第455話

 シルワ家から出てきたレイとエレーナ、そしてそれを察知して庭から戻ってきたセトの2人と1匹は馬車に乗ってギルド近くまで戻ってきていた。

 フードで隠れてはいるが、レイの口元に笑みが浮かんでいるのは異常種の件の容疑者の死体やダンジョンカード、そしてサボテンモドキの死体をボスクが白金貨4枚という高額で買い取った為だろう。

 レイにしても、異常種は魔獣術の要でもある魔石の吸収を行う際に吸収出来ず、魔力の逆流という現象を起こす――セトは例外だが――為になるべく早く今回の件を解決して貰いたいという気持ちがあったので、金貨数枚程度で売れればと思っていたのだが、まさか白金貨が……しかも4枚も出てくるとは思っていなかったのだ。

 だが何気なく呟くと、それを聞いていたエレーナが首を横に振る。


「今回の件は早急に解決しないと不味いと理解しているからだろう。何しろ、エグジルを治めている1家が起こした事件だからな。しかもただの事件では無い。迷宮都市という立場すらも危うくなるかもしれない程の事件だ」


 そこまで告げ、微かに眉を顰める。


(もっとも、ボスクの様子を見る限りでは裏で糸を引いている傀儡師がいるようだが)


 ボスクとサンクションズの会話を思い出しながら、脳裏で呟くエレーナ。

 それに気がついた訳でも無いだろうが、レイもまた周囲の様子を見ながら頷く。


「なるほど。今回の件は真っ先にシルワ家が動いたからこそ、それ程の騒ぎにはなっていないって訳か」

「そうだ。マースチェル家が動いている様子は無いし、もしこれでシルワ家が動いていなければ最悪国の介入があった可能性もある。そうなれば自治都市としての面目は丸潰れな上に、以後は色々と介入されるだろうからな。それを嫌ったという理由もあるのだろう」

「だが……なら、なんでマースチェル家は動かないんだ? まだ会ったことは無いが、マースチェル家の当主だって国に介入されるのは遠慮したい筈だろ?」

「さて、どうなのだろうな。当主のプリ・マースチェルと会ってみないと何とも言えぬさ」

「取りあえず異常種の件に関しては、なるべく早く解決してくれることを祈るしかないな」

「グルルルルゥ」


 レイとエレーナが話をしながら道を歩いていると、不意にセトの鳴き声が聞こえてくる。

 そちらへと視線を向けると、セトが1軒の店にじっと視線を送っていた。

 その店から漂ってくるのは、甘い香り。


「これは……パンか何かか?」

「ああ、甘くてよい香りがする。……どうする? ちょっと寄ってみるか?」


 エレーナもやはり年頃の女らしく、甘い物に目が無いらしい。レイに聞いてはいるが、既に足はパン屋の方へと踏み出していた。

 それを知り、甘い物が嫌いではない……いや、寧ろ好きなレイもまた頷き、店へと入る。

 扉を開けた瞬間、外で嗅いだよりもより強い甘い香りがレイ達の嗅覚を刺激するように漂う。


「いらっしゃいませ、ダズリーのパン屋にようこそ」


 店員に出迎えられて周囲を見回すレイとエレーナ。

 ……尚、さすがにそれ程大きくない店であり、扉もセトが入ってこれる程に大きくは無いので、セトに出来るのは顔を入れて羨ましそうに喉を鳴らすだけだった。


「グルゥ……グルルゥ、グルゥ、グルルルルルルルゥ」


 どこか物寂しさを感じる鳴き声に、店員もさすがに可哀相になったのだろう。エレーナよりも多少年上の20代前半くらいの女の店員が、レイの方へと視線を向けてくる。

 レイがこの店に入ったのは初めてだが、それでも店員がセトを見てもそれ程恐れた様子を見せないのは、以前に街中でセトを見たことがあったからだ。

 その際に喉を鳴らしながら大きめのソーセージを食べていたセトに愛嬌を感じていた店員は、レイに向かって口を開く。


「お客さん、よろしければパンを何個かやってもいいですか? こうして見ていると、かわいそうで……」

「ん? ああ、構わないが……」


 レイの許可を貰った店員の娘は、グルグルと喉を鳴らしながら円らな瞳で店の中を覗いているセトに、パンを焼き上げる際に形が崩れたり、あるいは少し焼きすぎて売り物にならなくなったパンを数個程を厨房から持ってきて与える。


「グルルルゥ」


 食べてもいいの? と小首を傾げて円らな瞳で尋ねてくるセト。

 そんなセトに、相手がランクAモンスターであるというのがすっかりと頭から抜けた店員はパンを手で千切ってはセトへと食べさせていく。


「あーあーあーあー、ったく、客商売なのに客を放って置いてなにをやってるのやら」


 厨房から顔を出した40代程の中年の男が、そんな店員を見て呆れた声を上げる。

 だが、声の中に混ざっているのは愛情であり、身悶えしながらセトにパンを与えている店員とどこか似通っている顔立ちなのを考えれば、その関係はレイにもエレーナにもそれとなく察することが出来た。


「悪いね、お客さん。ともあれうちのパンはどれも美味いから、遠慮しないで買っていってくれ。お嬢さんのような美人に食べて貰えれば俺としても作った甲斐があるってもんだしな」


 エレーナの美貌を見ても、一瞬目を見開くだけという態度を取る店主。

 自分が人目を引く顔立ちをしていると分かっているだけに、そんな店主の態度は新鮮であり、エレーナには好印象だった。


「店の外にまで甘い匂いが漂ってきているけど、これはどんなパンだ?」

「ん? ああ、この匂いか。ちょっと待っててくれ。すぐに並べる」


 そう告げ、男は厨房へと戻り、それから1分も経たないうちに再び男が戻ってくる。

 ただし、その手にはパンが並べられた木で出来たトレイを持っており、そこから甘い匂いが更に周囲へと漂う。

 そのパンの上には何種類ものジャム――果実があると見てしっかりと分かる――が乗せられており、果実の上からは蜂蜜が掛けられている。

 果実自体も、赤や緑、黒といったように何種類もあるので、目で見ても楽しめるようになっているパンだ。


「これは……素晴らしいな」

「そうだろ、ただし色々と厳選している材料を使ってるから、ちょっと高めの値段設定なんだけどな」

「幾らだ?」

「パン1つで銀貨1枚」

「……高いな」


 エレーナと店主の会話を聞いていたレイが、その値段に思わず呟く。

 銀貨1枚と言えば、とてもパン1つに出せるような値段ではない。

 だが、そんなレイの言葉に中年の男は苦笑を浮かべて肩を竦める。


「確かに高いが、果実にしろ蜂蜜にしろ、ダンジョンのかなり深い階層で採れるものなんだよ。正直なところ、銀貨1枚でも殆ど儲けは出ていない」

「なんでわざわざそんなギリギリの商売を?」


 確かに見た目にも鮮やかで、甘い匂いを嗅いだだけで甘い物が嫌いでは無い限り1口食べたいと思うだろう。

 だが、それでも儲けが殆ど出ないような商売をするというのは本末転倒ではないかと問い掛けるレイに、男は小さく笑みを浮かべて口を開く。

 苦笑でも冷笑でもない、自信に満ちた笑顔。


「美味いパンを食って貰いたいからな。……もっとも、俺も生活していかないといけないからそれ程数は出せないけどな。それよりも、どうする? 買うなら早いところ買った方がいいぞ?」


 チラリ、と店の外へと視線を向けながら告げる男。

 それに釣られて視線を外に向けたレイとエレーナが見たのは、パンを店先に出したことでより強くなった甘い匂いに足を止めている通行人の姿。

 その中の数人が店に向かって足を踏み出そうとしている。

 何を目当てにしている客なのかは、言うまでも無い。

 レイとエレーナはこのままここにいては商売の邪魔になるとばかりに、果実と蜂蜜が使われているパンを購入する。

 本来であれば1人1つ限定なのだが、今回はセトの分も合わせて合計3つ買うことが出来たのは男の好意……と言うよりも、女の店員が強硬に主張したおかげなのだろう。

 ともあれ、貴重な甘味のパンを買うことが出来たレイ達は、それを味わいながら街中を歩く。

 外側はサクリとパイ生地のような食感であり、中の生地はシットリとした口当たりの柔らかさを持つ。

 果実で作ったジャム……と呼ぶよりも、果実をジャムで煮込んだとでも表現すべきジャムは酸味が強いが、その上に掛かっている蜂蜜は非常に濃厚な甘みを持っており、上手くバランスがとれていた。

 果実が残っているが故に、パイ生地のような食感を持つ外側の部分と共に食べると果汁とサクサクとした食感のパイ生地が口の中で混ざり合い、シットリとした部分と一緒に食べると口中で生地に果汁が染みこんでいく。

 確かにこれだけの菓子パンを焼き上げる技術は一流と言ってもいいだろうが、それ以上にこのパンの真骨頂はやはり果実と蜂蜜、即ちダンジョンで採れる素材だった。


「これは……美味いな……」


 一口食べただけでは収まらず、更に二口、三口と食べてようやく止まったレイはそう呟く。

 それはエレーナも同様で、いつもの凜とした雰囲気は消えてうっとりとした表情を浮かべながら、既に残り半分程になってしまったパンへと視線を向けている。

 いや、まだ残っているだけいいのだろう。セトなどは予想以上の美味さに、既に全て食べ尽くしてしまっていたのだから。


「グルゥ……」


 レイとエレーナの持っているパンを見て羨ましげに喉を鳴らすセトだったが、レイとエレーナはそれを気にせずに自分の分のパンを味わって至福の一時を過ごす。

 パンを食べ終わり、思わず溜息を1つ。

 出来ればもっと食べたいという思いから出たものだ。

 だが、後ろを振り向けば既に自分達が出てきたパン屋から残念そうな顔をして出てくる者が数人。

 既に売り切れているのは明らかだった。

 ましてや、それが無くても1人1個と言われていたのだから、もし残っていたとしてもそれ以上買える筈が無かった。


「確かにあれだけの味なら銀貨1枚でも納得……いや、安いな」


 しみじみと呟くエレーナの言葉にレイは無言で頷き、セトは喉を鳴らして同意する。


「また機会があったら……いや、必ず買いに来よう」

「そうだな。……っと、宿に戻る前にあそこに寄ってもいいか?」


 パンの味を思い出しながら歩いていたレイが見つけたのは、武器屋。それも客の姿があまりない、流行っていなさそうな店だ。

 そんなレイの言葉に、エレーナは首を傾げる。

 別に武器屋に寄るのが嫌な訳では無い。だが。何故よりにもよってあの店なのか、と。


「何故わざわざあの店なのだ? 他にも客が多く入っている店は結構あるが」


 そんなエレーナの当然ともいえる疑問に、小さく肩を竦める。


「別に俺が欲しいのはきちんとした武器じゃないからな。……いや、何か使えそうな武器があれば買うかもしれないが、主な目的は安物の槍の方だ。何だかんだで投槍はかなり使うし」


 きちんとした槍を使うのであれば、そのコストは色々な意味で跳ね上がる。だが、レイが投槍に使うのは安物であったり、あるいは穂先が欠けていたりするものだ。普通に武器としては使えないようなものをレイ自身の膂力で放つことにより、使い捨てではあるが致命的な一撃を与えることが出来る威力を持つ。

 もっともそのような真似が出来るのは、ミスティリングを持っているレイの特権とも言えるのだが。

 そんな強力な攻撃力を持つ投槍だが、投げる槍が無ければ使える筈も無い。

 そして、ミスティリングに収納されている肝心要のその槍の在庫がかなり心許なくなっており、少し前からそれを補給する必要性は考えていたのだ。

 そして、流行っていない武器屋になら安物の槍の類が多いだろうと判断したレイが目を付けたのが、現在視線の先にある武器屋だった。


「いらっしゃいませ……」


 セトを店の外に置き、店に入った2人を出迎えたのは、どこかやる気の無い言葉。

 そちらへと視線を向ければ、レイと同年代くらいの少年が面倒くさそうにレイへと視線を向けている。

 もっとも、エレーナを見た次の瞬間には目を奪われていたのだが。

 店内にはレイの予想通り他に客の姿は無く、店の外の賑わいが嘘のように静寂に満ちていた。

 外から聞こえてくるざわめきを聞きながら店の中を見回すと、すぐに予想通りのものが見つかる。

 何らかの問題があり、捨て値で売られている武器が置かれている一画だ。

 相当長期間使われていてすぐに壊れそうなものだったり、あるいは使用者のみが扱いやすいように改造していたものだったり。

 これらの武器は金に困っている冒険者が取りあえずといった風に買ったり、あるいは訓練やなにかで使い捨てとして使うといった用途で需要があった。

 それらの中から槍をあるだけ選び、10本程を手に取る。


「出来ればもうちょっと数が欲しかったんだが……」


 呟きつつ小さく溜息を吐く。

 需要があるとは言っても、あくまでもごく少数のみからの需要だ。訓練をやるにしてもきちんとした武器で行った方が効率はいいのだから。

 それ故にこの一画にある武器の数は少なく、更にその中から槍だけを選んだレイは、結局10本程の槍を購入してから店を出るのだった。

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