第587話
後ろからレイに掛けられた、居丈高な声。
そちらを振り向くと、そこにいたのはレイの予想通りに緑と青で塗られた鎧を着ている男だった。
それもただの男ではなく、馬車の御者から金を強請っていたリーダー格の男だ。
「……俺に何か用か?」
セトが気を利かせたのか、後ろにいる男の方へと振り向く。
そんなセトの顔を間近で見た為だろう。男の顔が一瞬強張るも、特に何もされないというので安心したのか、口元に笑みを浮かべてレイへと視線を向けてくる。
下卑た笑み。それ以外に表現のしようがない笑みを浮かべた男は、腰の鞘から長剣を抜き放ってその剣先をレイへと突きつける。
「グリフォンを従えているような奴なんぞ聞いたこともない。いや、ミレアーナ王国にいる深紅とかいう冒険者が従えているらしいが、そいつはかなりの巨漢だって話だしな。……お前、もしかして深紅の弟子か何かか?」
男の言葉に、レイはベスティア帝国では一体自分についてどんな噂が流れているのかと思わず頭を抱えたくなった。
そんな噂が流れている以上、自分が深紅だと言ってもまず信じないだろう。
あるいはダスカーの下まで連れていけば話は別かもしれないが、そうなればそうなったで色々と騒動が起きる可能性がある。
そして何より、ダスカーから目立てと言われている以上、レイにはその選択肢は存在しなかった。
「別に俺は深紅の弟子って訳じゃない。それよりも、何だってこんな風に道を塞いでいるんだ? それも、通行人から金を巻き上げるような真似をして」
そんなレイの言葉に、男の頬がヒクリと神経質そうに動く。
だが、ドラゴンローブのフードを下ろしている為か、今のレイは子供にしか見えない。
そんな相手に怒るのも大人げないと思ったのか、男は大袈裟な程に両手を大きく広げ、芝居がかった口調で話し始める。
「いいか、この街道の安全は俺達が守っているようなものだ。つまり、そこを通る者達は俺達に対して恩義がある。その恩義をちょっとした形で示して貰っているだけだ」
「……ほう」
色々と突っ込みたかったレイだったが、取りあえず話を最後まで聞いてみるべきだと判断し、先を促す。
「ふむ、分かって貰えたようで嬉しいな。さて、そういうことで当然お前からも恩義を示して貰わなければいけない訳だが……そうだな、お前の乗っているグリフォン。それとそのお前が履いている靴も色々と調べた方がよさそうだな。後は金があればそれを置いていけ。……そのマントをちょっと脱いでみろ」
レイが言い返さなかったのが、自分に逆らうことが出来ない為だろうと判断した男の言葉だったが、それは寧ろ自らの死刑執行書にサインをしたも同様のことだった。
「寝言は寝てから言え、盗賊風情が。いや、お前の場合は寝言を言っても無駄にうるさそうだから、寝言も言わないで黙れ。目と鼻と口の全てを塞いで地面に埋まってろ」
「……」
レイの口から出た言葉に、一瞬自分が何を言われたのか理解出来ないといった表情を浮かべる男。
だが、周囲で話を聞いていた者達が思わず吹き出すように笑うと、ようやく自分が笑われていると気が付いたのか、怒りで顔を真っ赤にしながら手に持っていた長剣を振り上げ……そのままレイ目掛けて振り下ろす。
周囲で様子を窺っていた何人かの口から上がる悲鳴。
男としては出来ればレイの頭部を叩き割りたかったのだろうが、残念ながら今のレイはセトに跨がっている。結果的に男が狙ったのはそのセトに跨がっていたレイの足であり、怒りのままに足を切断せんとの思いが込められた一撃だったのだが……
「くだらない」
瞬時にミスティリングから取り出したデスサイズの柄で、男の剣の一撃を受け止める。
ギャリィッという、金属が擦れる音。
男の一撃を受け止めたレイが、そのまま石突きの部分へと刀身を受け流した為に響いた音だ。
そして石突きの近くまで長剣の刀身が移動したところで手首を捻る。
「ぎゃっ!」
ゴキュッという聞き苦しい音と共に、男の口から吐き出される悲鳴。
本来であれば、石突きの部分で刀身を絡め取られた長剣が空中へと放り投げられる筈だった。
だが、男が剣の柄から手を離さなかった……否、離せなかった為に、手首の骨が砕けたのだ。
剣の腕が多少ある程度なら、刀身が絡め取られた時点で手を離していただろう。
しかし不幸なことに、今レイの目の前で砕かれた手首を押さえて踞っている男はそれなりの腕を持っていた。
そう。刀身が絡め取られた瞬間に、このままでは自分の武器が奪われると判断出来るくらいには。
その結果、周囲から向けられる視線を恐れたのか、はたまたレイの前で武器を手放すという危険を冒したくなかったのか。あるいは単純に意地の問題だったのかもしれないが、とにかく男は長剣を空中に巻き上げて飛ばされるのを防ぐべく手首を固定した。
レイ自身の膂力やデスサイズの重量。そのどちらもが外見相応であったのなら、男の目論見は成功していただろう。
弾き飛ばそうとした武器を手に持ったまま『今、何かしたのか?』とでも言えたかもしれない。
だが、そのどちらでもなかった結果……男の手首は折れるというよりも、砕けると表現した方がいいような状態になっていた。
「ぐぅっ……き、貴様、俺にこんなことをしてただで済むと思っているのか!」
手首を砕くという怪我をしておきながらも、苦痛の言葉は最初の呻き声だけ。それが、目の前にいる男が並の騎士や戦士よりも高い戦闘力を持っていることの証となっていた。
(戦闘力と人間性が別だってのは理解してるつもりだが)
内心で小さく溜息を吐いたレイは、持っていたデスサイズを軽く振り回してその切っ先を男の方へと向ける。
「一応聞いておこうか。お前が通行人から金を巻き上げているのは、お前の独断か? それとも誰かの指示か?」
「う、うるさい! 俺の言葉を聞いていなかったのか! 俺にこんなことをして、ただで済むと思うなよ!」
「お前の後ろに誰かがいるのは分かった。ただ、この件はその後ろ盾が承知の上での行動なのかどうかと聞いてるんだが? ああ、言っておくが俺は別にベスティア帝国の人間じゃないから、後ろ盾がどうとか言っても効果は薄いぞ」
威勢良く叫び、レイを睨んでいた男の動きがピクリと止まる。
それを見ていたレイだったが、やがてチラリと視線を男の部下達……険悪な表情でレイを睨み付けており、今にも手に持った剣や槍で襲い掛かってもおかしくない相手へと視線を向けて口を開く。
「そして、俺に対して攻撃してくる以上、当然自分が同じような攻撃をされても構わないと判断出来る奴だけ掛かってこい。自分が攻撃するんだ。当然攻撃される覚悟もあるんだろう?」
その言葉に、男の部下達は一瞬前まで感じていた怒りが瞬時に霧散し、背中に氷を入れられたかのように冷たいものを感じて攻撃を躊躇する。
今まで自分達を相手にしてここまで言った相手はいなかったし、何よりもレイの目は人間を見る目ではなく、その辺に転がっている石や雑草でも見るような目で自分達を見ていたのだ。
普通であればそんな視線を向けられれば怒り狂って当然だろう。ある程度の実力があり、それ以上にプライドが高い男達なのだから。
だが、自分達の中でも最も腕の立つ隊長を文字通りの意味で軽くあしらったその実力を見れば、自分達が襲い掛かった場合、その口から出た言葉通りに斬り捨てられるのではないか。
そんな風に思った、その時。男達の中の一人が、改めてレイの持っている武器へと視線を向ける。
長さ2mを超える巨大な鎌。それを見て、男は次にレイが跨がっているグリフォンへと注意を移す。
そのまま数秒。やがて男は足を振るわせ手に持っていた剣を地面へと落とす。
カチカチと鳴るのは、身体が震えている為に歯が鳴らす音か。
その様子を一瞥し、既に興味はないとばかりに再び手首を押さえて踞っている男の方へと視線を向けた、その瞬間。
歯を鳴らしていた男のすぐ隣にいた、20代前半の男が唐突に大声を上げながら飛び出す。
「うわあああああああああっ!」
雄叫び……いや、それは寧ろ破れかぶれの悲鳴とすら言えただろう。
自らの恐怖を叫び声で打ち消しながら、男はセトに乗ったまま自分達の隊長を見下ろしていたレイに向かって槍を突き出す。
ヒュッという風切り音を立てて突き出されたその槍は、この男が決して能力が無い無能ではなかったことの証なのだろう。
だがそれでも……そこまでしても、男が放った槍の穂先はレイの持っていたデスサイズによってあっさりと弾かれる。
「ぐぅっ!」
レイが後ろも見ず、突き出された槍の風切り音だけを頼りにして振るったデスサイズの一撃は、男にとっては致命的なまでの重さと威力を持っていた。
持ち堪える。そんな考えすらも頭に浮かびようがない程の、圧倒的な一撃。
次の瞬間、気が付いた時には既に男の手の中にあった槍は10m程の距離を飛ばされて柄の部分で大きく曲がり、先端が地面に突き刺さっていた。
槍の穂先だけではなく、柄の部分まで地面へと突き刺さっているその一撃は、レイの振るったデスサイズの一撃がどれ程のものだったかを証明しており……
「ごふっ!」
その槍へと目を向けた一瞬の隙を縫うかのように放たれた、セトの後ろ足。
男にとってせめてもの救いは、グリフォンであるが故にセトの下半身は獅子のものだったということだろう。
もしもこれが前足のように鷲の足であれば、その場で命を落としていたのは間違いない。
もっとも獅子の足だからといって安全な訳ではなく、吹き飛んだ男の肋骨は鎧を身につけていたにも関わらず、ほぼ全てがへし折られ……否、粉砕されていた。
その衝撃で内臓も傷ついているのだろう。気絶したままではあるが咳き込み、その口からは血が流れでる。
「……き、貴様ぁっ! 自分が何をしているのか分かっているのか! 我等は第2皇子の庇護を受けし者だぞ!」
思わずといった様子で叫ぶ隊長の声に、周囲で様子を窺っていた者達がざわめく。
第2皇子。その名が持つ重みは、このベスティア帝国では重く、大きい。
……そう。あくまでもベスティア帝国内では、だ。
「それがどうした? そもそも、お前達が意味も無く検問をして通行人から金を巻き上げていたのが悪いんだろう? 大体……お前の後ろに第2皇子がいるというのが、そもそも嘘くさいしな」
どこか呆れた様な表情で隊長へと視線を向けるレイ。
何の罪もない民衆から搾取していた人物が自分の配下となれば、第2皇子の立場は色々な意味で悪くなる。しかも戦勝国であるミレアーナ王国から招待されてやって来たラルクス辺境伯の護衛であるレイにも因縁を付け、金どころか身につけているマジックアイテムやセトを奪おうとしたのだ。
これが明らかになれば、まず間違いなく第2皇子の大きな失点となる。いや、寧ろそれだけで済めば幸運であり、国際問題にすら発展するのは間違いない。
(そう。こいつ等が本当に第2皇子の手の者だったりしたら……だがな)
内心で呟き、隊長が妙な真似をしないようにじっと眺める。
ここまで大々的にやっていた以上、間違いなく何らかの後ろ盾があるのは事実。だがその後ろ盾が第2皇子であるかどうかと言われれば、怪しいとしか言いようがない。
第2皇子の責任問題に発展させる為にやっていると言われた方が納得出来るだろう。
(だとすれば、本当の意味でこいつの後ろにいるのは他の人物。皇位継承権を持っている人物か、はたまた単純に第2皇子に対して恨みを持っている人物か。前者ならともかく、後者なら俺が特定するのはまず無理だな)
皇位継承権を持っていて第2皇子を疎ましく思っているのは、第1皇子と第1皇女。勿論ベスティア帝国程の国である以上、皇位継承権を持っているのは他にも大勢いるのだろうが、レイの知っている限り……ヴィヘラやテオレームに聞かされた情報によるとその2人が最有力候補だった。
「ともあれ、俺はベスティア帝国から招待されてここにやって来た。それに対して強請りのような真似をしたんだから、後々国からどう処分されるのかを楽しみにしておくんだな」
「ふ、ふざけるな!」
手首を押さえたままで大声を上げる隊長に、レイはやがて小さく溜息を吐いてから口を開く。
「深紅」
「……何?」
「お前が言っていた深紅。その特徴を言ってみろ」
「そ、それは……グリフォンに乗って、身の丈を超える大鎌を……」
そこまで口にして、ようやくレイが持っているデスサイズへと視線を向ける。
ようやく気が付いたのだろう。自分の目の前にいるのが先程から口にしていた人物なのだと。
「ば……馬鹿な、深紅というのは俺よりも背が大きいって話だったぞ!」
「誰から聞いたのかは知らないが、実際に自分の目の前にあるのが事実だ。……さて」
呟き、セトの背に乗ったままデスサイズを大きく振るい、隊長の首筋へとその刃をピタリとつける。
「お前には、色々と喋って貰う必要があるな」
口元に笑みを浮かべ、レイが呟いたその時。
「そこまでにして貰えないだろうか」
そんな声が掛けられるのだった。
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