第528話
両手には手甲、両足には足甲。そして身体を覆っているのは踊り子や娼婦が着るような、向こう側が透けて見えるような薄衣を幾重にも重ねた扇情的としか表現出来ないような衣装。
戦士と踊り子という、まるで違う職業の装備でその身を彩っているヴィヘラだったが、その姿は不思議と違和感が無い。
戦士でもなく、踊り子でもなく、娼婦でもなく……目の前にいる者こそがヴィヘラだ、と。不思議な程に納得してしまうレイ。
勿論、ヴィヘラの蠱惑的ともいえる身体を覆っているそれらの装備は、単に相手に油断を誘ったり、あるいはその目を楽しませるといったようなものではない。
その全てが強力なマジックアイテムでもある。
手甲は魔力を爪の形に形成する能力を持っており、足甲は踵から刃を生み出す能力を持っている。
身体に纏っている薄衣に至っては、見かけとは裏腹に高い魔法防御力を持つ。
ヴィヘラの実力を理解出来ない者が見れば侮りしか見せないが、知っている者が見れば脅威を覚えるマジックアイテムの数々。
そんな装備を身に纏ったヴィヘラが、降り注ぐ月光をその身に浴びながらレイを待っていた。
エレーナを昼や太陽の象徴とするのなら、今レイの視線の先にいるヴィヘラは、夜や月の象徴といったところか。
そんなヴィヘラに向かい、レイは口を開く。
「待たせたか?」
「いいえ。相手を待つというのも、逢い引きの楽しみ方の1つでしょう? 待っている相手との一時を想像しながら待つのって、いかにも乙女という感じがしないかしら」
ニコリ、と笑みを浮かべて尋ねてくるヴィヘラ。
確かに口元には笑みが浮かんでいるのだが、その瞳には隠そうにも隠しきれない闘争を望む色が現れていた。
また、いつもなら逢い引きという単語に反応しそうなエレーナも、今日は何も言わずにそっとセトやイエロと共に後ろへと下がる。
ヴィヘラの方でも、側にいたビューネが無言で後ろへと下がっていく。
その様子は、まるでこの場における主人公はレイとヴィヘラであって、自分達ではないと無言で示しているかのように。
月明かりが降り注ぐ中、5m程の距離を取って向かい合うレイとヴィヘラ。
夜の公園で向かい合う男と女。あるいはこれだけであれば、本当に恋人同士の逢瀬と思った者もいたかもしれない。
だが、その向かい合っている2人は両方共がそのままダンジョンに向かえるだけの装備を調えているとなれば、恋人同士というには無理があるだろう。
あるいは、冒険者の恋人同士と言われれば納得した者もいたかもしれないが。
「さて、どうだろうな。……それよりも早速始めるのか?」
「ええ、ええ。勿論よ。話が早いのはさすがね。そんなところも……いえ、この件は後にしましょう。今はまず、思う存分闘争を楽しみましょう」
言葉の途中で小さく首を振り、そのまま手甲を装備した手を構える。
瞬間、手甲から魔力によって形作られた爪が伸び、同時に足甲の踵からも刃が姿を現す。
「どうやらそっちの準備は万端のようだな」
そんなヴィヘラへと視線を向けつつ、レイもまたミスティリングからデスサイズを取り出して両手で持って構える。
既に慣れた、いつもの構え。
だが、今レイの前にいるのは、ダンジョンで戦ったどんなモンスターよりも強力な相手であるのは間違い無い。
「じゃあ……始めましょうかっ! 私の想いを受け止めてちょうだいっ!」
その言葉と共に、地を蹴って間合いを詰めるヴィヘラ。
格闘による近接戦闘を得意としているヴィヘラにとって、長柄のデスサイズを使っているレイとの戦いでまず最初の山場は、その間合いをどうやって詰めるかだ。
当然レイもそれを知っている以上、ヴィヘラを近寄らせずに自分の間合いで攻撃を仕掛ける。
「地形操作」
そう口にしつつ、デスサイズの石突きを地面へと叩きつけるレイ。
瞬間、レイを中心にして半径10m程の地面が10cm程沈み込む。
たかが10cm……されど10cm。特に地面を蹴ってレイとの間合いを詰めようとしていたヴィヘラにしてみれば、予想外と言うしかない攻撃方法だった。
本来であれば地面につく筈の足が、10cm分足りないその感触に一瞬だけだが混乱する。
ほんの一瞬ではあったが、レイにとってみれば攻撃をするのに十分な隙。
「はあああああぁっ!」
魔力を通しながら振るわれるデスサイズの刃。
ヴィヘラは、自らの命を狩らんとして振るわれるその刃に気が付き、咄嗟に地面を踏みしめて突撃の勢いを止める。
そして振るわれる刃。
ヴィヘラが足下の混乱を無視してそのままレイへと向かって突っ込んでいれば、恐らくは刃がその身を襲っていただろう。
戦闘狂としての勘でそれに気が付いたからこその、本能的な動きだった。
だが……それすらも、レイにとっては予想通り。
期間としては短いが、それでもヴィヘラと共に幾度となく戦闘を繰り返してきたのだ。そうである以上、この程度で動きを止めるとは思ってはいない。
故に、レイは空間そのものを大鎌の刃で斬り裂いた後、そのままの勢いを利用してその場で一回転しつつ再びスキルを発動する。
「飛斬!」
放たれる斬撃。
縦ではなく横向きに放たれたその斬撃を、ヴィヘラは腰を落として回避する。
頭の数cm上を通り過ぎる斬撃。
それを最後まで確認せず、再び地を蹴ってレイとの間合いを詰める。
猫科の大型の肉食獣を思わせるような、しなやかな体捌き。
それを見たレイは、身体の大きさはまるで違うというのに、まるでセトと相対しているかのような錯覚を受ける。
「はぁああぁっ!」
まだ遠い間合いから横薙ぎに振るわれる拳。
普通なら届かない攻撃だが、ヴィヘラの場合は手甲から延びている爪がある。
その爪が、レイの胴体を覆っているドラゴンローブへと向かうが……
「させるか!」
デスサイズの柄を握っていた手首を返し、石突きの部分で振るわれた手甲を上へと弾く。
しかし、ヴィヘラはそれすらも自らの一連の動きの中に織り込んでいた。
石突きを上へと弾いた結果出来た、一瞬の隙。
その隙こそが、ヴィヘラの狙っていた好機。
上へと弾かれた手甲の勢いを力ずくで強引に殺し、弾かれた右手を手元に戻しつつ1歩を踏み込む。
そうしてヴィヘラはレイの間合いの内側、デスサイズの攻撃範囲外とも言える懐の中へと入り込んだ。
デスサイズの攻撃範囲外でありながら、自分の攻撃範囲内。
そうして振るわれるのは、自らが絶対の自信を持っている拳。
レイのドラゴンローブが斬撃に強い耐性を持っているというのは、以前ヴィヘラも聞いていた。そうして同時に、斬撃自体は防げるが、その衝撃までは殺せないということも。
それを認識したまま、なるべく衝撃が防具を通り越して体内へと浸透するように拳を突き出し……だが、次の瞬間レイの声が夜の公園に響き渡る。
「マジックシールド!」
その声と共に形成される光の盾。
当然突き出された拳がレイの身体に命中するまでに完全な光の盾が作り出される訳では無い。だが、それでも形成されつつあった光の盾は、ヴィヘラが振るった拳の威力の大部分を吸収し、そのまま霞の如く消え去っていく。
同時に中途半端なマジックシールドであった為、吸収しきれなかった衝撃はレイの身体へと叩き込まれる。
「ぐぅっ!」
呻き声を上げつつ、5m程吹き飛ばされるレイ。
それを見たヴィヘラは、ニヤリとした笑みを浮かべる。
そこにあるのは喜び。
自分の攻撃で吹き飛んだように見えたレイだったが、実際は拳が当たる直前に軽く跳躍して、自ら後ろに跳んで衝撃の殆どを殺したのだ。
……そこまでやっても尚、ドラゴンローブを通してある程度の衝撃がレイの身体に叩きこまれた辺りに、ヴィヘラの持つ希有な戦闘の才能が現れていた。
レイは吹き飛ばされた衝撃のダメージはあるものの、手足で地面を削りつつ何とか体勢を立て直す。
だが、吹き飛ばされた方向へと視線を向けたレイが見たのは、今にも自分の頭部へと向かって振り下ろされようとして高く掲げられている、ヴィヘラの踵。
月光によりその足は艶めかしい程の白さを見せていたが、それを見る様子すらもなく地を蹴って横へと跳ぶ。
一瞬前までレイのいた場所へと踵が命中し、そこに生えていた刃が地面を抉って踵の威力により地面が数cm程度だが放射状に陥没する。
横へと跳んだレイはデスサイズを握っていない左手を地面に突き、その勢いで身体を反転。スレイプニルの靴を発動し、空中に作られた足場を鋭く蹴りつけてヴィヘラへとの距離を縮めていく。
「好き勝手にさせるか!」
叫び、手首を返して石突きをヴィヘラの方へと向けてスキルを発動する。
「ペネトレイト!」
石突きの周辺に風が纏わり付き、その貫通力を上げる。
オリキュールとの戦いで見せた攻撃方法だけに、ヴィヘラもその危険さは知っていたのだろう。だが……それでも逃げもせず、自分の腹部目掛けてレイが身体ごと突っ込んで来る石突きを迎え撃つ。
選んだ迎撃方法は、蹴り。
自分の腹部へとデスサイズの石突きが突き出されたのを見計らい、ブリッジをするかのように後ろへと倒れる要領で、空中を貫いたデスサイズの柄を蹴り上げる。
本来であればそのような行為をした場合、石突きの周辺に纏わり付いていた風によりダメージを受けるのだが、ヴィヘラが身に纏っている薄衣は魔法のダメージを軽減する効果を持つ。
プリが放った雷の檻をまともに食らっても、肌に微かな傷すら付けなかったのだから。
当然薄衣が効果を発揮するには魔力が必要だったが、石突きをまともに受けたのではなく、その周辺に纏わり付いている風だけだ。
それだけであれば、殆ど魔力を消費することなく防ぎきることに成功する。
そうして放たれた蹴りは、ヴィヘラの狙い通り確かにデスサイズを上空へと高く弾き飛ばすことに成功する。
この時ヴィヘラにとっての誤算があったとすれば、レイが自らの得物でもあるデスサイズが吹き飛ばされても全く動じず……更には、その吹き飛ばされた愛用の武器に対して未練を残さなかったことだろう。
100kgを超える重量を持つデスサイズを蹴り上げたことにより、ヴィヘラの動きが一瞬止まったというのも影響しているかもしれない。
デスサイズを蹴り飛ばされたレイはそれに構わず……動きを止めたヴィヘラの腹部へと自らの速度を十分に乗せた拳をめり込ませる。
「きゃあっ!」
薄衣はあくまでも魔法対策用で、物理攻撃に対しては殆ど防御力が無かったのだろう。まともに腹部に打撃を受けたヴィヘラは、そのまま悲鳴を上げながら水平に吹き飛んでいく。
それでも痛みに顔を顰めつつ、空中で身を捻って態勢を立て直したのは高い戦闘本能が為せる無意識の行動だったのだろう。
そのまま先程のレイと同じように両の手足で地面を削りつつ速度を殺し、腹部に食らった打撃で咳き込みつつも素早く周囲を見回す。
幸い、先程ヴィヘラが行ったような追撃を仕掛けはしなかったらしく、レイは拳を振り切った場所で空中から落下してきたデスサイズをその手で掴み取っていた。
「けほっ、全く……女を傷物にするってのがどういう意味があるのか分かってるんでしょうね?」
殴られた衝撃で青黒くなっている腹部を、薄衣の上から撫でながらレイへと向かって言葉を紡ぐ。
「人聞きの悪いことは言わないで貰いたいな。何も知らない相手が聞いたら誤解するだろ」
普通の何も知らない人間が傷物にされたと聞けば、間違い無く身体を重ねたという意味に取るだろう。しかもそれを言っているのが類い希な美貌と男好きのする肉体を持っているヴィヘラなのだから、それ以外の意味では取られない筈だ。
「ふふっ、レイとなら私は構わないわよ? ……まぁ、こうまで派手にやり合っていれば警備隊がここに来るのも時間の問題でしょうから、そろそろ片を付けましょうか。正直、私としては永遠にこの戦いを楽しんでいたかったのだけど」
心底残念といった様子で呟くヴィヘラ。
何しろ前日にシルワ家とマースチェル家の抗争があったばかりだ。どうしても警備兵達も神経を尖らせているし、同時にエグジルの住民に関しても戦いの気配に神経質になっているのは事実だ。
迷宮都市の住民とは言っても、別にその住民達が直接ダンジョンの中に潜る訳では無いのだから、ある意味では当然ではあったが。
「そうだな。……なら、これを最後の一幕としようか」
レイの言葉を聞き、腹部に軽くないダメージを負っているにも関わらず、ヴィヘラはそんな痛みなど存在しないかのように立ち上がりレイに向かって構える。
それに対し、レイもまたデスサイズを両手で持ち、向かい合う。
まるでレイとヴィヘラの2人のみが舞台に上がる役者であるかのように月光が降り注ぎ、夏特有の高い湿気のある温度ですら2人の舞台を盛り上げる演出の如く。
お互いに向き合い、視線の先にいる相手だけが唯一自分の世界の中にいる。
そんな状態でお互いがお互いを見つめ合い……やがて、その時が訪れた。
理由は何だったのだろう。降り注ぐ月光が微かに陰ったのか、あるいは遠く、遠く、ひたすら遠くに離れているかのような街の夜の喧噪だったのか。
ともあれ何らかの理由により、レイとヴィヘラの2人は同時に地を蹴り、影すら踏ませぬ速度でお互いに間合いを詰め、相手を自らの攻撃範囲の中に取り込もうとして……次の瞬間、唐突に動きを止める。
レイの振るうデスサイズの刃がピタリとヴィヘラの首筋へと突きつけられ、ヴィヘラの手甲は魔力によって生み出された爪が伸ばされてはいたものの、その爪の切っ先はレイに届いていない。
もしヴィヘラがそのまま爪を振るおうとしても、その前にデスサイズの刃がヴィヘラの首を斬り飛ばすことになるのは確実であり、誰の目にも勝敗は明らかだった。
その間合いでお互いに攻撃を止め、じっと相手を見つめる。
レイはヴィヘラを。ヴィヘラはレイを。
この世にいるのは2人だけであるかのように。
それ自体は先程と同様だったが、2人の間に流れる雰囲気は確実に違っていた。
そんな雰囲気の中、やがてヴィヘラがポツリと口を開く。
「私の負け……ね」
「ああ。俺の勝ちだ」
短い言葉の交差。
だが、ヴィヘラの口から漏れている言葉に悔しさは全く存在していない。寧ろ喜ぶかのように自らの敗北を受け入れている。
「……レイ、貴方は私に勝った。それもこれ以上無い程完全に。……これで私は貴方のものよ」
そう告げ、ヴィヘラの口から出た言葉にどういう意味かを問い掛けようとしたレイの唇を……ヴィヘラは己の唇で塞ぐのだった。
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