第469話
オアシスのほとり、現在そこには非常に香ばしい匂いが漂っていた。
それが何なのか、そしてどこから漂っているのかは考えるまでも無い。
レイ達の視線の先で身体の内部から焼かれて死んでいるアースクラブからだ。
「……また、随分といい匂いをさせてるな」
「うむ」
「グルゥ」
思わずといった様子で呟いたレイの言葉だったが、エレーナもセトも異論は無かったのか同意の言葉を返す。
「グルルルゥ?」
食べちゃ駄目? と小首を傾げて尋ねるセトに、レイも一瞬迷う。
以前の経験から、スキルである毒の爪で倒した相手は特に問題無く食べられると理解していたが、問題は周囲に漂っている食欲を刺激するような香りだ。
だが、その匂いは別にここだけにあるのではなく、周囲一帯に広がっている。
つまり、この匂いはレイ達以外の周辺にいるモンスターにも十分以上に広がっており……
「あ、遅かったな」
「グルルゥ!」
こちらに近づいてくる大勢の気配を察知し、レイは溜息を吐きながらもまだ多少の猶予はあると判断して切り分けられたアースクラブの足やハサミ、そして程よく焼けて食べ頃になっている胴体の部分を急いでミスティリングへと収納していく。
甲羅に触れた時に若干熱さを感じたが、一般人ならともかくレイにとってはそれ程気にする程度でもないので、問題は無い。
エレーナとセトが周囲を警戒している中、アースクラブの全てを収納してデスサイズを手にした瞬間、匂いに惹かれてきた者達が木々の間から姿を現す。
「……は?」
だが、それを見たレイの口から出たのは、予想外に間の抜けた声。
地下15階まで来て、倒したモンスターもアースクラブやブラッディー・ダイルだ。もっともブラッディー・ダイルは瀕死の状態だったので、とても戦ったとは言えない状態だったが。
ともあれ、そのようなモンスターが姿を現した以上は近寄ってきているモンスターもかなりの強さを持った敵だろうと判断していたのだ。
だが、木々の間から姿を現したのは犬の顔を持つ2足歩行のモンスター。
手には冒険者から奪った、あるいはモンスターの素材を利用して作り上げたと思しき剣や槍、ハンマー、斧といった武器を持っており、身体にもモンスターの素材やオアシス周辺に生えている木を利用して作ったと思われる防具を装備している。
だが、それでもそのモンスターがこのような階層にいるのを見たレイの中には、色々と違和感があった。
そう、そのモンスターの名前は……
「コボルト、だと?」
レイの知っている限りでは、ゴブリンやオークと並んで有名なモンスターだろう。
このエルジィンにやってきたレイも、ゴブリンやオークとは戦ったがコボルトと遭遇したことはなかった。
そういう意味では幸運と言っても良かったのだろうが、それでもこの階層で遭遇するのは色々と疑問があった。
(大体、コボルトがこの階層で生き残れるのか? 普通の場所ならともかく、この砂漠の階層はモンスター同士でも容赦なく食い合っているんだぞ? なのにランクEのコボルトが……いや、普通のコボルトじゃない、のか?)
「グルルルルルル」
セトと似たような……それでもセトと違って重厚さを感じさせない鳴き声を上げながらコボルトはレイ達の前に現れ、集まっていく。
その数、およそ30匹。
5m程の距離を開けて向き合うこと数分。焦れたのか、あるいは緊張感に耐えられなくなったのか、先頭のコボルトが持っていた槍を大きく振るう。
ぶんっという音を立てるその行為は、どう見てもレイ達に対する威圧だった。
だが、それは大きなミスだったと言えるだろう。そもそも、冒険者になったばかりの初心者ならともかく、その程度で恐れるような繊細な神経を持っている者はここにはいなかったのだから。
「さて、どう思う? いきなり攻撃を仕掛けてこないのは評価してもいいが」
「コボルトというのは連携が上手い。以前貴族派の者が所詮はコボルトと侮り、痛い目に遭ったのを見たことがある。決して油断はしないようにな」
威圧してはいても、それでも敵対という程では無い。そんな相手にどう対応するべきかと尋ねたレイに戻ってきたのは、そんなエレーナの言葉だった。
レイと違って既に戦いを避けられないと判断しているのは、やはり以前にコボルトと戦っていたからだろう。
コボルトは、その頭部が犬であるようにその特徴も受け継いでいる。即ち、犬が狩りをする時に行うように集団で敵へと襲いかかるのだ。まるで野犬や狼の如く。
「グルルゥ」
コボルトについては知らないセトだが、自分達のいる場所を大回りするようにして近づいてくる複数の気配は感じ取っていた。
レイやエレーナへと警戒するように鳴き声を上げ、その声でレイとエレーナもまた回り込んで自分達を囲もうとしている気配に気がつく。
「なるほど、用意周到さでこの階層を生き残っていたのか」
「で、あろうな。だが……それでも私達を相手にするには、まだ未熟!」
エレーナが叫ぶや否や連接剣を振るい、背後から一直線に飛んできた矢を一刀の下に斬り捨てる。
すると、それが合図だったのだろう。様子を窺っていたコボルトが一斉にレイ達へと向かって襲いかかってきた。
先頭を走ってきたコボルトがその勢いに乗ったまま槍を突き出す。その槍の標的がセトだったのは、コボルトの本能が一番強力な敵と認識したのだろう。
本来であればレイもエレーナもセトに勝るとも劣らぬ戦闘力を誇っているのだが、やはり外見に捉えられた故か。
実力の差を考えれば、その差は圧倒的だろう。だが、それでも仲間の為にという思いがあればこそ、自らが捨て石となることを覚悟の上での一撃だった。
「グルルルルルゥッ!」
突き出された槍を打ち払うのではなく身を沈めて回避し、そのままの勢いで前へと飛び出てそのまま衝撃の魔眼を使用する。
瞬間。コボルトの顔面に衝撃が走り、皮膚が裂け、肉が弾け、血煙となって周囲へと散らばった。
「ギャウンッ!」
その一撃に、悲鳴を上げながら地面へと崩れ落ちて転げ回るコボルト。
この場合、不運だったのはセトの放つ衝撃の魔眼のレベルが低いが為に、威力が弱かった為だろう。
もう少し威力が高ければ、コボルトは一撃で絶命していた。だが、威力が低いが故にコボルトは死ぬことが出来ず、激痛に悲鳴を上げながら地面を転がり回ることになった。
「ガアァァァアァアアッ!」
そんなコボルトの命を絶つべく、セトのクチバシが開かれてファイアブレスが放たれる。
広範囲に放たれた炎の息は地面で転げ回っているコボルトを炎で包み、そのままセトの首が振られてその周囲にいた他のコボルトにも炎の舌を伸ばす。
『ウィンドアロー!』
そんなセトから少し離れた場所では、エレーナの放った無数の不可視の風の矢がコボルト目がけて雨の如く降り注ぐ。
『炎よ、汝が灼熱の手を持ちて振るわれる我が一撃は剣の如く。その軌跡に沿って汝はその力を発揮せよ』
レイの呪文と共に、デスサイズの石突きから炎が伸びる。その様子は呪文にあった通り剣の如き形を伴っていた。
『炎剣の斬撃!』
魔法の発動と同時に振るわれる炎剣。
だが、その一撃はコボルトを焼くでもなく、あるいは斬り裂くでもなく、ただ空中を燃やしていく。
「ガウ?」
レイの放った一撃がどのような意味を持つか分からず、その様子を見ていたコボルトの1匹が不審そうな鳴き声を漏らしつつ首を傾げる。
だが、次の瞬間にその一撃がどのような意味を持っているのかが結果として現れた。
レイが炎剣を振るった軌跡に沿うように地面に赤い線が引かれ、それを踏んでいるコボルトの足から炎が吹き上がり、群れの先頭にいたコボルトが纏めて炎に包まれる。
足下から燃え上がる炎が、そのまま足首、膝、太股、腰、腹、胸といった具合に燃え広がり、やがて激痛に悲鳴を上げながら身体の半ばを炭化させて地面へと倒れ込む。
そのような光景が、炎剣の描いた赤い線の上にいた全てのコボルトへと襲いかかったのだ。
足下から燃やされる仲間の様子を見ていた他のコボルトは、自分達の仲間に何が起きたか理解出来ずに動きを止める。
……そう、まさにコボルトの焼死体による防壁とでも呼ぶべき状態を作り上げようとした、レイの予想通りに。
「セト!」
「グルルルルルルルゥッ!」
レイの言葉に何の躊躇も無く叫び再びファイアブレスが放たれる。しかも真後ろから、だ。
ほんの少し前まではレイの近くでファイアブレスを使用していたセトだったが、レイが魔法を使うのに合わせて三角飛びで近くの木を蹴ってコボルトの群れの真後ろへと着地し、挟み撃ちの形へと持っていく。
セトの口から放たれる炎の息は、コボルト達を燃やしつくさんと襲いかかる。
それを嫌って逃げようとしても、その先にあるのは踏めば自らも燃やし尽くされる、魔法によって生み出された絶対防衛線とでも呼ぶべき存在。
群れの端にいたコボルトは何とか逃げ延びることに成功するが、それも群れの右側にいたごく一部でしか無い。
群れの左側にいたコボルトが逃げ出せなかった理由は、そこにエレーナが存在していたからだ。
姫将軍と呼ばれる程のエレーナが振るう連接剣の刃は、鞭状になれば一振りで多くのコボルトを斬り裂き、一本の剣になれば鋭い一撃でコボルトを縦、あるいは横で真っ二つに切断する。
あるいは、この時点で群れの右の部分にも何らかの攻撃の手段を持つ者がいれば、コボルトも窮鼠猫を噛むかの如く一か八かでレイ達へと反撃をしていたかもしれない。
だが、逃げ出せる場所がある以上はそんな真似をすることもなく、自らの命を守る為に逃げ出していく。
最終的に、背後から襲ってきたものも合わせてコボルトの9割程を倒すことに成功する。
「……ふぅ、取りあえず終わったか」
デスサイズをミスティリングの中に収納し、コボルトの死体が溢れている周囲を見回しつつレイが呟く。
そこに倒れている死体は、焼け死んだ者と斬り裂かれて死んだ者。
そんな死体を眺めつつ、レイは襲ってきたのがコボルトでまだ良かったと判断しながらミスティリングへと収容していく。
(同じ犬系のモンスターでも、ワーウルフの類だったらもう少し苦戦していたかもな)
内心でそう呟きながら。
尚、獣人は人間に獣の要素が加えられている者であるのに対し、ワーウルフは獣と人の中間の形態をしている。
「コボルトの死体も収容したし、後はまたこの匂いに釣られた奴等が来ないうちにここを離れるか」
「グルゥ」
レイの言葉にセトは同感と喉を鳴らし、エレーナもまた頷く。
「そうだな。特にここは水場だけに、水を飲むためにモンスターが姿を現す可能性も少なくない。再び戦いになって、それを目当てに他のモンスターが……と繰り返されたら、肉体的にも精神的にも疲労が溜まるのは間違いないからな」
「……本当はさっき食べた果物を探しているだけの筈だったのに、どうしてこうなったのやら」
苦笑と共に呟くレイだったが、不意に視線を上げるとその先に生えていた木に先程食べたのと同じ種類の……それも、一回り程も大きい果実が2つ視界に入り、思わず動きを止める。
「レイ? どうした?」
思わず動きを止めたレイを不審がって声を掛けるエレーナの声に我に返り、口を開く。
「エレーナ、セト。……あれ」
レイの指さした方向を見て、エレーナとセトにも驚きの表情が浮かぶ。
1人と1匹にしても、そこになっている果実は予想外だったからだ。
ある意味では、ここまでの激戦を繰り広げることになった最大の理由の果実が2つも存在していた。
「は、ははっ。はははははは」
そんな様子に、思わず笑みを漏らすレイ。
「ふふっ、何がそんなにおかしいのだ?」
レイが笑みを浮かべる様子にエレーナがそう告げるが、その口元にはやはりと言うべきかレイと同様の笑みが広がっている。
「エレーナだって笑ってるだろ。くくっ、別に何かこれといって面白いことがあった訳じゃないのにな……」
「グルルゥ」
特に面白い出来事があった訳では無い。だが、それでもお互いの口からは笑みが漏れ出す。
そんな2人に向かって早く果物を採ろうと促すセトの鳴き声に、ようやく収まり掛けようとしていた笑みが再び漏れた。
「グルゥ?」
どうしたの? と小首を傾げるセトを撫でつつも、やはり笑いの衝動はそう簡単には収まらずにそれから5分程してようやく落ち着くと、セトに跨がったレイが空を飛んで無事果実を得ることに成功する。
だが、手に入れた果実は美味いがこの場所で食べるというのは気が進まず、取りあえずはということでミスティリングへと収納し、食べたいと喉を鳴らすセトをレイとエレーナの2人で宥めつつ先へと進むのだった。
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