第486話

「こちらでお待ち下さい。すぐにプリ様をお呼びして参りますので」


 リビングと思われる場所へと案内されたエレーナは、近くのソファへと腰を下ろして小さく息を吐く。


「キュ?」


 そんなエレーナが気になったのだろう。左肩へと止まっていたイエロが、小首を傾げて鳴き声を上げる。


「ふっ、気にするな。エグジルを治めている最後の1家。その当主がどのような人物なのかが気になっただけだ。……出来れば、レイと共に素材の剥ぎ取りに参加したかったのだがな」


 マースチェル家からの招待状を受け取った時は、正直な話かなり迷った。だが、元々人前に殆ど出ることがないと言われているマースチェル家の当主だ。この機会に会えるのなら一度会ってみたいという思いが勝り、こうして1人で……いや、イエロと共に1人と1匹でマースチェル家へとやってきていた。


(シャフナーは行方不明になったまま捕まっていない。勿論レビソール家がそれで潰れるという訳もなく、後継者が後を継いではいる。だが、成り行きを考えればレビソール家はシルワ家の傀儡に近い存在になるだろう。……唯一の救いとしては、何だかんだと言ってもボスクが私利私欲でレビソール家をどうこうするつもりはなさそうだということか)


 何度かボスクと会い、完全では無いにしろその人となりは理解していた。その時に感じたのは、確かに色々と問題のある人物ではある――エレーナと最初にあった時の出来事がいい例だろう――が、それでもエグジルという都市に対して思う気持ちは本物だということだった。

 だからこそ異常種という存在の解明に躍起になっており、シルワ家の私財を使ってまで異常種の死体を集めて情報を得ているのだろう。

 勿論、それがシルワ家の利益に……延いては迷宮都市エグジルの利益になると判断しているからこそだろうが。


「キュ、キュキュ!」


 エレーナが考えごとをしていると、左肩からテーブルの上に移動したイエロが皿の上に乗せられているクッキーへと手を伸ばし、小さな口で齧り付く。

 その様子に心温まるものを感じながら、同じくテーブルの上に置かれていた紅茶のカップへと手を伸ばす。


「ふふっ、綺麗に食べろよ?」

「キュ!」


 紅茶を飲みながら呟いたエレーナの言葉に、イエロがクッキーを食べつつも鳴き声を上げ、尻尾を振って答える。

 そのまま数分程、ある意味では敵と目されている者の屋敷にいるとは思えない程にゆったりとした時間を過ごし……扉のノックされる音を聞き、そちらへと視線を向ける。


「お待たせして申し訳ありませんね、エレーナ・ケレベル様。マースチェル家当主のプリ・マースチェルと申します。今日は私の招待に応じて下さってありがとうございます」


 そう言いながら姿を現したのは、40代程の中年の女。指輪、腕輪、首輪、足輪、イヤリング、髪飾りといった服装で身体中を飾り立てており、見ているだけで目に痛い。

 だが、ケレベル公爵家の令嬢としての教育も受けているエレーナは、内心の思いを顔へ出さずに小さく頷く。


「私としても、マースチェル家の者と会ってみたいとは思っていたからな。そういう意味では丁度いいタイミングだった」

「あらあら、そう言って貰えると私としても招待した甲斐がありましたね」


 満面の笑みを浮かべてそう告げるプリだが、その笑みが言葉通りの意味での笑みではないというのは、エレーナにも感じ取ることは出来る。


(もっとも、この迷宮都市を治めているのだ。何か思うところがあっても当然か)


「私が聞いた話によると、貴公は滅多に人前に出ないとか。何か理由でもあるのか?」

「特にこれといった理由は無いのですが、元々人前に出るのがあまり好きではありませんので。そんなことをするのなら、魔法の研究をしていた方が有意義だと感じるのですよ」


 その研究という言葉にエレーナは感心したように笑みを浮かべて頷き、口を開く。


「……ほう? そう言えばマースチェル家はこの地にあるダンジョンを見つけたパーティの中でも、魔法使いを先祖に持つとか。もし良ければ何の研究をしているのかを教えて貰えないか?」


 尋ねつつ、エレーナの脳裏を過ぎったのは当然のことながら異常種についてだった。

 レビソール家の件が表沙汰になり、シルワ家の者が研究所に向かった時には既にその研究所にいた研究員が全て殺されていた。この点だけを見ても、異常種の件がレビソール家だけで行っていた訳では無いのは明らかであり、エレーナとしては黒幕の最有力候補が目の前にいるマースチェル家の当主であるプリだった。


「あまり表沙汰にはしたくはないのですが……ケレベル公爵家の方であれば教えても構いませんね。実は宝石に魔法を封じ込めるという研究を行ってまして」

「宝石に魔法を?」

「ええ。例えばエレーナ様は風の魔法の使い手として有名ですが、そのような方が宝石にウィンドアローのような魔法を封じ込めるといった形で作り出したものを、使用者が使うと瞬時にその効果が発動する……そのような形に出来ればと思っています。もしも私の研究が実を結べば、魔法使いの絶対数が少ない冒険者の大きな力になるかと」


 他意はありませんとでも言うように言葉を返すプリだったが、エレーナは首を傾げる。


「だが、マジックアイテムにも似たような効果を持つのがあるだろう? 魔力を通せば魔法的な効果を放つようなものが」


 エレーナの脳裏を過ぎったのは、レイが持つ流水の短剣や茨の槍。

 流水の短剣に関してはレイの魔力の問題で飲み水くらいにしか使っていないが、相性が良ければ水の鞭や水の剣といった風に非常に強力な効果を持つマジックアイテムだ。

 茨の槍に関しては、敵へと突き刺さるとその体内から茨を生み出して動きを絡め取るという、ある意味では非道とも取れる効果を持っている。

 勿論それだけではない。エレーナが履いているスレイプニルの靴は空中を歩く効果を持つし、連接剣は魔力によって自由に操れる。

 宝石に関してもそのような効果ではないのか? そんな風に尋ねるエレーナに、プリは首を振る。


「いえいえ、確かにエレーナ様の言葉通りそれらは魔法的な効果を持ちます。ですが基本的には非常に高価な品であり、高ランクの冒険者ならともかく、ランクの低い冒険者には手が出せないというのが実情です。ですが、私の研究ではその低ランク冒険者にもある程度自由に使えるようになるというのが大きいのですわ」

「ほう、確かにそれが本当だとすれば素晴らしい研究だな」


 頷くエレーナだったが、次の瞬間には視線を鋭くしてプリを見据える。


「ちなみに、話は変わるが……最近ダンジョンで異常種と呼ばれているモンスターが見つかっているのだが、それについては知っているか?」


 偽りは許さないとばかりに問い掛けるエレーナに、プリは残念そうに溜息を吐いてから頷く。


「ええ、勿論。これでも私はマースチェル家の当主です。ギルドからの情報もきちんと入ってきていますから。……シャフナーも、何故こんなことをしたのか……正直、理解に苦しみます」

「そのシャフナーだが、未だに行方不明だ。どこか隠れている場所に心当たりはないか?」

「残念ながら。エグジルを治めている者としては、彼には早く捕まって貰って罪を償って貰いたいと思っているのですが」

「……そうか。知らないのならしょうがないか」


 プリの言葉に頷くエレーナだが、その内心では忌々しげなものがあった。

 こうして話している限りでは怪しいところは何も無い。だが、エレーナ自身の勘は間違いなく目の前の人物が今エグジルで起きている騒動に何らかの形で関わっていると言っている。

 だが、何の証拠も無い状態でどうにかする訳にもいかず、やれることはと言えば言葉による牽制しか無かった。


「ええ、非常に残念ですわ。シャフナーは私がマースチェル家の当主になった時には既にレビソール家の当主として働いていた、尊敬すべき人だったのですが」


 プリは少なくても表面上では本当に残念だという表情を作りつつ、ネックレスの先端の宝石へとそっと指を伸ばす。

 その心中で自らの欲望の為の餌食となった哀れな老人に対する嘲笑を浮かべつつ、宝石を愛でる。


「その宝石……?」


 そんなプリの様子を見ていたエレーナは、ネックレスの先端にある宝石へと視線を向ける。

 魔力を感じる以上、マジックアイテムであるのは間違いない。それもかなり強力な、だ。


「あら? さすがエレーナ様、お目が高いですわね。この宝石は最近手に入れたばかりの物なのですが、綺麗でしょう? こちらの視線を吸い寄せるような、深い緑」

「もしかして、その宝石がさっき言っていた研究の成果なのか?」


 自分の横でクッキーを食べていた筈のイエロの視線が、何故かプリの宝石へと向けられているのを見ながらエレーナは尋ねる。


「ええ。とは言っても、まだまだ研究段階なので、純度の高い魔力的な要素を持つ宝石にしか魔法を込められないのですけどね」

「もしかして、その宝石は……」


 言い掛けて言葉を止める。

 その宝石の大きさや形に見覚えがあったのだが、色が決定的に違っていた。エレーナが知っていたその宝石、ジュエル・スナイパーの背中に埋め込まれていた宝石は、緑では無く赤だったのだから。


(勘違いか? ……いや、だが、さすがにあの大きさの宝石を見間違えるようなことは……あるいはただの偶然?)


 そんな風に考えていると、プリは口元に笑みを浮かべて宝石を愛おしむように撫でる。

 その笑みは、先程の形だけのものではない。間違いなく心の底から浮かべられた笑みだ。


「いや、随分と素晴らしい宝石だと思ってな。もし良ければ少し見せて貰えないか?」


 エレーナとしては、何となく口に出しただけの言葉だった。

 それ程に宝石を愛しているのなら、自らの宝石自慢のついでに何か口を滑らせるのでは無いかと。

 ……だが。


「何ですって!? 私から宝石を奪うつもり!?」


 エレーナの言葉によって起きた反応は、劇的とすら言ってもいいものだった。

 先程まで浮かべていた笑みは既に無く、親の敵でも睨むかのような殺気の籠もった視線がエレーナへと向けられている。

 その指に嵌められている指輪型のマジックアイテムは、いつでも発動できるように魔力を流されており、もしもエレーナが1歩でもプリへと近づけば間違いなく戦闘が始まるだろうと確信する程に。


「落ち着け。別に私はお前の宝石を奪おうとは思っていない。ただ良く見せて欲しいと思っただけだ」

「キュキュ! キュウ!」


 半ば目が血走っているプリを落ち着かせるように告げ、その隣ではイエロもまたエレーナの言う通りだと鳴き声を上げる。

 そのままお互いが無言で睨み合うことおよそ1分程。ようやくエレーナが自分の持っている宝石を奪おうとしている訳ではないと判断したのか、プリの顔から険しさが抜けていく。

 そして、何かに気が付いたかのように小さく頭を下げる。


「申し訳ありません、エレーナ様。私は宝石のことになるとどうしてもこうなってしまうのです」

「……そんな状態でマースチェル家の当主を務めていけるのか?」

「ええ、それは何とか。……お恥ずかしい話ですが、現在私の家には親類が殆どいません。遠く血を引く親戚の子供が数名いるだけで、恐らくその者達のうちの1人がいずれマースチェル家の後を継ぐことになるでしょう。ですので、今は私が頑張るしかないのです」


 呟くその顔に浮かんでいるのは、間違いなく悲しみ。

 その悲しみは普通の者が見れば心に響くような痛みを覚えるものだったが、エレーナから見る限りでは先程浮かべていた笑みと同様の、どこか薄っぺらいものを感じさせる。


(そういう意味では、宝石を見せて欲しいと言った時に浮かべた怒りこそが本物の表情なのだろうが……な)


 内心でそんな風に考えつつも、それを表情に出すことなく頷く。


「そうか。それは残念だったな。……病気か何かか?」

「いえ。事故の類です」


 エレーナの言葉に間髪入れずにそう言葉を返したプリだったが、既にその言葉そのものを怪しんでいるエレーナにしてみれば、その事故という言葉すらも疑わしく感じる。


(だが、見たところ権力欲に塗れているという訳でも無い。もしそうであれば、もっと人前に出ることは多くなる筈だ。となると、何らかの理由がある。……そう考えた方が自然か)


 そのまま30分程話を続け、言外に色々と揺さぶりを掛けるエレーナだが、プリがそれに乗ることは無かった。

 そして……


「あら、エレーナ様。申し訳ありませんがそろそろ時間のようですので、今日はこの辺でお開きにしましょう。マースチェル家当主としての仕事が残っているので」

「ふむ、そうか。そう言われては、私もこれ以上ここにいるのは邪魔になるだけだな。……イエロ、そろそろ帰るぞ」

「キュ!」


 エレーナの言葉に、イエロが短く鳴いて左肩へと止まる。

 そのまま少し言葉を交わした後、メイドがエレーナと共に部屋を出て行く。

 笑みを浮かべてエレーナを見送ったプリだったが、扉が閉まったその瞬間には表情が変化する。

 いや、笑みということでは同じなのだが、そのより本心を表すかのような、深い笑みを浮かべたのだ。


「やっぱり鋭いわね。……ねぇ、貴方はどう思う? エグジルを長年支え続けてきた、レビソール家の当主としては」


 呟き、そっと愛おしげにネックレスの宝石を撫でながら、言葉を続ける。


「ええ、そうかもしれないわね。でも、こうして直接会ってみて分かった。あの子は間違いなく極上の素材になるわ。それこそ、数百年、数千年に1度といった素材に」


 狂的とすら言ってもいいような笑みを浮かべ、宝石を撫でるのだった。

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