第630話

 目の前に現れた2人。男と女の組み合わせを見て、レイはフードの下で驚きの表情を浮かべる。

 少し前に食べた屋台で働いていた2人であり、見覚えがあったからだ。

 買って食べた串焼きが非常に美味だったこともあり、強く印象に残っている2人。

 そんな2人が今ここで姿を現したのは、意外性しか感じない。

 だがレイの顔に浮かんだ驚きも一瞬。

 真っ直ぐに自分のいるこの路地裏までやってきたのだ。まさか偶然無関係の2人が姿を現した訳ではないだろうと、手に持っていたデスサイズを構える。

 それでもすぐに攻撃しなかったのは、現れた2人が武器を構える様子もなかった為だ。


「……武器を下ろしてくれないかしら。敵対する気はありませんよ」


 今は。そんな思いを抱きつつ、よそ行きの口調で口を開く女――ムーラ――の言葉に、だがレイは構えたデスサイズを下ろすようなことはせず、注意深く相手を観察する。

 その態度の意味が分かったのだろう。ムーラの側にいた男――シストイ――も自分は敵意がないとばかりに、両手を挙げる。

 ムーラもまた、そんなシストイに習うかのように両手を挙げ、口を開く。


「この場で言っても信じて貰えるかどうかは分からないけれど、本当に敵対する気はないの。大人しく交渉に応じてくれないかしら?」

「ここに姿を現したタイミングから考えて、どこからどう見ても俺を襲ってきたこの子供達の関係者にしか見えないんだが?」

「確かに。それは否定しません」


 ことここに至っては、自分達の素性を隠しても全く信じて貰えないだろうと判断したのだろう。ムーラはレイの言葉を特に否定する様子も見せず、あっさりと認める。

 それはムーラの背後に控えているシストイにしても同様であり、両手を挙げたままではあるが、油断なくレイの一挙手一投足に注意を払っていた。

 もし何かあれば、すぐにムーラを引き連れてこの場を離脱する為だ。

 正面から戦ってレイに勝てるとは思っていない。だが、それでも自分達が逃げるだけの時間は稼げる筈。子供達を見捨てるのは思うところがあるが、それでも自分達が死んでまでとは思っていなかった。そんな思いと共に一切緊張を切らさないシストイ。

 だが、そのような態度をとっていたからこそ、レイによって指摘されてしまう。


「そっちの男はかなり緊張しているようだが?」

「……私達が貴方のような手練れの前に姿を現すのですから、それは当然かと」

「そういうものか? ……まぁ、そういうことにしておくか」


 暗殺者や刺客の流儀に詳しい訳ではないレイは、特に怪しむ様子も無いままに頷く。

 それでも目の前にいる2人が、その辺の冒険者と比べると高い戦闘力を持っているというのは理解出来るのだろう。デスサイズを構え、決して油断をしないままに視線を向ける。

 レイの正直な気持ちを言えば、この展開は予想外であったが、望む所でもあった。

 ノイズとの戦いまで、残るのは4戦しかない。だが今の状況では、まだノイズとの戦いで勝てるとはとてもではないが思えないのだ。

 その為、強力な敵との戦いは多ければ多い程いい。

 一度の実戦は、数日の鍛錬に勝るのだから。

 それに、目の前にいる男女が自分を狙っているというのは変わらない事実なのだろう。つまり、ここで倒しておかなければ後日再び襲われることにもなりかねない。

 そんなレイの思いを読み取ったのか、ムーラの表情が緊張で固くなる。

 同時に、両手を挙げていたシストイがその手を下ろしてムーラを庇うように前へと出てきた。


「シストイ」


 どこか案じるようなムーラの言葉に、シストイは一瞬もレイから視線を逸らさずに口を開く。


「お前が戦う相手を求めていることは知っている。俺が相手をしよう。だから、女と子供は見逃してくれないか?」


 その言葉に、レイの視線はムーラの方へと向けられる。

 どこか観察するような視線。だがその視線は、男が女に対して向ける色事めいた視線ではない。寧ろ、相手の実力を測る為の視線。


(身体の動かし方から見て、前衛として戦うんじゃなくて後衛でのフォロー役、か)


 着ている服は長袖であり、秋という季節を考えればそれ程に不思議なことではない。

 だが長袖を着ている本来の目的は、あくまでも腕の筋肉の動きを相手に見せない為のもの。

 ある程度以上の技量があれば、その動きを見ただけで次にどのような行動を取るのかを予想するのは難しい話ではないのだから。


「分かった、いいだろう。お前の提案を受けよう」

「そうか。なら場所を変えるぞ」

「いや、戦うのはここでだ」


 場所を変えようとするシストイに向け、レイはそれだけを告げてデスサイズを構え直す。

 その様子に舌打ちをするシストイ。

 シストイとしては、出来れば話の流れに乗ったままこの場を離れ、十分に距離を取ってから人混みに紛れて姿を消すつもりだった為だ。

 そう、正面から堂々とレイと戦うつもりは一切なかった。

 この仕事を長年続けてきた勘が、目の前にいる男と戦っても今のままでは絶対に勝てないと知らせているのだ。

 だからこそ、ドサクサ紛れにこの場を誤魔化したかったのだが……それを見破ったのか、あるいは単純に戦いに時間を掛けたくはなかったのか。

 理由はともあれ、これでこの場から退くことは出来なくなった。

 覚悟を決めたシストイは、腰の鞘へと手を伸ばして長剣の柄を握る。


「シストイッ!?」

「ムーラ、頼む」


 悲鳴のような声で自分の名を呼ぶ相棒へと、呼びかけるシストイ。

 その短い言葉には二つの意味が入っていた。

 即ち、子供達を頼むというものと、ここは自分に任せて欲しいという、二つの意味が。

 シストイの本能的な勘の鋭さに関しては理解している為、ムーラとしてもこれ以上言葉を発することは出来ない。

 シストイが告げる以上、これ以上の選択はないのだろうと。


「少し、待ってくれ。ここで戦うのなら、子供が倒れていちゃあ邪魔だろ? すぐに端に寄せる」

「……分かった。好きにしろ」


 確かにシストイが口にしたように、ここで戦うのであれば地面で気絶している子供達は邪魔でしかない。

 もしも踏んだりして怪我をさせ、あるいは殺してしまっては、殺さずに気絶させたレイの苦労が水の泡となるのだから。


「ムーラ」

「ええ」


 レイの言葉を聞き、ムーラとシストイは急いでこの場所の端の方へと気絶した子供達を寄せていく。

 数分と掛からずにその作業は終わり、ムーラの視線の先ではシストイとレイが向き直る。

 勿論ムーラにしても、このまま大人しくシストイだけを戦わせる訳ではない。機会があれば戦闘に介入し、上手くいけばそれでレイを殺すことを……そこまでいかなくても、何とかこの場を撤退することを狙っていた。

 そんな、緊張した空気が周囲へと満ち……


「ひゅっ!」


 まるで口笛のような鋭い呼気と共に、前へと出たのはシストイ。 

 その手には既に鞘から抜き放たれた長剣が握られており、レイへと向かって鋭く突き出す。

 振りかぶるのではなく、突き。これは純粋にレイに攻撃の見切りをさせにくくさせる為の一撃。

 線と点の攻撃では、圧倒的に前者の方が回避しやすいのだから。

 だが……


「甘い」


 その一言と共に、突き出された剣先をデスサイズで弾き、絡め取るように……


「っ!?」


 巻き上げようとした、その瞬間。突き出された長剣は、素早くシストイの手元へと戻る。


(突きの速度自体はロドスより若干遅い程度だが、その突きを戻す速度に関してはロドスよりも数段上だな)


 威力自体はロドスと同等だが、手元に戻す速度が上である以上は結果的に手数に関しては若干ではあるがシストイの方が上。

 そんな判断がレイの中で導き出される。

 次々に繰り出される突きを、デスサイズで弾く。

 斬撃ではないので、ここ暫くレイが練習していた受け流すという技が使いにくいのはしょうがないだろう。

 それでも、弾くことにより相手の武器に衝撃を与え続けていたのだが……一向に武器が破壊される様子はない。


(なるほど、当然と言えば当然だが、マジックアイテムか。串焼き屋にしてはいい武器を持っているな)


 正確には鎮魂の鐘の刺客なのだが、レイの中では串焼き屋という印象が強いのか、そんな風に固定化されていた。

 ともあれ、このまま防ぎ続けても意味はないので武器を大きく弾いて跳ね飛ばそう。そんな風に考えた瞬間、シストイからの攻撃はピタリと止み、後方へと大きく跳躍してレイとの距離を開ける。


(息切れか?)


 あれだけの連続攻撃だけに、そうなってもしょうがないと判断するレイ。 

 事実、レイと距離を開けたシストイの表情は見るからに赤くなっていた。

 だが……その顔の赤さを、無呼吸運動での結果だと思ったレイとは裏腹に、距離を取ったシストイは背筋を走る冷たい感触に息を呑む。


(やばかった……多分、あのままだと何かこっちにとってやばいことになっていたのは間違いない)


 そう、別に息切れをした訳ではない。シストイ特有の、第六感のようなものが働いたのだ。

 その勘に半ば支配されるかのように、後方へと跳躍してレイとの距離を大きく取った。


「……さて、息は整ったか? なら次はこっちから行くぞ」


 呟き、地を蹴るレイ。

 そのまま、地上を走るというよりは滑るような速度で急激に近づいてくるレイに、シストイはまたも背筋を走る嫌な予感に従って、その場から大きく距離を取る。


 斬っ!


 それと殆ど同時に空間そのものを斬り裂くかのような速度でデスサイズが振るわれる。

 もしも勘に従わずその場にいたら、恐らくは長剣諸共に自分自身を斬り裂かれただろう一撃。


「やっぱり以前よりも格段に実力が上がっているな」


 冷や汗を拭いながら呟かれたその台詞に、レイは思わず首を傾げる。

 今の台詞は、まるで以前どこかで自分が戦うところを見たように思えた為だ。

 だが闘技大会に参加してからは、それ程時間が経っていない。それならあのような台詞にはならないだろうと。

 で、あるのなら……

 脳裏を過ぎるのは、帝都に来る途中で立ち寄った時に宿へと襲撃を受けた件。


「なるほど。どうやら随分と前から俺達を……いや、俺をか? 狙っていたらしいな」

「……さて、どうだろうな」


 言葉を返し、長剣を構えつつレイの隙を探る。


(くそ、やっぱり以前より格段に強くなっているか。ただでさえ正面からでは手がつけられなかった状態なのに、まさかここまで伸び代があるとは。……化け物め)


 デスサイズを構えたレイの姿に、攻撃する隙を見つけることが出来ずにシストイは内心で歯噛みしていた。

 少し前までであれば、まだ自分がつけ込む隙はあった筈なのだ。

 だが、今ではその隙を見つけることが出来ない。

 いや、正確には隙を見つけることは出来るのだが、そこに攻撃しようとする度にシストイの胸中で非常に嫌な予感が危険だと知らせてくるのだ。

 そして、実際にレイは意図的に隙を作り出すことによって攻撃を誘導し、その攻撃に合わせてカウンターを放とうとしていた。

 それが今回レイがシストイとの戦いで試そうとしている戦術であり、相手がはっきりと自分を狙っている刺客だと理解しているからこそ、死んでも構わないような危険な手を使うことも出来るのだ。


「どうした? 攻めてこないのか? わざわざ俺の前に出てきたんだ。上手く回せるのは口だけなんてことはないんだろ? 暗殺者としての腕を見せてみろよ」

「……」


 レイの口から放たれる挑発の言葉にも、一切の行動を見せない。……いや、見せることが出来ない。

 お互いに相手の隙を窺うかのようにして向き合い、そのまま数分。

 気絶した子供達の側にいたムーラが、何かを気にするように視線を通路の入り口の方へと向けるが、シストイの隙を探すレイがそれに気が付いた様子はない。

 レイにしても、シストイを相手してそこまで余裕がある訳ではないのだ。

 何しろ、自らにカウンターだけでシストイを倒すという制限を作っているのに加え、妙に勘が鋭く、フェイントの類を入れても殆どそれに引っ掛かるようなことはせず、意図的に隙を作り出したとしても攻撃をしてくることもない。

 お互いに手が出せず……あるいは出さず、自然と膠着状態に陥り……その時はやってきた。


「……何だ?」


 不意に聞こえてきたのは、複数の足音。その足音に疑問を感じ、通路の方へと視線を向けるレイ。

 すると、それから数十秒と経たずに10人程の人影が姿を現す。

 その人影が警備兵の類でないことは、覆面で顔を覆っているのを……そして手に短剣を始めとした武器を持っているのを見れば明らかだった。


「時間稼ぎか」


 呟くレイに、シストイは小さく頷きそのまま後ろへと下がっていく。

 カウンターで敵を倒すという今回の戦い方は出来なくなったが、それでも逃してはなるものかとばかりに一歩を踏み出そうとして……


「今よ!」


 ムーラの口から出たその言葉と共に、何らかの液体が入った瓶が覆面を被った男達から投擲される。

 それを見た瞬間、後方へと跳躍するレイ。

 だが……その瓶は元からレイへと向かって投擲されたものではなかった。

 地面にぶつかるや否や、瓶が割れて中に入っていた液体が周囲へと散り、同時にその液体が真っ黒い煙幕を大量に作り出す。

 敵の狙いを理解したレイは、してやられたと思うと同時にデスサイズを振るう。


「飛斬、飛斬、飛斬、飛斬、飛斬!」


 斬撃を飛ばす飛斬のスキルを連続五回。

 その斬撃が煙幕の中へと向かい、幾つかの悲鳴が聞こえてくるものの……結局煙幕が消え去った後にはムーラやシストイ、あるいは子供達の姿や乱入してきた覆面の男達の姿もなく、誰のものかは不明だが手足が数本ずつ地面に落ちているだけだった。

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