第592話

「……あれが、帝都城」


 呟いたのはレイ。

 帝都にやって来た時にも驚いたのだが、それに輪を掛けて驚く。

 帝都の街並みを見た時には、その広大さと人の多さに驚いた。

 だが、今は違う。見るからに優美な城の外見が、レイに対して驚きを与えているのだ。

 そんなレイの横では、ダスカーやエルクもまた感嘆の声を上げており、馬車の中にはそんな声が響いている。

 そう、いつもはセトに乗って移動するレイだが、今回は城へと向かうという関係もあってセトは悠久の空亭の厩舎で留守番となっていた。

 レイにしても、城という場所にグリフォンであるセトを連れていけば色々と騒動になるのは予想出来たので、ダスカーの言葉にあっさりと頷いた。

 セト自身はレイと一緒に行きたかったようだが、ここ暫くの旅でずっとレイと一緒にいたこともあり、多少不満そうではあったが最終的には厩舎に残ることを受け入れる。

 そんな理由もあって、城へと向かっているのは馬車が1台に護衛の騎士が2人という形となっていた。


「さて。そろそろ城につくが、くれぐれも騒ぎを起こすなよ。特にレイ。確かにベスティア帝国の上層部の目を引きつけるのが目的でも、やり過ぎれば寧ろ逆効果になりかねない。ミレアーナ王国側としても、また来年の春に戦争を起こすような真似は勘弁して欲しいからな」


 優美な城から目を逸らし、ダスカーがレイへと告げる。

 レイにしても城という場所で自分から騒動を起こすつもりはなかった為、特に不満を漏らすでもなく頷く。


「はい、なるべく気をつけます。……ただ」


 そこで言葉を続けるのは、やはり自分がこの国の者達に憎まれている自覚があるからこそだろう。

 それを理解したダスカーも、レイに最後まで言わせずに頷く。


「ああ。身の危険を感じたら相応に対処しろ。手足の一本や二本は構わない。だが、絶対に殺すな。城で他国の……それも貴族ですらない冒険者に自分達の国の貴族が殺されたとなれば、ベスティア帝国側としても面子の問題で大人しく引き下がることが出来なくなる」

「分かりました、注意します」


 そんな風に頷いている間にも馬車は進み、やがて城の中へと案内される。

 その後馬車を城の者に預けると、早速とばかりにやってきたのは50代程の初老の男。

 ダスカー一行の案内役を務めるオンブレルだ。


「ラルクス辺境伯、申し訳ありませんが宰相が現在手が離せない為、少し待って欲しいとのことで……」

「構わない。急に押しかけたのはこちらだからな」


 ダスカーのその言葉に、オンブレルは微かに安堵の表情を浮かべて一礼する。


「ありがとうございます。では、早速ご案内させて頂きます」


 安堵の息を吐いたオンブレルが、そのままダスカー、エルク、ミン、ロドス、レイ、騎士2人を引き連れて城の中を移動する。

 その途中で殆ど貴族の姿を見かけなかったのは、帝国側の配慮なのだろう。

 本音としては、レイを怒らせて城の中で炎の竜巻を放たれたくないというのもあるのだろうが。


(それだけ春の戦争はベスティア帝国の連中の肝を冷やしたんだろうな)


 内心でそう考えるダスカーとは裏腹に、初めて城の中に入ったレイは興味深そうに周囲の様子を眺めていた。

 見るからに高価そうな絨毯が敷かれており、廊下の壁には絵画が飾られ、あるいは花の生けられた花瓶、騎士の鎧といった物が飾られている。

 周囲を見回しているレイだったが、やがてドラゴンローブの裾をロドスが引っ張って口を開く。


「おい、あまりみっともない真似をするな。そんなことをしてたら、お前を連れているダスカー様まで軽く見られるだろ」

「……お前は随分と慣れてるな」


 自分とは違い、ベスティア帝国の本当の意味で中心でもある城にやってきたというのに、いつも通りのロドスに小さく驚くレイ。

 だが、そんなレイに向かってロドスは肩を竦めて小さく溜息を吐く。


「そりゃそうだろ。さすがにベスティア帝国の城にやってきたのは初めてだけど、ミレアーナ王国の王都にある城なら何度か行ったことがあるからな」


 その言葉に一瞬驚くが、すぐにレイは納得する。


「なんだ、エルクのおまけか」

「ま、そんな感じだ。それでも父さんのおまけでもなんでも、城に行った経験があるってのは事実だしな」


 どこか挑発的な意味を込められたレイの一言だったが、ロドスは小さく肩を竦めて受け流す。

 そんなロドスに改めてレイが何かを言おうとした、その時。


「ん?」


 ふと、自分達が進む方向からこちらに向かってくる集団がいることに気が付いた。

 そちらへと視線を向けると、先頭を50代程の男が歩いており、その後ろを10人程が歩いている。

 貴族が家臣を引き連れているのであれば、当たり前の光景だろう。だが、レイ達の方へと向かってくるのは服装から全員が貴族であることが窺えた。

 いや、それだけであれば確かに珍しいという感想だけで終わっただろう。だが、レイの注意を引いたのはその集団の殆どが自分に対して憎悪の籠もった視線を向けてきていた為だ。


(何だ? 俺に対して恨みのある奴が集団で……顔でも見に来た、のか?)


 内心で考えつつも身体の力は抜いており、こちらに向かってきている貴族達が何か行動を起こそうとしてもすぐに反応できるように準備する。

 もっとも、それに気が付いたのはエルクとミン、そしてダスカーくらいだったが。

 そのまま徐々に距離が縮まっていき……やがてその手を伸ばせば届く距離まで近づき、だが結局は何も起きないまま貴族の集団とダスカー一行はすれ違う。

 勿論レイに向けてくる強い憎悪の視線が逸らされることは一切なかったが、それでも特に何か仕掛けてくるでもなく、あるいは言葉を発するでもないままに貴族の集団はダスカー一行から離れていった。


「何も無かったな」


 ポツリと呟かれたエルクの言葉に、オンブレル以外の全員が頷く。

 唯一の例外となったオンブレルは、申し訳なさそうにダスカーへ……より正確にはレイへと向かって頭を下げる。


「申し訳ありません、その……どうしても……」

「いや、分かっている。それを承知の上でベスティア帝国に来たんだし。あまり気にしないで欲しい」

「ありがとうございます」


 レイの言葉に、オンブレルは嬉しそうに小さな笑みを浮かべながら案内を再開する。


「……」


 そんなレイの態度に、何故か唖然とした様子で視線を向けてくるロドス。


「何だ?」


 訝しげに尋ねるレイに、ロドスは心底意外だったとばかりに驚きの表情を浮かべつつ口を開く。


「いや。てっきりお前のことだから、あの貴族達に喧嘩を売るんだとばかり思ってたんだよ」

「お前な……俺を一体何だと思ってるんだ? 場所を構わずに喧嘩を売るような真似をするように見えるのか?」

「……」


 無言のままにそっと目を逸らすロドス。

 その仕草を見れば、ロドスがレイに対してどのような想いを抱いていたのかというのは明らかだった。

 レイもそれを理解したのだろう。ジト目を向けつつ口を開く。


「よし、そんな考えなしの俺だ。朝の訓練をもう少し厳しくしても問題はないな」

「おいちょっと待て!」


 思わずといった様子で叫ぶが、レイは笑みすら浮かべて肩を竦める。


「何しろ、俺は考えなしな行動を取るらしいからな。訓練も同じように考えなしになってもしょうがないだろ?」

「いやいやいや。それとこれとは話が別だろ」


 言い募るロドス。

 今ですらもかなり厳しめの訓練なのだ。この状態で更に厳しい訓練になってしまったらどうなるか。

 下手をすれば、闘技大会前に自分の身体が限界を迎えるのでは?

 そんな思いを、背筋に走る冷たい感触と共に全力で無視したロドスは意図的に元気な声を出す。


「ダスカー様、早く待合部屋に向かいましょう。少し喉が渇いたので、何か飲みたいですね」

「いや、それはレイの言葉に緊張したからじゃないのか?」


 呆れたように呟いたダスカーだったが、確かにこのままここにいても時間の無駄でしかないと判断してオンブレルに視線を向ける。

 それだけで意図が伝わったのだろう。一連のやり取りを面白そうに眺めていたオンブレルがすぐに案内を再開した。

 そのまま暫く歩き、やがて目的の部屋に到着したのだろう。扉の前でオンブレルが深々と一礼する。


「ダスカー様、皆様も。この部屋でもう少々お待ち下さい。用意が出来たらすぐに連絡が来ることになっていますので。部屋の中にはメイドがいますから、何かありましたら言って下さい。……それと、先程は大変失礼致しました」


 改めて先の貴族達、シュヴィンデル伯爵とその一行の態度を謝罪するオンブレルに、ダスカーは問題ないと首を横に振る。


「お互いに戦争をしていたんだ。思うところがあるのは当然だろ。俺はあまり気にしていないし、レイにしても気にするような繊細な神経は持ち合わせていない。それに、そもそもお前の失態でもないんだからお前が謝る必要はないさ」

「……ありがとうございます」


 思わずダスカーの言葉に言葉を挟みそうになったレイだったが、オンブレルの態度を見てはそういう訳にもいかずに小さく溜息を吐いて不満を呑み込む。

 そのままオンブレルをその場に残したダスカー一行は、早速とばかりに部屋の中へと入るのだった。






「奴が……深紅、か」


 そんなレイ達とは少し離れた場所にある通路を歩きながら、シュヴィンデル伯爵は呟く。

 だが、その口調に宿っているのは怒り……は勿論だが、戸惑いの色も濃い。





 自分の娘の婚約者を殺した憎い仇。

 そんな相手だけにどんな顔をしているのかと思えば、かなり小柄で、整ってはいるがどちらかと言えば女顔と表現した方がいいような顔立ち。

 とてもではないが、話に聞いていたような力を持っている相手には思えなかった。

 一瞬そう考えたシュヴィンデル伯爵だったが、すぐに首を横に振る。

 脳裏を過ぎった馬鹿な考えを振り払うかのように。


(奴のせいでウィアは……あの娘は悲しみのあまり部屋に閉じ籠もってしまった。そう、奴のせいで!)


 愛娘の泣き喚く姿を思い出すと、再びシュヴィンデル伯爵の胸中には怒りが湧き上がってくる。

 それは周囲の貴族達も同様だったのだろう。

 レイの外見からとても噂されているような強大な戦闘力を持つとは思えなかったが、それでもレイが家族や友人、恋人を殺したのは事実であると。

 だがそんな風に考えた者とは違って、見た目故に上手くすれば自分達があの力を手に入れられるかもしれないと考える者もいた。


「しかし……正直、あのような子供が強力な力を持っているなど、危険極まりないですな。あのような力の持ち主は、我が帝国で管理してこそ有益かと。出来れば今回ベスティア帝国内にいる間に、どうにかしてこちらに引き込めれば……」

「ふざけるな! 深紅などという化け物を引き込めというのか!? それこそ、帝国が内部から食い千切られるぞ!」

「然り! 確かに奴の見かけは無害そうに見える。だが、奴がやったことを思い出せ!」

「だが、無意味に敵対すれば……それこそこちらの被害が大きくなるのでは?」

「臆病風に吹かれたのか!」


 そんな風に言い争いをしている中で、シュヴィンデル伯爵が口を開く。


「静まれ、そして場所を弁えろ。ここは城の中なのだぞ。迂闊に他の者達に聞かれたら、どうするつもりだ」


 決して大きな声でも、怒鳴っている訳でもない。

 だが、シュヴィンデル伯爵の声を聞いた者達はそれ以上は言葉に出さずに沈黙する。

 これだけを見ても、この貴族の中でシュヴィンデル伯爵がどれ程の存在感を持っているのか、そして何よりも有象無象と言ってもいい者達との貴族としての格の差というものを如実に現していた。


「私達が深紅やラルクス辺境伯に対して思うところがあるというのを、他の貴族に知られる訳にはいかんのだ。そうすれば、私達があの者共を狙っているのが知られるかもしれないのだから。……いいか、くれぐれも軽挙妄動は慎むように」

『……』


 シュヴィンデル伯爵の言葉に、異論がある者はいた。

 だが、それを口に出すことは出来ず、沈黙を守るしかない。

 現状でレイに対して思うところは多くあれど、それも全てこの場にいる他の仲間がいるからこそ。

 もし自分だけでやれと言われれば、絶対に無理だと断言せざるを得なかったのだから。


「……行くぞ。とにかく、私達の仇の顔はその目で確認出来た。なら、次にやるべきことは奴等の情報を少しでも集めることだ。鎮魂の鐘の評判を考えれば失敗する可能性は少ないだろうが、万が一に備えて準備はしておくべきだろう」


 そう、いざとなれば自らの騎士団すらも使って奴等を襲撃してみせる。

 そんな内心の思いは露わにせず、ただ決意だけを固めてシュヴィンデル伯爵は通路を進むのだった。

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