝国の周辺国や遠く離れた国からやってきた貴族達と会話を交わしている。
ここにいるのは闘技大会の見物という面もあるが、貴族にしてみれば顔を繋ぐ場所という面の方が強い。
更にダスカーは春の戦争で大活躍した人物である以上、出来れば縁を繋いでおきたいという者も多いのだろう。
顔には笑みを浮かべているものの、同じような会話のやり取りにうんざりしているらしいダスカーに視線を向け、貴族も大変だとつくづく思うレイ。
「ノイズの対戦相手は、魔槍の使い手として有名なランクB冒険者だね」
「魔槍、か」
魔槍という言葉に、一瞬だけ脳裏に嫌味ったらしい魔槍の使い手の顔が浮かぶが、すぐに首を振ってそれを掻き消す。
今必要なのは、過去を思うことではない。未来だ。
心の中でそう呟き、改めて視線を舞台の上へと向ける。
そして、まるでそんなレイの行動を待っていたかのように審判が試合の開始を告げる。
まず動いたのは、魔槍を構えた男。
ノイズを相手に後手に回っては勝ち目がないと判断したのだろう。大きく舞台を蹴って、待ち構えているノイズに向かって魔槍を突き出す。
もっとも、そんなに急がなくても先手を取ることが出来ただろうというのが、レイの予想だった。
これまでにも幾度かノイズの試合を見ているが、その全てでノイズは相手に先手を取らせ、いわゆる後の先を狙っていたのだから。
それは今回も同様であり、鋭く素早い突きが幾度となく放たれる。
「あの魔槍、風を纏っているのか?」
「そうだ。その纏った風により、間合いを広くし、変則的な攻撃を可能としているんだよ」
レイの呟きにミンがそう答えを返し、その言葉が真実であるという証拠がレイの視界の先では繰り広げられていた。
明らかに槍の穂先が届いていないというのに、ノイズが剣を振るっているのだ。
そして周囲に響き渡る破裂音に近い音。
「なるほど、あれがか」
「そう。槍の穂先の延長上に攻撃したり、あるいは槍の穂先の真横に風を伸ばして攻撃することが可能なのさ。……もっとも、今回は相手が悪すぎるとしか言えないけどね」
普通であれば、風を纏った槍というのを相手にすれば若干の戸惑いが存在するだろう。
これまでの試合で見て知っていたとしても、実際に体験するのが初めてである以上はそれを修正するという作業も必要となる。
だがノイズはそれを一合目から弾いて見せたのだ。
それも一度だけではない。その後に続くやり取りで全ての攻撃を同じように弾く。
「確かに相手が悪すぎたな。普通の相手なら、ここまで苦戦するようなことはなかっただろうし」
呟くレイだが、その視線の先では魔槍使いの男が必死になってノイズへと攻撃を繰り返している。
本戦が始まり、ノイズの参加が発表された時にはノイズに勝とうと思っている者の数は驚く程少なかったが、今ここまで勝ち残った者にしてみれば、当然ノイズが相手だろうと勝機を求めて挑むだろう。
寧ろ、そこまでの気概のない者はここまで勝ち残れないと言うべきか。
ともあれ、風の魔槍を操る男は自分の出せる限りの技を繰り出してノイズへと挑んでいく。
「強いな。……本当に大丈夫か、レイ?」
柄でもないエルクの心配そうな声に、レイは小さく肩を竦める。
エルクが言っているのは、帝国上層部の目を引きつけるという目的の為なら何もノイズと戦って勝つ必要はないということだろう。
それは事実として知っているレイだったが、それでもあっさりと首を横に振る。
「やる以上は勝ってみせるさ」
そう呟いたレイの声が聞こえた訳ではないだろう。
だが丁度そのタイミングで、風の魔槍を操る男と戦っていたノイズの視線がレイへと向けられたのは事実だ。
唇の端を曲げるだけの、笑みとも呼べないような笑み。
しかし、レイはノイズがそんな笑みを浮かべたのを確かに目にし……次の瞬間、ノイズの持つ長剣が氷に包まれ、それが触れた風の魔槍を操る男の腕を瞬時に凍らせる。
更に次の瞬間には握られていた長剣……魔剣の刀身が炎に包まれ、相手へと振り下ろされる。
「勝者、ノイズ!」
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