第553話

「……なるほど、春の戦争が尾を引いてたって訳か」


 レイが預かった手紙に目を通すと、ソファに座っていたダスカーは溜息を吐きながら呟く。

 その顔に表れているのは疲労。

 今回の血塗られた刃の件だけが原因ではない。……いや、寧ろそちらの方はよくあるとまではいかないが、盗賊団が辺境にやってくるのはそれ程珍しいことではない。

 今、ダスカーの頭を悩ませているのは、どちらかと言えばレイが持ってきたベスティア帝国に関しての件だった。

 ダスカーの様子を見れば、半ばそれを理解出来るのだろう。特に何を言うでもなく、レイはメイドに出された紅茶を口へと運ぶ。

 執務室に満ちる沈黙。

 それを最初に破ったのは、ダスカーだった。

 気分を変えようとでもいうように、軽い口調でダスカーがレイへと向かって話し掛ける。


「それで、今回の報酬はどうした? 何かいい物があったか?」

「ええ、とびっきりのものがありましたよ。宝石を1つと、武器の槍。それと……」


 そう告げ、ミスティリングから取り出した懐中時計をテーブルの上に置く。


「時計? ……おい、しかもこりゃあミスリル製じゃねえか。また、随分な値打ち物を見つけたな」


 唖然として呟くダスカーは、テーブルの上に置かれた懐中時計をそっと手に取る。

 精緻な彫り物がされている表面を指でなぞり、感心したように溜息が吐かれた。

 実際、ミスリルをこれだけふんだんに使った時計というのは非常に珍しく、そこに彫られているものも、その辺の職人には手が出せない代物だ。

 そもそもミスリルをここまで贅沢に使うというのは非常に珍しい。

 だが……それだけに、ダスカーの心中には多少の不安が浮かぶ。


(確かにこの懐中時計は凄いが、だからこそ商人がこれを売る予定だった相手がいれば不味いことになるかもしれないな)


 内心でそう危ぶむダスカーだったが、目の前にいるのがレイであると知って、それでも手を出すかと言われれば疑問を持たざるを得ない。


(少なくてもレイの実力を知っている奴ならそんな無謀な真似はしないだろうが……どこぞの馬鹿貴族だったりしたら、話は別だろうな)


 ダスカーの脳裏には、春の戦争でレイに突っかかっていった年若い貴族の姿が浮かぶ。

 結果的にその貴族は、レイによって後悔してもしきれない程の目に遭ったのだが、そんな話を聞いていても貴族というのは自分だけは特別だと思いたがる者も多い。


(……まぁ、以前ならともかく、今のレイは異名持ちだ。そんな相手に自分の無理を通そうとしても、痛い目を見るだけだろうが)


 そんな風に考え、ダスカーの口元には小さく笑みが浮かぶ。

 そう。現在ダスカーが苦労しているベスティア帝国の件に関しては、レイが協力をしているからこそ成功の見込みありとして前向きに実行しているのだ。

 そこまで考え、ダスカーはレイへと視線を向けながら口を開く。


「そうだ、ベスティア帝国の件だが数日中に俺が出向くことになった。お前には護衛として付いてきて貰うから、そのつもりでいてくれ」


 何でもないかのように告げるその声に、レイの目は大きく見開かれる。


「えっと……それはダスカー様がベスティア帝国に出向くということになるんでしょうか?」

「そうだ。元々俺にも毎年ベスティア帝国から闘技大会の招待状はきていたしな。……向こうにしてみれば、半ば皮肉に近かったんだろうが」


 皮肉げな笑みを浮かべ、小さく肩を竦めるダスカー。

 中立派の中心人物でもあるダスカーだが、中立派自体が小さい勢力でしかない。

 最大派閥の国王派、対抗勢力の貴族派。その間で何とか存在していたような勢力だったのだ。

 それでもミレアーナ王国第3の勢力であるのは事実であり、ベスティア帝国にしても半ば皮肉に近い……より正確には精神的な攻撃や嫌がらせ的な意味で、毎年ダスカーに対して闘技大会の招待状を出していた。

 当然、ダスカーとしてはそんな場所に自分から出向く筈もない。毎年出席しないか、あるいは代理の者を出すだけだったのだ。

 だが、それも今年の春の戦争で大きく変わる。

 勢力自体は春以前と比べて大きくなった訳ではないが、それでも異名持ちを抱え込んでいるというのは大きく、その潜在的な武力や軍事力は一目置かれるようになっていた。

 それ故に、ベスティア帝国としても毎年のような半ば嫌がらせ的な意味ではなく、真実ミレアーナ王国の重鎮の1人としてダスカーを認識し、闘技大会への招待状を出すことになる。

 ……もっとも、普通はそんな状況で他国に向かうようなことをする者は少ないのだが。

 ダスカーにしても、レイの件がなければいつも通りに断るか、代理の者を送る予定だった。

 しかし、レイの持ってきた話によりダスカーの中で闘技大会の意味は大きく変わっている。

 エレーナからもたらされた提案が上手くいけば、ベスティア帝国内に親ミレアーナ王国派とでも言うべき存在を作り出すことに成功するのだ。

 しかも、その派閥を作り出すのにダスカー自らが協力すれば大きな貸しとなり、ミレアーナ王国内でも中立派の勢力を広げることが出来る。

 とはいえ、勿論レイ1人の戦力だけを頼りにこの計画を遂行する訳にもいかない。

 その為に必要な時間が、今日を含めて数日となっていた。


「言うまでもないが、今回の件はミレアーナ王国にとっても……あるいは俺達中立派にとっても色々な意味で大きな出来事となる。それだけに、こちらもベスティア帝国に向かう際にはお前以外にも戦力を連れて行く必要がある」

「でしょうね。俺が闘技大会に出なければいけない以上、その間ダスカー様の護衛をする人材は必要かと。特に春の件でダスカー様はベスティア帝国に色々と恨まれているでしょうし」


 他人事のように呟くレイに、ダスカーは思わず呆れた視線を向ける。


「確かに俺も恨まれているだろうが、誰が一番恨まれているかって言えば、どう考えてもお前だぞ?」

「ですが俺の場合は自分の身は自分で守れますし、何よりラルクス辺境伯であるダスカー様の部下として闘技大会に参加する以上、妙な真似をする相手もある程度はどうにか出来るかと」


 懐中時計をミスティリングへと収納しつつ、小さく肩を竦めるレイ。 

 自分の身は安全だと言っているレイに、ダスカーはジト目を向ける。


「……ま、いい。とにかく俺の護衛が必要になる訳だ。で、さっきも言ったが後数日でエルクがギルムに戻ってくる予定になっている」

「なるほど、雷神の斧ですか。確かにエルク達なら安心して護衛を任せられますが……」


 レイは言葉を濁す。

 実際、エルク率いる雷神の斧はランクAパーティとしてギルムを代表する冒険者でもある。

 パーティ名の雷神の斧というのはエルクの異名でもあった。

 春の戦争で活躍してレイに付けられた深紅という異名とは比べものにならない程に有名であり、そのネームバリューも非常に高い。

 典型的な戦士のエルクに、強力な魔法使いのミン、エルクとミンの息子である戦士ロドスの親子3人で組んでいるパーティであり、実力的には申し分ない。

 いや、護衛という意味ではその類の依頼の経験がそれ程多くないレイよりも格段に上だろう。

 だが……それでもレイが言葉を濁した理由は、エルクとベスティア帝国の関係にあった。

 去年の冬、エルクは息子のロドスを人質に取られてレイの命を狙うように脅迫されたのだが、それを実行した者達の上司が、ヴィヘラと共に今回の策謀に絡んでいるテオレームなのだから。

 闘技場で目立ってベスティア帝国上層部の注意を引きつけるのがレイの目的である以上、闘技大会中はヴィヘラやテオレームとレイは別行動を取ることになっている。

 それでも同じ目的をもって行動している以上、いずれエルクとテオレームが顔を合わせる時は間違いなく来るだろう。

 その時、自らの息子を人質に取るように命じたテオレームを相手に直情的なエルクが冷静でいられるかどうか。レイにとっては非常に疑問だった。


(いや、寧ろ殺し合いになってもおかしくない)


 脳裏に血みどろになって戦っている2人の姿が思い浮かび、更にはそれを止めるのは自分。

 実力的に言えばヴィヘラも止められないことはないだろうが、ヴィヘラの場合は寧ろ自分も戦いに混ざろうとする可能性が高い。

 戦闘狂なだけに、ランクA冒険者のエルクと本気で戦える機会というのは逃したくないだろう。


「確かにエルクや雷神の斧は戦力的に考えれば問題無いでしょう。ですが、ダスカー様にも去年の冬の件は報告がいっているのでは?」


 レイの口から出たその問い掛けに、ダスカーは一瞬の躊躇いも無く頷く。


「分かっている。向こうがエルクの息子を人質にしてお前を殺すように脅した件だな?」

「はい。エルクの性格を考えれば、向こうで一悶着起きるのは確実かと」

「だろうな。確かにその可能性はある。……いや、可能性とは言わずとも確実に騒動が起きると言ってもいい。だが、他に有効な戦力が無いのも事実なんだよ。ベスティア帝国にだって当然高ランク冒険者はいる。その冒険者が俺の命を狙ってきた時に渡り合えそうな人材で、更に数日中に連絡が取れる相手となると、現状ではエルクしかいないのも事実だ」


 ギルムは辺境にあり、ミレアーナ王国の中でも多くの高ランク冒険者が集まる街だ。

 当然ランクA冒険者やランクB冒険者は、エルクやレイ以外にもそれなりに存在している。

 だが高ランク冒険者で身体が空いている者と言えば、現状ではエルクしかいなかった。

 いや、ランクB冒険者で身体が空いている者はそれなりにいる。だが、ヴィヘラやテオレームクラスの相手とやり合える実力があるかと言えば、答えは否だった。


「……事情は分かりましたが、テオレームとの件はどうするんです?」

「その辺は悪いがお前とエルクの妻のミンに任せるしかないだろうな。それと向こうと合流するのはミレアーナ王国内なんだろ? なら、その時に何とか騒ぎが起こらないようにして貰うしかない」

「簡単に言いますが、実際にやるのは俺なんですが」


 溜息を吐きながらそう告げるレイだったが、実際他に使える戦力が無い以上はエルクを連れて行くしか無いのも事実だ。


(……よし、ミンに任せよう)


 自分では荷が重いとして、エルクの妻であり凄腕の魔法使いでもあるミンに丸投げすることをあっさりと決めるのだった。

 実際、愛妻家でもあるエルクにとってミンはどうあっても頭の上がらない相手だ。レイがどうにかするよりは、穏便にことを済ませられる可能性は高い。


「ともあれ、エルクについての話は分かりました。なら、数日中にギルムを発つと思っておいていいのでしょうか?」

「ああ、そのつもりでいてくれ。国王派に対しての根回しや報告に関しては貴族派の方で手を打ってくれるように条件を擦り合わせておいた」

「……いつの間に?」


 対のオーブに関しては、レイがミスティリング内に入れて持ち歩いているので使うことが出来ない。

 そもそも対のオーブで会話が出来るのはエレーナであって、ケレベル公爵ではないのだが。

 そんなレイの疑問に、ダスカーはニヤリとした笑みを口元に浮かべて口を開く。


「ま、こっちにも色々と伝手はあるんだよ。幸い春の戦争のおかげで貴族派とはそれなりに友好的な関係を保っている。……上層部に限るがな」


 ダスカーの言葉に色々と疑問が残るレイだったが、それでも召喚魔法やテイマーでやり取りをしているのだろうと納得する。


「取りあえず話は分かりました。ではエルクが戻ってきたらギルムを発つ……という認識で構いませんか?」


 その言葉にてっきりダスカーは問題無く頷くと思ったレイだったが、何故か返事をせずに難しい顔で考え込む。

 そしてたっぷりと1分程黙り込んだ後、口を開く。


「レイ、確認だ。エルクがテオレーム……いや、この場合は閃光と言った方がいいか。その閃光と会った場合、騒動が起きるのは間違いないんだな?」


 確認するかのように尋ねてくるダスカーに、何を今更と思いながらもレイは頷く。


「寧ろエルクとの付き合いは俺よりもダスカー様の方が長いでしょうから、容易に想像がつくのでは?」

「……ふむ、確かにそうだな。それにエルクがいれば道中の安全は約束されたも同然、か。そしてレイが必要なのはベスティア帝国に入ってから。となると……」


 頭の中で考えを纏めるように呟き続けるダスカーをそのままに、レイは窓から外へと視線を向ける。

 既に日も昇っており、朝日……とは言えないが、それでも夏の午前中ということもあって降り注ぐ日光はどこか柔らかい。

 季節そのものが秋に向かいつつあるという影響もあるだろう。

 そんな風にレイが夏の終わりの空模様を眺めていると、やがて考えが纏まったダスカーが口を開く。


「悪いがお前は一足先にギルムを出て、向こうと合流予定のゴトに向かってくれないか? 向こうにしても、いきなりエルクと遭遇して襲い掛かられて……そのまま殺されても困るだろう?」


 その言葉を聞き、レイは確かにと納得せざるを得なかった。

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