第525話

 部屋の中に眩しい光が差し込んでくる。

 既に朝日とは呼べないような光を浴びつつ、レイは眠っていたベッドの上で目を覚ます。

 そのまま壁に掛けられている時計へと目を向けると、既に10時を多少過ぎた時間帯となっていた。

 貴族や大商人が泊まる高級な宿でもある黄金の風亭だけあって、快適に過ごす為のマジックアイテムは潤沢に使用されている。

 例えば真夏の昼近くにも関わらず、全く暑さを感じさせずに涼しく過ごせているというこの状況や、レイの視線の先にある時計というのもまたそれだ。


「……寝過ぎたな。いや、昨日は遅かったんだからしょうがないか?」


 頭を掻きつつ、昨夜のことを思い出す。

 マースチェル家での家捜しともいえる行動は、日付が変わった頃にようやく終了したのだ。

 その後は翌日にシルワ家に訪れることをボスクと約束し、レイとエレーナは黄金の風亭へと戻ってきて自分の部屋でベッドに倒れ込むようにして眠りにつき、レイが起きたのが今だった。


「あー……取りあえず朝食でも食うか。いや、昼食か?」


 若干の寝不足と、暑すぎず涼しすぎない気温に再びベッドへと倒れ込みたくなるのを我慢しながらも、素早く身支度を整えていく。

 やがていつものようにドラゴンローブを身に纏った時、レイの頭は眠気をすっかりと取り払われていた。

 この辺もゼパイルに作られた身体の機能なのだろう。便利だから構わないが。

 そんな風に内心で考えつつ食堂のある1階へと降りていったレイは、そこで見えた光景に思わず溜息を吐く。

 テーブルに座ってパンとスープ、サラダ、ベーコンエッグ、果物といった朝食を食べているエレーナ。

 それは予想出来た光景ではあったのだが、何故か同じテーブルで同じような食事をしているヴィヘラとビューネは予想外だった。

 一瞬、昨日のオリキュールとの戦いの後の険悪な雰囲気を思い出したものの、幸い公共の場でそんな雰囲気を撒き散らすような真似はしていないのに安堵をしつつ、軽い朝食を注文してからエレーナと同じテーブルにつく。

 ちなみに、大食いのレイが何故軽い食事で済ませたかと言えば、やはりもう2時間もしないうちに昼だからという理由もあるのだろう。


「あら、おはよう。昨夜は良く眠れたかしら」


 レイが椅子に座るなりそう尋ねてきたヴィヘラへと頷き、朝食の前にとウェイトレスが持ってきた冷たい果実水を飲みながら周囲を見回す。

 既に昼近いというのに食堂にはまだ大勢の客の姿が残っており、自分の近くにいる客達と言葉を交わしている。

 つい先日シルワ家とレビソール家の抗争があったというのに、今度はシルワ家がマースチェル家に攻め込んだのだ。色々と心配になっている者も多いのだろう。


「シルワ家は何を考えている!? もしかして自分達がこのエグジルを支配しようとしているのか!」

「馬鹿な、そんなことは絶対に有り得ない。私はボスク様と面識があるが、あの方はそんな面倒くさいことを自ら好んでするようなことはしないさ」

「だが、現実にこの短期間でレビソール家、マースチェル家と抗争を巻き起こしているんだぞ。結果が全てを証明しているじゃないか」

「実はボスクさんじゃなくて、あの執事長……サンクションズとか言ったか? あいつが裏で糸を引いているとかは?」

「なるほど、切れ者だってもっぱらの噂だしな。自らの主をいいように踊らせている訳か。可能性はあるな」

「うーん……確かに見た目は切れ者だけど、私が見た限りだと主を裏切るようには見えなかったわよ? どちらかと言えば固い絆で結ばれているように見えたんだけど」

「それこそ切れ者だって言うんなら、その程度取り繕うのは難しくないさ」

「ともあれ、だ。このまま騒ぎが収まるのならいいんだが、これ以上騒動が続くようなら早めにエグジルから退避した方がいいだろうな」

「いいねぇ、そっちは。こっちなんか3日前にエグジルについたばかりだから、これから商談を始めようってところだったのに」

「武器……は駄目だろうな。何しろ迷宮都市だけあって、ここの鍛冶技術は高い。やっぱり無難に食料か?」

「けどさ、ダンジョンの中からかなり潤沢に食料は取れるって聞いたぞ? 特にモンスターの肉なんかよりどりみどりだろ」

「いやいや、ある程度金を持っているならともかく、一般人は普通に他から運ばれている食料を買ってるよ」

「聖光教に警備隊が向かったって話もあるけど……何か関係あるのか?」

「聖光教に? また意外なところが絡んできているな」


 そんな風に聞こえてくる周囲の声を聞き流しつつ、レイは冷たく冷えた果実水を飲みきったコップをテーブルの上に置く。


「良く眠れたって言ってもな。戻ってきた時間が時間だから、どうしても寝足りない感じはあるよ」

「そう? まぁ、エレーナから聞いてはいるけど、私とビューネが帰った後にも色々と大変だったんですって?」

「ん」


 林檎のような果実を一口サイズに切ったものを、フォークで口に運びながらビューネが頷く。

 エレーナにしても、ここで騒動を巻き起こすつもりはないのかヴィヘラとビューネの言葉に大人しく頷く。


「ああ。マー……いや、遠い親戚を呼んだのはいいんだが、それが何も分かっていないような奴でな。自分の言うことを聞けとかなんとか、そんな感じだった」


 マースチェル家やボスクといった言葉を口にしなかったのは、もしそれを口にして周囲にいる食堂の客達に聞かれると面倒なことになるだろうと思ったからだ。

 周囲にいるのが冒険者だけなら、ヴィヘラという戦闘狂や、フラウト家の生き残りであるビューネ、最近エグジルでもかなり有名になったレイに対してちょっかいをだしてくるとは思わなかったが、それが商人であれば柔らかい態度で接してきて、それでいながら情報を引き出すまで離すようなことはしないだろうという認識がレイの中にあった。

 勿論商人達にしても、エグジルの情勢やその中心にいるだろうシルワ家の動向は自分達の生命に直結するかもしれない出来事だ。それだけに少しでも情報を得ようとするのは当然である。


(ま、俺の考えすぎかもしれないけどな)


 内心で呟き、周囲を見回すレイ。

 そこでは多くの商人が少しでも情報を得ようと近くにいる相手と話し合っている。

 中には冒険者もおり、昨日の騒動に参加していた者の姿もあったが、自分達もそんな相手に巻き込まれるのを嫌ったのか特に昨日の件を話している様子は無い。


「お待たせしました、こちら朝食となります」


 そんな騒動の中ウェイトレスが運んできた朝食を食べたレイは、そのまま妙な騒ぎに巻き込まれるよりはマシだろうと早速シルワ家へと向かうのだった。






「さすがに物々しいな」


 馬車の中から外を見回しつつ呟くレイ。

 既に街中では昨夜起きたマースチェル家とシルワ家の抗争があったことが広まっているのだろう。

 こうも短期間で起きたエグジルを治めている家同士の抗争。

 それをエグジルの住民が不安に思うのは、ある意味当然だった。

 もっともレビソール家の時とは違って当主が逃げ出したといったことはなく、抗争が起きたのが夜に入ってからであり、街中での戦闘も無かったことから以前よりは落ち着いているが。

 実際にエグジルを治めるのが住民の信望を得ているシルワ家だけになったのも大きいのだろう。


「そうだな。それに……今回の件は国からの手が入るのは間違い無い。本格的に騒がしくなるのはこれからかもしれないな」


 レイの隣で外を見ていたエレーナがそう返す。

 そんなエレーナとは反対側のレイの隣にはヴィヘラが、ヴィヘラの膝の上にはビューネの姿がある。

 尚、その2人がいる代わりではないが、セトとイエロの姿はない。

 一応出掛ける時に一緒に行くかレイが厩舎で尋ねたのだが、睡眠を楽しむ方を選んで厩舎の中でイエロと共に寝転がっていたのだ。

 現状で無理に2匹を連れて行く必要もないだろうと判断したレイとエレーナにより、今頃はゆっくりと眠りの世界に旅立っているだろう。

 2匹を撫でるのを楽しみにしているビューネは表情を特に変えはしなかったが、それでもやはりどこか寂しそうだったが。

 だが、やがてビューネはヴィヘラの薄衣へと手を伸ばして軽く引っ張る。

 昨日の戦いでそれなりに汚れていた筈なのだが、ヴィヘラが今着ている薄衣はどこからどう見ても新品のようにしか見えなかった。

 馬車の中にいる乗客の中でも、男の乗客は周囲を見回す振りをしてヴィヘラの身体へと視線を向けているが、本人に全く気にした様子はない。

 元々この姿は自分に戦いを挑む相手を呼び込むものであるだけに、冒険者でも何でもない男からの視線は自然と気にしないようになっていたのだ。

 勿論それがあからさまに舐めるような視線であれば話は別だが。

 そして、馬車の中にいる男の冒険者はヴィヘラがどのような人物かを知っている為に、必死で視線を向けないように頑張っている。

 そんな相手に苦笑を浮かべつつ、ビューネが何を言いたいのかを理解して頷く。


「ん? ああ、そうね。……ねぇ、エレーナ。これからこのエグジルはどうなるのかしら?」


 周囲に聞こえないような小声で問い掛けられ、エレーナは少しの間考え、口を開く。


「そうだな、これはあくまでも私の予想だが……恐らくはこれまで通りという訳にはいかないだろう。少なくてもマースチェル家は取り潰しとなる筈だ。それはいいな?」


 その言葉に、レイ、ヴィヘラ、ビューネの3人は頷く。

 さすがにこれだけの騒動を巻き起こしたとなれば、それもやむを得ない措置だと納得していたからだ。



(それを考えれば、昨日マースチェル家に来たあの男は色々と騒ぐだろうが……下手に騒ぎすぎると、それこそ闇から闇に……なんて風になるだろうな)


 昨日散々喚いていた男の顔が脳裏を過ぎるが、エレーナはそれに気が付いた様子もなく言葉を続ける。


「そうなれば、私が考えられる可能性としては2つ……いや、3つか。まず一番可能性が高いのは、現状を維持しつつも国から監督官のような人物が送り込まれることだ。この場合は多少制限が増えるかもしれないが、それはあくまでも上に限ってのことで、エグジルの住人はこれまでの暮らしとそう変わらないと思われる」


 エレーナの口から出た言葉に、ビューネは無言で頷く。

 既にエグジルを治めるという立場にフラウト家がいない以上、ビューネにとっては受け入れやすい案だったのだろう。


「次に、エグジルの自治権を取り消して国からこの地を治める貴族が派遣されてくる可能性だな。どこの派閥の貴族が派遣されるかにもよるが、そうなれば色々とエグジルの仕組みは変わることになるだろう。派遣された貴族によってはこれまでよりも暮らしやすくなるかもしれないが、逆に自らの懐に入れる為に税を上げるような貴族が派遣されるかもしれない」


 その言葉にビューネは微かに眉を顰め、エグジルの自由な雰囲気が好きなヴィヘラは溜息を吐きながら口を開く。


「……前者ならともかく、後者のような貴族が派遣されてきたら下手をしたら反乱になるわよ? ダンジョンがあるだけに冒険者の数も多いし、そうなれば派遣されてきた貴族にどうこう出来るとは思えないけど」

「だろうな。それに善良な貴族が派遣されたとしても、間違い無く今より自由は減るだろう。例えば街中で戦闘をしようものなら、ただちに警備兵がやってくるというくらいにはなるかもしれん」

「最悪ね」


 戦闘を好むヴィヘラにしてみれば、その瑞々しい唇から出た言葉のように最悪に近い出来事だろう。

 それは同時に、現在のエグジルを気に入っている冒険者の多くを……迷宮都市として成立させている最大の要因でもある者達を去らせるかもしれないということだ。

 勿論多少の面倒があるからといって全ての冒険者が迷宮都市のエグジルを去るとは限らない。家庭を持った、エグジルの住人が好きだ、その他諸々の理由でエグジルから出て行かない者もいるだろう。

 だが、迷宮都市というのはエグジルだけではなく、他に幾つもあるのだ。そうである以上、窮屈であってもエグジルに居続けるという者は出て行く者よりも少ないのは確実だった。

 これが普通の住人であればエグジルの外を移動するのはモンスターや盗賊の存在があって躊躇するかもしれない。だが、冒険者となれば話は別だ。

 そもそも、現在エグジルにいる多くの冒険者が自分達でやってきたのだから、エグジルの外を移動するというのを躊躇することはないだろう。

 そして、客が少なくなれば訪れる商人も自然と少なくなるのは自明の理だ。


「そうだな。だが、私としてはこうなる可能性はそれ程高くないと思っている。何しろ、下手をすればこれまで多額の税収を納めていたエグジルから支払われる金額がどっと少なくなる。その辺を国が考えないとは思えぬしな」


 エレーナの言葉を聞き、ほっと安堵の息を漏らすヴィヘラとビューネ。

 

「で、最後の可能性は?」


 そんなヴィヘラの言葉に、小さく肩を竦めたエレーナは口を開く。


「現状の自治都市のままとする。これが出来れば税収に関しても、ダンジョンから取れるマジックアイテムや素材も今まで通りとなるが……正直、難しいだろう」

「……まぁ、エグジルを治めていた3家のうち2家が問題を起こしているしね」

「ん」


 残念そうな顔で呟くヴィヘラに、同意するビューネ。

 そんな風に会話をしながら馬車に揺られ……やがて目的地でもあるシルワ家の屋敷の近くへと到着する。

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