第551話
「いや、海の魚と川の魚だとこんなに違うものなんだね」
夜空に大きな月が昇って優しげな月光を地上へと降り注いでいる中、焚き火で焼かれた串焼きの魚を口に運んだランガが嬉しそうに告げる。
そう、レイが以前エモシオンで大量に購入した魚のうちの何匹かを振る舞ったのだ。
もっとも、野営であるだけにそれ程凝った料理が出来る訳ではないので、塩を振って串焼きにするという簡単な料理だけだったが。
だがミスティリングの中に入っている間は時が止まっている。つまり中の魚も獲れたての新鮮なものであるだけに、串焼きというシンプルな料理は討伐隊の面々の心を鷲掴みにした。
何しろギルム出身の者が多いし、冒険者としてやって来てギルムで軍や警備隊、あるいは騎士になった者達にしても、海の魚は初めて食べるという者が多い。
あるいは食べたことがあったとしても、それは干物や塩漬けといったように保存性を重視したものだった。
それだけに、ランガを含めた討伐隊の者達は海の魚を珍しげにしながらも、美味そうに口へと運ぶ。
「うわっ、何だよこの気持ち悪いの。これも本当に食えるのか?」
討伐隊の兵士の1人が叫ぶ。
その視線の先にあるのは、タコの一夜干し。
確かに色々と強烈な見た目であり、見慣れない者にしてみれば驚愕を覚えざるを得なかった。
だが……
「何を今更。普通にモンスターとか食べてるだろうに。……ん、美味い。噛めば噛む程に深い味が口の中に広まる。……酒が欲しくなるな」
「一応言っておくが、さすがに酒は出さないぞ」
40代程の兵士の言葉に、レイがどこか呆れた様な口調でそう告げる。
今は野営の最中であり、更に言えば少し離れた場所には数時間前まではここを拠点として盗賊行為を働いていた血塗られた刃の生き残りがロープで縛られて存在しているのだ。
見張りのレイの殺気や怒気に当てられて心をへし折られていたとしても、そんな者達の前で酔っ払うことは絶対に出来なかった。
酒が欲しいとぼやいた兵士も、それは分かっているのだろう。小さく肩を竦めて、焚き火で炙ったタコの一夜干しへと噛みつく。
「それにしても、アイテムボックスってのは本当に便利だよな。野営でこんなに新鮮な海の魚を食えるとか」
「そうそう、俺も心底そう思う。時々今回みたいに派遣される時があるけど、そういう時は1日目とかならともかく、2日目とかになると焼き固めたパンと干し肉とかだしな」
「あ、お前干し肉を馬鹿にするなよ。干し肉だってスープの具とかにすればかなり美味いんだぞ? 調理の腕次第……と言いたいんだけど、そもそも調理器具とか持ち運べないしな」
「確かに。調理器具を持ち運ぶような余裕があれば、もっとポーションとかを増やすし」
仲間内で会話を交わしつつ、焚き火の前で食事をする。
そのままやがて兵士達も血塗られた刃の監視や周囲の見張りを交代し、それぞれが食事を済ませ、野営の準備を進めていく。
幸いレイは今回の件で最も活躍した人物ということで、野営の見張りに関しては免除されていた。
もっとも、セトは相変わらずレイが少し離れた場所に用意したマジックテントの近くで寝転がって周囲を警戒していたが。
そうして、夜が過ぎていく。
「……ん?」
夜、マジックテントの中にあるベッドで眠っていたレイが、唐突に目を覚ます。
視線をマジックテントの入り口へと向けると、丁度そこではセトが顔をテントの中に突っ込んでいるところだった。
「グルルゥ」
「ああ、分かっている」
警戒を促すようなセトの声に言葉を返し、スレイプニルの靴やドラゴンローブを始めとした服を身につけ、ミスティリングから懐中時計を取り出して時間を確認する。
午前2時過ぎ。
日本にいる時でも、既に真夜中と言ってもいい時間だ。当然このエルジィンでは起きている者は非常に少ない。
1年以上をこの世界で暮らしてきたレイにしても、当然の如くその生活リズムが身体に染みついていた。
だが、それを覆すような何かが起きている……あるいは起きると知り、そのまま1分も掛からずに身支度を済ませるとマジックテントの外に出る。
テントの周囲を見回すが、野営地では多くの者が眠っている為に酷く静かだ。
微かな話し声が聞こえてくることもあるが、それは周囲の見張りをしている者達の声だろう。
その声が聞こえてくる方へと歩いて行くレイとセト。
やがて視線の先では、予想通りに討伐隊の兵士3人を見つけることに成功する。
レイが向こうを見つけたように、向こうでもレイを見つけたのだろう。
唐突に姿を現したレイに、一瞬持っていた槍の穂先を向けようとした兵士達だったが、レイの隣にいるセトを見ればすぐにそれが誰だか分かったのだろう。槍の穂先を下ろす。
「こんな夜中にどうしたんだよ。あまり驚かさないで欲しいんだけどな」
「ああ、見張りは俺達に任せて寝ててもいいんだぞ?」
「あ、でも夜食の差し入れなら歓迎だな」
それぞれの言葉を聞きつつ、しかしレイは何を言うでも無くミスティリングから槍を取り出し……
「え? おい、一体何を……」
兵士の1人が何かを言いかけるのを無視し、そのまま数歩の助走を付けて槍を投擲する。
空気を貫くかの如き速度で放たれた槍は、突然のレイの行動に思わず動きを止めた兵士の顔を掠めるように飛んでいき、茂みの中へと突っ込んで行く。
「ギャギョッ!?」
瞬間、上がる悲鳴。
頬を掠めるような軌道で飛んでいった槍に唖然としていた兵士だったが、自分のすぐ後ろから聞こえてきたその悲鳴に咄嗟に振り向く。
「っ!?」
「敵襲か!」
もう1人の兵士は自分に向かって槍を投擲された訳ではなかったので、我に返るのは早かった。
懐から笛を取り出し、大きく息を吸って吹く。
ピーッという甲高い音が周囲へと響き渡り、テントで眠っていた兵士達の意識を半ば強制的に覚ます。
その音が襲撃して来た者達にとっても合図となったのだろう。先程レイが槍を投擲した辺りの茂みが激しく揺れ……次の瞬間、そこから複数の小さな人影が飛び出してくる。
「グルルルルゥ!」
飛び出してきた影へと向かって飛び込んでいくセト。
振るわれる前足の一撃が茂みから飛び出してきた相手へと振るわれ、頭部を砕く。
「グギャ!?」
一撃で頭部を失った仲間を見た別の影がそう叫ぶが、その時には再びセトの前足が振るわれ、声を上げた相手の頭部を再び砕き、同時にもう1匹の相手の頭部をクチバシで貫通していた。
一瞬で3匹の仲間を失ったその存在は、しかし怯えるということもなく続々と茂みから姿を現す。
そうして林から出てきた相手に月明かりが降り注ぎ、ようやく兵士達は何が襲ってきたのかを理解する。
「ゴブリン!? くそっ、何だってこんなところに!」
「血塗られた刃の奴等が言ってただろ。モンスター除けのマジックアイテムを使ってるのに、なんでか昨日からゴブリンが迷い込んでくるって。こいつらもそれだ……ろっ!」
同僚へと声を掛けつつ、槍を突き出す。
鋭く突き出された槍は、セトから離れつつ野営地へと向かって入り込もうとしていたゴブリンの胸を貫通する。
(確かに妙だな。マジックテントのモンスターを寄せ付けないって効果は……この野営地の広さを考えれば効果が無いのは分かるが、それでも血塗られた刃が使っていたマジックアイテムの効果が無いのは何でだ?)
兵士の話を聞きつつ、ミスティリングから取り出したデスサイズを横に一閃。2匹のゴブリンの胴体を上半身と下半身に切断する。
周囲に広がる濃い血の臭い。
もしも今が昼であれば、肉や骨、あるいは切断面から零れ落ちる内臓の類がはっきりと分かっただろう。
(ゴブリンの内臓なんて、誰も見たがらないだろうけどな)
そんな風に考えつつ、自分の横を左右に分かれて通り抜けようとしたゴブリンの1匹をデスサイズの刃で切断し、そのまま石突きを逆方向のゴブリンに向かって突き出して鳩尾の部分に突き刺す。
ゴブリンが突き刺さった状態のまま力尽くで持ち上げ、少し離れた場所にいたゴブリンへと投げつけた。
『グギャッ!』
2匹が揃って悲鳴を上げるのを聞きながら、野営地の方へと視線を向ける。
レイの戦っている方へと10人程が向かってきており、他の場所に向かっている兵士の姿もあった。
(なるほど、こっちだけじゃなくて周囲全体から野営地に浸透してきてるのか。……にしても、ゴブリンの集落を潰されて逃げ散った奴等が集まったにしては、随分と数がいるな)
レイが強敵だと判断したのだろう。ゴブリンはなるべくレイから離れるようにして野営地の中を目指すが、レイは野営地全体の様子を観察しながらも、動き回ってはゴブリンを斬り捨てていく。
(いや、あるいは夕方にここを襲ってたゴブリンが味方を連れてきた……ってのはあり得るか。ここならテントとかもあるし、ゴブリンが過ごすのに十分だしな)
スレイプニルの靴を利用し、空中を数歩駆け上がって林の中へと着地する。
……そう、林の中。つまりゴブリンの集団の中へ、だ。
「飛斬!」
ゴブリンの集団とは言っても、特にリーダーらしい存在はいない。
リーダーという意味ではホブゴブリンがいたのだが、それも夕方にエベロギの手で殺されている。
もっとも、だからこそ厄介でもある。統率する個体がいないので、撤退のような判断が出来ずに延々と野営地へと向かっているのだ。
(纏める奴がいないってのは楽でいいけど、その代わり延々と戦い続けなきゃいけないってのか)
更に現在は夜だけに、ゴブリンもより凶暴になっている。
いや、夜になって凶暴になったからこそ、夕方に一度追い払われた野営地を再び襲撃する気になったのだろう。
散っていた仲間が集まって、より大きな集団になったというのも関係しているのは間違いないが。
「パワースラッシュ!」
轟っ!
力尽くで放たれたパワースラッシュは、5匹を超えるゴブリンと共に周辺に生えている数本の細い木をも切断する。
周辺に散らばる濃い血の臭いが、よりゴブリンの凶暴さを増す要因となっていた。
「昼ならとっとと逃げ出すくせに……面倒な!」
暗闇の中を縦横無尽にデスサイズの刃が煌めき、その度にゴブリンの命が1つ、また1つと消えていく。
そうして数分が過ぎ去った後……レイのいる場所に残っているのは、ゴブリンの死骸と周囲に漂うゴブリンの血や体液の臭いのみとなっていた。
「ま、ゴブリンなら凶暴になっていてもこんなもんだろ」
呟き、自分とは離れた場所でゴブリンを蹂躙しているセトへと視線を向ける。
普段はレイと一緒に戦うことの多いセトだが、今回の場合は離れて戦った方が効率的だと判断したのだろう。
振るわれる前足は、文字通りの意味で当たった瞬間には頭部を粉砕し、あるいは上半身を引きちぎっていく。
そんなセトの戦闘を流し見て、レイもまた同様に離れた場所で戦っている味方の援軍に向かう。
「……死者が出なかったのは幸運だったね」
ゴブリンの殆どが殺され、数少ない生き残りのゴブリンも逃げ出してようやく一段落した中で、近づいてきたレイに向かってランガが呟く。
「ああ。怪我人は多少出たようだが……所詮はゴブリンだしな」
小さく頷き、自分の隣にいるセトの頭を撫でつつレイが答える。
それが気持ちよかったのか、セトは目を細めて機嫌良さげに喉を鳴らす。
そんな1人と1匹の様子を眺めていたランガは、荒れていた気持ちが落ち着くのを感じる。
「とにかく襲ってきたゴブリンは撃退したし、あれだけ手ひどくやられたのを思えば、これからまた襲ってくるとも思えない。少なくても今夜一晩はね」
「だろうな。ただ、それでも……」
「分かっているよ。念の為に見張りはもう少し厳重にするつもりさ。血塗られた刃の連中が混乱に紛れて逃げ出さないとも限らないし」
ゴブリンの襲撃により、ロープで縛られていた血塗られた刃の者達も当然襲われはしたが、その辺は見張りの兵士達が無事に撃退していた。
だが、その際に逃げ出そうと考えた者がいなかった……というのは、ありえないだろう。
そう判断したランガの言葉に、レイもまた頷く。
逃げ出したりしたら、生まれてきたことを後悔させてやる。そんな風に宣言していたが、それでも一縷の希望に望みを懸けるというのは分からないでもなかった。
「ま、その辺は任せる。まだ夜中だし、俺はもう少し眠らせて貰うよ。モンスターが襲ってきたらまた起きてくる予定だから、その辺はよろしく頼む」
レイの言葉にランガは頷き、そのままレイはマジックテントの方へと戻って行く。
……尚、マジックテントの弱いモンスターを近づけさせないという効果はきちんと発揮されていたのか、ゴブリンに荒らされた様子は一切存在しなかった。
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