第574話
街道を歩いていたダスカー一行だったが、その中の1人、グリフォンに跨がっていた為に最も目立っていたレイが、ふと周囲を見回す。
「どうかしたのか?」
そんなレイに向かって護衛の騎士の1人が問い掛けるが、やがて何でもないと首を横に振る。
「いや、気のせいだったらしい。何かを感じたような気がしたんだが」
「そうか? まぁ、ここは既にベスティア帝国内だからな。周囲を警戒しすぎて悪いってことはないだろうから、何かあったら言ってくれ」
「ああ」
短く返事をすると、騎士の方もそれに満足したのだろう。馬車の方へと戻っていく。
「グルルゥ?」
そんな騎士を見送っていたレイに、セトが歩きながら喉を鳴らす。
セトも、そしてレイも気が付いていたのだ。自分達を……より正確には自分とセトを見て逃げ出した男のことを。
顔は見ていないが、その気配は察していた。
勿論気持ちのいいものではないが、だからといって襲撃してきたりした訳でもないのだから、どうにか出来る筈もない。
それに街道沿いの林の奥へと走って行ったということもあり、特に問題はないと判断した。
「心配するなって。それにベスティア帝国の中を進んでいけば、幾らでも似たようなことは起きるだろうからな。これ以上気にしてもしょうがない」
自分達があの戦争でやったことに後悔はない。そう自分に言い聞かせ、それでもやはり先程逃げ出した男に対してはどこか気になるものを覚えつつも、レイ達は街道を進んでいくのだった。
そんなダスカー一行を見送っていた者の中で、完全に姿が消えたのを見ながら呟かれる声がある。
「……行ったか」
「ええ。全く、忌々しい。ミレアーナ王国の者がこのベスティア帝国内を我が物顔で歩き回るとは」
言葉通りに忌々しいという雰囲気を滲ませつつ告げるその声に、もう片方が宥めるように口を開く。
「今更言ってもしょうがないだろ。大体、ミレアーナ王国に対する闘技大会の招待状は毎年送っているんだからな」
「それはそうですが、今までは代理を送ってくるだけだったではないですか。なのに今年に限ってラルクス辺境伯自らが……」
「その辺は春の戦争の影響だろうな」
「分かっています。分かってはいるんですよ。けど……忌々しいと思うこの気持ちを消し去ることは出来ません」
「まぁ、捨て駒が1枚手に入ったんですから、それで良しとしませんか?」
お互いに呟いている2人の男に割り込むように、女の声が響き渡る。
その声に一瞬動きを止めた2人だったが、すぐに聞き覚えのある声だと気が付いたのだろう。小さく溜息を吐いて口を開く。
「あまり驚かすな。……それより、手駒だと?」
「ええ。春の戦争の生き残りです。まぁ、一兵士でしかなかったようなので、本当にただの捨て駒としか使えませんけどね」
「ふむ、使えるまでにはどのくらい掛かる?」
「それなりの戦力として使うとしても、捨て駒として使うとしても、数日は必要ですね。何しろ、深紅に対する恐怖心が心の底まで染みこんでいるので」
女の口から出たその言葉に、話を聞いていた男2人は揃って眉を顰める。
「それは、捨て駒としても使い物にならないのでは?」
「確かに今のままではそうでしょうが、あの男の心の中に存在する恐怖心を憎悪に置き換えれば相応の働きはしますよ」
深い恐怖を抱いているからこそ、それを憎悪に変えることが出来ればそれが本人を動かす原動力となり、その結果として使える駒になる。
そのような素養があったからこそ、女が自らの手駒とすることを決めたのだから。
「それなら、一度奴等を襲わせてみるのはどうだ? ああ、勿論向こうに深紅がいるというのは分かっている。だが、他の護衛の実力が分からないというのは厄介だ」
「それは構いませんが……先に言ったように、使えるようになるまでは数日程度掛かりますよ? 現状でこちらの手駒にそれ程の余裕はありませんし」
「ああ、問題ない。そちらに無理が出ない程度の戦力でいい。辺境のギルムを治めているラルクス辺境伯の手勢だ。その実力が低くないというのは理解出来るが、実際にどれ程の戦力なのかの確認はしてみたいしな」
男の言葉に、女は小さく溜息を吐く。
「それでしたら、私の手駒ではなくてもいいと思いますが。それこそ幾らでもいる冒険者崩れや兵士崩れにでも……」
「相手の実力を見るための捨て駒であっても、その捨て駒にある程度の実力がなければ意味がない」
女に最後まで言わせずに断言した男の言葉に、もう片方の男も同意する。
「そうですね。実力差のありすぎる戦いというのは見ていて面白いものではありませんから。それに、上からの指示を考えると……ねぇ?」
言わなくても分かるでしょう? そんな風に無言の内に告げてくる男に、女はやがて観念したように頷く。
「分かりましたよ。次の街……だと無理でしょうから、その次か、あるいは次。そんなところでどうです?」
その言葉に男2人は頷き、意見が纏まったのだろう。そのまま3人は別々の方向へと散っていく。
女は元来た林の方へと、柔らかい言葉遣いをしていた男はダスカー一行が来た道を逆に辿るように、そして最後の男はダスカー一行を追うかのようにと。
自分達が通り過ぎた後でそんな話がされているとは思いも寄らないダスカー一行は、そのまま街道を進み続け、やがて午後に近くなると視界の先に街が見えてくる。
「どうやら、今日はあの街で一晩明かすことになりそうだな」
「グルゥ?」
そうなの? と喉を鳴らしつつ尋ねてくるセトに、レイは頷きながら首筋を撫でてやる。
ミレアーナ王国の3大派閥の1つでもある中立派の中心人物ということで、ダスカー一行は行く先々で色々な優遇を受けていた。
例えば、普通であればグリフォンを……それも、春の戦争でベスティア帝国軍を大勢殺したセトを街中に入れたいとは、ベスティア帝国の住人であれば誰も思えないだろう。
それどころか、ミレアーナ王国内であってもグリフォンというだけで街中に入れる許可が降りない場合も多い。
だが、ダスカー一行の護衛として同行している以上、街の警備兵にどうにか出来る訳がない。
また、当然の如くダスカーは先触れとして騎士の1人をこの地の領主へと向かわせており、闘技大会に招待されたという理由で領地を通る許可を貰っている。
こちらも街の住人同様、ダスカーに対して許可を出したくはないが、かといってここで拒否する訳にもいかずに渋々と領地通過の許可を出していた。
その結果……
「……分かりました、どうぞお通り下さい」
警備兵が感情を押し殺したように呟きながらも、街中に入る許可を出す。
その視線がレイに向けられているのは、当然なのだろう。
(色々な意味で、この国は俺にとって敵地だよな)
自分に向けられている視線がどんな意味を持つのか。それは当然のことながらレイには理解出来ている。
恐らくはあの警備兵の知り合い……あるいはこの街から戦争に参加した者があの戦いで死んだのだろうと。
だが、レイは必要以上にそれを気にしない。そもそも、死ぬのが嫌なら最初から軍人にならなければいいのだから。
それが、もし正規の軍人ではなく、義勇兵の類だったりすれば余計にそう思うだろう。
そんな風に考えつつも、ダスカー一行は街中を進んでいく。
そのまま警備兵から聞かされた宿へと向かい、当然の如くセトに関する軽いやり取りがあった後で無事に宿を取ることに成功する。
「じゃあ、セト。いつも通りにな」
「グルゥ!」
レイの言いたいことが分かっているのだろう。セトが喉を鳴らして了解の意を伝えるのを確認すると、そのまま厩舎から宿へと戻っていく。
確かにこの街の住人は、レイやダスカーといった者達には手出しできない。それは事実だ。
だが、宿に泊まっている者達以外……例えば乗っている馬車や、その馬車を引く馬、あるいは騎士が乗っている軍馬……そして、従魔となれば話が別だ。
基本的に口が利けない故に、何かをしたとしてもそれが判明する可能性は少ないのだから。
だが……セトがランクAモンスターであり、更には魔獣術によって生み出された為に高い知能を持っていると知っている者がいないのは、致命的ですらあった。
事実これまでに寄った街でも、何度かセトを含めた厩舎にいる馬にちょっかいを出そうとした者がいたが、その全てがセトに妨害され、良くて逃げ出すことになり、殺そうとして武器を手に襲ってきた相手は命を失った。
当然そうなれば騒ぎになるのは事実で、何人かが警備隊に捕まり、奴隷落ちや、酷い者になると処刑された者もいる。
何しろ街を治めている領主や代官にしてみれば、ダスカー一行はベスティア帝国が正式に招待状を出して招待した客人だ。
その客人に対しての面子を潰されるような真似をしたのだから、きちんと処罰したというのを明らかにしなければ自分自身にまで咎が及ぶと考えたのだろう。
もっとも、当の本人であるダスカーにしてみれば、戦争で活躍したレイがいるのだからこの程度は当然だと思っていたし、レイにしても自分やセトに対して害意を持っている相手がいるというのは半ば予想出来ていたことだったので、特に悲観的になることもなかったが。
「グルルゥ……」
去って行ったレイの背を見送ったセトは、そのまま自分に割り当てられた場所へと寝転がる。
そのまま一時間程。やがて、厩舎へと近づいてくる足音に気が付く。
「グルゥ?」
小さく鳴いて警戒しつつ、そっと目を閉じて様子を見守るセト。
やがて近づいてきた足音は、セトの予想通りに厩舎の中へと入ってくる。
攻撃された時にすぐ反撃出来るように……そう考えつつ、気配を探っていたセトだったが、厩舎の中に入ってきた人物は特に足音を隠すでもなく歩く。
「グルルルゥ?」
喉を鳴らしつつ視線を向けると、そこには40代程の男が手に従魔用の肉をたっぷりと持って立っていた。
「おう? なんだ、目が覚めたのか。ほら、飯だ飯。お前の飼い主からたっぷりと金を貰っているからな。上物の鹿の肉だぞ」
そう告げられてドサリと落とされたのは、男の言葉通りに肉のたっぷりとついた鹿だった。
きちんと皮が剥がされており、内臓も処理されている、丸々一匹の状態だ。
「グルゥ……グルルルゥ!」
毒薬や妙な薬の類を仕込まれていないのを匂いで確認し、クチバシで少しだけ肉を啄んで確認。
そこまでやってようやく安心したのか、セトは夏の間にたっぷりと餌を食べ、運動した鹿の肉を食べ始める。
男はそれに目を細めて暫く嬉しそうに眺めた後、他の馬に対しても餌を与えていく。
幸いと言うべきか、この厩舎で動物や従魔の世話を任されている男は戦争で死んだ知り合いや身内もいなかったのか、ダスカー一行に対して特に何も思うところはないらしく、預けられた馬の世話をこなしていく。
肉を食べつつ、一応とばかりに様子を窺っていたセトにもそれが分かったのだろう。安心しながら食事に集中する。
そんなセトの様子に気が付いた訳でもないだろうが、男は満足そうな笑みを浮かべつつ世話をしていくのだった。
「……この宿は当たりだったな」
そう呟いたのは、何故かレイの部屋に来ているエルク。
宿屋の中ということもあり、ダスカーの護衛をミンとロドスの2人に任せて休憩中だ。
とはいっても護衛のことを完全に忘れた訳ではなく、宿の中だけという限定だが。
「そうだな。飯も美味いし、従業員も内心はともかく、不満を表には出していない。そう思えば、確かに当たりだった」
ラルクス辺境伯が泊まるということで、当然街に幾つもある宿の中でも最高級の宿と言ってもいい宿だ。
それ程大きな街でもないので、レイがエグジルで泊まっていた黄金の風亭とは比ぶべくもないが、宿の従業員にしてもレイやダスカー達に対して思うところがあるだろうにも関わらず、それを表に出さないプロ根性とでも呼ぶべきものが存在していた。
「他の宿もこうだといいんだけどな」
レイから貰った果実水を飲みつつ、呟くエルク。
レイにしてみれば酒場にでも行ってこいと言いたくなる光景なのだが、多少自由行動を許されても、護衛は護衛だ。さすがにその状態で宿から出て酒場に出向いたり、あるいは宿の食堂で酒を飲んだりといったことは出来なかった。
領主の護衛という立場である以上、そんな真似が見つかれば……
(他はともかく、ミンからどんな裁きが下ることやら)
今まで幾度となく自分の頭に振り下ろされてきた杖の痛みを思い出しつつ、折角の休憩時間をレイと下らない話をしながら潰すことになるエルクだった。
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