第649話

 闘技場の中、観客達は目の前で繰り広げられている光景に歓声を……いや、驚愕の声すらも上げることが出来ず、ただ目を奪われることしか出来なかった。

 舞台の中央で振るわれる魔剣と大鎌。

 それぞれが一級のマジックアイテムであるというのは、闘技場でここまで試合を見てきた者なら殆ど全員が知っている出来事だ。

 そんなマジックアイテムを振るうのは、こちらもまた一級の腕の持ち主。

 水竜のディグマと深紅のレイ。

 異名持ちの冒険者二人が周囲へと見せているその光景は、まるで舞のようにすら感じられる戦いだった。


『水の精霊よ、現れよ』


 ディグマの詠唱と共に精霊魔法が発動し、突然何もない場所から水が現れる。

 ただし、その水はこれまでのようにレイに対して攻撃を行うような矢や鞭といったものではなく、本当にただそこに姿を現しただけ。

 だが水竜の異名を持つ者が生み出した水だ。何の意味もないものであるとは思えず、レイは振るわれた魔剣の一撃を回避しながら、デスサイズの刃で水へと斬りつける。

 チュンッという風切り音と共に水球を切断するデスサイズ。

 特に何が起きるでもなく、そのまま切断された水は舞台の上へと零れ落ちる。


「な……っ!?」


 まさか本当に何の変哲もないただの水だったとは思わず、一瞬……そう、ほんの一瞬だけだが呆然とするレイ。

 それこそがディグマの狙っていた隙であると理解出来た時には、既に自分の目前へと迫っている魔剣の刃。

 敵の狙いが速度を殺す為に自分の足……というのを理解する前に、レイは握っていたデスサイズを刃の前に差し出す。

 刃の部分を引き戻して受け止めるだけの時間はないので、柄の部分だ。

 ギャリィッという金属音が周囲に響く。

 闘技場に集まっている観客達が、どこか既視感を覚える光景。

 そう、レイにデスサイズを振るわせない間合いまで詰めて一撃を放ち、それをレイがデスサイズの柄で受け止める。

 それは少し前にも見た光景だ。

 だが、その時とは違うことが一つ。

 前回はディグマが大きく後方へと跳躍――正確には吹き飛ばされたのだが――したのが、今回はその場に留まっている。

 その理由は、既にレイも理解していた。

 先程レイ自身が切断して、舞台の上に存在している水。

 その水が、まるで糸のようにディグマの足下に絡みつき、ディグマが吹き飛ばされるのを防いでいるのだ。


(くそっ、精霊魔法と近接戦闘を一緒に使われるとここまで厄介だったとはなっ!)


 内心で吐き捨てながら、デスサイズと打ち合っている魔剣を柄に沿って受け流す。

 次に驚愕の表情を浮かべるのはディグマ。

 柄の部分と打ち合っていたというのに、突然抵抗が消えたのだ。

 普段であれば即座に体勢を立て直すことが出来る動きではあったが、レイが行った攻撃を受け流したタイミングにより、完全に虚を突かれた形だ。

 攻撃を受け流され、上半身のバランスが崩れる。

 それでも下半身は水で足を固定していたおかげで、完全な隙を見せることはない。しかし……

 

「はああああぁあっ!」


 魔剣を受け流した動きそのものを利用し、振るわれるデスサイズの刃。

 攻撃を防ぐべき魔剣はデスサイズにより受け流されており、手元に戻している時間はない。

 そう判断したディグマは、咄嗟に叫ぶ。


『水の精霊よ、壁を!』


 瞬間、ディグマとレイの足下にあった水が浮かび上がり、壁と化す。

 薄い……それこそレイでなくてもあっさりと破れるだろう程度の壁だったが、一瞬でも振るわれるデスサイズの動きが弱まれば、ディグマにとっては十分な隙だった。

 足を固定していた水も壁を形成する水へと回したおかげで、既に身動きが取れないという状態でもない。

 水の壁を斬り裂きながら迫ってくるデスサイズの刃をしゃがんで回避し、その動きのままレイの足首へと斬りつける。

 攻撃を一瞬でも遅滞させ、更には相手の目眩ましすらも行う。

 ランクA冒険者としての長年の戦闘経験があったが故に行えた咄嗟の判断ではあったが、戦闘経験という意味では、レイもまたこの世界に姿を現してから短いながらも非常に濃いものがある。

 その戦闘経験による勘に従い、その場を跳躍。空中で回転しながらデスサイズを振るい、ディグマへと斬りつける。


『水の精霊よ、鞭と化せ!』


 再び紡がれる詠唱により、精霊魔法が発動して水の鞭がレイへと振るわれる。

 しゃがんだ状態のまま目の前に攻撃する対象でもあるレイの足がなくなったことに気が付いたディグマの判断だったが、その動きは少し遅い。

 確かに水の鞭はレイに向かって振るわれたのだが、空中で回転しながらディグマへと斬りつけつつ、スレイプニルの靴を発動。そのままの状態で空中を蹴って前方へと飛んだのだ。

 デスサイズを振るいながらきりもみ状態で空中を進んだその動きは、ディグマにしても完全に意表を突かれた。

 それでも自分の身体へと振り下ろされるデスサイズの動きを咄嗟に身をのけぞらせてかすり傷程度で済ませたのは、ディグマならではだろう。

 そのまま自分の後方へと突っ込んで行くレイと入れ替わるように前方へと跳躍し、距離を開ける。


『……』


 丁度舞台の中央を間に挟むような形で向かい合った二人は、お互いに無言で相手の様子を観察する。

 二人の試合を見ていた観客も、自然と黙り込む。

 これだけの大人数が集まっているとは思えない程の沈黙が周囲に満ち……やがてそれを破ったのはディグマだった。

 エルフらしい涼しげな美貌に、笑みを浮かべながら口を開く。


「確かにお前は強敵だ。それは認めよう」


 ディグマのその言葉に、観客席がざわめく。

 今回の闘技大会で話題をレイとノイズに完全に奪われてはいても、ディグマが異名持ちのランクA冒険者であるのは変わらないのだ。当然帝都でも非常に有名な人物であり、その人物がレイという相手を認めたというのは、観客達へと大きな衝撃をもたらした。

 だが当然、ディグマの言葉はそれだけでは終わらない。

 自らの力に自信がある者特有の笑みを浮かべつつ、言葉を紡ぐ。


「だからこそ私はお前に全力を持って挑もう。……お前が炎の竜巻を作り出し、その結果深紅という異名を持つようになったのは知っている」


 そう告げている間にも、ディグマの身体には魔力が満ちていく。

 魔力を感知する能力はないレイだったが、それでもディグマから感じられる迫力や圧力が増していくのは理解出来る。

 そして、何よりも異様だったのはディグマの背後に次から次へと水が生み出されていったことか。

 先程壁や鞭として使った水すらも吸収し、その水はすでに人間を十人近くは飲み込めるだけの量になっている。

 ディグマがあからさまに次に仕掛ける準備をしているというのを知りつつも、レイは敢えてそこに手出しはしない。

 ただ無言でディグマの話を聞き、デスサイズを構えて相手の次の動きを待ち続けていた。

 その行動を妨害しようと思えば、するのはそれ程難しくはない。

 それでも、レイはディグマへと手を出すことなくじっと次の動きを待つ。

 相手の不意を突き、全力を出させないようにして勝つのでは、意味がないのだ。

 確かにそうすればこの試合は勝てるだろう。だがそんな状態でノイズとの戦いに挑んでも、渡り合えるかどうかと問われれば、自信を持って頷くことは出来ない。

 それ故に、この準決勝の相手……帝都でも有数の冒険者を相手に、自分自身の力で押し切ってやろうという考えだった。

 本来であればこの戦いでは決勝でのノイズとの戦いを見据えて伏せておく筈だったスキルという手札すらも使うことを決意して。

 そんなレイの考えを読んだ訳ではないだろう。だがディグマにしても、自分が奥の手を出すのを待っているレイに何か感じ入ることがあったのか、口を開く。


「さぁ、見せようか。何故私が水竜の異名を持つのかを。これを食らって生き延びることが出来たのなら、お前は既にランクA相当の実力があると認めてもいい」


 朗々と闘技場内へと響くその声と共に、ディグマの背後にあった大量の水は更にその大きさを増し、姿を変えていく。


『水の精霊よ、竜の顎にて奴を噛み砕け!』


 魔力を込めた詠唱。その詠唱の言葉通り、ディグマの背後にあった水は巨大な竜の頭部へと姿を変えていく。

 竜の顔と化したその水は、ディグマの言葉通りにレイへと向かって突き進む。


「舞台に合わせて顔しか作れなかったが……個人を相手にするには、これで十分だ。さて、レイ。君にこの水竜をどうにかすることが出来るか!?」

「GYAAAAAAAAAA!」


 水の竜は、そんな声を上げながらレイへと迫る。

 デスサイズを手に、そんな水竜を見据えながら魔力を高めるレイ。


(確かに凄い。……けど、これって従魔云々のルールには触れないのか? 水を竜の形にして操っているだけだからOKなのか?)


 疑問に思いつつ、闘技大会に参加してから初のスキルを使用すべくデスサイズを大きく振るう。


「飛斬っ!」


 その言葉と共に放たれたのは、飛ぶ斬撃。


「何!?」


 レイが炎特化の魔法使いだと思っていた為だろう。ディグマがいきなり放たれたその斬撃に目を見張る。

 デスサイズから放たれた斬撃は、間違いなく水竜の頭部へと命中した。だが竜の頭を象っているとしても、所詮それは水の塊でしかないのは事実。

 実際、放たれた斬撃は水竜の頭部を斬り裂きながらも真っ直ぐに進み、その後頭部へと抜けて空高くへと届き、消える。


「ちっ、やっぱり飛斬じゃ駄目か」


 確認のために放った一撃だったが、予想通りに効果がないというのを見れば、レイにしてもさすがに落ち込む。

 それでもすぐに次の手を選ぶのは、手数の多い……デスサイズそのものにスキルが備わっているという特徴故か。


「マジックシールド」

 

 レイの口から呟かれたその言葉と共に、光の盾が姿を現す。

 だが、その光の盾の大きさ自体は水竜を防げる程に大きい訳でもなく、だからこそそれを見たディグマはレイが攻撃の手段を失敗したと判断する。


「そんな小さな盾で水竜の攻撃を防げると思うな。行け、水竜よ!」


 ディグマの言葉に応えるかのように、レイへと向かって襲い掛かる水竜の頭部。

 大きく開かれた顎が、その巨大な牙でマジックシールドを噛み砕こうとして……

 ガギンッという音が周囲に響き渡る。

 その音を聞いた観客は耳を疑い、目を疑う。

 圧倒的な大きさを持つ水竜の口だというのに、その牙がレイの前に生み出された光の盾に防がれた為だ。

 あるいは噛み砕くのではなく飲み込むという手段を取っていれば話は別だったのかもしれないが、ともかく水竜の牙はマジックシールドによって見事なまでに防がれた。

 そんな光景に観客よりも驚いたのは……いや、驚愕したのはディグマだろう。

 自分の異名にもなっている水竜を使ったというのに、例えそれが舞台の上という都合上頭部だけの水竜であったとしても、まさか攻撃を受け止められるとは思ってもいなかったのだ。

 完全に不意を突かれ、唖然とする。だからこそ、未だに水竜が牙を突き立て破壊せんとしているマジックシールドの向こう側で、レイが呪文の詠唱をしていることには全く気が付かなかった。


『炎よ、汝は炎で作られし存在なり。集え、その炎と共に。大いなる炎の翼を持ちて羽ばたけ!』


 魔力を込めた詠唱が進むにつれ、デスサイズの刃の部分へと手の平大の炎が集まり、その炎が鳥の姿へと変わる。

 魔力を込めるごとにその炎の鳥の大きさは増していき、やがてその大きさは羽を広げた状態で5mを超えるまでになった。

 

『空を征く不死鳥!』


 そして発動する魔法。

 炎の翼で大きく羽ばたき、まるでこの場では自分こそが支配者だと言わんばかりの態度でマジックシールドにより行動を制限されている水竜へと向かう。

 レイのコントロールにより、炎の鳥は真っ直ぐに水竜へと向かって行く。

 そうして炎の鳥が水竜を防いでいるマジックシールドへとぶつかりかけた瞬間、レイはマジックシールドを消滅させた。

 今まで必死にマジックシールドを噛み砕こうとしていた水竜だけに、突然その対象が霞の如く消え去ってなくなり、つんのめるかのように一瞬隙を見せる。

 ……その隙は、一瞬ではあってもレイに見せるには致命的とすら表現してもいい程の隙だった。

 何の躊躇もなく炎の鳥は、水竜へ……その頭部へと真っ直ぐに突き進む。

 水で出来た竜へと、炎で出来た鳥が突っ込んでいくのだ。

 そして水竜と炎の鳥が触れた瞬間、水竜が泡立つ。


「なっ!?」


 それは、この試合が始まってから何度目の驚愕だったか。

 水竜の中へと入った炎の鳥が水によって消えることなく水竜の中を進み続け、同時に水竜は身体全体から大量の蒸気を噴き出す。

 まさに視界の全て……いや、闘技場内の全てを覆い隠すような水蒸気にディグマは視界が塞がれ、咄嗟に魔剣に魔力を流しながら大きく振るう。

 その行為を行ったのは、長年の経験故。

 だが……レイの魔力はその経験すらも陵駕し、闘技場内に籠もった水蒸気が晴れた時、ディグマの魔剣はレイのデスサイズによって受け止められ、水竜の中を真っ直ぐに突破してきたにも関わらず、一回り程度小さくなっただけの炎の鳥が、そのクチバシをディグマの顔面へと突きつけていたのだった。

 誰が見ても勝負ありの光景に、ディグマは小さく溜息を吐いて魔剣を離し、両手を挙げる。


「参った、私の負けだ」


 明確な降参に、審判の声が闘技場内に響く。


「そこまで! 勝者レイ!」

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