第626話

「中々に見応えのある戦いだった。……だが、深紅の仲間ではな。ベスティア帝国に所属する冒険者であるにも関わらず、嘆かわしい」


 ルズィとレジュルタの戦いが終わったのを見て、貴賓室にそんな声が響く。

 同時に、その場にいた他の貴族達もその言葉に賛同するように声を上げる。


「全くです。シュヴィンデル伯爵の言う通り、奴等こそがこの先ベスティア帝国に大きな害をもたらす存在であるというのに……」

「確かに。事実、セレムース平原では我等の軍にあれだけ被害を与えたのですからな。忌々しい」

「鎮魂の鐘の者共は何をしているのだ! 今なら深紅の大きな力でもあるグリフォンが厩舎にいるのだから、奴の力も十分過ぎる程に下がっているだろうに」


 仲間のそんな声を聞きつつ、シュヴィンデル伯爵は数人の運営委員が舞台の外で完全に気を失っているレジュルタを運んでいくのを見やる。

 ルズィと比較しても同じくらいの体格であり、同時に鎧やグレイブといったように重量のある装備をも運んでいく為に5人もの人数が使われていた。


(風竜の牙……か。調査報告によると、帝都ではそこまで有名という訳でもなかったが、それは活動の拠点が帝都ではないからだった。帝都の外にある幾つかの都市ではそれなりに名が知られている。もっとも、戦士に盗賊、魔法使いとバランスよく揃っているというのも理由なのだろうが)


 魔法使いの数が非常に少ない以上、冒険者でパーティを組んでもその中に魔法使いがいるということの方が少ない。

 盗賊も魔法使い程ではないが数が少なく、冒険者パーティの中には戦士4人だけというものも珍しくはなかった。

 もっともそのようなパーティの場合は、遠距離攻撃を行うという意味で弓術士を入れるのが普通なのだが。


「とにかく、深紅の一味でまだ勝ち上がっているのは雷神の斧の息子に、今の戦いで勝利したルズィ、それと深紅本人か。……まぁ、ルズィは次で負けるだろうがな」


 シュヴィンデル伯爵の言葉に、その場にいた他の貴族達も同様に頷く。

 ルズィの次の相手は、ベスティア帝国が誇るランクS冒険者のノイズだ。とてもではないが、あのルズィという男にどうこう出来る相手ではない。


「鎮魂の鐘もそろそろ動き出すという話ではあったが」

「え? そうなのですか?」


 先程鎮魂の鐘の不甲斐なさを口にした貴族が、シュヴィンデル伯爵の口から出た言葉に思わず問い掛ける。

 今まで何をしていたという憤りと、ようやく動き出すのかという安堵。それらが混ざった言葉に頷くシュヴィンデル伯爵。

 月光の弓という組織が動いていた影響もあるが、何よりもやはり情報を集めていたという意味も大きいのだろう。

 そういう意味では、闘技大会というのは格好の情報収集の場でもあった。


「ともあれ、我々の他にも色々と動いている者がいるようだが、奴の……深紅の首は必ず我等が獲る。皆もそのつもりでいてくれ」


 シュヴィンデル伯爵の言葉に、皆が頷く。

 その中にあるのは、軽い興奮と大きな畏怖。

 もしも自分達の行動で深紅の首を獲ることが出来れば、皇帝からも黙認されるだろう。何しろ、ベスティア帝国の障害となるべき相手を始末出来たのだから。寧ろ、報償を貰えるということも考えられる。

 だが、もし失敗したのなら……


(まず間違いなく私達は切り捨てられる。それこそ文字通りの意味で首を切られ、謝罪の証としてミレアーナ王国に渡される可能性すらある)


 ベスティア帝国には多数の貴族がいる。そんな中で、決して高位の貴族ではない自分達は幾らでも替えのいる存在なのだから。

 それが分かっているだけに、この場にいる貴族達は決意を新たに結束を強める。

 もう、自分達には深紅の首を獲るしか生き残る道はないのだと。


(こちらの動きをカバジード殿下に知られていたのが痛かったな。いや、それも痛し痒しといったところか。殿下にこちらのことを知られたおかげで、裏から援助をして貰うことが出来るようになったのだから)


 視界の先では、新しい試合が始まっている。

 そちらに視線を向けながらも、シュヴィンデル伯爵を始めとするこの場にいる貴族達はそれぞれに深紅に対してどう動くべきかという話を重ねていく。

 もっとも、基本的には鎮魂の鐘に任せるというのは変わっていない。

 だがその鎮魂の鐘の動きが一時期鈍っていたこともあり、貴族達の中にはどこまで信じていいのか迷い始めている者がいるのも事実だった。

 そもそもが裏の組織である以上、最初から完全に信頼するということは有り得なかったのだが、その傾向がより強くなっているのだろう。

 そんな仲間達の様子を眺めつつ、シュヴィンデル伯爵は深紅に対する憎悪を胸に隠し、ワインの入っているコップへと手を伸ばす。






「……行きます!」


 そんな声と共に、20代程の女が長剣を手に相手との距離を縮めていく。

 それを待ち受けるのは、自然体というしかない程に力を抜いて構えているノイズ。

 一瞬だけだがその視線は鋭く光り……何かを感じたと思った次の瞬間、気が付けば女の持っていた長剣は根元から切断され、首筋へと刃を突きつけられていた。


「え?」


 女の口から出るのは、その一言だけ。

 本当に何が起きたのか分からなかったのだ。

 長剣を握っていた手にも何の衝撃もないままに刀身の根元を切断されたのを思えば、それがどれだけ高度な技術を用いて行われたのかが分かるだろう。


「どうする? まだやるか?」


 本来であれば、首筋に剣の切っ先が突きつけれた状態で既に女の負けだっただろう。

 だが、ノイズは首筋に突きつけていた長剣を放して問い掛ける。


「……やります!」


 叫んだ女は、懐から短剣を取り出して構える。

 それを見て、ノイズの口元は微かに笑みの形を作る。

 自分を相手にして、あそこまで圧倒的な力を見せつけられておきながらも、まだ諦めないのだ。

 確かに力量の差は圧倒的に開いているが、それでも向かってくるその心の強さは、ノイズにとっても気持ちのいいものだった。

 特に一回戦で戦った相手は殆ど何も出来ないままに降伏したのを思えば、目の前の女に対して好意を覚えるのは当然だろう。


「そうか、来い」

「はああああっ!」


 鋭く叫び、連続して短剣を繰り出す女。

 長剣と違い、その刀身が短いだけに攻撃の速度も速い。

 本戦二回戦まで来ただけあり、その技量は確かなものだ。

 突き、斬りつけ、更にはそこに体術まで織り交ぜて蹴りや肘を放つ。

 ノイズはそれら全てを最小限の動きで回避し、あるいは弾く。


(中々に先が楽しみな女だ)


 内心でそんな風に感じるノイズとは逆に、女の顔には時間と共に焦りが現れていく。

 幾ら攻撃してもその全てを防がれ、あるいは回避されているのだ。更には、自分が攻撃を始めてから一歩も動かずに攻撃を捌いているのだ。


(不動、まさかここまでなんて……いえ、ランクSなんだから当然か。けどっ!)


 既に自分に勝ち目がないのは理解している。それでも……せめて一撃は入れて一泡吹かせてやりたい。そんな思いと共に短剣の一撃が回避された瞬間。柄の部分に魔力を通す。

 瞬間、短剣から刃の部分が吹き飛ぶかのように放たれる。

 もしもレイがこれを見ていれば、日本にいた時に漫画か何かで見たスペツナズ・ナイフという武器を連想しただろう。

 スペツナズ・ナイフは強力なバネの力によってその刃を発射するが、女の使っているのはマジックアイテム。魔力の力によってその刃を飛ばす。

 刃が飛ぶ以上、一度使えば飛んでいった刃の部分を回収するまでは武器として使えないという欠点も持つが、相手の意表を突くという点では非常に有効な武器だろう。

 更にバネ仕掛けではなく魔力によってコントロールされるマジックアイテムである以上、放たれた刀身の速度に関してもある程度の調整は利く。

 当然今回はノイズというランクS冒険者を相手にしている以上、手加減の類が出来る筈がない。魔力を最大限に使い、出せるだけの最速で刀身を飛ばす。


(やった!?)


 これで倒せなくても、傷くらいは付けられた筈。つまり一矢報いただろう。

 そう判断した女だったが……


「中々にいい攻撃だった」


 視線の先にいたのは、全くの無傷のノイズの姿。

 右手には相変わらず長剣を持っており、左手は顔の前へと……その人差し指と親指の間には飛ばした短剣の刀身。


「嘘……でしょ……」


 その光景を見て、女は思わず呟く。

 自らの魔力を使い、最大速で放った短剣の刀身。

 にも関わらず、ノイズはそれをたった二本の指で掴んだのだ。

 有り得なかった。……いや、この場合は信じたくなかったと表現するべきか。

 自らの切り札ですらも、あっさりと止められたその光景に女の顔は下を向き……


「諦めるなぁっ!」


 観客席の方から聞こえてくる声に我に返り、顔を上げる。

 それは聞き覚えのあった声だからだ。自分とパーティを組んでいる男であり、同時に今回の闘技大会が終わったら男の両親に結婚するという挨拶をしに行く予定の恋人。


(そう、ここで負けるのはしょうがない。けど……けど!)


 恋人の声を聞いただけで、女は自らの身の内から沸々と闘志が湧き上がってくるのを感じる。


「あっさりと諦める訳には……いかないのよ! お義父さんとお義母さんに胸を張って会う為にも!」


 そう叫び、女は地を蹴ってノイズとの距離を縮め、拳を放つ。

 そんな女の様子に苦笑を浮かべたノイズは、持っていた長剣を腰の鞘に収めて女の攻撃を弾き、いなし、回避する。

 その女を大声で応援する男だったが、近くにいた観客達がどこか嫉妬の籠もった視線を男に向けていたのは色々な意味でしょうがないのだろう。


「はあああああっ!」


 幾度となく拳を振るい、蹴りを放ち、膝を、肘を突く。

 そんな攻撃を防御に徹しながら対応していたノイズだったが……


「そろそろいいだろう、眠れ」


 その言葉と共に女の意識は途切れ、そのまま舞台の上へと崩れ落ちる。


『……』


 何が起きたのか分からない。そんな風に周囲には沈黙が満ちていた。

 それはそうだろう。今まで一方的に攻めていた女が、ふと気が付けば次の瞬間には舞台の上に崩れ落ちていたのだから。

 同じような光景は、以前にレイの試合でもあった。だがその時と違うのは、ある程度以上の強さを持っている者でもノイズが何をしたのか全く分からなかったことだろう。

 今舞台の上にいる男が、どれ程の実力を持っているのか。その正確な力量を知ることの出来る者は、この広い闘技場の中にも殆ど存在しなかった。


(首筋に手刀を一発、か。しかも随分と手加減をしての一撃だ。もしも首筋に一撃を与える直前に手刀の速度を緩めてなかったら、女の首が胴体と別れていただろうな)


 その中の一人でもあるレイが、闘技場の観客席からノイズのとった一連の行動を見て内心で呟く。

 通常の人間よりも優れたレイの五感をもってして理解出来た動き。

 だが、それはあくまでも自分が離れた場所から見ていたからこそ理解出来たのだ。

 もしも自分が舞台の上にいたとして、今のノイズの動きに対応出来たかと言われれば首を傾げざるを得ない。

 反応出来ないということはないだろう。だが、完全に反応できるかと言われれば、それもまた疑問。

 正直な感想としては、五分五分といったところか。


(ただ、それはいきなりあの速度を見せられれば……の話だ。既にこうして見た以上、対応してみせるさ)


 一度見た以上、自分なら必ず対応してみせる。そう判断して、レイはドラゴンローブの下で己の手を握る。

 今見た限りでは、純粋な身体能力でなら互角……あるいは自分の方が上だろう。だが、純粋に技量という意味ではまだノイズの方がかなり上なのは間違いない。

 ノイズと戦うまで、残り四戦。それでどこまで自らの技量を伸ばすことが出来るかが勝敗の分け目となるだろう。

 それでも確実とは言えない以上、より多くの戦闘経験……それも、出来れば実戦が必要だった。


(月光の弓とか言ったか? あいつらや、鎮魂の鐘を始めとした俺を狙っている組織の者を誘き寄せて戦闘経験を積む……というのに専念した方がマシ、か?)


 内心でそう考えると、すぐに首を振る。

 幾ら実戦が必要だといっても、それはある程度以上は相手の強さが必要となるのは事実だ。

 寧ろ強さという意味でそこまでではないような弱い相手との実戦を積んだとしても、それはプラスどころかマイナスにしかならない可能性が高い。


(ランクAとは言わないが、ランクBやC辺りの強さを持つ相手が襲ってくるのなら、こちらとしても歓迎なんだがな)


 もしも鎮魂の鐘や月光の弓を始めとした裏組織の者達が聞けば怒り狂うのは間違いないだろうことを考えつつ、ノイズというこの国の英雄の一人の戦いに歓声を送っている観客達に背を向け、その場を去るのだった。

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