第631話
「へぇ……あの時の串焼き屋が刺客だったのか」
「ああ。串焼き屋が刺客をしているのか、あるいは刺客が串焼き屋をしていたのかは分からないが、それでも十分過ぎる程に強い相手だったよ」
悠久の空亭にある食堂で、レイは今日自分が襲われた件について話しながら風竜の牙の三人と共に食事をしていた。
いつもであればここにロドスも入ってくるのだが、明日にはレイとの戦いが迫っている状態で共に食事をしたいとは思わなかったのだろう。誘いはしたがあっさりと断られてしまった。
もっとも、レイにしてもロドスの気持ちは分からないでもなかったので、そこまで強く誘いはしなかったのだが。
「あの串焼き屋がねぇ。随分と美味い串焼きだったけど、刺客なんて真似をしないで串焼き屋をやってれば、危険もないままに日々を過ごせそうなのにね」
「確かにヴェイキュルの言葉も分からないではありませんが、それを言うならヴェイキュルだって似たようなものなのでは? 以前誘いのあった貴族の護衛とかなら、冒険者と違って収入だったり生活が不規則になったりしないと思うんですけど」
モーストの言葉に、ヴェイキュルはそれはごめんだとばかりに首を振る。
「私としては、ああいう日々の刺激が殆どないようなのは願い下げね。それなら、あんた達と組んでその日暮らしの冒険者の方が、余程楽しいわ」
「なら、その二人も似たような感じなんじゃないですか?」
干し肉へと手を伸ばしながら告げるモーストに、ヴェイキュルは思わず眉を顰める。
冒険者と暗殺者というのを一緒にして欲しくはないのだろう。
「まぁ、落ち着けよ。敵のことで俺達が言い争っていても得なことはなにもないだろ。……それよりもだ。実はレイに相談があるんだけどよ。ほら、俺の次の相手って……」
どこか言いにくそうに告げてくるルズィに、何となく相談の内容を理解するレイ。
だが、それを分かった上でレイは首を横に振る。
「どんな風に戦えばいいかってことなら、悪いが俺にも分からないな。そもそも、今のノイズと正面から戦っても勝てるかどうかは……かなり苦戦するだろうし」
負けるではなく苦戦すると言っているのが、レイの負けず嫌いな性格故なのだろう。
だがルズィにしても、もしかしたらという思いで尋ねたのか、特に残念そうな表情を見せずに頷きを返す。
「そうか、レイでも難しいか。……となると、やっぱり最大限自分が出来ることをやるしかない、ってところだな」
「随分と前向きなことで」
そんなルズィに対し、どこか呆れたような表情で告げるヴェイキュル。
ヴェイキュルにしても、ルズィがノイズという存在に勝てるとは思ってはいない。それでも心配をした様子がないのは、これまでのノイズの戦いが相手に対する稽古のようにも見えたからだろう。
また、多少酷い怪我を負っても舞台から降りればすぐに治るという点も大きい。
そんな状況である以上、ルズィがノイズと戦うのは間違いなく風竜の牙として戦力アップに繋がるだろうという目論見があった。
勿論、それを正直に口に出せば、ルズィは自分が負けるのを前提にしているのかとばかりに不愉快になるのだろうが。
「勝つにしろ負けるにしろ、自分の実力を発揮出来ればそれでいいんじゃないのか?」
「……ま、そういうことにしておくよ。さて、レイも明日はロドスと試合なんだ。そろそろ休んだ方がいいんじゃないのか? 今日も色々とあって疲れている……ようには見えないけど、それでも体調は万全にしておいた方がいいだろ」
食堂の中にもそろそろ人が少なくなってきたのを見て、ルズィがそう告げる。
若干食べ足りないような思いはあったが、それでもレイはその言葉に素直に頷き、席を立つのだった。
昼に晴れた影響か夜空に瞬く星がいつも以上に綺麗にその姿を見せる中、ロドスは雷神の斧に与えられた部屋の窓から夜空を眺めていた。
秋だからなのか、いつもよりも大きく見える月に視線を向け……ふと明日の試合についてを考える。
レイとロドスの……より正確には雷神の斧との付き合いは、それなりに長い。
最初に会った時はオークの集落に対する襲撃の打ち合わせの時であり、第一印象は最悪としか言えないものだった。
だがオークの集落に対する襲撃で無数のオークを倒した光景を見たり、あるいはランクBモンスターであるオークキングを倒したという話を聞き、その人柄はともかく能力に関しては認めざるを得なくなる。
その後も幾度かの付き合いがあり、最終的には深紅という異名を持つ存在にまで到達した。
(恐らく……ギルドに登録してから異名を持つようになった期間は最短だろうな。で、そのレイを相手に明日の戦い、か)
そう考えた瞬間、思わず手が震える。
武者震いだと己に言い聞かせはするが、その震えは明らかにレイという存在に恐怖したが故のものだった。
自分自身のことだけに、それは分かる。……分かってしまうのだ。
「くそっ!」
小さく呟き、その震えを隠すかのように拳を握りしめる。
そうしても、一向に身体の震えは治まらない。
レイと出会ってから一年以上。その間、常に行動を共にしてきた訳ではない。それでも……いや、だからこそと言うべきか、レイの戦闘はロドスの脳裏に強く焼き付いていた。
超が付く一流の魔法使いである己の母ですら見た瞬間に恐怖を覚えたという莫大な魔力、デスサイズを始めとした幾つもの強力無比なマジックアイテム、エルクにすら打ち勝つ程の身体能力。
レイの能力を挙げていけば、それはどこの超越者だと言いたくなるような数々の能力。
更にそれを使いこなす戦闘センスも合わさると、どう足掻いても勝つべき未来が想像すら出来ない。
「……くそっ!」
再度口にするその言葉は数秒前のそれとは違い、どこか勢いがなくなっていた。
幾度となくレイに打ち勝つべきだと思い、それを口にしてきたというのに、試合の前日になると恐れを……いや、畏怖すら抱く。
そんな自分がとてつもなく情けなく思え、握りしめた拳を窓の近くにある壁に叩きつけようとして……不意に伸びてきた手に抑え込まれる。
「おいおい、どうしたんだよ。お前らしくもない」
ロドスの手を押さえたのは、悪戯小僧がそのまま大人になったかのような、そんな人物。
「父さん……」
そこにいたのは、ロドスの父親であり、雷神の斧のリーダーでもあり、同時に雷神の斧という異名を持つランクA冒険者のエルクだった。
その表情に浮かんでいるのは、どこかからかうような色。
だがロドスにより強い観察眼があれば、その瞳の中に心配そうな色を見つけることが出来ただろう。
「建物にあたるような真似は頂けねえぞ。……ま、ロドスが何でそんなに悩んでいるのかってのは分からないでもないけどな。大方、あれだろ? 明日のレイとの試合」
「……」
エルクの口から出た言葉は正解以外の何ものでもなく、それ故にロドスは沈黙を返すしかなかった。
そんな息子の様子に、エルクはニヤリとした笑みを浮かべつつ口を開く。
「なぁ、ロドス。お前、俺に勝てると思うか?」
突然のその問い掛けに、ロドスは一瞬呆気にとられたものの、すぐに首を横に振る。
純粋な戦闘力という意味では、エルクがどれ程の高みにいるのかというのはずっと共に行動してきたロドスだからこそ理解している。
そんなエルクに自分に勝てるかと聞かれ、はい勝てますとは、とてもではないが言えなかった。
「ま、だろうな。俺だってそうそうすぐお前に負ける訳にもいかない。……けど、それを踏まえて考えてみろよ? レイは俺に勝ってるんだぜ? つまり俺より強いんだ。お前が俺よりも強いレイに勝てると思うか?」
「……」
返事は無言。
それは認めたくないというロドスの思いを表していた。
駄目なのか。内心でそう考えるロドスだったが、そこに再びエルクから声を掛けられる。
「けどな、だからって……自分より強いからって諦めるのか? なら冒険者なんてやめちまえよ。この仕事をやっていれば、自分よりも強い相手と戦わなきゃいけないことなんて珍しくもない。……俺だって昔は何度も自分よりも強い相手と戦ってここまできたんだからな」
「……父さん」
ポカン、とした表情を向けられたエルクは、次に悪ガキそのものの笑みを浮かべる。
「それにな、お前の初恋なんだろ?」
「……なぁっ!?」
父親の口から出たその言葉に、思わず叫ぶ。
「な、な、なななな……」
「ふんっ、何だ? 知られているとは思ってなかったのか? あんなにあからさまにヴィヘラを見ていれば、普通は気が付くだろ」
恐らく気が付いていないのは、本人とレイの2人のみだろう。そんな風に思いつつ、当事者の2人が気が付いていないというのが色々とこの問題を複雑にしているのだと、エルクは内心で溜息を吐く。
「ま、初恋は叶わないってのが定番だ。けどな、それで諦めてもいい訳じゃないだろ?」
「……それは……」
「第一、俺の場合は初恋が叶ったぜ? だからこそ、お前が生まれたんだしな」
「父さん」
「ま、だからこそだ。こんな場所でウジウジとしていないで、明日には思い切りお前の力をレイにぶつけてやれよ。初恋云々というのは別にしても、レイ程の強敵と戦うのはお前が冒険者としてやっていく上で、絶対に糧となる」
しみじみと呟くのは、やはりロドスがこれまで強敵と戦ってきた経験があまりないからだろう。
それはエルクという人物が近くにいた影響もあるし、運が良かった……あるいは悪かったからとも言える。
「とにかくだ。お前は俺とミンの息子なんだ。それを明日、皆の前で見せてやれよ。そして、俺とミンに自慢させてくれや。深紅と戦っているのが俺達の自慢の息子だってな」
「ああ。……ああ!」
どこか照れたように告げてくるエルクに、ロドスは頷きを返す。
そこにはつい先程までの、深紅という異名持ちの冒険者を相手にして怯えすら抱いていた冒険者の姿はない。腹を括り、自分の力の限りレイと戦ってみせる。その思いに満ちた冒険者の姿があった。
そんな息子の様子に、もう大丈夫だと判断したのだろう。エルクはニヤリとした笑みを浮かべて口を開く。
「そうだな、明日の戦いは俺はお前に賭けるとしようか。精々頑張って俺を勝たせてくれよ」
「任せてくれ。ちなみに、勿論父さんの小遣い全額俺に賭けるんだよな?」
「……いや、さすがにそこまでは……」
当然そうなんだろう? と尋ねてくるロドスに、エルクはそっと視線を逸らす。
「父さん……」
「いや、だって……なぁ?」
「なぁ、じゃないだろ! 俺に賭けるっていうんなら、小遣いくらい全額賭けろよ!」
自らの父親の裏切りともいえる行動に、思わずそう叫ぶ。
そんな息子の様子を見て、既に先程までの緊張している様子が殆ど見えないことに、エルクは内心で安堵の息を吐く。
(これでもう大丈夫だろ)
つい数分前までのロドスは、見て分かる程に緊張していた。それこそ限界まで引き延ばされた糸のような緊張で、刃が少し触れた瞬間には切れてしまう。そんな状態だったのだ。
試合が始まるまでまだ一晩もあるというのに、今からそんな状態では明らかに体力が持たない。だからこそ、その緊張を解す為にエルクが一芝居打った。
……もっとも、ロドスに賭けるというのは事実であり、同時に小遣いの全てを賭けないというのもまた事実であったのだが。
「さて……そろそろ寝るか」
大きく伸びをし、窓の外へと視線を向けながらレイは呟く。
月光が降り注ぎ、星が煌めく。
その光景は、明日も晴れることになるというのを確信するのに十分なものだった。
「ロドス、か。何だかんだと長い付き合いだけど……お互いに本気で戦ったことはないんだよな。何でか今回は妙に乗り気だし」
今日見たロドスの様子を思い出す。
まるで覚悟を決めたかのような、その表情。
元々闘技大会に出るのはベスティア帝国上層部の注意を惹き付ける為であって、決して優勝が目的ではない。
それを分かっている筈なのに、何故かロドスは闘技大会に出場すると強硬に言い張ったのだ。
ダスカー達にしても、ロドスが出場すればよりテオレーム達の活動が見つかりにくくなるからという理由でその行動を認める。
もっともレイ自身は全く気が付いていなかったが、ダスカーやエルクにしてみればロドスが何を目的として闘技大会への出場を決めたのかというのは明白だったのだが。
「確かにロドスはその辺の下手な冒険者よりも腕が立つのは事実だ。けど……今までにも訓練で戦っている相手だけに新鮮味はあまりないかも……な」
ベッドに横になりながらそこまでを口にすると、やがてレイの意識は睡魔に誘われるかのように眠りへと落ちていくのだった。
明日のロドスとの試合で少しは自らの技術を上げられることを期待しながら。
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