第550話
「……本当にそれだけでいいのか?」
騎士がレイに向かってそう尋ねる。
レイの足下にあるのは、50本程の槍。
中には穂先が欠けていたり、あるいは柄の部分にヒビが入っているような物もあるが、その殆どは普通に使える槍であり、レイが好んで鍛冶屋や武器屋で買い集めているような物ではない。
このアジトにあった血塗られた刃の武器が仕舞われている場所にあった槍だ。
騎兵を中心とした傭兵団ではあるが、歩兵の類も普通にいる。そんな歩兵が使う武器として用意されていたのが槍だった。
今回の盗賊……否、血塗られた刃の討伐依頼の報酬として、マジックアイテムである懐中時計の他にレイはその槍を欲したのだ。
「ああ、他に使えそうなマジックアイテムはなかったし、金とかはもう十分にある。武器にしても普段使うのはデスサイズで十分だし、素材剥ぎ取り用のナイフも予備を含めて幾つもある。槍もある程度の在庫はあるけど、基本投擲用の武器として使うから予備はあればあっただけいいんだよ。それに……」
レイはチラリ、と足下の槍に視線を向けて小さく笑みを浮かべる。
「この槍は俺が集めている壊れた槍じゃなくて、殆どが普通に使える槍だ。投擲用の他に、いざという時に味方に渡して使うってことも出来るしな」
「レイが納得してるならそれでいいんだが……欲の無い奴だ」
どこか呆れたように呟く騎士と、それに苦笑を浮かべているランガ。そんな2人に向かって小さく肩を竦め、地面に転がっていた全ての槍をミスティリングの中に収納し、レイは改めてテントの中へと視線を向ける。
ゴブリンが持ち出したお宝の類に関しても、討伐隊の兵士達が可能な限り集めることが出来た。
もっとも、それでも血塗られた刃の頭目でもあるエベロギに言わせると半分くらいなくなっているらしいのだが。
そんな風に考えていたレイは、ふとテントの中にある宝石へと目を止める。
木々の間から伸びる夕日に照らし出されているのは、大粒の緑の宝石。
5cm程の大きさを持つ、大粒のエメラルドだ。
不思議と目を引かれたそのエメラルドを手に取り、ふとトレイディアのことを思い出す。
理由は聞かなかったが、それでも金に困っていた様子だった。
それこそ、護衛の冒険者を雇うのも控える程に。
(……そう、だな。何だかんだ言ってあいつらには世話になったんだし)
内心で呟き、ランガと騎士に向かって口を開く。
「やっぱりこのエメラルドも貰うことにするよ。それでちょっと聞きたいんだが、俺が囮として使った商隊はどうだった?」
「うん? 彼等なら、一応林の外で護衛を置いて待って貰ってるよ。ここ最近騒ぎを起こしていた者達はこうして捕まえたけど、モンスターもいるしね」
「分かった。なら俺は一旦向こうに顔を出してきたいと思うけど、構わないか?」
レイの問い掛けに、ランガと騎士は空を見上げる。
既に夏の日差しも暮れかけており、夕日が木々の間を通して血塗られた刃がアジトとしていた場所にも降り注いでいた。
そんな2人を見ながら、レイは早速とばかりに懐中時計を取り出して蓋を開ける。
時刻は午後6時過ぎ。普段であれば、とっくに夕食を食べている時間だ。
「さて、どうするかね。今から捕虜を引き連れてアブエロなり、ギルムに戻るにしても時間を考えるとまず難しい。となると、迂闊に動かないでここで夜を明かして、明日の早朝に出た方がいいんだろうが」
騎士の言葉に、ランガが同感だという風に頷き、口を開く。
「そうなると、レイ君とセトには是非手助けして欲しいところだけど……どうかな?」
「分かった。ならトレイディアと会って用事を済ませたらここに戻ってくるってことでどうだ?」
レイの口から出た言葉に、ランガと騎士は目と目で会話をしてやがて小さく頷く。
「そうだね、それでお願いしよう。色々と負担を掛けるけど、よろしくお願いするよ」
「気にするな。こっちとしてはそのくらいなら全く問題無い程の報酬を貰ったからな」
ミスリルで出来た懐中時計を手の平の中で弄び、ミスティリングに収納してからその場を去る。
そんなレイの姿を見送った後、ランガと騎士はとにかく今夜一晩はこの地で過ごせるように部下達に向かって指示を出し始めるのだった。
「セト、ちょっと林の外まで飛んでくれるか?」
「グルルゥ?」
レイの言葉に、セトはロープで縛られている血塗られた刃の方へと視線を向けて喉を鳴らす。
それが何を意味しているのかを理解したレイは、問題無いとセトの首を撫でながら口を開く。
「ここの後片付けも大分終わってきたし、討伐隊の兵士にも大分余裕が出来た。逃げようとしてもあっさりと殺されるだけだろうから心配はいらないだろうな」
レイが縛られている血塗られた刃に向ける視線は、驚く程冷たい。
その理由の1つには、襲われた商隊の生き残りである女がどのような扱いをされていたのか。更にはゴブリンによって受けた仕打ちと、最終的にはそれが原因で息を引き取ったという報告を討伐隊の兵士がランガと騎士にしているのを聞いていたからというのも大きいだろう。
「それに、もし逃げても……その場合、俺とお前ならいつでも見つけられるだろう? そうすれば、こいつらは生まれてきたことを後悔する程の経験をさせてやるよ」
その一言に込められた怒気と殺気を感じ取り、ロープで縛られている者達は殆ど反射的に動きを止める。
いや、それだけではない。近くで血塗られた刃の者達を見張っていた討伐隊の者達も身動きが出来なくなっていた。
「……あ」
討伐隊の兵士の口から漏れ出た一言に、レイの身体から放たれる剣呑な気配が消え去る。
「悪い、ちょっと感情的になりすぎた」
「い、いや。大丈夫だ。こいつらがやってきたことを考えれば、そうなってもしょうがない」
声を漏らした者の隣にいた兵士が、首を振って気にするなと告げ、まだ動けない同僚の肩を軽く叩く。
それが合図になったのだろう。動けないでいた兵士もようやく我に返って、自らの見せた醜態に恥じらいの表情を浮かべる。
「じゃ、取りあえずここは頼む」
短くそれだけを告げ、レイはセトの背に乗って数歩の助走で空へと駆け上がって行く。
それを地上から見上げながら、兵士はしみじみとした口調で告げる。
「……正直、死ぬかと思った」
「ああ、俺もだよ」
「全くだ、ちょっと洒落にならないくらい怒ってたな」
「……ま、こいつらがやってきたことを思えば、それも無理はないだろうさ」
そんな声が聞こえてはいたが、血塗られた刃の者達は誰1人として動きは見せない。
それこそ、血塗られた刃を率いているエベロギですらも同様だった。
つい先程レイから放たれた殺気や怒気を感じた時に胸中に抱いたのは、絶対的な死。
指先を少しでも動かせば……否、そんな真似をしなくても、自分の死は確実に訪れると思い知らされた、そんな圧倒的な恐怖だった。
(……ついてねぇ。あんな奴と敵対したなんて)
エベロギは身体を動かせないままではあったが、それでも何とかそれだけを内心で呟き、自らの不運を噛み締める。
既に逃げ出そうという気は完全に消えていた。
もし自分達が逃げ出したと知ったら、確実にレイがやってくると想像出来てしまうが故に。
セトに乗って林の上空に出てから数分程で、街道の脇に止まっている3台の馬車が見えてくる。
兵士達がその周囲にいて、モンスターや盗賊の類を警戒していた。
そんな中に降りたったレイは、当然の如く最初は兵士達に武器を向けられたが、すぐにレイであると……より正確にはグリフォンのセトの姿を確認すると剣を下ろす。
「レイか、驚かすなよ。てっきりモンスターか何かだとおもったじゃないか」
レイの顔を知っていた兵士の1人が、文句を言いつつ笑みを浮かべるという器用な真似をしながら下ろした剣を鞘へと収める。
他の兵士達も同様に剣を鞘へと収めているのを横目に、レイは馬車の前でどこか所在なさげにしているトレイディアの方へと向かう。
「レイさん、こっちに来たってことは片付いたんですか?」
「ああ。あっちの方はもう大体な」
そんなレイの言葉に、トレイディアを始めとする商人だけではなく護衛として残されていた兵士達も思わず安堵の息を吐く。
いかに上司や同僚を信用しているとは言っても、そしてレイという規格外の戦力がいると理解してはいても、やはり実戦では何が起こるか分からない。それだけにこうして結果をきちんと知らせて貰えるというのは、兵士達としても非常にありがたかった。
「そうですか、おめでとうございます。それを知らせる為にわざわざ?」
「いや、もう1つ用事があってな。……ほら、これ。お前の取り分だ」
呟き、渡したのは大粒の……いや、寧ろ巨大と言ってもいいようなエメラルド。
夕日の光を反射するその宝石は、明らかに非常に高価な代物だった。
そう、トレイディアが率いている商隊では気軽に買うことが出来ない程の価値を持つ。
決してレイがやったように、気安く放り投げていいようなものではない。
そのエメラルドの価値を理解したトレイディアや、その仲間の商人達は目を大きく見開く。
「え? その、レイさん。これは……」
突然渡されたそのエメラルドに目を白黒させながら尋ねてくるトレイディアに対し、レイはミスティリングから取り出したサンドイッチをセトに与えながら、答える。
「だから言っただろう? お前の……正確にはお前達の取り分だって」
「いえ、ですから。なんで私達が取り分を貰えることになってるんでしょうか?」
「血塗られた刃とかいう奴等のアジトを突き止めるのに必要な囮役をやっただろ? あのおかげで一網打尽に出来たんだから、取り分を貰う資格は十分にある」
その瞬間、トレイディアの顔は複雑に歪む。
嬉しさと、本当なのかという疑問、後で何か別のものを寄越せと言われるのではないかという不審。
そんな複雑な表情を浮かべているトレイディアだったが、30秒程経つとやがてしっかりとエメラルドを握りしめてレイに向かって頭を下げる。
「ありがとうございます。レイさんに譲って貰った馬とこれがあれば……家も何とか……」
「ま、そう難しく考えるなよ。お前達がいなければ血塗られた刃を誘き寄せることも出来なかったんだし、そうなれば今回の件が解決するのももっと時間が掛かっていたんだからな。正当な報酬だと思って貰っておけばいい」
レイには、トレイディアの商隊が何故そこまで金に困っているのかは知らない。
あるいは何か盛大な物語があったのかもしれないが、現在の状況でそれに関わるつもりもなかった。
だが、金を必要とする者がいて、その人物の働きで大きな問題となっていた件が解決したのだから、相応の報酬はあってしかるべきだと思っただけでしかない。
「……ありがとうございます。この恩はいずれ必ず」
再び頭を下げ、その顔からは数滴の涙が地面へと落ちる。
そんなトレイディアを見ていたレイだったが、やがて軽く肩を竦めると、討伐隊の兵士の方へと視線を向ける。
「それでこいつらはこれからどうするんだ?」
「あー……そうだな」
一連のやり取りを見て驚いていた兵士だったが、やがて何かを思い出すように空中へと視線を向ける。
だが、その兵士が何かを思い出すよりも前に、もう1人の兵士が口を開く。
「とにかく今回の件は片付いたんだろう? なら俺達がこいつらをアブエロまで送っていくよ。元々ランガ隊長からはそう言われていたし」
「そうなのか? なら、頼む」
「ああ、任せておけ。討伐隊だ何だと言っても、結局俺達がやれたことは殆ど無かったしな。そのくらいのことはやらないと、ダスカー様にも顔向け出来ないし」
小さく溜息を吐きつつ、それでも自らのやるべきことを最低限はやろうという兵士の言葉に、レイは珍しく小さな笑みを浮かべて口を開く。
「そうか、じゃあ頼む。……ああ、腹が減ったらこれでも食ってくれ」
渡されたのは、ミスティリングから取り出された、10人分くらいはあるだろうサンドイッチが大量に入ったバスケット。
「お、ありがたいな。けど、いいのか? お前の分は……いや、聞くまでもないか」
「そうだな、俺の分はこっちに入ってるし」
右手に嵌まっているミスティリングを見せる。
ギルムの兵士だけあってレイがアイテムボックス持ちだと知っているだけに、その仕草だけで全て伝わったのだろう。兵士達は嬉しそうに笑ってバスケットを受け取った。
「じゃ、俺はこの辺で戻るけど気をつけてアブエロまで行けよ」
「はい、その……ありがとうございました!」
「色々と疑問もあったけど、お前さんを信じてよかったよ」
「取りあえず感謝だけはしておいてやる。……助かった」
「ランガさんにこっちは任せて欲しいって伝えてくれ」
そんな風に商人や兵士達からの言葉を聞きながら、レイはセトの背に乗ってランガや騎士達が待っている場所へと戻るのだった。
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