第492話

「……で、俺の所に来た訳か」


 レイの視線の先にいるボスクが、執務室のソファへと寄りかかりながら確認するように尋ねてくる。

 そんなボスクの問いに頷いたレイが、深々と頭を下げているエセテュスとナクトへと視線を向けてから口を開く。


「ああ。シルワ家はこのエグジルを治めているんだろ? なら手を貸す貸さないというのはともかくとして、話を聞いてもいいかと思ってな」

「……あー、ったく。ただでさえ今は異常種の件で忙しいってのに。それはお前も分かってるだろ?」


 ボスクはガリガリと頭を掻きながら、吐き出すように告げる。

 もう数時間で夕方になろうかという時刻、レイ、エレーナ、エセテュス、ナクトの4人の姿はシルワ家にあるボスクの執務室にあった。

 勿論エグジルを治めており、しかも今ではレビソール家をも影響下に置いているシルワ家はやるべき仕事が大量にある。そしてボスク自身も言っているように、異常種の件についても調査中だ。

 ボスク自身が口にしているように、他に回せる余裕が無いのは事実だった。

 それでもボスクがレイ達に会うことにしたのは、レイ自身がこれまで幾度となく異常種に遭遇しており、何匹もの異常種の死体や、あるいはそれに関係する情報を提供しているという理由がある。

 勿論、エレーナ・ケレベルという人物についても重要ではあったのだが。

 異常種についての件だと思って会ってみたら、実は違って知り合いのパーティメンバーが攫われたので探す手助けをして欲しいというものだったのだから、ボスクの口から愚痴が出たとしてもしょうがないのだろう。


「……で、レイやエレーナはそれを聞いて俺にどうしろと?」


 そう尋ねつつも、ボスクの頭の中では攫われたティービアを探す人手をどうやって捻り出すかを既に考え始めている。

 だが、それに返ってきたレイの言葉は肩を竦めるというものだった。


「別にどうもしないさ。こいつらに頼まれたのは、あくまでもボスクに紹介するところまでだ。である以上、俺が手を出せるのはここまででしかない。ここから先は、お前達で話し合って決めてくれればいい」


 そんなレイの言葉に一瞬目を見開くも、すぐにボスクの視線は未だに頭を下げているエセテュスとナクト、2人の人物へと向けられる。


「お前達、確かエセテュスとナクトだったな。で、攫われたのがティービア。となると、音の刃か。確かにお前達程のパーティがそう簡単に遅れを取るというのはな。……まぁ、いい。で、襲われる心当たりは無いんだな?」

「勿論ありません。ですが、これまでの依頼で何らかの逆恨みを受けたり、あるいは競争相手としての俺達を排除したいと考えている者がいないとも限りません」


 ナクトの言葉を聞き、ボスクは執務机を指で軽く叩きながら数秒沈黙してから口を開く。


「実は異常種の件で目立たなかったが、ここ暫くの間エグジルの人間が……特に冒険者が多いが、行方不明になるって事件が起きているんだよ」


 ボスクの口から出た言葉に、エセテュスとナクトの表情が目に見えて緊張の色を帯び、その視線がボスクへと向けられる。

 それらの視線をまっこうから受けながら、ボスクは説明を続けていく。


「勿論冒険者がいなくなるなんてのは、このエグジルでは珍しくない話だ。ダンジョンで死ぬというのがもっとも多いだろうし、あるいはダンジョンから生きて帰ってきても自らの力の無さに絶望してエグジルを去って行くというのもある」

「ですが、ダンジョンに入る際はダンジョンカードを確認しますし、エグジルから出て行くにしてもギルドカードの類を確認して、それらの出入りに関しては厳しくチェックしているのでは?」


 思わずといった感じで尋ねるナクトに、その通りだとボスクは頷く。

 だが、その顔に浮かんでいるのは苦々しげな表情。


「確かにお前達の言う通りだが、何事にも裏の道ってのがあってな。このエグジルにも当然ながら……いや、迷宮都市であるエグジルであるからこそと言うべきか、ともかく密かにエグジルに入ってくる奴もいるし、あるいは出て行く奴もいる。それはダンジョンに関しても同様だな」


 本人は口に出さないが、ボスクもその類の裏の組織と関わりを持っている。

 迷宮都市という、大勢の人が集まるエグジルではどうやってもその類の組織が出来ることは避けられない。それならば、せめて自分達の意向に沿う組織を……という訳だ。

 そのような裏の組織はシルワ家だけではなくレビソール家、マースチェル家もまたそれぞれに関わりを持っている。


「ともかくだ。そっち関係の組織を洗ってみたが、出て行った様子は無い。となると、何らかの別の要因があるのは確実だった訳だが……俺としては、どこぞの違法な奴隷商人辺りが動いているもんだとばかり思ってたんだけどな」

「じゃ、じゃあティービアは!?」


 奴隷と聞き、エセテュスが顔を青ざめさせながら叫ぶ。

 だが、その言葉にボスクは首を横に振る。


「安心しろ。確実に……とまではいかないが、奴隷商人って線は薄い筈だ」

「本当……ですか?」

「ああ」


 確認するように尋ねるエセテュスの言葉に、躊躇無く頷くボスク。

 その様子を疑問に思ったのだろう。ナクトは口を開く。


「それは何故、とお聞きしてもよろしいですか?」

「簡単な話だ。奴隷にするにしても、普通なら健康体の方が高く売れるだろ? 仲間を攫われたお前達に言うのもなんだが、片腕の奴隷なんて余程の物好きがいない限り売れ残る」


 至極当然と告げるその言葉に一瞬エセテュスが何かを言い掛けたが、ボスクが自分達の為を思って言っていると気が付き、その言葉を止める。


「じゃあ……どんな理由でティービアが襲われたと思いますか?」

「さて、それがな。いまいち分かんねえ。そもそも奴隷にするのなら、わざわざ戦闘力を持っている冒険者を襲うより一般市民を襲った方が危険は少ない。それを思えば、何らかの特別な理由があるんだろうが……」


 ナクトの問い掛けに、ボスクは不愉快そうに首を振る。

 異常種の件といい、今回持ってこられた襲撃の件といい、自分の治めているエグジルで好き勝手にやられているのはとても我慢出来るものではなかった。だがそれに対処しようにも、現在シルワ家に仕えている冒険者は異常種の件でそれどころではない。

 そこまで考えたとき、ふと目の前にいる2人に視線が止まる。


(仲間が攫われたんだから、当然襲撃事件については必死に調べるだろう。そこにシルワ家の後ろ盾があれば、あるいは……)


 内心でリスクとリターンを比べ、数秒程で決断して口を開く。


「エセテュスとナクトって言ったな。お前達音の刃の名前はそれなりに腕の立つ冒険者として知っている。……そこで、どうだ? 俺達シルワ家が後ろ盾になるから、この件はお前達が調べてみないか? 残念なことに、今のシルワ家には異常種の件以外に裂く余裕が殆どないんだよ」

「ほ、本当ですか! シルワ家が俺達の後ろ盾になってくれるんですか! なぁ、ナクト。これなら……」


 エセテュスにしてみれば、予想外の誘いだったのだろう。一筋の希望の光を見つけたかのように笑みを浮かべて尋ねる。


「そうだ。勿論こうしてお前達を使う以上は、襲撃事件の件が終わってからでもシルワ家の身内になって貰うつもりだ」

「……そうですね、確かに非常にありがたいですが……殆ど初対面である私達を信じてもよろしいので?」


 確認するかのように尋ねるナクトに、ボスクはニヤリとした笑みを浮かべて口を開く。


「お前達を連れてきたのは、レイとエレーナだ。もしお前達がどこぞのスパイか何かだったとすれば、その責任は2人へ向かう。そうなれば、当然俺としてもレイとエレーナから十分な補償を貰うことが出来る訳だ。……この説明で納得したか?」


 笑みを浮かべつつそう告げるも、ボスクの中でエセテュスとナクトの2人が裏切るような真似をするとは思っていなかった。

 弟分の冒険者達から聞こえてくる評判や、あるいは直接自分の目で見て確認した限りでは、とてもではないが他人を裏切るようには見えない。盗賊であるナクトにしても、その言動には仲間を思いやる言動が見え隠れしているのだから。

 それ故に、その2人についてはまず問題は無いとしてボスクの視線は残る2人へと向けられる。


「それで、お前達はどうするんだ? 俺としては、出来ればこっちに力を貸してくれると助かるんだがな。さっきも言ったように、根本的に手が足りていないのは事実だし」


 そんな誘いの言葉に、レイは首を横に振って拒絶する。


「悪いけど、俺がやるべきなのはダンジョンの探索だ。今回の件も、ダンジョンの探索中に偶然出会ったこの2人だから手を貸したに過ぎないしな」


 エレーナもまた、レイに同調するかのように言葉を紡ぐ。


「私もレイと同意見だ。申し訳ないが、ダンジョンの探索を優先させて貰う」


 ボスクにしても、2人に断られるのはある意味で想定通りだったのだろう。残念そうにしながらも、それ以上しつこく言葉を掛けてくる様子は無い。

 寧ろその様子に驚いていたのはエセテュスとナクトの方だ。それでもナクトは驚きを表に出してはいないが、エセテュスの方は目を見開いてレイとエレーナへと視線を向けている。

 エグジルを治めているシルワ家の当主でもあるボスクの誘いを、こうまであっさりと断るとは思ってもいなかったからだ。

 エレーナの素性を知っていれば、あるいは話が違ったかもしれないが。


「人が足りないって言うんなら、いっそビューネに協力を求めたらどうだ? 一応フラウト家ってことで面識はあるんだろ? そうすれば、お前が以前酒場で戦うことになったヴィヘラも仲間に引き込めるかもしれないぞ?」

「無駄だよ。あの小娘は自分の屋敷を守ることしか考えていない。俺も以前は何度か誘っては見たんだがな。ああ見えて、頑固極まりないからな。それに……ああ、いや。何でも無い」


 一旦言葉を止め、何かに気が付いたかのように首を横に振って何でも無いと示す。

 その様子に一瞬怪しげなものを感じたものの、シルワ家の当主ともなればその手の陰謀に関係していてもおかしくないと判断して、レイはそれ以上の追求は止める。


「ともかく、残念ながら俺とエレーナはダンジョンの方に集中させて貰う。ただ、ダンジョンの中でまた異常種やらそれを作り出している奴を見つけたら、出来るだけ捕らえるなり死体なりを持ってくるよ」

「ああ、それでも十分に助かってる。どういう訳か、お前達が最も異常種と遭遇しているからな」


 レイは小さく肩を竦めたボスクの言葉に頷き、視線をエセテュスとナクトの方へと向ける。


「じゃあ、俺達はそろそろ帰らせて貰う。ティービアが見つかるといいな」

「ああ。ボスク様に紹介してくれて感謝している。……ありがとう」


 エセテュスが深く頭を下げ、それに続くようにナクトもまた頭を下げる。


「俺としても有能な仲間が増えたってのは嬉しいからな。こういうことなら大歓迎だ。また機会があったら誰か連れてきてくれれば引き取るぞ」


 そんなボスクの言葉を受け、レイとエレーナは部屋を出て、執事長でもあるサンクションズに見送られてシルワ家の屋敷を出て行くのだった。






「色々と予想外の展開だったな」


 シルワ家の屋敷の近くから乗って、ギルドのある大通りで降りたレイがそう呟く。


「確かに。だが、あの2人にとってはこれ以上無い結果だった筈だ。シルワ家の保護下にあれば、これ以上襲撃者に狙われるようなこともないだろうし」


 エレーナもまた、頷きながら言葉を返す。

 2人へと日差しを降り注ぐ太陽も既に夕暮れに染まっており、道を歩いている者達も1日の仕事が終わった開放感で溢れつつも、夕方になっても未だ衰えない暑さにアルコールを求める者も多い。

 レイの視線の先には屋台で買った串焼きとエールで早速飲み始めている者もおり、そのような様子を見る限りでは異常種の事件やレビソール家の暴走、あるいはその影で冒険者への襲撃事件が起きているとはとても思えない程だ。

 そして、レイの隣でそのような光景を見ているエレーナの脳裏を何の脈絡も無く過ぎったのは、狂的なまでに宝石への執着心を抱いているプリの姿。

 だが、すぐに首を横に振ってそれを否定する。


(そもそも、あの様子では宝石に関しては執着しても、冒険者を襲う必要性は無い。かと言って異常種を作り出している謎の勢力もわざわざ冒険者や一般人を襲う必要性は無いだろう。……となると、ここにきて第3勢力でも現れたのか?)


 そんな予感を抱きつつ、エレーナはレイと共に夕方の活気溢れる大通りを進む。

 周囲の騒がしさとはどこか違う、嫌な予感を抱きつつ。

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