第627話
「……ノイズ、だと?」
その名前を聞かされた時、テオレームは信じられないとばかりに報告をしてきた人物へと視線を向ける。
だが帝都からその報告を持ってきた部下は、訂正する様子もなく頷きを返す。
その態度がランクS冒険者であり、不動の異名を持つノイズが闘技大会本戦に参加したというのが事実であると、これ以上ない程に示していた。
「まさかここで出てくるとは……これまで闘技大会に出場したことは一度もなかったというのに、何故今回に限って」
完全に予想外だった。そんな意味を込めて呟いたテオレームだったが、ふと近くから感じた殺気……いや、闘気とも呼ぶべき存在を感じ取り、そちらへと視線を向ける。
そこにいたのは、獰猛な笑みを浮かべるヴィヘラの姿。
戦闘を好むだけに、ランクS冒険者との戦いというのはこの上なく魅力的に映ったのだろう。
「ヴィヘラ様……一応言っておきますが、今から帝都に向かうというのは」
「……そうね」
答えるまでにあった数秒の間が、ヴィヘラが何を考えていたかを現しているだろう。
事実、気の強そうな美貌に浮かんでいるのは闘技大会に参加しているレイに対する羨ましげな色。
(こんなことなら、私が闘技大会の方に出ればよかったわね)
ノイズという冒険者が公の前にその姿を晒すのは珍しい。
皇帝でもある自分の父親と関係があるのは知っていたが、それでもランクSの冒険者だけあって、国からの要請にはモンスターの氾濫のような緊急事態を除いて殆ど従うことがなかったのだ。
それ程の人物が闘技大会にその姿を現した。それが何を意味するのかは明白だった。
「レイ、ね」
「恐らく……いえ、間違いなくそうでしょうね。皇帝陛下のお考えなのか、あるいはノイズ自身がレイに興味を持ったのか……はたまた、それ以外にも何か別の理由があるのか」
「確かに色々と厄介な出来事が起こりそうかも」
「それをお望みなのでは?」
ヴィヘラとテオレームの会話に割って入ったのは、ティユール。
ただし、その表情は困ったといったものではなく、寧ろ自らが崇めるヴィヘラがより楽しめるだろう強敵の出現に笑みが浮かんでいた。
そんなティユールの言葉に頷きそうになったヴィヘラだったが、すぐに首を横に振る。
確かにノイズと戦えるのであれば、それは自分にとって非常に嬉しい出来事だろう。だが、何を目的としてノイズが闘技大会に姿を現したのかと言われれば、それに対する答えは少ないし、容易に想像出来た。
それこそが、先程口にしたレイの名前なのだ。
「やっぱり私が闘技大会に出ていれば良かったんじゃないかしら」
その言葉に苦笑を浮かべるテオレーム。
ヴィヘラが闘技大会に出場していれば、間違いなくレイと同等の……あるいはそれ以上の注目を集めることは出来ただろう。
だが、今回の闘技大会で最も人の注目を集めたのは結果としてノイズだ。
ヴィヘラが出場したことによりノイズを引っ張り出せたかと問われれば、ヴィヘラ本人としても……そしてテオレームや、ヴィヘラに心酔しているティユールにしろ、首を傾げざるを得ない。
何しろ、ノイズは前々からヴィヘラのことは知っていた筈なのだ。それでもこれまで戦うような機会がなかったのは、恐らくヴィヘラの父親が皇帝であるというのに関係しているのだろう。
(私としては、ランクSとの戦いを十分以上に楽しめるのであれば、皇籍なんていらないんだけど)
そもそもが、もっと戦闘を楽しみたいという理由でベスティア帝国から抜け出したヴィヘラだ。他にも理由は幾つもあれど、それが最大の理由だったのは間違いない。
ノイズの件を考えれば、結局はレイが闘技大会に出場したのがベストの選択であったのは間違いなかった。
(それに……)
内心でとある可能性に辿り着き、笑みを浮かべるヴィヘラ。
その笑みは、間違いなく血を望んでいるというのに、驚く程に妖艶な笑みだった。
戦いの予感に身を震わせた、蕩けるような笑み。
(私達が城に攻め込んで軟禁されているあの子を救出しようとした場合、ノイズが向こう側につく可能性はある。ノイズは父上と親しいという話を聞いたことがあるのだから、その考えは必ずしも間違いじゃない筈。で、あれば……その前に立ち塞がったノイズと私が戦う機会は皆無とは言えないでしょう)
戦いを望んで笑みを浮かべているヴィヘラは間違いなく美しく、心酔しているティユールはまだしも、テオレームですら数秒視線を吸い寄せられる。
そんな視線を全く気にした様子もなく、ヴィヘラは内心で考えを進めていく。
(レイが出場し、ノイズもまた出場している以上はどこでぶつかるのかは分からないけど、いずれ戦うのは確実。恐らくそれが事実上の決勝戦。……さて、レイはノイズに……ランクS冒険者に勝てるかしらね)
ヴィヘラの内心に複雑な感情が浮かぶ。
自らが恋しているレイが負けて欲しいとは決して思わないが、だからといって自分よりも先にランクS冒険者のノイズに勝って欲しくもない。
そんな複雑な思いに暫く悩んだのだが、やがて自分が心配してもどうにもならないということで考えが纏まる。
そして、より大きな問題に気が付く。
……そう。レイとノイズが戦うということは、それを見ることが出来る機会があるということに。
だが、当然ヴィヘラが闘技大会を見に行くことは出来ない。もしもヴィヘラの正体が露見してしまえば、折角ここまで進めてきた件が全て無駄になってしまう可能性があるのだから。
「……何で私、ここにいるのかしら」
「ヴィヘラ様!?」
突然ヴィヘラが口にした、どこか哲学的とすらいえる問い掛けに、思わずテオレームが大きな声を出す。
だがヴィヘラにしてみれば、それ程の難題でもあるのは間違いないのだ。
「闘技場に行きたいけど行けない……となると、変装? いえ、それも駄目ね。そもそもレイとノイズが戦うとしたら決勝になるんだろうし、その頃になればこっちの作戦も最終段階。……というより、こっちが城に乗り込む時間によってはレイとノイズの戦いそのものが途中で終わってしまうんじゃ?」
何て勿体ない。思わずそう口を開きそうになったヴィヘラだったが、そもそも賭かっているのが自分の弟の身……更には命までもがそこには賭けられているのだ。それを思えば、無茶を言う訳にもいかない。
「何と言うか……両立出来ないってのは痛いわね」
「ヴィヘラ様?」
そんな風に悩んでいるヴィヘラにティユールが尋ねると、その声で我に返ったのだろう。何でもないと首を横に振る。
もしもここで正直な思いを口にすれば、恐らくティユールなら問題ないので闘技場に行ってもいいと口にするのは目に見えていた為だ。
だが幾ら戦いを好むヴィヘラにしても、さすがにそんな無責任な真似は出来ない。
また、もしも闘技場に行ったとすればレイやノイズとの戦いを我慢出来るとも思えなかったという理由もある。
であれば、ここは自分が我慢すべきだと判断した為だ。
「とにかく、今は準備を整えましょう。こちらに協力してくれる人達ももうすぐこっちに合流するんでしょ?」
「はい。その辺は抜かりなく。幸い、今は闘技大会が行われている関係でどの村や街、都市も人の数がかなり少なくなっていますからね。こちらに協力してくれる方々が合流する際に移動するのを見られる可能性は少ないかと」
「欲を言えば、警備兵の数も少ないと良かったんですが……さすがに闘技大会があるからといって、そういう訳にもいきませんしね」
テオレームの言葉にティユールがそう割り込むようにして告げる。
実際、この時期になれば村や街、あるいは都市の住人はかなりの数が闘技大会目当てに帝都へと向かう。
帝都から距離が離れればそれだけ旅の危険も多くなるのだから、離れれば離れる程に帝都に向かう人数の割合は少なくなるのだが。
そして、盗賊にとってはそんな旅人達は格好の獲物となる。
普段よりも遙かに多くの住人が帝都に向かうのだから、盗賊達が張り切るのも当然だろう。
そうなると、警備兵や騎士団、あるいは帝都に向かわずにここが稼ぎ所と張り切る冒険者も増える。
つまり、既に闘技大会が始まっており本戦も開始されている今となっては、ヴィヘラ達に協力しようとして兵士を率いてくる貴族達が旅人に見つかる可能性は非常に低い。
だが、逆に盗賊狩りを目当てにしている者達には、普段よりも見つかりやすくなっているのだ。
もっとも、その兵士達を率いているのは歴とした貴族のように立場のある者達だ。警備兵に見つかったとしても、盗賊のように捕まえられる危険性はない。
「他にも複数の協力者が来るのを考えると、お互いの連携を考える必要や、物資の管理といった役目もあります。その辺はこちらで何とかしますが……」
「妙な言い掛かりをしてくる相手がいたら、こっちに回しても構わないわ」
「……ご愁傷様ですね」
ヴィヘラとテオレームの会話を聞いていたティユールは、思わず呟く。
自分達に援軍として集まってくる者達の中には、当然良からぬ考えを抱いている者もいる筈だ。そういう者達の狙いが何なのかは多種多様であるが、それをヴィヘラに知られた時点で色々な意味で終わる可能性が高い。
その終わるというのが人生という意味なのか、あるいは貴族としてなのか……はたまた、男としてなのか。
(特に最後の人が多そうな気がする)
ヴィヘラという人物は、美の結晶と言ってもいい。少なくてもティユールはそう思っているし、そこまでいかなくても極めつけの美形であるというのは誰にも異論のない事実だろう。
子供でなければ駄目、男でなければ駄目といった特殊な性癖の持ち主以外であれば、間違いなくヴィヘラに魅了される。
それはヴィヘラを崇めているティユールにしてみれば、自明の理以外のなにものでもない。
そしてヴィヘラの地位が皇族であると知っても……あるいは、知ってはいても既に皇籍を捨てたと判断すれば、手を出してこないとも限らなかった。
そんな人物が最終的に辿るのは、男としての死。
思わず背筋に冷たいものを感じながら、首を横に振るのだった。
「……何それ、嘘でしょ!?」
帝都の中のとある酒場の三階にある部屋で、ムーラは目の前にいる男へと息も荒く尋ねる。
ムーラの後ろにいるシストイもまた、言葉は発していないが半ば男を睨み付けるような視線を送っていた。
だが……
「本当だ」
二人の前にいる男、60代程に見える老人は表情を全く動かさずにそう告げる。
その短い言葉に、ムーラとシストイの二人は奥歯を噛み締める。
分かっているからだ。目の前にいるこの老人が言ったことは組織で決まったことであり、それを覆すことは出来ないのだと。……少なくても自分達には絶対に不可能なのだと。
かといって怒りに任せて目の前の老人に手を出すような真似をすれば、間違いなく自分達が殺されるだろう。
部屋の中には自分達と老人しかいないように見えるが、それはあくまでもそう見えるだけだ。
そもそも、鎮魂の鐘の幹部でもある老人が護衛の一人も連れていない筈がないし、事実気配を探れば部屋の中に幾つか覚えのある気配がある。
更に、あくまでもそれは感知出来る範囲内であり、自分達に感知出来ない程の実力者がいる可能性もあるのだ。
何しろこの酒場は……より正確には酒場の三階にあるここは、鎮魂の鐘のアジトの一つなのだから。
それも、ただのアジトではない。外から見れば、この酒場は二階建てにしか見えないだろう。
酒場を建てる時点で設計図の方を上手く誤魔化し、外からは二階建てだが実は三階建てという建物になっている。
つまり、最初からこの酒場は鎮魂の鐘のアジトとして作り出された建物であり、そうである以上は当然色々な仕掛けが施されていた。
それでも……それが分かっていても、ムーラは口を開かざるを得ない。
「けど、あの子達はまだ訓練途中なのよ? 実力に関しても半人前以下の。なんだって、それを深紅にぶつけるのよ。相手の戦力を測るって意味ならもう十分だし、何よりどうしても戦力を測る必要があるのなら、私の人形で十分じゃない」
スラム育ちのムーラとシストイにしてみれば、男の口から出た深紅へと仕掛ける為の駒……即ち、自分達と同じスラム出身の子供達を使うというのは、到底容認出来ることではなかった。
もっとも、子供を使うのは駄目だが、人形……即ちムーラが洗脳した相手を使うのは構わないと言っている辺り、ムーラもまた鎮魂の鐘のメンバーの一人だということなのだろう。
「……ムーラ」
今にも激高して男へと飛び掛かり兼ねない相棒の肩に、そっと手を乗せるシストイ。
ここで暴れたりしようものなら、自分達は生きてこの部屋を出られないだろうというのを理解している為だ。
ムーラの方もシストイの言葉で我に返ったのだろう。忌々しげに舌打ちしつつも、目の前でこうまで騒いでも表情を変えずに自分達へと視線を向けている老人の方へと視線を向ける。
「安心しろ。深紅は子供に対しては基本的に優しいという噂だ。恐らく死ぬことはない。幸い、あの子供達はまだ訓練途中で、こちらの事情を何も知らないから、我々の情報が漏れる心配もないだろう」
「っ!? ……そう。分かったわよ。これ以上文句は言わないわ。シストイ、行くわよ!」
ムーラは男に鋭く視線を向けて一瞥し、シストイを引き連れるように部屋を出て行く。
「……若いな。実力は十分にあるんだが」
背後から微かに聞こえてきた男の声を意図的に無視しながら。
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