第459話

「さて、取りあえず昼食も食べたことだし、そろそろ探索の再開といくか」


 たった今出てきたマジックテントをミスティリングへと収納したレイは、近くで腹ごなしとばかりに軽く身体を動かしているエレーナへと声を掛ける。

 上半身を大きく捻っていたエレーナもまた、それに頷く。


「ああ、場所が場所だったからここで食事をしたが、低ランクモンスターを寄せ付けないマジックテントがあるとは言っても、色々と気が抜けない状態だったからな。ここから離れるのには賛成だ」

「グルゥ」


 レイとエレーナの側で、マジックテントに入らず外で食事をしながらここで解体をしたことによる血の臭いに惹かれてくるモンスターを警戒していたセトが短く鳴き声を上げる。


「セトには外で食事をさせてしまって悪いな。だが、今はお前の五感が頼りだ」

「グルルルルゥ!」


 任せて! とばかりに鳴き声を上げるセトだが、上機嫌な理由の1つは近くに漂っている香ばしい匂いだろう。

 食事をする前にスカイファングを解体し、その時の肉をレイが魔法で焼いてセトに与えたのだ。

 自分達だけがマジックテントの中で昼食を食べるという行為に罪悪感……とまではいかないが、それでもせめてセトが満足して見張りを出来るように、という思いからの行動だった。

 もっとも、セトとしてはレイと一緒にいられないのは残念だったが、それでもスカイファングの肉を思う存分食べることが出来たのは嬉しかったのだろう。その結果が、今のセトの上機嫌さに現れている。


(まぁ、あれだけ大量の肉を食えばな)


 視線の先に切り分けられて置かれているスカイファングの肉は、大きく減っている。

 明らかにレイが焼いた時に使った以上の量が減っており、レイ達がマジックテントの中で昼食を食べている間にセトの胃の中に生肉が収まっているのは明白だった。


「取りあえずさっさとここを出よう。まだ地下14階の入り口付近なのだから、今日のうちに地下15階まで出向くとなると、少し急いだ方がよい」


 エレーナの言葉にレイも異論は無いと頷き、そのまま行き止まりになっている場所を戻っていく。

 迷路の入り口近くにあった分かれ道まで戻ってはきたのだが、そこまで他のモンスターに接触するようなことはないままに到着する。


(確かに運がいいと言えば運がいいが……ちょっと良すぎないか?)


 現在の状況に思わず首を傾げるレイ。

 行き止まりの場所ではあっても、大量のモンスターから素材を剥ぎ取る為に解体したのだ。当然周囲に濃い血の臭いが漂っているし、それを目当てにしたモンスターが来てもおかしくはない。いや、寧ろモンスターが血の臭いに惹かれて来ない方が不思議だった。

 あるいは何らかの事情があるのかもしれない。そんな風に思いながらも、レイ達は分かれ道を左側の方向へと進んでいく。

 一応念の為にと警戒しながら進み続け……やがて、セトがそれに気がつく。

 続いてレイが、それから少し遅れてエレーナが前方から聞こえてくる音に気がついた。

 通常の冒険者なら余程に耳のいい者でなければ恐らくは聞き逃していただろう音。

 重い何かが地面を叩いたかのような、打撃音。


「……レイ」

「ああ。モンスターが出なかった理由がいよいよお目見えのようだ。さて、何が出るか」

「無難に考えれば、どこかの冒険者がモンスターと戦っているのが原因だろうな」


 最も可能性の高いだろう出来事がエレーナの口から出た、その時。不意に何かに気がついたかのように、レイの隣で曲がりくねった道の先を鋭い視線で睨んでいたセトが、困惑したように小首を傾げる。そう、まるで予想外の出来事に遭遇したかのように。


「グルゥ?」

「セト? どうした?」

「グルゥ……グルルルルルゥッ!」


 喉を鳴らしたセトが、早く行こうとクチバシでレイのドラゴンローブの裾を引っ張る。

 その様子を不思議に思いつつ、どのみちこの道を進まなければいけない以上はここで時間を掛けていてもしょうがないと判断し、レイとエレーナはセトと共に道を進んでいく。

 巨大な岩が幾つも存在している為に曲がりくねっている道を進み……やがて見えてきた光景に、思わず目を見開くことになる。

 先程、レイ達が魔石の吸収や素材の剥ぎ取りを行った場所と同じく、ホールとも広場とも呼べる形になっている場所。それはいい。だが、レイ達が驚いたのは、そのホールの入り口近くにいた1人の人物だった。

 見るからに背が小さく、一見すると子供のようにしか思えない。

 否、実際その人物は子供なのだ。

 砂漠の暑さを避ける為の外套を身に纏ってはいるが、そのフードから覗く顔はレイ達には見覚えがあったのだから。


「ビューネ!?」


 ホールの入り口前にいる人物が誰なのかを確認したエレーナが、真っ先に走り寄る。

 そのすぐ後を追いかけるレイとセト。


「ん」


 そんなエレーナを、ビューネはいつものように短く呟き出迎える。


「今日は1人か? ……いや、聞くまでも無いな」


 ビューネに声を掛けながらも、ホールの中から絶えずに響く戦闘音へと耳を傾ける。


「ん」


 一言呟き、ビューネの指さした方向へと視線を向けたレイとエレーナ、セトが見たのは、身長4mを超える巨大な人影と戦っている人物の姿。

 外套でその姿を覆われているが、4mを超えるモンスターと武器を持たずにやり合っているのと、ビューネと共にいるのを見れば、それが誰なのかは明らかだった。


「ヴィヘラ、か。だが……あのモンスターはサイクロプスだろう? 幾ら何でも1人で相手をするのは危なくはないか?」

「んー」


 エレーナの問いに、ビューネは相変わらず表情に殆ど変化が無いまま小さく首を傾げる。

 その視線は何の感情を映し出していないようにも思えるが、多少の付き合いがあるエレーナにしてみれば信頼の色が宿っているのを感じ取ることが出来た。


「サイクロプス、また随分と厄介なモンスターが姿を現したな。確かにこれ程のモンスターがここにいるのなら、俺達の方にモンスターが来なかったのは当然か」


 念の為に、とミスティリングからデスサイズを取り出しつつ呟くレイ。

 サイクロプスは4mを超える単眼の巨人型モンスターであり、その巨躯に相応しい怪力を持ち、ある程度ではあるが武器を使うという頭の良さもある。頭部からは1本の角が生えており、自らが倒したモンスターや動物の毛皮が腰に巻かれている以外は衣服の類を着ることはない。

 純粋に強大な身体能力を使った攻撃を好むが、単眼からは魔力を衝撃波として放つ。

 モンスターランクはCで、討伐証明部位は右耳。皮は強靱な防具の素材として、角と単眼はマジックアイテムを作る際の素材や触媒として、骨や筋は武器の素材として使用が可能であり、肉は野性的な味で多少の好みが分かれるが、それなりに高値で流通している。


「サイクロプスはランクCであったとしも、限りなくランクBに近いモンスターの筈だ。それだけの強さを持つモンスターが地下14階にいるというのは多少疑問が残る……危ない!」


 サイクロプスの振るう、長さ3m程の何らかの金属で出来たハンマーが振り下ろされるが、咄嗟にレイは近くに落ちていた石を素早く投擲。その石がサイクロプスに当たって一瞬動きが鈍ったのを好機と、ヴィヘラはそれを横に跳躍して回避。地面にぶつかってクレーターを作ったハンマーの上へと跳び上がり、そのままハンマーの柄、そしてサイクロプスの腕を伝って走り抜け、単眼へと手甲から伸びた刃を叩き込まんとした。

 だが、サイクロプスは自分の腕を駆け上がってきたヴィヘラを逆に噛み砕かんと、鋭い牙を剥き出しにしながら待ち受ける。

 このままでは自分の方が不利だと理解したのだろう。サイクロプスの肩を蹴るタイミングを変え、そのまま頭部とは全く正反対の方向へと向かって跳躍して地面に着地。大きく間合いを開けて向かい合い、興奮のままに叫ぶ。


「あは、あはははははは! まさかまさか、こんな場所でこんな強力なモンスターが出てくるなんて。つまらない依頼だとばかり思っていたけど、今日の私は運がいいわ! さあ来なさい。その血の滾りを私にぶつけて見せなさい。その熱い血潮の命じるままに、お互いの命の煌めきがぶつかり合う、この一瞬。何よりも私の心を沸き立たせてくれるこの瞬間の為に! それと、私の邪魔はしないでちょうだい!」


 気分が最高潮に盛り上がっているのだろう。愛しい相手に向けるかのような濡れた瞳でサイクロプスを見やり、最後にレイの方を鋭い視線で一瞥し、そのまま地を蹴ってサイクロプス目がけて突き進む。


「ガアアアアァアァァァァァアアァァッッ!」


 そんなヴィヘラを相手に、サイクロプスも思うところがあったのだろう。雄叫びを上げながらハンマーを振り上げて迎え撃つ。

 ヴィヘラが間合いに入ったと見るや否や再びハンマーを振るうが、今度は先程のように振り下ろすのでは無く、横に薙ぎ払うようにして振るう。

 横に回避されないようにと考えての一撃だったのだろうが、ヴィヘラはそのまま跳躍。先程同様にハンマーの上へと降り立つ。

 だが、先程と違ったのはそれからの行動だった。腕を伝ってサイクロプスの頭部へと向かうのでは無く、そのまま横薙ぎに振るわれているハンマーの上に留まったままだった。

 そしてハンマーの動きが限界に達して止まった瞬間、その場で大きく1回転してサイクロプスの手へと踵を叩きつける。

 ……否、手甲同様のマジックアイテムである足甲は、魔力を流されたことによって踵に鋭利な刃物が生成されており、その刃物をハンマーを握っていたサイクロプスの右手親指へと突き刺したのだ。

 人間離れした膂力により突き刺された足甲の踵の刃は、一撃でサイクロプスの右親指の関節を断ち切り、そのまま親指を切断する。


「ガアアァァァッッ!」


 数秒前の勇ましい雄叫びとは違う、痛みに耐えかねたが故の悲鳴。

 だが、それでもさすがにランクCモンスターのサイクロプスと言うべきだろう。悲鳴を上げつつも左手だけでは支えきれないハンマーを手放し、まだ空中に存在していたヴィヘラへ向かって拳を振るう。

 普通の相手になら致命的な一撃となり、岩肌へと叩きつけて潰れていただろう。だが、今サイクロプスの相手をしているのはエグジルで狂獣とすら呼ばれている女だ。ただでやられる訳も無く、そのまま空中で身を捻って自分目がけて振るわれた拳を踏みつける。

 ……それも先程同様に踵から刃を出した状態で、だ。

 当然、サイクロプスの振るった拳はヴィヘラの足甲から伸びている刃に自らの力で突き刺さることになり、更には刃が刺さった瞬間に身体を回転させ、手の甲の骨が破壊されていた。

 そのまま振り切られた拳を蹴って跳躍し、空中で回転しながら殆ど音を立てずに地面へと着地して素早くサイクロプスと対峙する。


「ガアアァァァアアァァァアッ!」


 先程同様の……否、勝る程の痛みに悲鳴を上げながら親指の無い右手で破壊された左手を押さえて叫ぶ。


「ふぅ、確かに強いんだけど……力押し一辺倒しか無いのなら、ちょっと飽きてくるわね。もう少し技を磨いて欲しいところだけど……いえ、サイクロプスに言うだけ無駄かしら」


 一連のやり取りはヴィヘラにとって満足がいくものではなかったのだろう。既に先程までの興奮は既に無く、小さく呆れの籠もった溜息を吐きながら、最後の仕上げとばかりに両手が使えない状態のサイクロプスへと向かって歩みを進める。

 再生能力とすら言ってもいい程の治癒力を持っているサイクロプスだが、さすがに右手の親指を落とされ、左手の甲の骨を砕かれた傷はこの短時間で治らないのか、自らに近づいてくるヴィヘラから距離を取るようにして1歩、2歩と下がっていく。

 ヴィヘラが進んだ距離だけ背後へと下がり、そのまま1分程が経過し……


「ガ、ガァ?」


 やがてサイクロプスの背中は岩の壁へと当たり、それ以上の逃げ場が無くなっていた。


「ふふっ、どこへ行こうというのかしら? 貴方の戦うべき相手はここにいるわよ? さあ、技も何も無い力と蛮勇だけが貴方の取り柄なんだから、怖じ気づいたりしたらみっともないわ。せめて最後までランクCモンスターとしての誇りを持って抗いなさい。でなければ……ただの肉塊で終わることになるわよ?」


 本来であれば凶暴なサイクロプスをここまで怯えさせるのは、ヴィヘラ自身の並外れた強さも理由としてはあるのだろう。だが、それよりも大きな理由は、やはり狂獣とまで言われる戦闘を好む性格にあった。

 血に飢えた獣。その表現がこれ以上に似合う者もそう多くはないだろう。

 サイクロプスから流れ出た血に汚れた外套を風にたなびかせ、背後の岩に背を付けている為にこれ以上は逃げようが無い相手へと向かって1歩ずつ歩み寄る。

 その目に浮かんでいるのは、最高潮の時よりは収まったが闘争の快楽による濡れた光だ。

 もし何も知らない者が今のヴィヘラを見れば、その淫靡とも表現出来る濡れた瞳の光に目を奪われることだろう。

 だが、全てを知っている者がヴィヘラを見れば、その狂気に充てられて1歩の身動きすらも出来なくなる。

 そんな狂気を身に纏って戦う相手から哀れなる獲物へと成り下がった者へと近づき……やがて気合いの一撃と共にサイクロプスの頭部は爆散し、その命の炎は消えることになる。

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