第575話

 ベスティア帝国の街道を、帝都へと向かって進むダスカー一行。

 夏の日差しも大分和らいできており、本格的に秋へと移り変わりつつある中で、ふとレイが呟く。


「誰か来るな」


 視線の先にある街から、自分達の方へと向かってやってくる数騎の騎兵に気が付いたレイの声に、周囲の護衛騎士達がピクリと反応する。

 街の姿は見えているが、それでもまだかなり遠くにある為か、誰かが近づいてきているのに気が付いているのはレイとセトのみであったが、その五感の鋭さを疑うような者は既にこの場にはいない。

 レイの近くにいた護衛騎士が短く尋ねる。


「敵か?」


 だが、その言葉にレイは首を傾げ……やがて首を横に振る。


「いや、多分違うと思う。こっちに危害を加えようとしているのなら、あそこまで堂々とやっては来ないだろ。恐らく向こうから出してきた護衛の類だと思うが」

「それは……また、珍しいな」


 敵かと尋ねた騎士も、レイのその言葉に驚きの声を上げる。

 ベスティア帝国領内に入って既に10日以上経つが、これまで通ってきた領地の領主はダスカー一行が領内を通ることは許可したものの、護衛を出すようなことは一切なかった。

 勿論中には挨拶に出向いた時に護衛を派遣するかと言ってきた領主や代官もいたのだが、ダスカー本人がそれを断ってきたのだ。

 理由としては、好き好んで獅子身中の虫を迎え入れるつもりがなかったというのが大きい。

 自分達がベスティア帝国の貴族や住民に対してどのように思われているのか、理解しているからこその行動だったのだが……


「確かここの領主にも、既に先触れは出してその辺を伝えている筈だよな?」

「ああ。それを知った上で護衛を出してきたのだとすれば……厄介な相手かもしれないな」

「あるいは、あの街の代官が勝手に判断してってこともあるんじゃないか?」


 近くにいた別の騎士の言葉に、確かにそれもあるかと頷くレイ。

 幾ら3大勢力の中で最も勢力が小さくても、ダスカーがミレアーナ王国を代表する貴族の1人であるというのに代わりはない。

 だとすれば、上からの制止を無視して何らかの利益を得るために独自の判断で行動する。そのような者がいたとしてもおかしくはないだろう。


「ま、向こうの思惑がどうあれ、直接話を聞いてみればすぐに分かるだろうさ」


 そうレイが呟いた頃には、騎士達にも街道を自分達の方へと向かってきている馬に乗った5人の騎士の姿が判別出来るくらいにはなっていた。






「ミレアーナ王国のラルクス辺境伯の御一行とお見受けするが……相違ありませんか?」


 5人の中でも先頭に立っていた40代程の騎士の言葉に、護衛騎士の1人が頷いて口を開く。


「そうだ。そちらは?」


 あっさりとラルクス辺境伯の一行であると認めたのが意外だったのか、小さく驚きつつも中年の騎士は安堵の息を吐く。


「私はこの先にあるタナロという街の騎士をやっているドワルーブというものです。ラルクス辺境伯をお迎えする為、足を運ばせて貰いました」

「それは助かる。しかし、基本的に護衛の類はいらない。この地の領主にもそう告げてある筈だが?」


 咎めるというよりは、確認する意思を込めて尋ねた騎士の言葉。

 それを受けたドワルーブは、承知しているとばかりに頷く。


「それは承知しています。ですが、現在タナロでは些か困った事態になっていまして」


 そう告げるドワルーブの表情は特に何かを隠している様子もなく、心の底から困っているというのを現しているように思えた。

 だが、ドワルーブがそれ程に難しい顔をするというのに、護衛の騎士は嫌な予感を覚えつつも口を開く。


「それで、困った事態というのは?」

「はい、それが……言いにくいのですが、どこからともなく怪しげな者達が集まってきているようでして」

「……怪しげな?」


 そのような人物がいるのなら捕らえればいいのではないか。そう言外に尋ねる騎士だったが、ドワルーブは申し訳なさそうに首を横に振る。


「当然何か妙なことを企んでいるかもしれないので、こちらでも調べています。ですがどうしても尻尾を出さず、更にはこの件の首謀者と思われる者も見つけることが出来ず……我が身の不甲斐なさが身にしみます」

「……なるほど。どう思う?」


 チラリ、と自分の話を聞いていた他の騎士や、そしてセトの背に跨がっているレイに尋ねる騎士。


「普通に考えれば、俺達がベスティア帝国領内に入ったのが我慢出来ない不穏分子達が何かを企んでいるとか。あるいは……」


 その場にいる騎士達の視線がレイへと集まる。

 視線の主は、ドワルーブやその背後に控えている4人の騎士も含まれていた。

 春の戦争には参加していないドワルーブだが、それでも戦争における勝敗の行く末を決定づけた人物に関する情報を得るのは難しくはない。

 そしてグリフォンに乗っていて、ラルクス辺境伯と共に行動をしている。

 そこまでの符号が合えば、視線の先にいる人物が深紅の異名を持つ人物であると考えない方が不自然だ。


「目的は俺、か」


 周囲からの視線を向けられ、小さく肩を竦めつつ呟くレイの言葉にドワルーブは申し訳なさそうに頷く。


「はい。こちらとしてもそのどちらかだと考えています」

「……となると、このまま街に向かうのは危険か。どうする?」


 むざむざと敵が待ち構えているだろう街の中で夜を明かすというのは間抜けすぎる。そんな思いで尋ねたレイの言葉に、騎士が苦笑する。

 言いたいことは分かるが、もう少し言葉を濁せとばかりに。


「ちょっと待っててくれ。ダスカー様に聞いてくる」


 そう短く告げ、ダスカーとエルク達が乗っている馬車へと向かっていく騎士。

 その後ろ姿を見送っていたレイが視線を戻すと、そこには興味深い表情を浮かべつつレイに……より正確にはレイが跨がっているセトを見つめているドワルーブの姿があった。

 ドワルーブの部下は、自分達の隊長に向かってまた始まったとばかりに苦笑を浮かべている。


「グルゥ?」


 自分を見ているドワルーブの視線に、好奇心の類はあれども敵意はないと判断したのだろう。セトはどうしたの? とばかりに小さく首を傾げて喉を鳴らす。


「……」


 だが、そんなセトの様子に気が付いた風もなく、ドワルーブはただじっとセトへと視線を向けていた。

 そんなドワルーブを怪しげな相手でも見るかのように眺めていたレイだったが、セトが居心地悪そうにしているのに気が付き口を開く。


「あまり見つめないでやってくれないか。セトが居心地悪そうにしているからな」

「……っ!? こ、これは失礼しました。生まれて初めてグリフォンを見れたので、つい……」


 壮年の男と表現してもいいような40代の男が、照れで薄らと顔を赤くしている様子は、レイにしても色々と言葉にしがたいものがあった。


「お前はセトを怖がらないんだな」

「ええ。従魔となっている以上、その主が意図的に人を襲わせようとしない限りは問題ないでしょう?」

「まぁ、確かに」


 正確に言えば従魔ではなく魔獣術なのだが、レイとセトの結びつきは従魔のものよりも余程硬い。

 それを理解しているからこそ、微かに得意げな表情を浮かべたレイはドワルーブの言葉に頷きを返す。


「実は私、小さい頃はモンスターの研究をする仕事に就きたかったのですよ」

「……へぇ」


 レイの目から見て、ドワルーブはかなり鍛えられた肉体をしており、騎士としての能力にも不足はないように思えた。

 いや、背後の騎士を率いている立場にいるのだから、寧ろ十分以上にそちらの才能はあったのだろう。


(やりたいことと、やれることが一緒になってなかったのか。本人にとっては不幸だと言ってもいいかもしれないな)


 そんな風に内心で呟くレイに、ドワルーブは小さく笑みを浮かべてセトに視線を向ける。

 そのまま数分。やがてダスカーの乗っていた馬車から先程の騎士が戻ってきた。

 だが、騎士の顔に浮かんでいるのは苦笑。

 レイはその表情を見ただけで、今回どのような選択が成されたのかを理解出来た。……出来てしまった。


「ドワルーブ殿、それにレイ。ダスカー様に街の件について知らせてきたが、特に予定に変更はないそうだ」

「……確実に面倒事に巻き込まれますが?」


 セトを見ていた時とは違う、鋭い視線を騎士へと向けるドワルーブ。

 だが、騎士もまた顔を逸らさずにドワルーブの視線を正面から受け止める。


「全て承知の上。そちらには出来る限りの対応を取って貰えればそれでいい。もし何かあったとしても、こちらの戦力で何とかする、とのことです」

「……分かりました。代官殿にもそうお伝えしましょう」


 そこまで告げると、一瞬前まで浮かべていた厳しい表情はなんだったのかと言わんばかりに小さな笑みを浮かべる。


「貴族というのも大変ですね」

「ええ。それにダスカー様は色々と特殊な経歴の持ち主ですから」

「こちらでも全力で手を打たせて貰います。では、早速ですが時間もありませんからこの辺で」


 短くそう告げてから頭を下げ、部下の騎士と共にその場を去って行く。

 そんなやり取りを見ていたレイは、思わず首を傾げて騎士へと尋ねる。


「何でわざわざ危険な街中に泊まるんだ? モンスターを寄せ付けない俺のマジックテントの効果もあるし、セトもいる。それを考えれば、危険な場所に向かわなくても……」

「確かに普通ならそう考えるだろうな。だが、忘れるな。ダスカー様はミレアーナ王国の中立派を代表してここに来ているんだ。つまり、面子ってものがあるんだよ」

「……なるほど」


 完全に納得した訳ではないのだろうが、それでも理解は出来ると頷きを返すレイ。

 自分とセトだけであれば、例えどんな相手が寝込みを狙ってこようともどうとでも出来る自信がある。だが、今回重要なのは自分の身を守ることではなく、ダスカーの身を守ることなのだ。

 しかし、貴族としての面子やプライドといったものを出されれば納得するしかない。

 例えそれがどんなに下らなく、馬鹿らしいものに思えたとしてもだ。

 貴族という存在が見栄やプライドを捨て去っては、それこそ意味がないのだろうと。

 もっとも、エルクを始めとした雷神の斧の面子が護衛に付いているからこその判断だったのだが。

 これまで色々な依頼を受けてきたレイだったが、護衛の依頼を受けたことはそれ程ない。当然経験不足でもあり、自分だけで護衛しなければならないとあっては不安もある。


「ま、お前やエルクさんがいるんだし、余程のことがない限りは大丈夫だと思うけどな」

「その余程のことが起きそうな気がするのは俺だけか?」


 そんな風に呟きつつも、既にダスカーの決定が決まった以上はここで何を言っても覆ることはない。

 慣れないながらも護衛を頑張るしかないだろうと判断したレイは、そっと自分が跨がっているセトの首筋を撫でる。


「街中での騒動になる可能性が高い以上、セトには出来るだけ自分の力で解決して貰う必要があるかもしれない。……悪いな」

「グルゥ!」


 レイの謝罪に、大丈夫! と喉を鳴らすセト。

 実際セトの能力を考えれば、多少危険な目に遭ったとしてもどうにか出来るのは間違いない。

 それでも、レイとしては自分の相棒でもあるセトを放っておくのに、どこか罪悪感を感じていた。

 ともあれ方針が決定し、ダスカー一行はそのまま歩みを再開する。

 向かうのは、視界の先にあるタナロ。






「では、どうぞお通り下さい」


 手続きを終えた警備兵がそう告げ、小さく頭を下げてくる。

 従魔の首飾りを掛けたセトを撫でつつ、周囲を警戒するレイ。

 もしかしたら街に入った途端に襲撃されるかもしれない。そんなことを考えていたのだが、幸いその心配はいらなかったらしい。

 だが、街中にいる住民から向けられる視線の中には憎しみや恨みといったものを感じさせるものがあるのも事実。


(恐らくこの視線の持ち主がドワルーブの言ってた不穏分子なんだろうが)


 内心で呟きつつ、レイはさりげなく周囲を見回す。

 視界に入ってきた人物のうち、数名が自分へと憎しみに満ちた視線を向けていた。

 憎悪に濁った殺気とでも呼ぶべき気配に、微かに眉を顰めるレイ。

 自分達が放つそれを隠しもしていないところに厄介さを感じていた。

 あそこまで堂々としているのなら、間違いなく騒動が起きるだろうと。

 それは護衛の騎士達にしても同様だったのだろう。顔ではラルクス辺境伯の騎士団ということで取り澄ましているが、内心ではいつ何が起きてもいいように……それこそ、今この場で襲撃を仕掛けてきても対処出来るようにと、すぐにでも動き出せる準備を整えている。

 外側はにこやかに、それでいながら内心ではいつ動きがあってもすぐに対応出来るように準備を整えつつ、レイ達は宿屋へと向かうのだった。

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