第591話

「……へぇ、ここが俺の部屋か」


 厩舎にセトを預け、宿の人間に案内された部屋を見てレイは呟く。


「その、どうでしょうか? こちらとしましても有名な深紅様に満足頂けるように用意したのですが」


 多少心配そうな表情を浮かべつつ、それを殆ど表に出さない状態で尋ねてくる宿の人間にレイは苦笑を浮かべる。

 悪い意味ではない。いや、寧ろ自分には大袈裟過ぎるのではないかという思いを込めての苦笑だ。

 部屋の広さとしては、レイがギルムで定宿にしている夕暮れの小麦亭の3倍近くあるだろう。

 どう考えても1人で使うような部屋ではなく、数人で使う部屋だ。

 部屋の内装に関しても、ベッドやソファの他に机の類があり、他にも明かりや冷蔵庫のようなマジックアイテムに関しても充実している。

 そのどれもが一目見て分かる程の高級品であり、レイにしても驚かざるをえない。

 夕暮れの小麦亭や黄金の風亭といった高級な宿と比べても、更にワンランク、あるいはツーランクは上だろう部屋。

 しかも、この部屋はあくまでもレイの為に用意された部屋であり、ダスカーの泊まっている部屋は当然ここよりも設備の整っている部屋だ。


「満足出来るかどうかと言われれば満足出来るけど、俺がこんなに立派な部屋を使ってもいいのか?」

「はい、国の方からも直々に言われていますので」

「……国、ね」


 国という言葉を聞き、驚くレイ。

 色々な意味で要注意人物である自分に対してここまで気を利かせるということは、何らかの意味があるのだろうと。


(無難に考えれば、自分達に勝利した俺を称えることで器の大きさを見せつけている……といったところか。俺を暗殺するなりなんなりする為に、敢えて他の連中とは隔離するという考えもあるが)


 何通りかの考えが脳裏を過ぎるが、既にここが自分の部屋として決まっているのだから何を言っても無駄だろうと判断し、宿の人間に向かって小さく頷く。


「ああ、問題ない。これ程の部屋を用意してくれて感謝するよ。……ああ、そうそう。厩舎に入ったセト、俺のグリフォンが腹を減らしているようだったから、何か食べるものを用意してやってくれ」

「承りました。では、他に何かご用がありましたらお呼び下さい」


 小さく笑みを浮かべ、優雅に一礼して男は去って行く。

 それを見送ったレイは、一応念の為とばかりに部屋の中を調べていく。

 だが、幸いなことに覗き穴の類や、あるいは誰かが潜むためのような空間を確認することはなかった。

 もっとも、その手のことに詳しい訳でもないので、完全に安全だとは言い切れなかったのだが。


「……取りあえずはちょっと休むか」


 呟き、ドラゴンローブやスレイプニルの靴といったマジックアイテムを脱ぎ、ベッドの上に倒れ込むようにして横になる。

 高級品のベッドだけあり、レイの決して重いとは言えない体重をふんわりと受け止め、そのままゆっくりと沈み込むようにその身体を支える。

 温度を調整するエアコンのようなマジックアイテムが宿全体に使用されているのだろう。ドラゴンローブを脱いでいるにも関わらず、暑さの類は全く感じない。

 同時に、エアコンが強すぎた時に感じるような寒さの類も存在しない。

 この辺はベスティア帝国の帝都にあって、最高級の宿だからこそだろう。


(あー……取りあえず2時間くらいは休んでいてもいいって言われてたから……少し……休むか)


 ベッドの上で寝転がりながら内心で考え、やがて襲い来る睡魔に抗うこともなく、その身を委ねるのだった。






 ベスティア帝国、帝都。その中心部にある巨大な城、帝国城。

 このエルジィンの中でも屈指の大国でもあるベスティア帝国を統べる皇帝の住まう場所である。

 豪華にして絢爛。見る者の心を奪うような精緻な飾りが幾つも存在しており、中に入ることは出来ずとも外から見るだけで一見の価値があると言われている城だ。

 それでいながら、決して芸術品の如く美しいだけでもない。いざ帝都が戦場になった時には戦力の中心となるべく設計されており、難攻不落の城としても有名でもある。

 そんな城の中の一室、そこで10人程の貴族が集まっていた。


「あの忌々しい奴等が到着したとか?」

「ええ。今頃は悠久の空亭で休んでいると思いますよ」


 30代後半程の貴族の言葉に、それを聞いていた他の貴族達が憎々しげな表情を浮かべる。

 この場にいる貴族は、最も位の高い者でも伯爵でしかない。

 更に伯爵は伯爵でも、決して裕福な家ではないので、悠久の空亭のような宿には滅多に泊まることが出来ない。

 自分達ですら泊まれないような高級な宿に、何故あのような者達が……それがこの場に集まっている貴族達の正直な気持ちだった。


「……深紅とかいう奴が息をしていると考えるだけで腸が煮えくりかえる。鎮魂の鐘はどうなっている?」

「それが、一度仕掛けた後は全く動きが……」


 溜息を吐きながら呟く貴族に、その場に集まってきた貴族達はざわめく。


「くそっ、あれだけ高い金を取っておきながら結局この様か!」

「だから言ったのだ! 幾ら腕利きと評判ではあっても、所詮下賤の者だと!」

「だが、卿とて鎮魂の鐘を雇うことに賛成したではないか!」

「それは私を侮辱しているのか!」

「卿こそ! やる気ならば受けて立つぞ!」


 それぞれが不満を口にし、それを相手に非があるとして叫び、言われた方も売られた喧嘩ならばと腰の鞘へと手を伸ばす。

 だが……


「静まれ! 今我々が仲間内で争ってどうする!」


 今にも貴族の1人が鞘から剣を抜こうとした瞬間、部屋の中に怒声が響く。

 周囲で騒いでいるだけの者と比べて圧倒的に違う格。

 この場にいる中で主導的な立場にいるその男の怒声に、頭に血が上っていた貴族達は静まりかえる。


「ふぅ、いいか。鎮魂の鐘の得意とするのは裏の仕事。それを思えば、大量の観光客や商人といった者達が集まってきている帝都の中でことを起こすのが最も確実だ。そもそも、一度仕掛けたのはあくまでも様子見だったのだろう? ならあまり細かいことを心配しすぎるな」

「ですが、シュヴィンデル伯爵……我々としては、家族の仇、友人の仇として奴を……深紅とラルクス辺境伯が息をしているのを許すことが出来ません!」


 貴族の言葉に、シュヴィンデル伯爵と呼ばれた50代程の男は、顎に生えている髭を撫でつつ頷く。


「それは当然儂もだ。本来であれば、あの戦争が終わった後でペリステラは我がシュヴィンデル伯爵家に婿としてくる予定だったのだ。それを思えば、儂とて奴等がのうのうと……それもこの帝都で息をしているというのは、許せるものではない。だが血気に逸って、無理に鎮魂の鐘に襲撃させ……その結果、奴等を仕留められなかったらどうするつもりだ? それこそ意味がない」

「それは……」


 シュヴィンデル伯爵の言葉に、周囲の貴族達は黙り込む。

 深紅とラルクス辺境伯が生きているということに怒りはするが、その怒りのままに暴走してもしくじるだけだというのは明らかだったからだ。

 それならば自分達の手で……そう思った者も何人かいたが、そもそもラルクス辺境伯自身が騎士の出ということもあってかなりの戦闘力を持つ。

 深紅に至っては言うに及ばずだろう。

 どれ程の力を持っているのかは、それこそこの場にいる貴族達の身内が命を散らした原因である以上は明らかだったのだから。


「とにかく、今は好機を待て。無理に急いでも、しくじれば向こうに対して警戒心を抱かせるだけだし、無用にこちらの戦力を失うだけだ」


 シュヴィンデル伯爵が言い聞かせるように告げ、ようやくその場の不満が収まっていく。

 この場にいる貴族はその殆どが爵位の低い貴族であり、同時に際だった能力がある訳でもない。

 もっとも、だからこそ身内に戦争で手柄を挙げさせるべくセレムース平原に送り出し、結果的にこの場にいる者達の身内は全員が死亡したのだが。

 そのような理由もあり、ここにいる貴族達の中でシュヴィンデル伯爵は要と言ってもいい存在だった。それこそ、シュヴィンデル伯爵がいなければこの集まりは瓦解していただろう程に。

 そんな頼りない相手ではあるが、シュヴィンデル伯爵との気持ちを共有出来る相手というのはそれ程多くない。

 いや、勿論深紅やラルクス辺境伯、そしてミレアーナ王国に対して大きな敵意を抱いている者は多数いるのだが、それでもあれ程の戦果を上げた深紅、その雇い主のラルクス辺境伯に対して明確に敵対しようという者は恐ろしく少なかった。

 深紅自身を恐れているというのもあるが、同時にベスティア帝国の上層部が直々に闘技大会に招待したという話も広まっていたからだ。

 毎年恒例であれば誰か代理の者を寄越す筈が、何故か今年に限ってダスカー・ラルクス本人が帝都まで出向くという。

 その異常ともいえる事態に、春の戦争を思い起こさない筈もなく……帝国の上層部からは、くれぐれも手を出すような真似をしないようにと指示されている。

 つまり、このような会議をしているのが知られた時点で罰せられるのは確実だった。

 だが、ベスティア帝国の中でもそれなりに高い権力を持つシュヴィンデル伯爵がいるからこそ、城の中でこのような話し合いを行うことができているのだ。

 そのシュヴィンデル伯爵は、周囲を見回しながら憂鬱そうな表情を浮かべて口を開く。

 今から自分が話す内容を聞けば、恐らく目の前にいる者達は少なからずいきり立つだろうと。


「実は、2時間程後にラルクス辺境伯が城にやってくるらしい」

『なっ!?』


 自分達の仇が目の届く範囲に来る。

 その言葉に貴族の何人かが苛立ちのままに叫ぼうとするが、それを制するようにシュヴィンデル伯爵が口を開く。


「いいか。ここで手を出すことは絶対に許さん!」

「何故ですか! これは千載一遇の好機! ここで奴に我等の恨みを……」

「無駄だ。報告を忘れたのか? 奴等には深紅の他に雷神の斧もついている。そんな異名持ち2人をどうにか出来るだけの手駒があるか? 無いからこそ、鎮魂の鐘などという組織に頼ることになったのだろう?」

「そ、それは……」


 シュヴィンデル伯爵の口から出た言葉に、他の貴族達は言葉に詰まった。

 有能な手駒が手元に無いのは事実だ。

 いや、別に無能な部下しかいない訳ではない。それなりに高い戦闘力を持っている騎士もいるし、あるいは領地を治める才能を持っている部下もいる。

 だが、やはりこの場合は相手が悪かった。

 一人でベスティア帝国軍を壊滅させたとも言われる力の持ち主をどうにか出来るだけの力を持った部下がいるのなら、そもそももっと上の爵位を得ていた筈なのだから。


「……直にその目で奴等を見るな、とは言わん。儂とて実際にこの目で確認するつもりだしな。だが、いいか。決して城では手を出すな。それが出来ぬ奴は、私達の仇敵をその目で確認せずにこの場に残るか、さっさと屋敷に戻れ。とにかく今は力を溜め込むことだ。機会があったら、間違いなく奴を殺せるだけの力をな」


 シュヴィンデル伯爵の言葉に、その場にいた貴族達は皆が静まり返る。

 だが、決してその場から立ち去るような者は存在しなかった。






「えっと……俺も行く必要があるんですか?」


 与えられた自由時間の全てを睡眠で費やしたレイが騎士に起こされ、ダスカーの部屋に呼ばれた理由を聞かされたことに対する第一声がそれだった。


「そうだ。そもそも、お前は表向き俺の護衛ということになってるんだから、当然エルク達と共に城までついてきて貰う必要がある」


 当然だとでも言いたげに頷くダスカーの言葉に、レイは思わず溜息を吐く。

 そもそも堅苦しいことが苦手なレイだ。当然帝国貴族とダスカーの、お互いの腹を探るようなやり取りを見ていても面白いとは思えないし、何より……


「城となると、当然この国の貴族が大勢いるんですよね? そんな場所に俺が向かえば、間違いなく厄介な騒動に巻き込まれると思いますが?」

「だろうな。だが、帝国上層部の注目を引くという意味では寧ろ歓迎だし、何よりも闘技大会に飛び入りで参加するのなら顔を出した方がいい」

「となると、ロドスも?」


 ダスカーの言葉に、チラリと部屋の中にいるロドスに視線を向けるレイ。

 今回の闘技大会には、自分だけではなくロドスも出場するということになっていた為だ。

 闘技大会に向けて行われている早朝の訓練は、今でも変わらずに行われている。


「そうだ。城に向かうのは、俺と雷神の斧、レイ、それと騎士が数人ってところか」


 既に決定事項であり、覆ることはない。そう告げるダスカーの言葉に、レイは内心の溜息を押し殺しながら頷く。


(ヴィヘラやテオレーム達と敵対する相手っていうのを見てみるのも一興かもしれないしな)


 そんな風に考えつつ。

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