第557話
領主の館での話し合いが終わり、その後昼食を共にした後で解散となった。
雷神の斧の面々は本来今日は休息に当てる日だったが、先に旅の準備を済ませるのを優先したらしく急いで街中へと向かった。その後ろ姿を見送り、レイはレイでゆっくりとギルドの方へと足を進める。
セトが一緒にいない為だろう。街の住人からの注目も殆ど集めないまま、昼食を食べた直後だというのに、屋台でサンドイッチを買って食べつつ街中を歩く。
サンドイッチを売った屋台の店主もレイの存在に気が付いてはいたが、セトもいないのであまり騒がれたくないようにしていると判断したのだろう。特に声を掛けることもなく、ただ特別にサンドイッチを2つおまけするだけで済ませていた。
「あれ? レイ?」
そんな中、不意に声を掛けられたレイは、聞き覚えのある声に後ろを振り向く。
そこにいたのは馴染みの相手。
「ね、レイだけでセトちゃんはいないの? 折角美味しいパンを買ったのに」
幾つものパンが入ったバスケットを持っているミレイヌの姿だった。
「セトなら宿の厩舎で寝てるよ。……それより今日は1人か?」
「ん? ええ、そうよ。ゴブリンの討伐で思った以上に稼げたから、暫く骨休めなの」
「……なるほど」
稼げた理由というのに心当たりのあったレイだったが、そんなレイに対してミレイヌはバスケットの中から焼きたての黒パンを1つ取り出して渡してくる。
セトならともかく、自分にパンを渡すという行為に小さな驚きを感じたレイだったが、それでも折角なのでそれを無碍にする訳にもいかないだろうと、残っていたサンドイッチをミスティリングに収納して黒パンを受け取った。
香ばしい匂いと、白パンとは違うドッシリとした重みを手に、ミレイヌに向かって尋ねる。
「どういう風の吹き回しだ?」
「別に、ちょっとしたお裾分けって言うか……そうね、お礼よ」
「お礼?」
「そ。聞いたわよ、私達が倒したゴブリンの残党ってレイ達が数を減らしてくれたんでしょ。しかも、ゴブリンが持っていた宝石とか素材とかもレイ達の関係だって」
「……ああ」
その言葉でようやくミレイヌの言いたいことを理解する。
レイ達が倒した血塗れの刃。そのアジトをゴブリンが襲ってお宝の類の多くを持ち去ったのを思い出したのだ。
「俺達が関係しているのは事実だけど、別に俺達の成果って訳じゃないんだけどな。……まぁ、貰えるんなら貰っておくが」
そう告げ、早速とばかりに黒パンへと齧り付く。
焼きたてだけあって柔らかく、香ばしいライ麦の香りと黒パン特有の微かな酸味が口いっぱいに広がる。
レイが好んで食べる白パンとは違うが黒パンもまた美味であり、中身が詰まっているパンにも関わらず、ペロリと平らげる。
「美味かった、ご馳走さん。焼き固めていない黒パンってのも中々にいいものだな」
「そうでしょ? このパンを売ってるお店は最近出来た場所なんだけど、意外と穴場なのよね」
そこからお互いに言葉を交わしつつ、夕暮れの小麦亭へと向かって歩いて行く。
ミレイヌの目的が何なのかというのは、既に聞くまでもなくレイには理解出来ていた。
(そう言えば、明日にでもギルムを出るって話をしておいた方がいいか? 声も掛けずに出て行ったりしたら、ギルムに帰ってきた時面倒なことになりそうだし。……帰ってきたら、か)
自然と自分がここに戻ってくるではなく帰ってくると考えていることに気が付き、小さく笑みを浮かべる。
元々は自分がこの世界にやって来た時、魔の森から一番近い場所にあった街というだけでしかなかったのだが……今では既に自分の帰る場所と認識しているらしいと。
そんな風に笑みを浮かべているレイを、ミレイヌは不思議そうな表情を浮かべて視線を向ける。
「ねぇ、どうしたのよ。いきなり笑ったりなんかして。何、思い出し笑い?」
「別にそんなに大袈裟なものじゃないんだけどな。……実は明日、俺とセトはまたちょっとギルムを出ることになったんだよ」
ピクリ、とレイの言葉を聞いたミレイヌが歩みを止める。
「え? また? だって帰ってきたばっかりじゃない」
「ああ。まただな。というか元々今回戻ってきたのは、その件の準備とかもあってのことなんだよ。で、その準備が整ったって訳だ」
「……セトちゃんも?」
違って欲しい。そんな思いを込めて尋ねてくるミレイヌだったが、レイはあっさりと頷く。
「ああ。セトもだな」
「……そう」
それだけを呟き、ミレイヌは黙り込む。
そんなミレイヌの様子を見て、レイは意外な思いを胸に抱く。
てっきりセトを連れて行くことを責められると思っていたからだ。
その思いが表情に出たのだろう。ミレイヌはジト目でレイへと視線を向ける。
「何よ、私が文句を言わないのがそんなに不思議?」
「そうだな、正直に言わせて貰えば不思議だ。責められるとばかり思ってたからな。あるいはセトをギルムに置いていけとか」
「そうね、本音を言わせて貰えばそう言いたいわ。けどセトちゃん自身がレイに一番懐いているんだから、しょうがないじゃない。ここで無理にそんな真似をして、もし本当にセトちゃんをギルムに置いていくことになっても誰も喜ばないし、寧ろセトちゃんが悲しむだけでしょ」
「……ああ」
ミレイヌの言葉を聞き、深く納得してしまう。
あくまでもミレイヌの第一はセトなのだ。そのセトが悲しむからこそ我が儘を言わないという辺り、一貫しているのだと。
「とにかくそういう訳で明日にはギルムを出るから、セトと遊ぶのは今日限りになると思うけどよろしくな」
「当然でしょ! ……あ、でも……」
レイの言葉に即座に答えたミレイヌだったが、数秒後には何かを考え始める。
「ごめん、レイ。私ちょっと寄る場所が出来たから、セトちゃんに会いに行くのはちょっと遅くなるわ」
「ん? まぁ、それは別に構わないが……何か依頼でも忘れてたりしたのか?」
焼きたての黒パンの最後の一口を口へと放り込みながら尋ねるレイに、溜息を吐くミレイヌ。
「あのね、幾ら何でも依頼があるのを忘れる訳ないでしょ」
「……そうか?」
どこか自信ありげに胸を張るミレイヌだったが、セトに対する好感度がどれ程のものなのかを知っているレイとしては素直に頷けない。
ジトリとした視線を向けられること数秒。やがてどこか落ち着かなくなったミレイヌが、誤魔化すように口を開く。
「それに私が依頼を忘れていたとしても、スルニンが覚えてるわよ」
「いやまぁ、確かにスルニンならその辺如才ないだろうけど。それでいいのか?」
「いいのよ!」
言い切ったが勝ちとばかりに断言すると、やがてミレイヌはその場で踵を返す。
「じゃ、そういう訳で取りあえずまたね」
軽く手を振って去って行くミレイヌを見送り、ふとレイが呟く。
「あの黒パン、本当に美味かったな。きちんと店の場所を聞いておくべきだったか?」
焼きたてだったというのも影響しているだろうが、バターやジャムの類を付けず、あるいはソーセージや卵といった具も無しの、素のままで食べても美味い黒パンを思いだし、そう呟くのだった。
「えーっ! それ本当なの!?」
ギルドの中に響き渡る声。
幸い今は昼過ぎで冒険者の数も少なく、酒場も混雑の時期を過ぎたおかげで人影は疎らだ。
残っているのは、今日は休日とした冒険者が昼間から酒を飲んでいたり、遅めの昼食を食べている者達くらい。
そんな中、ギルドに悲鳴のような声が響き渡った。
その声の主は、カウンターにいる受付嬢のケニー。
驚きに目を見開き、自分が声を上げる原因となった知らせを持ってきた相手に驚愕の視線を向けている。
「ああ、やっぱりその辺は聞いてなかったのね。レイらしいというか、何というか……念の為に知らせに来て正解だったわね」
嘆かわしいとばかりに、横に首を振るミレイヌ。
「こうしちゃいられないわ。今すぐにレイ君の所に行って……」
呟き、今にでもカウンターから飛び出そうとするケニーだったが、その肩に背後からポンと手が乗せられる。
その感触にビクリとし、恐る恐る振り向いた先にいたのは笑みを浮かべたレノラの姿。
ただし、その顔に浮かべている笑みは決して友好的なものではない。寧ろ妙な迫力を感じさせる笑みだ。
「ねぇ、ケニー。ただでさえこれから夕方になって忙しくなるっていうのに、ここで抜けられたら他の人が困るでしょ? 特に私とか、他のカウンターの受付嬢が」
「……で、でも……」
いつにない迫力に、ケニーは思わず言葉に詰まる。
「……」
「分かったわよ、分かりました。でも、レノラはいいの? レイ君が明日ギルムを発つって言ってるのに」
「確かに水臭いとは思うけど、色々と忙しいみたいなことを言ってたじゃない。それに、レイさんに話があるのなら別に今すぐにじゃなくてもいいでしょ? それこそ、仕事が終わった後でも」
そう口にしたレノラだったが、付き合いの長いケニーは分かっていた。言葉の端々から微妙に不機嫌な雰囲気が漂っていることを。
(まぁ、レノラはレイ君を弟みたいに可愛がってるものね。姉代わりを自認しているレノラとしては、色々と思うところがあるんでしょ)
内心で呟きつつ、小さく溜息を吐いて椅子へと座り込む。
その様子を見て、よろしいとばかりに頷いたレノラもまた自分の席へと座って書類の整理を始める。
現在はまだそれ程忙しくない時間帯だが、先程レノラが口にしたようにもう数時間で夕方という時間帯だ。そうなれば依頼を終えた冒険者が戻ってきて、依頼達成の処理や、あるいは素材や魔石の買い取り、討伐証明部位の換金等で忙しくなる。
そうなる前に、今処理できる書類は処理しておく必要があった。
「ま、頑張るとしますかね。その代わり今日の仕事が終わったらレイ君に会いに行くから、レノラはついてこないでね」
「ええ。……ん?」
書類を整理していたレノラは、ケニーに言葉を返しながらふと動きを止める。
今の言葉のやり取りでどこかおかしいところを感じたからだ。
そのまま数秒。会話を思い出し……ジトリとした視線を隣で書類の処理をしているケニーへと向ける。
つい先程の慌てた様子は何だったのかと言いたくなるような、そんな機嫌の良いケニーへと。
「ねぇ、ケニー。今の会話、何かおかしくなかった?」
「え? 別に? 何もおかしなことはなかったと思うけど」
「……何だか、今日レイさんに会いに行く時に私についてこないでって言わなかった?」
「そう? 気のせいじゃない? あ、これちょっとどうしようかしら。確認してこなきゃ」
持っていた書類に目を通していたケニーが席を立とうとしたのだが、そこにレノラの手が伸ばされ制服を掴まれる。
余程力一杯握ったのだろう。しかも握りしめたのが胴体の場所だった為に、ケニーの胸が胸元の開いているギルドの制服から零れ落ちる寸前になった。
「ちょっ、レノラ!?」
咄嗟に胸を押さえて零れ落ちるのを防いだケニーだったが、その隙を逃すレノラではない。
胸元を押さえた為にカウンターの上に散らばった書類を手に取り、素早く目を通す。
「……ねぇ、ケニー。この書類って何もおかしなところはないと思うけど、何を確認しに行くのかしら?」
「え? それは、その……ほら、猫の獣人として、何よりも女の勘でおかしな場所が……」
「ないわよね?」
レノラの口から出たその言葉に、ケニーもこれ以上は逃げられないと判断したのだろう。そっと目を逸らす。
「さ、分かったのなら座りましょうか。……時間はあまりないんだから、書類の整理をきちんとやりましょう」
「……え?」
てっきり先程の自分の発言を追求されるのだとばかり思っていたケニーは、その言葉に思わずレノラの方へと視線を向けた。
だが、次の瞬間にはその行動を後悔する。
レノラの口元は笑みを浮かべているというのに、目は少しも笑っていなかったからだ。
ケニーだけでレイの下へと向かい、何を企んでいたのか。それに関しては仕事が終わったらじっくりと聞かせて貰うとその目が語っていた。
(あっちゃぁ……もしかしてやっちゃった?)
内心でそう後悔するものの、怒れるレノラはその気配を収めることはない。
夏の夜、レイが旅立つ前の最後の夜にレイと2人きりで食事を……そしてあわよくば……一夜を。
そんなケニーの思いはお見通しだと言わんばかりのレノラの行動に、結局この日、ケニーは1人でレイの下へと出向くという狙いは大きく狂わされ、いつものようにレノラと共に夕暮れの小麦亭へと向かうことになる。
……その道中、延々とレノラの小言を聞かされながら。
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