第642話

 控え室の前まで移動したレイは、扉に手を伸ばしながら中の気配を探る。


(6……いや、7人か?)


 気配はあれども、殺気の類が殆どないのはそれだけの凄腕を揃えている証拠か。


(まぁ、やるべきことをやるだけだけどな)


 いつでもミスティリングからデスサイズを取り出せるように準備しながら、扉を開ける。

 控え室の中はそれなりの広さが存在している。

 闘技大会が開始された時の数百人を超える参加者が集まっていた程の広さではないが、それでもある程度の広さ……闘技大会に出場する選手が十分に身体を動かせる程度の広さは存在したのだ。

 それだけ広い控え室である以上、長物でもあるデスサイズを振るうのに困る程狭い訳ではない。


(その辺に関してはラッキーだったな)


 控え室の中に入り、そのまま周囲を見回し……若干迷う。


(出来れば先制攻撃して一人二人は人数を減らしたい。けど、さっきの女兵士が本当にこっちの味方なのかって話も出てくるんだよな)


 確かに女の持っていた短剣はダスカーに紹介されたキューケンが持っていたのと同じ物だった。

 だがその短剣のみを奪われ、自分を何らかの策謀に嵌めようとしている者がいるという可能性も否定は出来ない。

 そう、例えばここでレイが潜んでいる相手に先制攻撃を仕掛けて仕留めてみたら、実は潜んでいた相手が帝国の方で用意した護衛だった……というように。


(普通なら考えられないけど、俺の場合は宰相の推薦で闘技大会に出場してるしな。それに五回戦を勝ち抜いたんだから、帝国の中でも注目度は高い。そこに俺自身の評判の悪さや俺を狙っている者のことを考えれば、護衛を手配したとしても不思議はない)


 そんな状態で護衛を殺してしまえば、間違いなく問題となる。

 そうである以上、やはり相手に先に手を出させる必要があるだろうと判断し、レイは扉に寄りかかりながら周囲を見回す。

 だがそれでも潜んでいる気配に動揺はない。


(全員が全員動揺しないってのは、色々と疑問だな。これで出てくるかと思ったんだが……さて、どうするか)


 考えつつも、このままではどうしようもないし、下手に座っている状態で襲われるのも面倒だと判断して口を開く。


「潜んでいる奴、出てこい。俺の護衛か何かだとしたら、きちんと説明があって然るべきだと思うが?」


 控え室の中に向かってそう告げるも、誰かが出てくる気配はない。

 いや、それどころか自分達が見つかっていると言われたにも関わらず、依然として動揺している気配すらもない。

 刺客の類であれば、自分達が隠れているのを知られていれば多少でも動揺はするだろう。そう判断し、やはりあの女兵士は何らかの罠だったのか? とも思う。

 しかし……それは次の瞬間には杞憂であったと知る。


「っと!」


 感じた殺気に、咄嗟にその場から前方へと跳躍するレイ。

 それと前後するようにして天井の死角となっていた隙間から何かが飛び降り、一瞬前までレイがいた場所へと着地する。

 もしレイがその場にいれば、落下してきた何か……否、人物が持っていた短剣により、致命的なダメージを受けただろう。

 それと前後するように、控え室の中に潜んでいた者達が姿を現す。

 最初に降ってきた人物と合わせて、その数6人。


(どうやらまだ1人どこかに潜んだままらしいな。……にしても、6人程度で助かった)


 内心で呟くレイだが、単純に控え室の中で隠れる場所がそれ程なかったというのも、この人数に影響しているだろう。


「うううううう」


 そんな呻き声を発しつつ、現れた6人は各々の武器を構える。

 全員が短剣を装備しているのは、やはり控え室の中での戦いを想定して用意された武器なのだろう。

 しかも、ただの武器ではない。


「毒、か」


 6人が持っている短剣の刃が何らかの液体に濡れているのを見て、思わず呟く。

 更に悪辣なのは、短剣の先を濡らしている液体が一種類ではないということか。

 青、赤、黒、紫……といった具合に幾つもの種類があり、それぞれが別の毒であるというのは明らかだった。


(刺客が使っているのを考えると、恐らく通常の解毒剤は効果がないだろうな。運良くこういう類の毒に効果のある解毒剤を持っていたとしても、まさか全種類の毒に対応する訳でもないだろうし……となると、少しのかすり傷でも危険、か)


 まさかこの期に及んで麻痺程度の毒ではないだろうと判断し、気を引き締める。

 毒を塗った短剣を持つ6人の刺客に囲まれている。傍から見れば、それは逃げ場のない死地に見えるだろう。

 だが……フードに覆われたレイの口には笑みが浮かぶ。


「これだ……この場を乗り越えれば、俺はより強大になり、より先へと進める。さぁ、来い! 俺が先に進む為の……ノイズを倒す為の礎となる為に!」


 その言葉に、6人の人形がそれぞれ反応する。

 ムーラの調整により、恐怖を感じないように調整されていた筈の人形だったが……それでも、やはりレイから何かを感じたのだろう。

 それでも人形達は自分に指示された命令通りに動きを見せる。

 それぞれが短剣を手に、レイへと無言で襲い掛かったのだ。

 前後左右から1人ずつ。そして1人が常人ではまず不可能だろう跳躍をして上から。最後の1人は、もしレイが回避した時に追撃を掛けるべく、その動きを観察する。


「動きはそれなりに素早いが……所詮それだけだな」


 前後左右、更には上からも襲い掛かって来た5人に対するレイの対応は、打って出ることだった。

 考えてみれば簡単な話なのだが、包囲して襲ってくるのならその包囲網を一点突破すればいいだけだ。

 もっとも、普通であればそう簡単に出来ることではない。人外染みた身体能力や戦闘力を持っているレイだからこそ出来ることなのだが。


「ふっ!」


 進む方向は右側。自分から近づいてくるレイに対し、人形の男は短剣を振り下ろす。

 毒のついているその短剣は、かすり傷でも受けてしまえば恐らくは人間ならすぐに死ぬだろうと思わせる程に強力な毒。

 普通の人間にしてみれば、デスサイズではあるまいが死神の鎌と表現してもいいだろう程の毒。

 だが……


(それも当たらなければな!)


 自分に向かって振り下ろされた短剣を身体を半身にすることで回避し、ミスティリングから取り出した短剣を、がら空きの脇腹へと叩き込む。

 振るわれたのは、ミスリルのナイフではなく素材剥ぎ取り用の普通の短剣。しかも鞘に入ったままのそれは、毒の短剣を外した男の肋骨を砕きながら吹き飛ばす。

 肉が壁に叩きつけられるような生々しい音が周囲に響くが、控え室の中でそれを気にするような人物はいない。


(これで隠れているのも合わせて残り6人)


 包囲網を脱出しながら内心で呟くレイだったが、そこに包囲攻撃に加わっていなかった唯一の人形が迫る。


「……」


 無言で振るわれる毒の短剣を、自分もまた短剣で弾き、その動きの中で先程吹き飛ばして壁に叩きつけられた男が特に痛そうな様子もなく立ち上がっているのを見て、舌打ちを一つ。


(肋を纏めて折っても駄目、か。情報を聞き出す云々って話じゃないな。ならしょうがない……)


 普通の状態で捕縛するのが不可能だと悟ったレイは自分に向かって襲い掛かってくる短剣を弾き、その動きを利用して鞘から短剣を引き抜く。

 同時に背後から突き出される3本の剣先。

 その動きを回避しながら腕を動かし、目の前の男の首筋へと刃を走らせつつ、男の背後に回り込んで自分を追ってくる相手へと蹴り飛ばす。

 滑らかに斬り裂かれた首筋から吹き出る血が、レイの背後から襲ってきた者達へと降り掛かる。

 幾らムーラに強化されているとしても、人間であるという大前提は変えられない。つまり五感の中で視覚が最も重要であるということもだ。

 血飛沫が目に降り掛かり、その視界を封じる。

 更には血の臭いにより嗅覚までもが大きく制限された。

 それでも人形として調整された3人は、直前にレイがいると記憶していた場所へと向けて短剣を振るう。

 その際に首を斬り裂かれた自分達の仲間が邪魔だとばかりに横殴りにすると、そのまま男は血を吹き出しながら壁へとぶつかり、地面へと落ちる。

 自らの仲間であろうとも、情の一欠片も存在しない。普通であれば刺客であったとしても、仲間の死には多かれ少なかれ何らかの感情を抱く。

 だが人形の男達はそのような感情は一切抱かず、ただ標的だけを狙う。


「そう来ると思ったよ!」


 突っ込んで来る3人の刺客に、小さく笑みを浮かべるレイ。

 例えほんの数秒であったとしても、刺客が仲間の死体を吹き飛ばすことによって得た時間があれば、ある程度の距離を取るのはそう難しくはない。

 この控え室は予選の時に使った控え室と違い、数十人が入れる程に大きい訳ではない。

 レイの移動した先にあるのは、壁。

 だがそれでも……


「振り回せないんなら、突けばいいだけだろ!」


 レイの手に握られているのは、いつの間にか短剣ではなく槍へと変わっていた。

 普段投擲に使うような、壊れかけの槍。

 普通であれば、このような武器を使って刺客の前に立ちたいとはとても思えないだろう。

 当然だ。相手を槍で突くにしても、穂先が半ば欠けているのだから。

 しかし……その槍を持っているのがレイであれば、話は別だった。


「狭いってことは、重なり合う場所も出来るって……ことだからなぁっ!」


 その叫びと共に、槍が投擲される。

 例え穂先が欠けていたとしても、幾度となく槍を投擲してきたレイの技術とその膂力により放たれたその槍は、一条の光と化して人形の男達へと襲い掛かる。

 重なっているといっても、全員が真っ直ぐに重なっている訳ではない。それぞれが動きやすいようにと、前もって調整された通りに半歩程ずれての隊列だ。

 その結果……先頭の人形の腹部を真ん中から貫き、その背後にいる人形の右脇腹を、最後尾にいる人形は左脇腹を貫かれることになり、その威力によって3人共が吹き飛ばされ、控え室の壁へと縫い付けられる。


「ちっ、……これでも痛みに声を上げないか」


 レイの言葉通り、男達は貫かれた場所を強引に引き千切り、自由を取り戻す。

 そんな真似をすれば当然腹部の傷口を広げる結果になるのだが、人形として調整された男達は痛覚に関しても完全に麻痺しているのか、全く表情に変化はない。


「……」


 そのまま、怪我を全く感じさせない動きで、再び短剣を手に、レイとの距離を縮めてくる。

 そこには最初にレイによって吹き飛ばされ、肋を折られた人形も混ざっていたが、当然こちらも痛みを顔に現してはいない。


「腹を貫かれてもこれかよっ!」


 次々と繰り出される4本の短剣。

 連携をとってはいるのだが、そこにはどこか違和感があった。

 短剣の攻撃を再びミスティリングから取り出した短剣で防ぎつつ、周辺の被害を考えるよりも先に仕留めた方がいいだろうと判断する。


(それに、まだ姿を見せてない1人もいる)


 大ぶりで振るわれた短剣を後方へと跳躍して回避しつつ、空中で右手に持っていた短剣を投擲する。

 鞘から抜かれて放たれたその短剣は、空気そのものを斬り裂くかのような速度で飛び、人形の1人の額へと突き刺さった。

 一瞬手足を痙攣させ、そのまま床へと崩れ落ちる人形。

 レイはそれを見ながら後方へと着地し、デスサイズを取り出す。


「はあああぁあぁっ!」

 

 気合の声と共に振るわれた横薙ぎの一閃は、額から短剣を生やした男の右隣にいた男を切断する。

 短剣を持っていた腕を切断し、胴体を切断し、反対側の腕をも切断する。

 レイに向かって短剣を振り下ろそうとしていた腕は空中を回転しながら飛んでいき、壁へと当たって床へと落ちる。同時に切断された胴体も上下に分かれて地面へと落ち、内臓や血を周囲へと撒き散らす。

 そこからは早かった。返す刃で残りの男達も切断し、最初にデスサイズで男を倒してから数秒と経たず、その場に立っているのは既にレイのみとなっていた。

 周囲に広がるのは、強烈な血と臓物の臭い。


「何度嗅いでも慣れないな」


 控え室の中に充満している臭いに顔を顰め、周囲を見回す。

 闘技大会の本戦に出場する為に用意された控え室は、惨憺たる有様だ。

 刺客の男達とレイが戦った影響ともいえるが、その殆どはレイの振るったデスサイズによるものだろう。

 男達へと斬りつけたその一撃は、男達の身体だけではなく控え室の中にある棚や壁といったものにも大きな被害を与えていたのだから。

 その様子に溜息を吐きつつ、床に落ちている毒のついた短剣を拾ってはミスティリングに収納していく。


「さすがにこの被害を俺に弁償しろとは言わないと思うが。そもそも、刺客を防げなかったのは闘技大会の運営委員なんだし。……その辺、どう思う?」


 見るも無惨な姿になった控え室を眺めつつ、デスサイズを構えたままでまだ隠れている残り1人へと向かい、そう告げるのだった。

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