第643話

 レイの言葉が控え室の中に響き渡るが、それに応じる言葉はない。

 もし一連のやり取りを見ている者がいれば、下手な芝居のように感じられただろう。

 だが……それでもレイはまだ控え室の中に潜んでいる人物がいるというのは気配で察していたので、デスサイズの構えを解くような真似はしなかった。

 そのまま数分が経ち、それでもレイは臨戦態勢を解かない。


「どうした? まさかこのまま隠れて俺をやり過ごす……なんてつもりじゃないだろうな? ならいっそ、この部屋を燃やしてしまうっていうのもありかもしれないな。どうせここまでボロボロになってしまった以上、かなり手を入れないといけないだろうし」


 半ば本気で告げたレイの言葉。

 確かに人形と化した男達との戦いで控え室は相当の損傷を受けており、これを修繕するとなるとかなりの手間が掛かるだろう。それでも普通であれば燃やすという選択肢は出てこないのだが……幸か不幸か、控え室の中に隠れていたシストイは、レイという人物の異常さをこれでもかとばかりに理解していた。

 本当に言葉通りの行動に出るかもしれない。そう考えるとシストイとしてもこのまま隠れ続けているという訳にはいかず、やがて控え室の壁……ずっとレイが見ていた壁の辺りから姿を現す。

 壁に細工をしていた訳でも、あるいは壁の近くにある箱の類に隠れていた訳ではない。本当にいつの間にか壁の近くに存在していたのだ。


「……へぇ」


 感心したように呟くレイ。

 その呟きには幾つもの意味があった。

 男の身体全体を覆っているマントの色が動く度に微妙に変わっているという点や、何よりもそのマントを羽織っている男の顔に見覚えがあるという点だ。


(カメレオンの保護色のような効果を持ったマジックアイテム……か?)


 微かに動くだけで周囲の景色に溶け込むかのように色を変えているマントを見ながら、レイは内心で呟く。

 実は似たようなマジックアイテムは迷宮都市のエグジルで聖光教の手の者が使っていたのだが、生憎レイはそれを知ることは出来なかった。

 もし知っていれば、実用性のあるマジックアイテムということで是が非でも欲しがっただろう。

 もっとも、聖光教が持っていたのは隠密性という意味ではシストイの使っている物よりも数段上だが、動けばその隠蔽効果が切れ、相手に察知されるという欠点もあった。 

 それに比べると、シストイが使っているマントは隠密性という点はともかく、動いても隠蔽効果が完全に消えるようなことはなかった。

 姿を現し、数秒。マントの効果が消えたのか、保護色の効果が解け普通のマントへとその姿を戻す。


(普通の奴が使うならちょっと厄介程度で済むが、こいつみたいに腕の立つ奴が光学迷彩っぽいのを使うとなると厄介だな)


 内心の思いを殺しつつ、レイはマントに身を包んでいるシストイに向かって口を開く。


「何日かぶりだな。あの時は逃げ帰ったが、今日は逃げないのか?」


 挑発を目的として一言だったが、シストイはそんなの慣れているとばかりにマント越しに小さく肩を竦める。


「あの時と今じゃ状況が大分違うさ。……にしても、あっさりと殺してくれたな。一応これでも、こいつらは何の罪もない一般人だったんだが?」

「その一般人をここまで洗脳している奴の言うことじゃないな。そもそも、お前達が妙な真似をしなければ良かっただけだろ? それに……」


 チラリ、と床に存在する身体を分断された死体に視線を向け、言葉を紡ぐ。


「もしも生け捕ったとして、元に戻せたとでも? 感情も記憶も思考すらもないこいつらが」


 そんなレイの言葉を聞いたシストイは、手に持っている短剣を油断なく構えてレイの動きに隙がないかどうかを確認しながらあっさりと頷く。


「勿論だ。多少手間は掛かるかもしれないが、きちんと手を尽くせば元に戻ったさ」

「嘘だな」


 一瞬の躊躇すらなく、レイが断言する。


「あそこまで徹底的に弄るには、相当の時間が掛かる筈だ。そうでないのなら、帝国に入ってすぐに襲い掛かって来た時にもこういう奴等で襲い掛かった筈だしな」


 そう告げるも、レイの口から出たのは何らの確証もない予想でしかなかった。

 ただ、相手が自分を動揺させる為に心理的な罠を仕掛けていると判断した為、本能に従ってそう告げたのだ。

 それを理解しているのか、いないのか。ともあれ、シストイは小さく笑みすら浮かべて口を開く。


「お前がそう思って後悔しないのなら、それでもいいさ」


 言葉を交わしている間にも、お互いがお互いを観察して少しでも隙を作り、生み出し、誘いと、非常に高度な駆け引きを行っている。

 もし普通の人間がそのやり取りを見たとしても、武器を構えて普通に話をしているだけに見えるだろう。

 一流と言えるだろう技量の持ち主が見て、初めて理解出来るだけの高度なやり取り。

 話している途中の微かな腕の動き、あるいは足の位置や、瞼の閉じる回数までもがその計算に入れられている。


(ちっ、ここまでやっても隙を見せないか。相変わらず化け物染みてるな。あの時と比べても尚腕が上がっている。……どうなってるんだ?)


 あからさまに見せている隙はどう考えても誘っているものであり、本当の意味での隙は存在していない。

 それだけに、シストイにしても非常にやりづらい相手だった。


(けどこっちとしても、ここで退く訳にはいかない。……命の賭け時、か)


 内心で呟き、改めてマジックアイテムのマントへと魔力を流す。

 すると周囲へ溶け込むという能力を持つマントの力が再び発揮される。

 じっとしているならともかく、動けばそれだけで周囲に違和感を与える以上はレイとの戦いで決定的な決め手とはならないだろう。

 だがそれでも有利になるのは間違いない。

 そしてシストイは気が付いていなかったが、もう一つ有利な要素があった。

 それは……


(あのマント、かなりの業物だ。どうにかして手に入れたいな)


 そう。レイがそのマントを欲していたというのが理由だった。

 周囲の景色に溶け込むマント。自分だけで行動するのなら、かなり便利な代物だろう。特にノイズと戦う際には大きな力になるのは間違いなく、それだけに是が非でも手に入れようと考えていたのだ。

 それだけにマントに大きな傷を与えずにシストイを倒す必要があるのだが、その点に関してはレイはそれ程難しいとは思っていなかった。

 以前軽くではあるがやりあった一連のやり取りで、明らかに技量としては自分の方が上だと判断していた為だ。


「さて……行くぞ」


 短く呟き、デスサイズを手にシストイとの間合いを詰めていく。

 既に控え室の中がどれだけ破壊されようとも対して差はないという判断もあった。

 それだけに、その行動には既に遠慮のようなものは存在しない。


「ちぃっ!」


 自分目掛けて躊躇なく振り下ろされる大鎌の刃を、その場から退いて回避するシストイ。

 ことここにいたって、互いの立場は完全に逆転していた。

 本来であれば狭い場所での戦いで長物を使った場合、圧倒的に不利になるのが普通だ。

 だが、レイの場合は違う。

 確かに控え室の中にある荷物や棚、椅子、テーブルといったものが多少は邪魔になるが、魔力を通されたデスサイズを振るうレイにしてみれば、そんなのは既に障害とすら認識していない。

 現に今も、後方へと跳躍して最初の一撃を回避したシストイに向かって距離を詰め、横薙ぎに振るわれるデスサイズの刃は、近くにあった椅子を切断しつつ、触れれば死をもたらすだろう一撃をシストイの首に届けんとその後を追う。

 こうなってしまうと、控え室の中が狭い……つまり自由に動けるだけの空間的余裕がないシストイの方が不利な立場となる。


「厄介な真似をする!」


 自分の命を刈り取らんとするデスサイズの刃を、マントを翻しながらも何とか回避するシストイ。

 レイの攻撃する合間に隙を突いて短剣での一撃を加えようとするのだが、何故かその攻撃を行う直前に回避へと専念する。


(ちぃっ、どうなっている!?)


 内心で吐き捨てるのはレイだ。

 自分が意図的に見せている隙。回避に専念している向こうにしてみれば、そこに隙を見つければ絶対に手を出したくなるだろう隙を作り、そこに攻撃を仕掛けてきたところでカウンターとして致命的な一撃を食らわせようとしていた。しかし一向にその隙に乗ってくる様子がない。

 いや、正確には途中までは上手くいくのだ。隙を見つけては短剣で攻撃をしようとするのだが、何故かその直前で攻撃を止め、回避へと行動を変える。

 中途半端に攻撃に移ろうという仕草を見せるだけに、レイにしてみれば余計にストレスが溜まるやり取りとなっていた。

 そして不思議な点はそれだけではない。


「ふっ!」


 鋭い息と共に振るわれるデスサイズの刃。周囲の壁を斬り裂きながら迫るその刃は、これまでの短い時間ながらもレイと戦っていたシストイであれば、しゃがみ込んで回避する筈の一撃。

 シストイの動きを先読みし、しゃがんだら石突きの部分で掬い上げるような一撃を放ってやろう。そう思った、その瞬間。何故かシストイはしゃがみ込むのではなく、後方へと跳躍してレイとの距離を取る。


(こっちの心でも読んでいるのか!?)


 壁を斬り裂いた一撃の勢いを吸収するようにデスサイズ諸共に自分の身体を回転させ、再び構えてシストイと向き合い内心で毒づく。

 この類の苛立ちは、シストイとの戦闘が始まってから幾度となく感じている。

 レイが攻撃を誘い、あるいは意図的に隙を作るといった行為をすると、その殆どをまるで知っているかのように回避するのだ。

 それだけに、シストイが敵の心を読めるマジックアイテムの類を持っているとレイが誤解するのも、当然だったのだろう。

 だが、当然シストイはそんなマジックアイテムを持っていない。

 勿論そのようなマジックアイテムがあれば是非欲しいとは思うかもしれないが、生憎とそんな効果を持つマジックアイテムがあるというのは聞いたことがなかった。

 では、何故シストイがレイの仕掛けた罠に引っ掛からずにいられるのか。それは純粋に勘によるものだ。

 長年このような仕事をこなしてきたこと、あるいは子供の時からスラムで生きるか死ぬかの生活をしたきたことにより生み出されたその勘は、レイという存在と向き合ってからうるさい程に警鐘を鳴らし続けている。

 まさに、死と生の境界線にある細い糸の上を歩いているような状態なのだ。


「しぶとい、な!」


 床を這うようにして、掬い上げるような一撃。

 その一撃を放つと同時に、まるでそれを予期していたかのようにシストイは後方へと跳躍し、同時にレイはミスティリングから取り出した短剣を右手で構えて投擲する。

 下からの一撃はある程度攻撃の速度が乗ったところで左手だけでコントロールし、右手で別の攻撃をする。

 ノイズがルズィに対して行った攻撃を参考にして放たれたこの攻撃は、レイとしても初めて使った攻撃手段だ。

 だが……投擲された短剣は、シストイに突き刺さるでもなく、あるいは斬り裂くでもなく……横に跳んだシストイが一瞬前に存在していた空間を貫き、壁へと突き刺さる。


「また、か」


 幾度となく繰り返される、不自然なまでの回避行動。 

 身体能力では間違いなく自分が圧倒しており、戦闘技術に関しても自分の方が明らかに上だと判断出来る。

 なのに何故か自分の放つ攻撃が回避されるというのは、既に違和感がどうとかいう問題ではなかった。


(明らかに何かがある。それも、恐らくはマジックアイテムではない……?)


 最初は自分の考えを読んだり、あるいは数秒程度でも未来予知が出来るマジックアイテムかとも思ったレイだったが、攻撃を繰り返しているうちに、恐らくはそういうのではないだろうというのは何となく理解出来た。

 決定的な確信があった訳ではない。だが、レイがこのエルジィンにやってきてから重ねてきた無数の戦闘……それこそ、通常の冒険者では考えられない程に密度の高い戦闘を経験してきたからこその理解。


(けど……それなら、その何かを発揮させないくらい一気に押し込めばいいだけだろ!)


 内心で自らを鼓舞するかのように告げ、デスサイズを振るう速度を更に上げていく。

 振り下ろしから斬り上げ、石突きを使った足払いに、横薙ぎの一撃から続けて放たれる拳や蹴り。

 途端に密度の増したそれらの攻撃に、これまでの攻撃は何とか防いでいたシストイだったが……やがてその限界は訪れる。

 確かにシストイの勘というのは鋭いのだろう。その勘があるからこそ、裏の世界でも名が通る程に活躍出来たのだから。

 だがそれでも……ここまでの速度と密度で攻撃を繰り出すようなレイのような存在と相対したことはなかった。

 その結果……


「さて、これで終わりだな」


 攻撃の回避が間に合わず、首筋へとデスサイズの刃を突きつけられるのだった。

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