第495話

 森の中へと降り注ぐ日光は木々の葉に遮られ、柔らかな木漏れ日としてレイ達へと降り注ぐ。

 ダンジョンの外は真夏であるというのに、この地下17階で感じる気温は春のそれだ。気温に関してもエグジルの35℃以上のものとは違って非常に過ごしやすい。


「……正直、ここがダンジョンの中じゃなければ住み着きたい程に快適な空間だな」

「グルルゥ」


 近くの木になっている果物へと手を伸ばしながら呟くレイ。

 この地下17階で採取出来る素材の1つであり、そのまま食べると非常に渋みが強いが、加熱することにより驚く程甘みが強くなるという特徴を持っている果物だ。

 そして果物のなっている木へと手を伸ばしているレイの足下には、つい数分前に襲ってきたのはいいものの、セトの前足の一撃であっさりと首の骨を折られて死んでいる、両手から鎌が生えているイタチのようなモンスター、カマイタチ3匹の死体が転がっていた。


「確かにレイはともかく、セトにしてみれば快適だろうな。餌となるモンスターも豊富にいるし」


 レイの言葉に納得したように呟くエレーナの視線は、遠くから自分達の様子を窺っている気配が感じられる方へと向けられている。

 隙を見せるのを待っているのか、あるいは単に観察しているだけなのか。ともあれ多数の木々やその葉により視界が遮られてはいるが、確かに自分達へと幾つもの視線が向けられているのをエレーナは感じ取っていた。

 それはレイも同様で、そんなエレーナの様子に小さく肩を竦めながら口を開く。


「確かに自分で料理が出来るならまだしも、俺の場合は串焼きとかスープくらいしか作れそうにないな。……イエロ、あまり上に行くなよ」


 エレーナへと言葉を返しながら、レイは羽を羽ばたかせて木の上の方になっている果物を採ろうと悪戦苦闘しているイエロへと言葉を掛ける。


「キュキュ……キュッ!」


 レイの採っているものに比べると一回り程大きいその果実を抱え込み、鳴き声を上げながら何とか果実を採ることに成功するイエロ。

 だが、抱え込んだ果実の重さを小さい羽では支えることが出来ず、そのまま地上へと向かって落下していく。

 せめてもの救いは強く羽を羽ばたかせて、落下というよりは滑空といった感じになっていることか。


「グルルゥ」


 そんな風に危なっかしく降りてくるイエロを、クチバシで咥えて受け止めてやるセト。

 微笑ましいとすら表現出来るそんな光景を見ながら、レイは地面に転がっているカマイタチの死体へと触れ、ミスティリングへと収納する。

 

「……さて、モンスターがこっちの様子を窺っているのはともかくとして、そろそろ進むとするか」

「いいのか?」


 こっちを窺っているモンスターを倒さなくて。

 そんな風に尋ねてくるエレーナに、小さく肩を竦めるレイ。


「ここが森の中じゃなかったらそれも良かったんだろうが、地下へ降りる階段のある場所が正確には分からないからな。このままだと下手をすればダンジョン内で一晩を明かすことになるかもしれない」


 勿論レイの持っているミスティリングには夜営をするのに便利なマジックアイテムが幾つも収納されている。

 空間魔法を応用したマジックテントというのはその典型だろう。あるいは魔力で水を出すことが出来る流水の短剣も便利なマジックアイテムに分類される。

 だが、さすがにマジックテントと言えども、エグジルでレイやエレーナが泊まっている黄金の風亭とは比べものにならない。

 ……まぁ、大商人や貴族、あるいは金に余裕のある冒険者が泊まるような宿と同程度の快適さを要求すること自体に無理があるのだが。


「ともあれ、だ。地下へと向かう階段を見つけて、それでもまだ余裕があるようならモンスターを探せばいい。あるいは今日は余裕がなくても、明日ダンジョンに来たら地下18階から階段を上ってまたこの階層に戻ってきてモンスターを探すというのもありかもな。何しろ、この階層は森だけあってモンスターの種類もかなり多いみたいだし」


 そう呟きながら視線を足下へと向ける。

 そこでは、ゆっくりと……それこそまるで蛇のようにレイ達に忍び寄ってきている蔦の姿がある。

 エレーナもまた、近づいてきている蔦には気が付いていたのだろう。鞘から抜いた連接剣を、長剣のままで鋭く振り下ろすと、次の瞬間には蔦が切断され、周囲に青臭い体液を撒き散らしながら茂みの奥の方へと戻っていく。


「追うか?」

「いや、やめておこう。蔦を使ってきたってことは、恐らくトレント系のモンスターだ。森の木に擬態されていれば、見つけ出すのは難しい」


 あるいはセトの五感や嗅覚上昇のスキルがあれば見つけられるかもしれないが、まずは階段を見つけてからモンスターを探すということに決めていた為、若干惜しいものを感じつつも森の中を進み始める。


(トレント系のモンスターは有用な木材として買い取って貰えるって話だったから、それを思えばちょっと勿体ないけどな)


 以前に聞いた話を思い出しつつも、ただのトレントであれば所詮はある程度の値段でしか無いだろうと判断して階段を目指して先へと進む。






 レイ達一行がダンジョンの地下17階を攻略している時、エグジルのスラム街近くでは4人の男女が会話を交わしていた。


「その……助かった。ありがとう」


 槍を手にしつつ、エセテュスがそう告げる。

 感謝しながらも、その頬が薄らと赤く染まっているのはヴィヘラの踊り子のような格好に戸惑っているからだろう。


「いいのよ。貴方達、レイの知り合いなんでしょ? なら彼に恩を売るという意味でも丁度良かったし」

「……さっきもそんなことを言ってたけど、レイの知り合いなのか?」

「ええ。私としてはこれ以上無い、最高の相手だと思っているわ」


 薄らと瞳を潤ませながら告げるヴィヘラ。

 一見すると、恋する相手を一途に慕う女にしか見えない表情であり、事実単純なところのあるエセテュスはそう判断した。

 即ち、想い人であるレイの知り合いでもある自分を見捨てられなかったのだ、と。

 だが……その隣で話を聞いていたナクトはエセテュスとは正反対の反応をする。

 事情通であるが故に、目の前に存在する肉感的な美女が狂獣と呼ばれる程に闘争を好む戦闘狂であると知っていたからだ。

 それを理解すれば男を誘うようなその容姿や服装も、自ら戦いを引き寄せるための餌にしか思えなかった。

 そしてレイを最高の相手とした表現も、最高の戦闘相手と示していると判断するのも難しくはない。

 故にナクトの本能は少しでも早く目の前にいる危険な女と別れた方がいいと告げ、逆に理性はここでヴィヘラを味方に付ければ非常に強力な戦力となり、あるいはレイやエレーナすらも味方に引き込めるかもしれないと判断する。


「へぇ、レイをねぇ……けど、レイの側にはあのエレーナさんってすこぶるつきの美人がいるだろ?」

「あら? 私はエレーナよりも魅力が無いかしら?」


 艶然とした笑みを浮かべるヴィヘラに、エセテュスは慌てて頭を横に振る。


「いや、そんなことはない。同じくらい……じゃなくて! こうしている場合じゃないんだった!」


 命の危機を切り抜けた安堵からか、思わずヴィヘラと会話をしていたエセテュスは我に返って叫ぶ。

 そう、攫われたパーティメンバーがまだ生きているのは分かった。だが、それがいつまで無事なのかと言われれば明確な答えは無い。ならば少しでも早くティービアを助け出さなければならない、と。


「えっと、ヴィヘラさんに……そっちは……」


 チラリ、と少し離れた位置にいるビューネへと視線を向けるエセテュス。


「ああ、その子はビューネよ。ビューネ・フラウト」

「へぇ、ビューネか。さっきは助かったよ。ありがとう。自己紹介が遅れたけど、俺はエセテュス。そっちはナクト」

「ん」


 短く自己紹介をし、それにビューネが答えた後でふと何かに気が付いたようにエセテュスは首を捻る。


「……ん? フラウト? どこかで聞いたような……」

「はぁ。……あの子はフラウト家の人間だ。ほら、昔はエグジルを治める4家だったうちの1家の」


 呆れたように告げるナクトの言葉に、エセテュスは動きを止めてギギギギ、といった感じで首を回してビューネへと視線を向け、口をパクパクと開く。


「フ、フラウト家!? あ、いやその……今の俺達ってフラウト家の人に助けて貰ってもいいのか?」

「さて、どうだろうな」

「あら? ビューネに助けられたのが何か不満でもあるのかしら?」


 小声で相談していた2人だったが、常人よりも鋭い五感を持っているヴィヘラには完全に聞こえていた。

 そのままどう答えるのかを数秒程沈黙したエセテュスとナクトだったが、やがて覚悟を決めてエセテュスが口を開く。


「その、だな。実は俺達シルワ家の庇護を受けているんだよ」

「……ん」


 シルワ家。その言葉が出た瞬間、ビューネの眉が微かにではあるが顰められる。

 基本的には感情を表に出すことのないビューネが、明確に表したその表情にヴィヘラが小さく頷き口を開く。


「どうするの、ビューネ? レイの知り合いだから助けたけど、シルワ家の紐付きらしいわよ?」

「……」


 その問い掛けに、ビューネは数秒程じっとエセテュスとナクトへと視線を向けた後、やがてヴィヘラへと視線を戻して一言呟く。


「ん」


 他の者にしてみれば、一言呟いただけのものだ。だが、それなりにビューネと付き合いの長いヴィヘラにしてみれば、それだけで十分だった。


「構わないそうよ。レイに……いいえ、エレーナに感謝するのね」

「え? え? え?」


 話の流れが掴めないエセテュスだったが、ナクトの方はすぐに理解する。


「ティービアを探すのに、この2人が協力してくれるってことだよ。……けど、いいのか? 幾ら俺でも、シルワ家とフラウト家……と言うよりも、フラウト家が他の3家と関係が良くないってのは知っているぞ」

「ふふっ、ビューネが構わないって言っているんだからいいのよ」


 誘うような流し目を向けるヴィヘラだが、普通の男であれば見惚れるのは間違いない視線を向けられてもその本質を多少は感じ取ったナクトは一向にその気にならず、その上でエセテュスへと視線を向ける。


「どうする? この2人なら間違いなく十分な力になってくれると思うが」

「それは……」


 本来のエセテュスであれば、一も二もなく頷いていただろう。実際、それ程までに自分達は追い詰められていると理解しているのだから。

 ここで無駄に時間を掛けてしまえば、その分だけティービアが生き残れる可能性は少なくなる。だが、それでも躊躇して頷けない理由は10歳程の少女でもあるビューネにあった。

 このような子供を自分の都合に巻き込んでもいいのかと。

 そんなエセテュスの葛藤を悟ったのか、ナクトは小さく首を振って口を開く。


「あのビューネってのは、確かにお前が巻き込むのに躊躇するくらいの子供だ。だが、フラウト家の人物として戦闘に関してはかなりの腕利きなのは間違いない。……少なくても今の俺よりは確実に、な」


 ナクトも音の刃という、それなりに知られたパーティの盗賊として腕には自信がある。だが、先程自分に向かって振り下ろされようとした長剣を、針の投擲だけで軌道を逸らすというような真似が出来るかと言われれば、思わず首を捻るだろう。

 出来ないとは言わない。だが軌道をそらした長剣で、庇った相手にかすり傷さえ与えないように出来るかと言われれば、答えは否だった。


「……それに、今は没落したと言ってもフラウト家としての繋がりもある。ティービアを救う為に必要な情報を考えると、彼女にも協力して貰った方がいい」

「ん」


 没落と口にした辺りで若干眉を顰めたが、それを理解出来るのはビューネとある程度の付き合いがあるヴィヘラしかいない。

 エセテュスにしても、ビューネのような子供に頼るのは気が進まなかったが、それでもティービアを助ける為だと言われればそれを拒否するような真似は出来なかった。

 目を閉じ、葛藤の末に出した結論は、ビューネに向かって頭を下げることだった。


「済まない、俺達に力を貸して欲しい」

「ん」


 問題無いとばかりに頷くビューネ。

 その様子を見ていたナクトは、何故そんなにあっさり自分からこんなトラブルに首を突っ込んでくるのかと疑問にも思う。

 勿論自分達がレイの知り合いだというのも大きな理由の1つだろう。だが、だからといってここまで首を突っ込むのには多少疑問があった。


「さ、まずはレイと合流しましょうか。何をするにしてもレイの協力は必要でしょうし」


 ヴィヘラの口から出たその一言で我に返ったナクトは、慌てて口を開く。


「レイ達はダンジョンに集中したいと言っていたのだが。シルワ家でそう言っていたし」

「……まぁ、それはレイに会ってから話してあげるわ。何でビューネがシルワ家に協力してもいいと思ったのかも一緒に……ね。その前にちょっと寄る場所があるから、急ぎましょ」


 誰もが見惚れるような笑みを浮かべ、ヴィヘラはそう告げるのだった。

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