第431話
「レイッ!」
地面に倒れ込んだレイを見たエレーナの行動は素早かった。
地面に横たわり完全に気を失っているレイを抱き上げると、素早く状態を確認していく。
勿論エレーナに医者のような医療の心得の類は無いし、回復魔法の類も使えない。それでも姫将軍として戦場に立っている以上は最低限の応急処置は可能だった。
だがそんなエレーナにとっても、抱き上げたレイの様子にはおかしなところが全く見られない。
息も乱れておらず、魔力に関しても特にこれといった異常は無い。本当にただ気を失っている……あるいは眠っているようにしか見えないのだ。
「グルルルゥ?」
レイは大丈夫? と心配そうに小首を傾げて聞いてくるセトに対し、安心させるように頷くエレーナ。
「大丈夫だ。特にこれといった異常は見られない。……とは言え、どうしたものか」
この時点でエレーナが選択可能な選択肢は2つ。即ちレイを連れてダンジョンから脱出するか、あるいはこの場でレイが目を覚ますのを待つかだ。
数秒悩み、結局エレーナが選んだのは、この場でレイが目覚めるのを待つというものだった。
もし前者を選んだ場合、砂漠の中でレイを運ぶのは非常に苦労するし、何よりも魔法陣のある小部屋に戻る途中でモンスターに襲撃された場合は色々と不味い事態になりかねないからだ。
グリフォンであるセトというのを利用すればいらない戦闘も避けられるのではないかと思ったが、バンデットゴブリンのようにグリフォンであっても構わず襲ってくる類のモンスターもいる。それを考えると、たった今バンデットゴブリンの群れを倒したこの場所こそが現在では最も安全だと判断したのだ。
そしてここがオアシスであったというのも、レイが目覚めるのを待つという選択をした理由の1つでもあった。
マジックポーチの中には一応レイに流水の短剣で出して貰った水の入っている水筒が入ってはいるが、それでも節約するのに越したことはない。そしてオアシスである以上は泉が存在しており、その泉の水を使えばレイの看病にも役立つだろうと判断したのだ。
「……魔石の吸収をした途端苦しんで倒れた。となると、原因は間違いなくあの魔石だろう。バンデットゴブリンの魔石では特に異常が無かったのを考えると、恐らくバンデットゴブリンメイジの魔石のみに異常があった訳か。だが、魔獣術というのは術者とモンスターが繋がっていると聞いたが……セト、お前は大丈夫なのか?」
「グルゥ」
エレーナの側で心配そうにレイを見つめながら佇んでいるセトは、その問いに問題無いとばかりに喉を鳴らす。
「となると……どういう訳だ? いやまぁ、とにかくここに置いておくわけにもいかないか」
呟き、気絶しているレイの身体を抱き上げる。
その時、何に驚いたかと言えば、レイ自身の体重の軽さだ。全く重さがないかのように横抱きにして持ち上げることが出来たのだから。
勿論現在のエレーナは、エンシェントドラゴンの魔石を継承したことにより並の人間とは比べものにならない程の身体能力や魔力を持っている。だがそれを考えたにしても、こうして抱き上げたレイの重さは予想外に軽いものだった。
(私よりも背が小さいのだから、当然かもしれないが)
レイ本人が聞けば思わず嫌そうに眉を顰めるだろうことを内心で思い、そのままオアシスの近くまで連れて行く。
その後ろを、地面に投げ出されていたデスサイズを咥えながらついてくるセト。
周辺にいるモンスターの水場になっているだろうオアシスであり、当然モンスターが集まってくる可能性も高い場所ではある。だが、それでも自分という戦力と、何よりもセトという存在がいる以上はそれ程心配するようなことはなかった。
「セト、悪いが私はレイの看病をする。お前は周辺の警戒を頼めるか?」
「グルゥ……グルルルルゥ」
自分の相棒、あるいは半身でもあるレイの様子が気に掛かるのか、エレーナの後をついてきていたセトへと声を掛ける。
そんなエレーナの言葉に、レイの近くにいる! とばかりに鳴いて答えるセト。
だがエレーナはそっとセトの頭を撫でつつ、言い聞かせるように口を開く。
「いいか? グリフォンのセトにレイを看病するというのは難しいだろう? なら同じ人間である私が看病をするのが適している。そしてセトはモンスターの中でも上位のモンスターであり、この階層に存在するようなモンスターは相手じゃない筈だ。……頼む、ここは私に任せてくれ」
「……グルゥ」
その言葉に、数秒程気を失っているレイとエレーナを見比べていたセトは、やがて小さく鳴いてから泉の側から離れていく。
近寄ってくるモンスターを撃退する為に、大好きなレイを守る為に。
決意を浮かべて離れていくセトの後ろ姿を見送り、エレーナもまた素早く看病の態勢を整える。
とは言っても砂漠のオアシスの中である以上、出来ることは限られていたが。
まずは泉の側に生えている木で日陰になる位置に移動し、レイを地面に下ろす。そしてマジックポーチから取り出した布を泉の水で濡らしてからレイのフードを下ろし、頭を自分の膝の上に乗せてから絞った布をレイの額の上へと置く。
そう、やるべきことはこれで終わりなのだ。
「……私も混乱していたのだろうな」
戦力的には並ぶ者がいない程の力を持つレイが、突然気を失ったのだ。動揺しない方がおかしい。
ましてや、エレーナにとってレイという存在は既にかけがえの無いものになっているのだから。
それだけに、咄嗟にとは言っても動揺していたのは確かだろう。
「全く、私をこれ程心配させるとはな。気がついたらきちんと謝らせてやる」
そっと呟きつつ、膝の上に頭を乗せているレイの額を濡らした布でそっと拭く。
もっとも、レイの顔には殆ど汗は浮かんでいないのだが。
木陰という場所にいて、近くには泉がある。それでも砂漠特有の暑さはあり、普通なら多かれ少なかれ汗を掻いているだろう。
だが、そもそもレイの肉体自身が普通の人間とは違う。エンシェントドラゴンの魔石を継承したエレーナもそうだが、通常の人間に比べて規格外と言っていい存在なのだから。
(もっとも、それを後悔してはいないがな。……レイの秘密を知った今なら、尚更に)
レイ自身が通常の人間から大きく外れた力を持つ、一種の例外的な存在だ。そのような人物の隣に立つとしたら、やはりそれは普通の人間では難しいだろう。
(まさか私がこうも女々しいことを考えるようになるとは思わなかった。……ふふっ、姫将軍か。その異名もいつか撤回することになるのかもしれないな)
内心で呟きながら、特に意味は無い自己満足だとしてもレイの顔を濡れた布で時々拭ってやる。
そんな風にして過ごすゆったりとした時間。レイが倒れ、周囲のモンスターからセトが守っているような、緊急事態といっても差し支えの無い状態ではあるが、それでもエレーナはレイの異名を示すかのような真っ赤な髪をそっと撫でているという状況に、一種の安らぎのようなものすら感じていた。
勿論気を失っているレイを心配する気持ちはある。だが、エレーナの知っているレイという人物は、この程度のことに負けるような柔な男ではないのだと理解していた。
そして、木陰まで連れてきて30分程が経ち……やがて、エレーナの膝枕の上で気を失っていたレイの目が微かに痙攣して薄らと開かれる。
「……レイ、大丈夫か?」
「あー……ああ、いや。一体何がどうなってるんだ? ここはどこだ? 俺の部屋か?」
目が覚めたばかりで寝ぼけているのか、あるいは気を失う前のことを本気で忘れているのか。そのどちらなのかの判断は付かなかったが、そっとレイの頭を撫でたままエレーナは口を開く。
「覚えてないのか? バンデットゴブリンメイジの魔石をデスサイズで斬り裂いた瞬間、異変を起こして気を失ったんだ」
「俺が……気を失った……?」
気を失う前のことを覚えていないのか、エレーナの言葉を呆然と繰り返す。
「ああ。……どこまで覚えている?」
膝枕をされたままそう告げられ、自分の行動を思い出すかのように目を瞑る。
そして今日の行動を思い出し、オアシスでバンデットゴブリンやバンデットゴブリンメイジを倒し、その魔石を吸収し……
「っ!?」
記憶を辿り、ようやく自分が気を失う前のことを思い出す。
そう、バンデットゴブリンメイジの魔石を吸収するべく斬り裂いたその瞬間、予想外の衝撃がデスサイズを通して伝わってきたのだ。まるで魔力の逆流とでも呼ぶべきその現象を受け、気を失った。
顔を覆うようにして手で隠し、記憶を整理する。
今の情けない表情をエレーナに見せたくないというのもあったのだろう。
そのまま30秒程も経つと、やがて自分の方へと近づいてくる翼を羽ばたかせる音に気がついた。
「グルルルルルルルルルゥッ!」
聞き覚えのある……否、ありすぎるその鳴き声。
通じている魔力のラインによりレイが気がついたことを知ったセトが、いてもたってもいられなくなったのだ。
周囲の様子を探り、モンスターの姿が見つからなかったというのもセトが近寄ってきた理由だろう。
ともあれ、嬉しそうに喉を鳴らしながら地面に着地したセトは、そのままエレーナの膝枕で横になっていたレイへと向かって顔を擦りつけてくる。
さすがにそこまでされて横になっている訳にもいかず、そのまま上半身を起こし……ようやく自分が膝枕をされていたことに気がついたのだろう。薄らと頬を赤く染めながら、顔を擦りつけてくるセトを思う存分撫でてやる。
「グルルゥ、グルルルルルゥ!」
「ああ、悪いな。心配を掛けた。ほら、俺はもう大丈夫だから。それに気を失ったのがセトじゃなくて俺で良かったよ」
「グルゥ!」
迂闊にそう口を開いたレイの言葉に、駄目! と鋭い鳴き声を上げるセト。
セトにしてみれば、大好きなレイが気を失うのなら自分が気を失った方がまだ良かったからだ。
それが分かったレイは、再びそっとセトの頭を撫でながら謝る。
「悪かった、悪かったって。ほら、拗ねるなよ」
「グルゥ?」
反省してる? と言いたげに喉を鳴らすセトに、頷きを返すレイ。
そんな1人と1匹の様子を見ていたエレーナだったが、取りあえず落ち着いたと判断してレイへと向かって尋ねる。
「それで、実際にあの時何があったのかは分かるか?」
「……ああ。恐らくという言葉が付くけど、あの魔石は何か異常があった。デスサイズで切断、吸収した時にその異常のある魔石の魔力がデスサイズを通して俺に流れ込み、その衝撃で気を失ってしまったんだろう。……不幸中の幸いだったのは、その異常な魔力が俺で止まってセトまで流れなかったことだな。デスサイズとセトも一応繋がっているが、俺という存在を通しての間接的な繋がりだから、そこに助けられた形だな」
未だに心配そうに頭を擦りつけてくるセトを撫でつつ、エレーナの問いに答えるレイ。
「確かにな。レイだけなら私でも運べたが、もしセトまでレイのように倒れていれば運びようが無かっただろう。それにオアシス周辺にいるモンスターに対する警戒にも苦労したと思う。……で、その異常な魔力に心当たりは? 普通の魔石でも種類によっては吸収出来ない可能性があるのか?」
「さて、どうだろうな。だが、大体の見当は付く。エレーナも予想は出来ているんだろう?」
「……異常種、か」
「ああ。つまりバンデットゴブリンメイジも異常種だった訳だ。道理でプレアデスからの情報に全く残っていなかった筈だよ。バンデットゴブリンはどこから湧いてきたのかは分からないがな。……あるいは召喚したのか?」
呟きながら近くのセトが運んできて地面に転がっていたデスサイズを手に取り、感触を確かめるようにして数度振るう。
特に違和感は無かったのか、静かに安堵の溜息を吐く。
だが、問題なのは魔石を吸収した時の衝撃。つまり、スキルに関係してくることだ。
スキルの発動が問題無く出来るかどうか、オアシスの木々が無い方向、砂漠へと向かってデスサイズを構え……
「飛斬!」
その言葉と共に振るわれた大鎌の刃から放たれる、飛ぶ斬撃。
レベルが3になり、威力と速度、そして大きさそのものも若干増した斬撃はレイの……そしてエレーナやセトの見知っているように放たれて砂漠の空気を斬り裂きながら消えていく。
「ふむ、どうやら問題は無いらしいな」
「ああ」
自らの生命線の1つでもある、デスサイズのスキルを問題無く使えたことに安堵の息を漏らしつつデスサイズを下ろす。
そんなレイを見ながら、エレーナは気になっていたことを尋ねるべく口を開く。
「それで……魔石を吸収した時の感じは思い出せるか? 具体的にどんな感じだったのか」
「そう、だな。いつもはデスサイズに吸収される魔力が、幾つもあったように感じた。恐らくそれが原因だと思う」
「……幾つもの魔力?」
「ああ。普通なら……と言うか、今まで吸収した魔石は基本的にそのモンスターが持っている魔力のみという感じだったが、何種類も混ぜ合わさっているような感触だった。普通のバンデットゴブリンの魔石はそんな事は無かったんだけどな。セト、お前はどうだった?」
「グルルゥ」
レイの質問に、セトは自分は何の問題も無かったと鳴き声を上げる。
「となると……やっぱり異常種は文字通りの意味で何らかの異常があるのは間違いなさそうだな。……待て」
そこまで呟き、エレーナの脳裏にソード・ビーの異常種でもある女王蜂の魔石をセトが飲み込んだ光景を思い出す。
その時は特に何も起きなかったと。
「レイ、セトが異常種と思われる女王蜂の魔石を吸収したのは……どうなんだ? 何か異常はないのか?」
「っ!?」
エレーナの言葉で咄嗟にレイもその光景を思い出し、レイも視線をセトへと向ける。
だが、そこではどうしたの? とばかりに小首を傾げているセトの姿があるだけであり、それを見たレイは慌ててセトに近づいていく。
「セト、身体がどこかおかしくないか?」
「グルルゥ?」
何が? と小首を傾げるセト。
(異常は無いようだが……だが、これはどうなっている?)
セトの様子に思わず安堵の息を吐き、だが新たな謎に首を傾げるのだった。
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