第464話

 視界一面に広がるのは砂漠……ではない。水とその近くに生い茂っている木や緑。

 一見した限りでは、とても砂漠の階層であるとは思えない光景だった。

 勿論砂はある。地面は一面が砂で出来ており、視界に見えているのが砂漠の中にあるオアシスだというのは、上の階層で直接オアシスに寄ったのだから、何となく理解していた。

 だが……


「オアシスがあるというのはまだしも、階層全体がオアシス? それって砂漠の階層って言えるのか? 地図で確認はしていたけど、さすがにこうして直接見ると……」

「……一応、地図には描かれていたから知識として知ってはいたが……」


 呟くレイの隣で、エレーナもまた小部屋を出てすぐに目に入ってきた光景に思わず息を呑む。

 地図に関しては、取りあえずということで地下20階分までのものは買ってある。それを管理しているエレーナだけに、当然この階層についても知ってはいた。

 レイにしても、前もって地図を見てはいるのだからここがオアシスの階層だというのは知っていたが、直接自分の目で見ると色々と思うところがあったらしい。


「グルルルゥ?」


 水に入ってもいい? とレイへと尋ねるセト。

 岩石砂漠の中を突っ切ってきたので、身体には細かい砂が無数についており、その汚れを落としたいのだろう。

 それを理解しつつも、レイは首を横に振る。

 確かにレイにしても、目の前にあるオアシスで一休みしたい気持ちはあった。だが、ヴィヘラ達にサイクロプスの素材を渡すという約束もあるし、何よりもバジリスクと思われるモンスターに石化されてミスティリングの中に収納されている3人の件もある。

 それを思えば、やはりここでゆっくりはしていられないだろうというのがレイの判断だった。


「グルゥ?」


 駄目? と円らな瞳を向けながら小首を傾げるセトの頭を軽く撫で、レイは口を開く。


「悪いが今日は我慢してくれ。宿に戻ったらブラッシングしてやるから」

「グルルルルゥ」


 心底残念とばかりに鳴いたものの、すぐにセトはブラッシングを楽しみにして、そのまま踵を返す。

 その後を追うかのようにレイとエレーナもまた魔法陣のある小部屋へと戻り、そのままダンジョンの外へと転移するのだった。






「いつもよりちょっと遅いけど、まぁ、この程度なら誤差の範囲内か」


 レイはちょうど入道雲によって太陽が隠れている空を見上げつつ呟く。

 抜けるような青空に、まだ夏の終わる気配が無いと知りつつ大まかな時間を確認する。

 自分で口にしたようにレイ達がいつもダンジョンから出てくるよりは多少遅いが、まだ夕方までにはある程度の猶予がある時間帯。

 大体午後4時過ぎといったところだ。


「まぁ、最後の方は例の件もあって駆け足だったからな」


 バジリスク、と名前を出さず口にしたエレーナに頷いたレイは、ダンジョン前の広場にいる冒険者達から相変わらずの視線を集めているのを気にした様子も無く、外套を脱いだエレーナとセトを引き連れてギルドへと向かう。

 いつもなら素材の換金くらいしかやることはないのだが、今日は違う。ヴィヘラやビューネに魔石と肉以外のサイクロプスの素材を引き渡すという仕事も残っているし、ジュエル・スナイパーに殺されたと思われる死体に、何よりも3人分の石像、あるいは3体の石像の件があった。


(この件に関しては、ギルドに相談した方がいいだろうな)


 内心で呟きつつダンジョンカードを門番に見せて外へと出て、ギルドへと向かう。






「よし、まだそれ程混んでいないな」


 ギルドホールの中を見回し、レイの口から安堵したような呟きが漏れた。

 確かに普通ならこの時間帯にギルドの中が混んでいるとは限らないのだが、物事には色々と例外がある。

 特にシャフナーが行方不明の今はレビソール家が起こした事件が完全に収まったとも言えない状況ではあるし、ダンジョン内に出現する異常種の件もあった。

 それらを考えると、何らかの理由で夕方前であってもギルド内部が絶対に空いているとは言い切れないし、レイ達同様に人混みを嫌って少し早めに引き上げてくる冒険者というのも一定の人数がいる。


「あ、レイ。戻ってきたわね」


 そしてそれらとは違い、最初からレイ達を待っている者達も存在していた。

 既に外套を脱ぎ、男好きのする豊満な肢体をいつもの踊り子の如き衣装に身を包んだヴィヘラの声に、エレーナは微かに嫌そうな表情を浮かべる。

 だが、元々ギルドで待ち合わせていたのだから無視をする訳にもいかず、ヴィヘラとビューネの方へと歩みを進めたレイの後を追う。


「どうやらそっちの依頼は無事完了したらしいな」

「ええ。ジュエル・スナイパーも無事に引き渡したわ。そっちは?」

「まぁ、無事に地下15階までは到達した……な」

「ん?」


 レイの言葉に何らかの疑問を感じたのか、ビューネが短く呟く。


「ま、色々とあったんだよ。それに関してはともかく、預かっていた素材に関しては引き渡すのは今でいいのか?」

「ええ、お願い。丁度今なら買い取りカウンターも空いているしね」


 チラリ、とギルドの買い取りカウンターの方へと視線を向けるヴィヘラ。

 確かにその視線の先にある買い取りカウンターの前には1人の冒険者の姿も存在せず、担当のギルド職員が自分に視線を向けられたのを察して小さく頭を下げてくる。

 それを合図にしたかのように、一行は買い取りカウンターの方へと向かう。


「悪いけど、素材の買い取りを頼めるかしら?」

「はい、かしこまりました。レイさんがいるということはアイテムボックスですか?」


 既に幾度となく利用していることもあり、レイが来た時点でどこに素材があるのかを確認するギルド職員。


「レイ、お願い」


 ヴィヘラに促され、レイはミスティリングからサイクロプスの素材を次々に取り出していく。

 骨や筋、皮といったものがカウンターの上だけでは乗り切らずに床へも積み上げられていき、ギルド内部にいた冒険者達の視線が集まる。


「これは……もしかしてサイクロプスですか!?」


 さすがに本職と言うべきだろう。ミスティリングから出された素材の中にあった討伐証明部位の右耳や、破損しているとは言っても特徴的な角の一部を見ただけで、何のモンスターなのかを即座に判断する。


「ええ。さっき報酬を貰った依頼の途中で遭遇してね。ただ、知っての通り私とビューネはポーターを連れないで行動してるから、レイに任せたのよ」

「確か地下14階ですよね? あの階層にサイクロプスが出たって報告は……いえ、何年か前に1度あったような。それにしてもランクCモンスターでも上位に位置すると言われているモンスターなのに、よく無事でしたね」


 数秒程記憶を探るように考えていたギルド職員が、ヴィヘラやビューネ、それどころかレイやエレーナへと感嘆の眼差しを向ける。

 まさかヴィヘラが単独でサイクロプスを倒したとは思ってもいないのだろう。


「おい、サイクロプスだってよ」

「ああ。さすがに狂獣って言うべきだろうな。少なくても俺はパーティを組んででもサイクロプスなんかとは戦いたくないぞ」

「ビューネってのはフラウト家の奴だろ? 盗賊だって話だし。なら、実際に戦ったのは残り3人ってことか。いや、深紅ならグリフォンを連れているから、3人と1匹か。……ん? ランクAモンスターのグリフォンを連れてれば、サイクロプス程度なら何とかなるんじゃないか?」

「そう思うんなら、お前がグリフォンをテイムしてきてサイクロプスを倒してこいよ」


 背後から聞こえてくる声を聞きながしつつ、レイは最後に柄の長さが3mはある巨大なハンマーをミスティリングから取り出す。

 それを見た他の冒険者達から更にざわめきが漏れるが、それを気にした様子も無くヴィヘラは視線をギルド職員へと向ける。


「素材としてはこんな感じなんだけど、どう?」

「……これは、随分とご立派なハンマーですね。正直なところ、このままで売りに出しても需要がありませんよ?」

「だからこそ、武器屋に持っていかないでこうして素材として売りに来たのよ。これ単体では武器として使用出来ないけど、金属の素材として見れば結構高純度の鉄を使っているみたいだし、それ程悪くないんじゃ無い?」


 冒険者が大勢集まるが故に、一切の手を抜かず頑丈に作られたギルドの床がミシリとした音を立てる程の重量を持つハンマー。

 これを使えるとすれば、それこそサイクロプスと同等の膂力を持つ者だけだろう。

 だが武器の素材として考えれば、ヴィヘラの言葉通り確かにかなり高純度の鉄で出来ているので、それなりの値段になるのは事実だった。


(誰が作ったんだろうな? サイクロプスに高度な鍛冶技術があるとは思えないし……)


 レイが脳裏でそんな風に考えている間にも素材の精算は終わり、ギルド職員が何人か現れて素材を奥へと運び込んでいく。

 素材その物はそれ程苦労せずに奥へと運び込んでいたのだが、さすがにサイクロプスの使っていたハンマーは10人程でようやく持ち上げて奥の方へと運んでいく。


「では、ありがとうございました。……ちなみにこれは好奇心で聞くのですが、サイクロプスの魔石はどうしたのでしょうか? レビソール家の件で大分魔石不足は解消してきたとは言っても、まだ完全ではないので出来れば魔石もこちらに買い取らせて欲しいのですが」


 金貨と銀貨をカウンターの上に置きながら尋ねるギルド職員に、ヴィヘラは銀貨を自分で受け取り、金貨をビューネに手渡しながらレイへと視線を向ける。


「残念だけど、魔石に関してはレイ行きよ。欲しかったら、自分で交渉することね」

「レイさんが基本的に3つ以上手に入れていない魔石は売らないと、知ってて言ってますよね」


 溜息を吐きつつ、それでも一縷の望みを掛けてギルド職員はレイへと視線を向け……無言で首を横に振るわれ、思わず溜息を吐く。


「上の方からなるべく魔石を多く買い取るようにって言われてるんですけどね。……まぁ、いいです。レイさん達は2つ以外の魔石はきちんと売ってくれてますしね」


 わざと聞こえるように呟き、チラリとギルドにいる冒険者達へと視線を向ける。

 色々と思い当たることがある者もいたのだろう。そっと視線を逸らす冒険者が数名程いた。


「全く、魔石不足だって知ってるんですから、出来ればもっとダンジョンに潜って魔石を持ってきてくれると助かるんですが。……それで、レイさん達はこちらに何の用件ですか? 素材の買い取りを?」

「ああ。勿論それもあるが……ダンジョンでちょっとしたものを発見してな。それをどうしたらいいか相談したい」


 そんなレイの言葉に、訝しげな表情を浮かべつつも頷くギルド職員。

 何しろ、ダンジョンの中というのは色々と不思議なことが起きるのは珍しくないので、レイのように自分で判断出来ないようなものを持ち込むという者も少なくないのだ。


「分かりました。取りあえず出して貰えますか?」

「ここでいいのか? その、結構大きいんだが」

「ええ、構いませんよ。さすがにあのハンマー程に大きい訳では無いでしょう?」


 ギルド職員の脳裏に、先程のハンマーを持っていった同僚達の姿が過ぎる。

 恐らく明日は筋肉痛だろうな。そんな風に思いつつ尋ねた言葉に、頷くレイ。


「さすがにあそこまではな。……じゃあ、出すぞ?」


 最後の確認に頷くのを見ながら、ミスティリングに収納されていた3体の石像を取り出す。

 狐の獣人の女、エルフと人間の男の合計3体を。


「……え?」


 さすがに石像が出てくるというのは予想外だったのか、ギルド職員も思わずといった様子で惚けた声を出す。

 それは、周囲でサイクロプスの素材の次には何が出てくるのかと様子を見ていた他の冒険者達も同様だった。


「あら? これは石像……いえ、違うわね」

「ん」


 ヴィヘラの言葉に、ビューネが短く頷く。

 ただの石像にしては浮かべている恐怖の表情は真に迫りすぎており、着ている服や鎧、握っている武器の類も精緻に彫り込まれている。


「ちょっ、ま、待って下さい。これってもしかして……」


 素早く我に返ったギルド職員が呟き、カウンターから出てきて恐る恐る石像へと近寄り、何かを確認するかのようにその顔を確かめ……思わず呟く。


「やっぱり。この3人って確か行方不明になって死亡判断されていた空の鐘の3人? レ、レイさんこの3人を一体どこで!?」


 ギルド職員の言葉に、レイはやはりかと半ば予想通りの結果に納得の表情を浮かべる。

 自分が判断したように相手がバジリスクかどうかは不明だが、とにかく対象を石化する力を持った何者かに襲われたのだろうと。


「地下14階の……エレーナ」


 言葉で説明しても分かりにくいだろうと判断し、隣にいるエレーナへと視線を向ける。

 それだけでレイが何を言いたいのか理解したのだろう。マジックポーチの中から地図を取りだしてカウンターの上に置く。


「ここの、分かれ道が幾つもある場所で遠回りのコースを通った時……この辺で見つけた」


 示された地図の場所に、ギルド職員は小さく頷くとレイとエレーナに視線を向ける。


「地下14階でしたか。……彼等がこの階層にいるというのは予想外でしたね。少々待って貰ってもいいですか? 彼等には同じパーティの仲間から捜索依頼が出されています。良ければそちらの依頼を達成したということにしたいのですが……」


 ギルド職員のその言葉に、レイは微妙に嫌な予感を覚える。






 尚、ジュエル・スナイパーの側に転がっていた死体に関しては、石像のように特に騒がれるようなことも無く粛々とギルドが引き取るのだった。

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