第491話

 目の前に広がるのは、一面の緑。

 その新鮮な緑の匂いに、レイ達一行は全員が大きく息を吸い込む。


「ああ、新鮮な空気がこれ程に素晴らしいとは……」

「そうだな。アンデッドの階層の腐臭に比べれば、まさに天と地の差だ」


 いつものように凜としつつも、エレーナは口元に笑みを浮かべつつそう告げ、その隣にいるレイもまた同意する。


「グルゥ、グルルルルルゥ!」

「キュ!」


 そんな2人の横では、セトとイエロも同様に新鮮な森の空気を吸っていた。

 地下17階は、アンデッドの巣窟でもあった地下16階とは違って新鮮な空気に包まれている。

 地上とは違い暑さもそれ程厳しくは無く、寧ろ木々の葉を揺らしながら吹く風は爽やかだと言ってもいいだろう。

 視線の先に生えている無数の木々は、見ている者の心を癒やすかのような印象を見る者に与える。


(アンデッドの階層から降りてきたからこそ、余計に感じるんだろうな。……すぐに魔法陣で転移しないで正解だった)


 森の中にポツンと存在している小部屋のすぐ外で森を見ながら安心感を覚え、鼻の奥にまだ存在している腐臭を上書きするように大きく息を吸い……


「グルルルルルゥ!」


 瞬間、セトが警戒の鳴き声を漏らす。

 その叫び声を聞いた瞬間にレイとエレーナは素早く武器を構えて周囲へと視線を向ける。

 森の中にポッカリと存在している小部屋のある空間。周囲には無数の木々が生えており、一瞬前まではその光景に癒やされていたレイ達だったが、セトが警戒の声を上げている……つまり、周辺にモンスターが存在しているとなると、周囲に生えている木々は癒やしの存在ではなく、敵が身を隠す為の物へと姿を変える。


「……レイ」

「ああ。今日はこれ以上ダンジョンにいる必要は無いだろうな。アンデッドの階層で素材も……ああ、いや、そうか」


 そこまで呟き、納得したといった風に呟く。

 自分達が何故こうも素早く地下17階のモンスターに存在を嗅ぎつけられたのかを理解したからだ。

 そう、あの強烈な腐臭漂うアンデッドの階層で半日近くも行動していたのだ。身体中にその臭いが染みついていても不思議では無い。

 あるいは人には嗅ぎ分けられなくても、森に潜んでいるモンスターにすれば明確なまでの目印になるだろう。

 ……こうして、森の空気を吸っているレイ達をあっさりと把握出来たように。


「宿に戻れば消臭用のマジックアイテムがあるし……大人しくここは戻るとするか」


 レイの言葉にエレーナもまた頷く。

 エレーナにしても、軍人である以上はこの手のことには慣れている。だが、自らが愛しいと思う存在に自分の身体が臭いと思われるのは、恋する乙女として決して許容出来ることではない。

 尚、何故宿に消臭用のマジックアイテムがあるのかと言えば、その理由はまさについ先程までレイ達がいたアンデッドの階層のように強烈な臭いを発する階層が幾つかあるからだ。

 それ以外にも、迷宮都市であるという立地上多くの素材がダンジョン内から入手出来るが、それらを利用する為の下処理、あるいは錬金術や武器の素材とする為に……といった具合に、多種多様な使い方がある為、消臭用のマジックアイテムはそれ程珍しい物ではない。


「そうだな。私としてはもう少しここにいたいが、アンデッドの臭いでモンスターを呼び寄せては本末転倒か」


 エレーナもまたレイと同様のことに気が付いたのか、そう告げる。


「グルルルゥ……」


 そんなレイとエレーナの横では、セトが森へと鋭い視線を送っていた。

 来るなら来いとでも言いたげなその視線は、普段の愛らしいセトの様子を見ている者が見れば確実に驚くだろう様子だ。

 普通の人間よりも鋭い五感をしているセトにしてみれば、それだけアンデッドの臭いというのは堪えたのだろう。


(一昨日は、リビングアーマーにスケルトン、異常種のスケルトンといった具合に、臭いが殆ど存在しなかったモンスターとしか戦ってなかったから、まだ我慢も出来たんだろうが……今日はあのゾンビの群れだったしな)


 レイは内心で呟きながらもセトを押さえるようにして頭を撫で、そのままエレーナとイエロと共に小部屋へと戻り、魔法陣でダンジョンの外へと出るのだった。






 レイ達がダンジョンの外へと姿を現した、その瞬間。突然自分の方に突っ込んでくる相手を目にし、ミスティリングからデスサイズを取り出して構える。

 だが、レイへと突っ込み掛けていた相手は、その背後にいるもう1人が肩を掴んで強引に動きを止めた。

 その様子に周囲の冒険者達は騒動か? と視線を向けるが、特にそれ以上の騒動にならないと知るや、レイ達から漂ってくる腐臭の残り香にある者は小さく眉を顰め、あるいはレイ達がどのような場所まで到達しているのかを理解して納得の表情を浮かべ、またある者はこのくらいの臭いはどうでもいいとばかりに視線を逸らす。

 基本的に臭いを気にしない者が多いのは、やはり自分達もダンジョンに潜っている冒険者だからだろう。


「……済まない、驚かせてしまったな」


 レイ達へと突撃しようとした人物を止めた男が、思わずといった風に汗をぬぐいながら声を掛ける。

 その声を聞き、そして顔を見てレイはその人物が誰なのかに気が付く。

 一昨日ダンジョンで異常種のスケルトンから助け、昨日は素材の剥ぎ取りで行動を共にした人物の1人、ナクトだ。

 ナクトがいるのだから、もしかしてと思って視線をもう1人の方へと向けると、そこには予想通りにエセテュスの顔があった。


「なんだ、お前達か。いきなり飛び掛かってくるなよ。思わず攻撃するところだったぞ」

 

 溜息を吐きながらレイはデスサイズをミスティリングへと収納し、その隣で連接剣の柄を握りしめていたエレーナはそっと手を離す。


「あ、ああ。悪い。少しでも早くレイに話を聞きたくて待ってたんだけど、そこでようやく姿を現したから、つい……」


 謝りつつも、その表情に浮かんでいるのは謝罪というより焦燥。これ以上無い程に切羽詰まっているような雰囲気をその身から発していた。

 レイにしても、尋常では無い出来事だと理解したのだろう。周囲を見回し、取りあえずとばかりに口を開く。


「で、俺に用件ってのはここで人に聞かれてもいい話なのか? それならここで聞くし、あるいは秘密裏にした方がいいっていうなら、どこかの店で……」

「いや、人にはあまり聞かれたくない」


 即座に言葉を返してきたナクトに頷き、近くにある食堂に向かおうと告げようとしたレイにエレーナが待ったを掛ける。


「レイ、今の私達の状態ではどこかの店に入れば迷惑になる」

「……そう言えばそうだったな」


 エレーナが自らの身体に残っている腐臭の残り香に関して告げると、すぐにレイも理解したように頷く。

 さすがに腐臭の残り香を纏ったままどこかの食堂に……という訳にはいかないと理解したのだ。


「わるいが、俺達の宿まで来てくれるか?」

「どうやらその方が良さそうだな」

「ナクト! 時間に余裕はないんだぞ!?」


 ナクトの言葉にエセテュスがそう言い募るが、当の本人は黙って首を横に振り、落ち着かせるようにエセテュスの肩へと手を置く。


「お前こそ落ち着け。今ここで騒いでもどうしようもないってのは分かってるだろ? なら、今は少しでもスムーズにレイ達に協力を仰ぐ方がいい」

「……分かった」


 不承不承ではあるが納得したエセテュスと共に、レイ達はいつものように寄り道をすることなく真っ直ぐに宿へと向かうのだった。






 レイ達が泊まっている黄金の風亭へと戻り、消臭のマジックアイテムを使って腐臭の残り香を消した後、レイの部屋へと集まっていた。

 現在レイの部屋にいるのは、レイ、エレーナ、エセテュス、ナクトの4人。セトとイエロは厩舎にいる。


「……で、改めて聞くがどうしたんだ?」


 さすがに貴族や大商人が泊まる宿と言うべきだろう。宿に言ったところすぐに用意して貰った、冷たく冷えた何らかの果実を搾った水を飲みながらレイが尋ねる。

 その言葉にエセテュスが何かを言おうとしたが、エセテュスでは頭に血が上ってまともに話が出来ないと判断したナクトが、エセテュスよりも前に口を開く。


「実は……昨夜レイの依頼が無事に終わって、依頼を受けた皆で打ち上げをした後で何者かに襲われたんだ」


 ナクトの口から出た言葉にピクリとレイが反応し、確認するように尋ねる。


「……金目当て、じゃないよな?」

「ああ。確かに俺達はレイの依頼を無事に完了したが、そもそも俺達はダンジョンで護衛をして貰った礼代わりに今回の依頼を無償で手伝ったんだしな」

「それを知らずに、普通に依頼を受けていると思って襲った……という線はないのか?」


 レイが飲んでいるのと同じ、冷たく冷やされた果実水を一口飲んでからエレーナが尋ねる。

 だが、その問い掛けにナクトは首を横に振り、我慢が出来ないとでも言うようにエセテュスが口を開く。


「俺達はお前達程じゃないにしても、それなりに名前は知られているんだ。そしてレイの依頼を受けていた冒険者には、まだ初心者から抜け出したばかりって奴もいた。金目当てなら、普通はそっちを狙うだろ!?」

「金目当てじゃないと。……なら、恨みか?」


 エセテュスに視線を向けながら尋ねるレイ。

 付き合いはまだ浅いが、それでもレイの目から見てもエセテュスは短気な性格をしている。そうである以上、どこで恨みを買っていてもおかしくは無いのだ。

 だが、その問いかけにもナクトは首を振る。


「確かに俺もその可能性は考えた。……けど、襲撃された時のことを思い出せば、間違いなく何らかの狙いを……いや、正確にはティービア自身を狙っていたんだ」

「ティービアを?」

「ああ。……そして、事実奴等はティービアを気絶させた後はそのまま連れ去っていった。襲ってきた奴等はかなりの腕利きで、俺とエセテュスは奇襲だったこともあって自分の身を守るので精一杯だったよ。それでも俺達はまだそれ程酷い怪我は無い。だが、ゴートは……」


 その名前を聞き、レイは人の良さそうなポーターの顔を思い出す。

 それなりに有名なパーティの戦士と盗賊の2人が防戦一方だった以上、ポーターであるゴートがどうなったのかを想像するのはそれ程難しくはない。

 死んだか、あるいは運が良くても重傷か。

 もっとも、この世界では回復魔法という存在がある。片腕を肩から切断されても、翌日には普通に外を出歩けるというレベルの。

 レイはそこに一縷の望みを掛けてナクトへと尋ねる。


「死んだ、のか?」

「いや、一応生きてはいる。ただ……ティービアを庇って右腕と右足を切断されたからな。もう冒険者としてはやっていけないだろう」

「……そうか」


 死んでいないとナクトが告げたのには安堵したが、その怪我の酷さは明らかだった。


「ともあれ、お前達が襲われたのは分かった。それで、どうして俺達を探していたんだ?」


 小さく息を吸い、ゴートのことは一旦置いておき尋ねる。


「あんた達、シルワ家と繋がりがあるんだろ? 今回の件……調べて貰えるように頼んでくれないか?」

「こう言っては何だが、冒険者として活動している以上はどこの誰から恨みを買ってもおかしくない。それなのに、わざわざボスクに泣きつけと? しかもお前達じゃなくて、俺がか?」


 確かにレイにとって攫われたティービアや、重傷を負ったゴートには好意を持っていると言ってもいい。だが、それでも自らがボスクに借りを作ってまで手を貸して貰いたいかと言われれば、それは難しいところだ。

 そもそも、現在のシルワ家は割ける労力のほぼ全てを異常種の件に注ぎ込んでいる。それはレイにとっても歓迎すべきことでもあったのだから。


「……なら、ボスク様に紹介してくれるだけでいい。頼む!」


 気が進まないといった様子のレイに、エセテュスが深く頭を下げる。

 その様子を見ていたレイは、数秒程どうするか迷った後でエレーナへと視線を向ける。


「紹介するくらいなら、別に構わないと思うが? ただ、その結果手を貸して貰うにあたってのやり取りに関しては、私達が関わらない方がいいと思うが。あくまでもこの件は、私達は部外者として関係した方がいい。……少々心苦しいが、な」


 エレーナもまた、妥協としてエセテュスの言葉に賛成するように頷く。

 本来であればシルワ家に全面的に協力して欲しいとも思ってはいる。だが、もしここで下手にシルワ家へと働きかけてしまい、更にそれが広まってしまえば、非常に面倒な事態になると言うのが分かりきっていた為だ。

 中には自分を利用してシルワ家へとちょっかいを出すような真似をする者も少なからず出る筈であり、そうなればただでさえレビソール家の件や異常種の件で揺れているエグジルに決定的とも言える悪影響を及ぼすかもしれない。そんな思い故の妥協だった。 


「そ、そうか! 助かる。ありがとう!」


 まだ午後も早い時間ということもあり、すぐにそのまま一行はシルワ家へと向かうことになる。

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