第556話

 レイがギルドでマリーナと会話をしてから数日。ようやくと言うべきか、待っていた者達がギルムへと戻ってきた。

 いつものように少し遅めに起きたレイは、朝食も済ませて今日はどうしようかと迷っていた時に領主の館から人が来て、馬車で引っ張っていかれ――セトは厩舎で睡眠中――そのまま執務室に通されるとエルク、ミン、ロドスの3人。即ちランクAパーティ雷神の斧と再会する。


「おう、レイ。……話は聞いた」


 いつもであれば陽気に再会の言葉を述べてくるエルクだったが、既にテオレームの件を聞かされているのだろう。その視線にはどこか剣呑な色が混ざっており、レイに呼びかけてくる声にも低いものがある。

 そんなエルクの隣に座っているミンは特に表情を変えずに淡々としており、ロドスは誘拐された時のことを思い出しているのだろう。苦々しい表情を浮かべていた。

 それぞれに浮かべている表情に思うところはあれど、レイはダスカーへと小さく頭を下げてからエルクに向かって口を開く。


「お前も色々と言いたいことはあると思うけど、今回の件が上手くいけば暫く戦争の類はなくなるんだ。少し我慢して協力して欲しい」


 戦争がなくなるとは言っても、それはあくまでもミレアーナ王国とベスティア帝国との戦争に限っての話だ。

 下手をすればベスティア帝国内で内乱が起きるかもしれないのだが……それは敢えて口に出さずに告げるレイに、エルクは視線を向ける。

 いつもであれば悪ガキがそのまま大人になったかのような表情を浮かべているエルクだが、今そこに浮かんでいるのは怒りを押し殺しているかのような表情だ。


(家族思いのエルクからすれば、無理はないけど……その辺は我慢して貰わないとな)


 内心で呟き、怒れるエルクを押さえる為にその隣のミンへと視線を向ける。


『……』


 お互いが無言でやり取りすること暫し。やがてミンは小さく溜息を吐きながら、持っていた杖をエルクの頭へと振り下ろす。

 それでもコツンという衝撃程度だったのは、ミンなりにエルクの気持ちを理解しているからだろう。


「落ち着け、エルク。結局私もロドスも何ともなかったんだ。多少思うところはあれども、今の状況でそれを表に出す必要はないだろう」

「ミン! けどよぉ!」

「お前の鬱憤晴らしと、この国が暫く戦争をしないで済むようになる可能性。どちらを選ぶ? ランクA冒険者であるのなら、その程度は考えるまでもないと思うが?」


 理路整然と語る妻の言葉に、エルクもまた黙り込むしかない。

 分かっているのだ。ダスカーからの依頼と自分の中にある感情のどちらが重要なのかということは。

 だが、それでも……やはり自らの内から発される怒りの感情を消し去ることは出来ずにいた。

 そこに割り込むようにレイが口を開く。


「ダスカー様から聞いてると思うけど、ベスティア帝国に向かう前に一旦テオレーム達と合流することになっている。お前の中で色々と思うところがあるのなら、その時に発散させたらどうだ?」

「……レイ、君はまた随分と大胆な意見を口にするね。うちのエルクが本気で戦ったりしたら、例え閃光という異名持ちであったとしても無事で済むかどうかは分からないんだけど」


 額を押さえつつ告げてくるミンに、レイは小さく肩を竦める。


「確かに色々と危険なことになるかもしれないが、このままエルクの鬱憤を溜めさせておくってのは危険だろ? なら適度に発散させた方がいいと思ってな」

「適度に発散というのがどの程度なのか非常に気になるが……」

「けど母さん、レイの言うことに同意するのは癪だけど、実際今の父さんと一緒にベスティア帝国に行ったりしたら、余計な騒ぎが起きるのは間違いないと思う」


 レイが来てからは一言も発していなかったロドスがそう告げると、確かにそれは頷けると思ったのだろう。ミンが小さく溜息を吐いてから口を開く。


「確かにそれしかない、か。けど異名持ち2人が戦ったりしたら、下手をすれば待ち合わせをしている村そのものが消滅してしまいかねない気がするけどね」

「セレムース平原の近くにある村なんだから、戦うのなら別に村の近くじゃなくてセレムース平原で戦えばいいんじゃないか? あそこなら多少地形に被害が出ても、誰も何も言わないだろうし」

「よし、決まりだ。色々と思うところはあるが、閃光と戦って勝っても負けてもそれで手打ちにしてやる。……もっとも、負ける気は全くないけどな」


 エルクもミンの言葉でこれ以上怒っていてもしょうがないと判断したのか、気を取り直すようにそう告げる。

 本人としては、テオレームと正面から戦って叩きのめす機会を潰されたりしたくないという判断もあったのだろうが。


「……さて、そろそろ本題に入ってもいいか?」


 これまで4人の話をただ黙って聞いていたダスカーが、溜息を吐きながらそう告げる。

 ダスカーにしてもエルクが不機嫌なままというのは色々と危惧を覚えてはいたのだが、それでも自分の存在を無視して話を進められるとは思っていなかった。


「す、すみません」


 最初に慌てたように頭を下げたのはロドス。

 それに続いてミン、エルク、レイの3人もダスカーに頭を下げ、ダスカーの方へと視線を向ける。


「で、だ。今のやり取りで分かったと思うが、既にエルク達には大体の内容を話してある。また、こちらの方の準備ももう数日で完了するだろう。エルク、お前達の方はどうだ? ギルムに戻ってきたばかりだが……」

「あー、そうですね。今日と明日くらいはゆっくりして、1日で準備を整えて……ま、3日ってとこですね。だよな?」


 確認の意味を込めて妻へと視線を向けるエルクだったが、ミンはそれに頷く。


「大体そのくらいだろうね。出来れば何かあった時の為に1日くらい余裕を持っておきたいけど……その辺はどうでしょう?」


 尋ねるミンに、ダスカーは首を横に振る。


「ここから向こうとの待ち合わせ場所でもあるゴトまでとなると、闘技大会が始まるまであまり余裕はない。……正直な話、レイからこの件を聞くまでは代理で誰かを行かせる予定だったからな。こっちも色々と詰め込んでいるんだよ」

「そうですか。となると、いっそ休養日は抜きにして今日中に出発の準備を整えて、明日出発ではどうでしょう?」

「そうなるとさすがにこっちが対応出来ないんでな。俺の希望としては今日お前達に休んで貰って、明日準備、明後日出発としたい。部下達に対する仕事の引き継ぎも考えれば、最速でそのくらいの時間になるだろうしな」


 指先で執務机をリズム良く叩きながら告げるダスカーに、数秒程考えたミンも頷く。


「分かりました、こちらとしてもダスカー様に合わせますので」

「そうか、助かる。……で、そうなるとレイだが」


 ダスカーの視線がレイに向けられ、同時にエルク、ミン、ロドスの視線もレイに向けられる。


「俺は一足先にゴトまで向かうって事でしたけど……セトの速度を考えれば、出発は一緒でも構わないのでは?」

「いや、ベスティア帝国にはなるべく大きい衝撃を与えたい。ここで俺の護衛として一緒に出発すれば、ベスティア帝国に情報が伝わる可能性もある」

「……向こうからのスパイの類は全て摘発したのでは?」


 去年の暗闘とも言える戦いを思い出しながら尋ねるレイに、ダスカーは苦笑を浮かべて首を横に振る。


「確かに今年初めの時点でならそうだっただろうな。だがあれから随分と時間も経っているし、何よりお前が春の戦争で目立ちすぎた。それを考えれば、去年以上にベスティア帝国に限らず、どこかの手の者が入り込んでいるのは確実だろうな。……もっとも、エッグもいるからかなり数は少ないだろうが」


 その言葉に思わず納得するレイ。

 ランガや騎士が派遣されていた討伐隊の応援として駆けつけたレイだったが、その時は現在ラルクス辺境伯領の裏を担当しているエッグに遭遇することはなかった。


「にしても、俺目当てですか。そういう意味ではここ暫く無駄骨だったでしょうね」


 小さく笑みを浮かべるレイ。

 戦争が終わってギルムへと戻ってきてから、そう時間が経たないうちに港町エモシオンへと向かい、それが終わってギルムへと戻ってくればランクアップ試験を受けて合格し、再びさっさと迷宮都市エグジルへと向かう。

 レイやセトについての情報を得たい者達にしてみれば、色々な意味で振り回された結果だった。

 その辺に関しては、ギルドマスターのマリーナがレイをエモシオンへと向かわせたというのが一枚上手だったのだろう。


「ま、レイがいなければいないで情報の集めようはあるんだけどな。街の住民から話を聞いたりするのだって、重要な情報収集だし」

「そうだな。エルクの言葉も正しい。多かれ少なかれ、レイの情報は色々と渡っているのは間違いない」

「……それって、いいんですか? 一応レイはダスカー様の懐刀って噂が広まってるんですが」


 どこか周囲を憚るようにダスカーへと尋ねるロドス。

 ロドスにしてみれば、レイは出会った当初から異質な存在だった。

 最初は低ランク冒険者という認識しか無かったが、グリフォンを従魔にしているということで驚き、更にそのすぐ後で行われたオークの集落に対する襲撃でもオークキングを倒すという活躍をしている。

 そして何と言っても今回の件とも関係があったが、自分が人質にされてランクA冒険者である父親とレイが戦い、レイが勝ったということだった。

 当事者の父親から聞いた話だが、それでも信じられず幾度も聞き返したのは恥ずかしい思い出だ。

 だが、そのレイはみるみるランクを上げていき、今ではランクCの自分よりも上のランクBとなっている。

 ここまでくれば、ロドスもレイを認めない訳にはいかなかった。

 ……自他共に認めるマザコンであるロドスが、母親の興味を引くレイに対して素直になれる筈もなかったが。


「いいか悪いかで言えば、勿論良くないし悪いさ。だが、この手の話はどうしても漏れてしまうものだからな。ここで俺がレイの話を外の奴等に漏らさないようにしろと言ったって、それは無理だろ。セトがいる時点で、これ以上ない程に話題性はあるんだし」

『確かに』


 その場にいた雷神の斧の3人が声を揃えて返事をし、ダスカーの意見に全力で同意する。


(大体、考えてみればグリフォンを連れてる時点で噂にならないって方が無理があるか)


 そう内心で呟きながら。


「分かって貰えたようで何よりだ。さて、それじゃあ早速だが実際の行動についての話だ」

「実際の行動、ですか? もう説明したのでは?」


 この部屋に入ってきた時からエルクの機嫌が悪いのを見ていたレイは、当然ながら今回の件を全て説明し終えていたと思っていた。

 だが、実際には違ったらしくダスカーは苦笑を浮かべて首を横に振る。


「話したのはあくまでも大雑把な概要だけだ。実際に誰がどんな行動をするのかというのはまだ話していない」

「なるほど。では、どのように行動するんですか?」

「簡単に言えば、ベスティア帝国に入る時――正確にはゴトからセレムース平原を通ってベスティア帝国の帝都まで――はレイとエルク達が俺の護衛をする。第2皇女と閃光は別行動だな」

「そうですね」


 そもそもがテオレームの主君であり、ヴィヘラの弟でもある第3皇子の救出が目的なのだ。そうである以上、目立った囮として動く必要のある自分達と行動を共にするのは愚策でしかないだろう。そう判断したレイはダスカーの言葉に頷き、それはエルク達も同様だった。特に言葉を発する様子もなく頷く。


「で、ベスティア帝国の帝都に入ったら、闘技大会にレイが出場出来るように要請する」

「その件なんですが、シードではなく予選からでお願いします」

「……何でだ? 予選はバトルロイヤルだから、色々と面倒な事態になりかねないぞ?」


 深紅という相手と1人では無理でも、大勢で掛かれば……と考える者もいるだろうし、あるいは戦争で死んだ兵士の仇として狙ってくる者もいるだろう。あるいはそれ以外の要素で負けてしまう可能性もある。

 人数が多いというのは、それだけ不確定要素が増えるということなのだから。

 だが、レイはダスカーの言葉に小さく首を振ってから口を開く。


「俺がやるのはあくまでも目立ってベスティア帝国上層部の注意をこっちに向けさせることです。となると、予選のバトルロイヤルから俺という存在が参加すればかなり話題性が高くなるでしょう」

「なるほど」


 レイの言葉に数秒程考え込んだダスカーだったが、やがて頷いて口を開く。


「レイがそれでいいのなら、そうしよう。それで次だが……」


 そんな風に話を詰めていくのだった。

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