第515話

 ヴィヘラの口から出た、エレーナという名前に真っ先に反応したのはある意味当然のことではあったがレイだった。

 更にエレーナの横から滑り込むようにして広間の中に入ってきた何かが、真っ直ぐに自分の方へと向かってくるのも感じ取る。

 それが何かというのはレイにとっては考えるまでもなく明白だった。

 故に、いきなりのエレーナの参戦に一瞬……ほんの一瞬だけではあるが気を逸らしたオリキュールへとデスサイズを振るう。


「くっ!」


 それをレイピアで受け止めるオリキュールだったが、一瞬の隙を突いたレイの攻撃に体勢は万全とは言えずに2m程吹き飛ばされ……


「グルルルルルゥッ!」


 レイとオリキュールの間合いが開いたのを丁度いいと、セトが前足を振るう。

 それもただの一撃ではない。パワークラッシュのスキルを使用した一撃だ。


「ぐおおおっ!」


 だが、その攻撃すらもオリキュールはソードブレイカーを盾として防ぎ……威力を押さえきれずに、そのまま吹き飛ばされる。

 それでも致命的な一撃を食らわなかったのは、吹き飛ばされた時に破片として砕け散ったソードブレイカーのおかげだったのだろう。


「グルゥ、グルルルルゥ」


 レイとの再会に喜びの声を上げつつ、セトは吹き飛ばされたオリキュールへと鋭い視線を向ける。

 怒れるグリフォンという、冒険者であれば絶対に遭遇したくない相手を前に、オリキュールも既にレイの一撃でヒビが入っていたところにセトの一撃を食らって柄だけになっていたソードブレイカーの残骸を床に投げ捨てつつ、苦笑を浮かべる。


「まさか……あれだけの戦力を用意してシルワ家に攻め込んだというのに、それをこの短時間でどうにかして、更にマースチェル家の屋敷の地下にあるここまで辿り着くとは……全く、予想外も予想外だよ」


 そう呟きつつ、それでも勢いよくレイピアを振るって鋭い風切り音を周囲に響かせる。

 その表情には未だ諦めの色はない。

 エセテュスはともかく、エレーナとセトという破格の戦力が援軍に来た以上自分達の勝ち目が存在しないのは明らかだ。だが、それでもこの場で自分がレイ達に捕らえられるというのは絶対に許容出来ない選択肢だった。

 それを理解したのだろう。レイは自分の隣で油断なく鋭い目つきでオリキュールを睨み付けているセトの頭を撫でながら口を開く。


「まだ諦めないのか。それは立派だが……この状況をどう打開する?」


 オリキュールの動きを見逃さないようにしつつも、広間の中を見回す。

 ヴィヘラの周囲を囲もうとしていた人形達は、その殆ど全てがエレーナの振るう連接剣によって斬り裂かれ、あるいは切断されている。

 ヴィヘラへと向かっていた人形は、残り数体。その数体程度なら消耗している今のヴィヘラでもどうとでもなる数だった。

 そしてもう1つの戦い、そこではプリとの距離を縮めようとするビューネと、それをさせまいとする人形達という形になっている。

 幾らビューネが憎しみで曇っていた目が覚めたと言っても、ここまで消耗した体力や武器の類をどうにか出来る訳では無い。数の差によってプリへと近づくのを阻まれ、更に人形に足止めされている隙を突いてはプリが作り出した宝石による魔法が放たれる。 

 それを何とか回避してはいるものの、どうしても近づけずに拮抗しているだけで精一杯だったのだが……そこに、ヴィヘラはもう大丈夫だろうと判断したエレーナが参戦したことで戦況は一変する。

 振るわれる連接剣が鞭状になりながらビューネに襲い掛かろうとしている人形達を迎え撃ち、あるいはそれを邪魔に思った人形がエレーナへと襲い掛かると、長剣状態になった連接剣の一撃で切断される。

 ビューネを後回しにしてエレーナをどうにかしようとするものの、スレイプニルの靴を使って空中へと逃れられ風の魔法を使われて人形を一ヶ所へと集めた後で連接剣で纏めて切断される。

 エセテュスはそんな戦闘を横目にしながら、床に倒れていたナクトへと駆け寄って気絶しているだけだと知り、安堵の息を吐く。

 そのすぐ後に床に描かれた魔法陣の中心にティービアの姿を確認するも、この部屋に続いていた扉のように何か魔法的な存在に守られているらしく手が出ず、歯ぎしりをする。


「一応まだ何とか戦闘は拮抗しているが、向こうも片が付くのは時間の問題だ。大人しく降参してくれればいらない手間が省けるし、こっちとしてもボスクに口添え出来たりするんだけどな」


 クルリ、とデスサイズの柄を手の中で回転させながら告げるレイに、オリキュールは薄く笑みを浮かべて首を横に振る。


「残念ながら私達に降伏という選択肢はない」

「なら討ち死にでも希望するのか? 既にお前達に勝ち目がないのは明らかだと思うが?」


 そんなレイの言葉に、薄く笑みを浮かべたオリキュールはソードブレイカーを持っていた左手を懐へと入れ……何かを取り出す。

 赤い宝石のような何か。

 それが何なのかを、当然レイは知っていた。何故なら、ダンジョンの中でそれが使われたのをその目で実際に見たのだから。

 黒く、濁った光を放つ宝石のような何か。

 レイが直接見た物に比べると2倍近い大きさだったが、その特徴的な外見は忘れたくても忘れようがない。

 即ち……


「それは……確か混沌の種とかいう……」


 レイの口から出たその言葉に、オリキュールの目が小さく驚きに見開く。


「その名前を知っているとなると……なるほど、やはり行方不明になっていた3人はそちらの手に落ちていたのか」

「ああ、ダンジョンの中で異常種を作り出そうとしている場所に居合わせてな。そいつらからその名前を聞かせて貰った。……他にも色々と情報を吐いて貰ったぞ? 例えばお前達がレビソール家と協力しているように見せかけつつ、上手い具合に操っていたとかな」


 いかにも尋問して情報を聞き出したといった風に告げるレイだが、当然それはブラフでしかない。実際には戦闘不能にして捕らえたと思った時には自ら命を絶っていたのだから。

 だが今のやり取りから考えるとあの3人が死んだ経緯は知らないと判断し、少しでも情報を引き出そうとしての一手だったのだが……それに返ってきたのは、小さな笑みのみだった。


「すぐに分かるような嘘は口にしない方がいい。自分の価値を無意味に下げるだけだぞ。どうやらお前は戦闘力に関して言えば他の追随を許さない程の技量を持つようだが、この手の腹芸には慣れていないらしい」

「……さて、どうだろうな。俺の言っていることが嘘なのか、あるいは正しいのか。それに関しては実際にお前が捕らえられた後に証明されるだろうさ」

「この私が大人しく捕らえられるとでも?」


 混沌の種を左手で弄びつつ、自分が捕まることはないという自信を覗かせて笑みを浮かべるオリキュール。

 その様子に訝しげな思いが浮かぶレイだったが、次にオリキュールがとった行動には目を見開く。

 何故なら、オリキュールが持っていた混沌の種を自らの額へと押しつけ……そのまま体内へと吸収する。


「ぐっ、……出来ればシルワ家の当主がいる時にやりたかったのだが……な」


 苦しげに声を漏らすオリキュール。皮膚の下の血管が脈動し、離れているレイにまでドクン、ドクンという音が聞こえてくる。

 その音でようやく我に返ったレイは、思わずと言った様子で叫ぶ。


「馬鹿なっ! 死ぬ気か!?」


 レイが見たサボテンモドキを異常種へと変える課程。それは確かに身体の大きさを変え、あるいはより凶悪な様子を見せていたが、それでも結局モンスター自身が絶えきれずに命を失った。つまり、異常種になる為には非常に高いリスクがあるということに他ならない。

 それを自分に使うというのは、レイにしてみれば自殺にしか思えなかった。


(いや、そもそもモンスターを異常種にするのが混沌の種だ。それを人に使って意味があるのか?)


 あまりの出来事にレイは混乱したように内心で呟く。

 いつもであれば敵が強くなるのを待つような真似はせず、今この時にでも攻撃を仕掛けていただろう。

 それだけオリキュールのとった行動がレイの予想を超えていたのは事実だが、それ故にレイは千載一遇の好機を逃したのも事実だった。


「グルゥッ!」

「痛っ!」


 しっかりしろ! とばかりにレイをクチバシで軽く突くセト。

 ドラゴンローブの上からだったのでダメージは無かったが、それでもレイを正気に戻すには十分な衝撃が伝わる。


「そうだな、まだ今なら……行くぞ、セト!」

「グルルルゥッ!」


 オリキュールはまだ異常種となる過程であり、完成した訳では無い。ならば今のうちに。

 そう判断したレイとセトはお互いに左右に分かれ、オリキュールを挟み込むようにして間合いを縮めていく。


「ぐぅっ……なるほど、確かに、これはキツい、な。だがぁっ!」


 レイとセトの脚力だ。離れている距離はあっという間に縮まり……だが、その瞬間オリキュールの身体から放たれた莫大な魔力が圧力となって周囲へと吹き荒れる。

 振るわれたデスサイズの刃も、そしてセトの前足の一撃も。その両方が命中する直前に魔力の奔流によって弾かれ、身体ごと周囲へと吹き飛ばされる。


「ぐぅっ、くそ……」

「グルルルゥッ」


 レイはデスサイズの石突きを支えにして吹き飛びながらもバランスを取り、セトは4本の足で床へと着地する。

 数秒……レイがオリキュールが混沌の種を使ったのを見た為に動きの止まったその数秒が決定的なロスだった。

 周囲へと放たれた魔力の奔流が収まった後、そこに残っていたのは人型の何か。

 いや、それが何かというのは考えるまでもなく理解出来るだろう。オリキュールのいた場所に存在していたのだから。

 だが、その姿はとてもではないが人間であった時のオリキュールとは比べものにならない程に異形へと変化していた。

 一目で分かる変化としては、身長か。180cm程だったのが2mを超える程にまで巨大化しており、更には皮膚の色そのものが青く染まっている。

 肩甲骨が変化したのか、あるいは別の要因か。ともあれ両肩からは手のようなものが新たに1対2本伸びていた。

 手のようなものとしたのは、伸びている先が指のようなものではなく鋭く尖った骨の針のような物だったからだ。

 あるいはレイピアを武器とするオリキュールの潜在意識がそのような形に変えたのか。

 そして背中の辺りまで伸びた髪はその先端が鋭利な針へと変化しており、血管がそのまま入れ墨になったかのように青い皮膚の上に赤い模様が顔中へと広がっていた。

 混沌の種を吸収した額には第3の目が縦に存在しており、その眼球が周囲の様子をギョロリと動き回って確認している。

 異形。まさにモンスターに対して混沌の種を使ったのが異常種であるとするのなら、今のオリキュールは人間の異常種と呼んでも構わない……否、そうとしか形容出来ない姿へと変わり果てていた。


「ぐ……ふぅ……どうやら成功したようだナ」

「自分の意識がある、か。どうやら厄介な事態になったらしい」

「グルルルゥ」


 言葉の最後が微妙に上がるような妙な言葉遣いになってはいたが、それでもオリキュールの目には歴とした知性の光がある。

 サボテンモドキのように異常種になる途中で死ぬといったこともない。完全に意識自体はオリキュールのままだった。

 生身の状態でもレイとそれなりに渡り合っていたオリキュールが異常種になったのだ。その力はどれだけのものなのか。それを想像するだけで、レイの口には苦笑が浮かぶ。


(せめてもの救いは、素手だってことか……待て。レイピアはどこにいった?)


 オリキュールが混沌の種を使ったのは左手であり、右手にはまだエスタ・ノールが使っていたレイピアを握っていたのをレイは確認している。だが、今の異常種と化したオリキュールは素手であり、どこにもレイピアは握られていない。

 かと言って、床にレイピアが落ちているのかと思えばその様子も無く、完全に消滅したと言っても良かった。


「異常種……いヤ、今の私の状態を異常種と呼ぶのは似合わんナ。人魔……うム、人魔とでも呼んでくレ」


 オリキュールがそう告げ、2mを超えるその身体の動きに慣れるかのように手足を動かし、あるいは肩の後ろから生えている新たな2本の腕を振り回し、あるいは頭を振って先端が尖っている髪を自在に動かす。

 その一挙手一投足が、オリキュールの放つ威圧感を周囲に振りまき……


「オ、オリキュール。それは一体……何なんだい?」


 ふと、そんな声が周囲に響く。

 先程までは人形を従えて激しくエレーナやビューネと戦っていたプリ。その顔が驚愕に満ちたまま異常種……否、人魔と化したオリキュールへと向けられていた。

 それはエレーナやビューネも同様であり、思わず戦闘の動きを止めて唖然とした表情を浮かべたままオリキュールへと視線を向けている。

 その場にいる殆ど全ての者からの視線を浴びたまま、張本人のオリキュールはと言えば、特に気にした様子も無く首を軽く振り……次の瞬間、その勢いで髪が飛ぶ。

 そう、まるでビューネが放つ針の如く。

 その数、約30本近く。

 そして針が向かったのは、レイでもエレーナでも、ヴィヘラでもビューネでもなく、あるいはエセテュスやナクト、ティービアでもなく……プリ、その人だった。

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