第427話

 ギルドでボスクと話した翌日。その日は、レイ達がエグジルにやってきてから初めてと言えるような天気の悪さだった。

 空を黒い雨雲が覆い隠しており、今にも大粒の雨が降ってきそうな天気で、街中に流れている空気にも湿気が混じっている。

 まるで自分達がこれから行おうとしている指名依頼――形としてはそうなっている――の前途を象徴しているかのような、そんな縁起の悪さすら感じていた。

 そんなレイの様子を感じた訳では無いのだろうが、ダンジョンへと向かって歩いているエレーナが小さく小首を傾げてレイへと視線を向ける。

 尚、いつもならエレーナの左肩に乗っていたり、あるいはセトの背の上に乗っているイエロの姿は今日は無い。

 何しろ昨日の砂漠での行動で暑さにやられていたのを見ている以上、連れてくる訳にはいかなかったのだ。恐らく今頃は宿舎辺りで睡眠を楽しむか、あるいはセトがいなくなってリラックスしている他の従魔や馬といった者達にちょっかいを出しているのだろう。


(竜種ってのはグリフォンよりも上位の存在の筈なんだがな。これはあれか? 子供と大人の差。いやまぁ、純粋に生まれてからの日数で考えればセトもイエロもそう差が無い筈なんだけど)


 そんな風に考えながら、自分を見ているエレーナに何でも無いと首を振って再び空を見上げる。


「ただちょっと、今にも雨が降ってきそうな天気が嫌だと思っただけだよ」

「……そうか? 私達はダンジョンに潜るのだから、ここで雨が降ってもそれ程影響は無いだろう? まさかダンジョンの中に流れ込む程に雨が降る訳でも無いだろうし」


 エレーナの言葉に日本にいた時に何度かTVで見た『ゲリラ豪雨』という単語が脳裏を過ぎる。猛烈な雨が短時間で降り続け、その結果地下にある店舗に雨水が流れ込む……という事態があったが、さすがにダンジョン程の広さがあればそんなことにはならないだろう。


(いや、地下11階以降の砂漠の階層になら雨が降り注いでも喜ばれるだろうけどな)


 内心で馬鹿げたことを考えつつ、いつも寄っている屋台でリザードマンの串焼きを買い求める。

 店主がイエロの姿が無いことに首を傾げていたが、特に隠す必要も無いのでまだ子供だから砂漠の熱に弱いと告げると納得の表情を浮かべていた。






「レイ! って、エレーナもいるのね」


 門番にダンジョンカードを見せ、ダンジョン前の広場へ移動したレイとエレーナは、突然そんな風に声を掛けられる。

 1度聞いたら忘れられないようなその声のした方へと視線を向けると、そこには予想通りの人物が存在していた。

 向こうが透けて見えるような薄衣を幾重にも重ねられたような衣装を身に纏い、魅力的な肢体の多くを見えるか見えないか程度に露わにしつつ、両手と両足には手甲と足甲を身につけている。

 手甲や足甲はともかく、踊り子と見紛うような服を着ている人物の知り合いはレイにしろエレーナにしろ、1人しかいなかった。

 レイは苦笑を浮かべ、エレーナは溜息を吐きながら自分へと近寄ってくる派手な露出をした女……ヴィヘラを出迎える。


「ここに来たってことは、もしかしてレイもシルワ家の依頼を?」

「ちょっと待て。何故レイにだけ声を掛ける? 私もいるのだがな」

「……あら、エレーナもいたのね。レイに夢中で全く気がつかなかったわ」

「……ほう? 先程きちんと私の名前を呼んだようだが?」


 見えない火花を散らしている2人をそのままに、レイはエレーナの後をついてきた人物へと視線を向ける。

 痴話喧嘩に付き合ってられるかとばかりに、レイ達を無視して真っ直ぐにセトの下へと向かい頭を撫でている10歳程の少女へと。


「ビューネも元気そうだな。……けど、いいのか? お前の家とシルワ家は色々と因縁があるって話だが」

「ん!」


 問題無いとばかりにセトの頭を撫でつつ、いつものように無表情で一言だけ返事をするビューネ。

 ビューネ個人としては、これまで幾度か強引なパーティの勧誘をボスク本人にされているということもあってシルワ家を相手に思うところはある。だが、それを考慮しても今回の依頼はかなり高額の報酬――成功報酬を含む――であり、ヴィヘラが共に行動してくれると言ってくれたので受けることにしたのだ。

 だが、それを表情に出すような真似はせず、ただ黙ってセトの頭を撫でていた。


「グルルルゥ」


 セトもビューネに撫でられるのは嫌いでは無いらしく、嬉しそうに喉を鳴らす。

 しかしビューネはセトの頭を撫でつつも、どこか不満そうにレイへと視線を向ける。

 表情は変わってはいないのだが、それでも不満だという雰囲気を感じ取ることが出来たのはレイがビューネとそれなりに親しくなってきた証拠なのだろう。

 ともあれビューネが何を不満に思っているのかは、右手でセトを撫でつつ左手が空いているのを見れば明らかだった。


「悪いな。イエロはまだ子供で砂漠の暑さが堪えるらしくて、今日は宿で休みだ」

「……ん」


 レイの言葉に残念そうに呟きを返したビューネは、空いていた左手も使ってセトの顔を撫でる。

 そんな風に無表情ではありながらも、どこかほんわかとした雰囲気を作っているレイやビューネの隣では、未だにエレーナとヴィヘラの言い争いが続いていた。


「大体、砂漠の階層に向かうというのに、その格好は何だ? 外套の類は持ってないのか?」

「当然持ってきてるわよ。ほら」


 エレーナの言葉に、少し離れた位置にいた人物へと視線を向ける。

 見るからに筋肉が付いている、40代程の中年の男。背中に巨大なリュックを背負っている、典型的なポーターだ。

 自らも外套を着ており、更にその手には2枚の外套が持たれている。その2枚の外套が誰のものなのかは明確だった。


「ほう? ポーターを雇ったのか。いや、こうしてみると随分とポーターの数が多いな」


 周囲を見回すエレーナだが、その視界に入ってきたのは20人近いポーターの数。

 同時に、それ以上の冒険者の数も揃っている。


「これだけの人数が今日の討伐依頼に参加するのか?」

「そりゃそうでしょ。異常種を倒せば白金貨2枚だし、その異常種を見つけるまでに倒したモンスターの所有権も認められている。更にはギルドよりも高額で買い取ってくれるって話だしね。しかも前金で金貨1枚。それにこの依頼はエグジルを治めている3家のうちの1つ、シルワ家から直々のものよ。勿論この依頼を受けるにはある程度の実績や強さといったものが必要だけど、シルワ家とコネも出来ると考えれば依頼を打診された人の殆どは受けるんじゃないかしら」

「寧ろ私としてはお前が依頼を受けたのが驚きだがな」


 チラリ、とヴィヘラへと視線を向けながら呟くエレーナ。

 だが、そんなエレーナの様子にヴィヘラは肩を竦めて小さく笑みを浮かべる。

 それだけの仕草ではあったが、その巨大な胸がゆさりと揺れて、周囲にいた男達の視線を釘付けにしていた。

 もっとも、本人は既にその類の視線には慣れているので全く気にした様子が無かったが。

 あるいは無謀にもヴィヘラを口説こうとしようとした者がいれば話は別だったかもしれないが、この場にいる冒険者はある一定以上の実力を持っている者が殆どであり、それ故に狂獣と呼ばれるヴィヘラのことを知っている者が殆どだったし、知らない者でもヴィヘラの実力を理解出来る者達であった。

 それ故に、戦いを引きつける為の撒き餌とも言えるヴィヘラの美貌と肢体に目を眩ませた者が起こす悲劇が起こらなかったのは、これからの依頼を思えば幸いだったのだろう。

 もっとも、もしそんな身の程知らず、あるいは命知らずがいたとしてもグリフォンであるセトの前でそんなことが出来たかと言えば疑問だっただろうが。

 周囲に集まっているのがある程度の強さを持つ者であると理解しているからこそ、ヴィヘラはそんな状況に内心で思わず舌打ちをする。


(ま、異常種は強いって話だし。そっちと戦えると考えればいいかもしれないんだけどね)


 表情には一切出さないまま、自分達へと視線を向けている冒険者から視線を逸らす。

 そんなヴィヘラの様子に気がつかぬまま、エレーナは改めて周囲にいる冒険者達へと視線を向ける。

 エレーナはマジックポーチを持っているし、パーティを組んでいるレイがアイテムボックスを持っている。その為にポーターの類がいなくても全く問題が無いのだが、普通の冒険者は何らかの特殊な事情――ビューネのように意思疎通が困難であったり、ポーターに支払う報酬すらも惜しい場合等――が無い限りは基本的にポーターを連れている。

 ヴィヘラにしてもダンジョンというのは戦いを楽しむ場であって、金に関しては日々の生活に困らない程度にあればいいという考えなので、2人でパーティを組んでいる時はポーターを連れてはいなかった。だが、今回の依頼では標的のスピア・フロッグに関しては依頼主であるボスクの手の者が運ぶとは言っても、それまでに倒したモンスターの素材なり魔石なりは自分達で運ばなければならない。

 いつものようにある程度の素材や魔石を手に入れたら地上に戻る……ということも出来なくも無いが、その場合は最大の標的でもあるスピア・フロッグを他の冒険者に倒される恐れがある。それらを考えた結果、今回だけということでポーターを雇うことになったのだろう。


「けど、レイがいるのならポーターを雇わなくても良かったかもしれないわね」

「別に私達がお前と共に行動するとは限らないだろう」


 何故かヴィヘラの中ではレイと共に行動することになっていると悟ったエレーナがそう告げるが、本人はどこ吹く風とばかりにビューネと話をしているレイへと向かって歩み寄る。


「ねぇ、レイ。今日の依頼は私達と一緒に行動しない? レイにしても私みたいな魅力的な美人が側にいた方がいいでしょ?」

「……さて、どうだろうな」


 確かにヴィヘラの容姿は非常に整っているし、これまでレイが見てきた中でも3本の指に入る美人であるのは間違いない。だが、美人であるのと同時に戦いを好む戦闘狂という一面があるのも事実である。そしてヴィヘラがレイに寄せる好意の最大の理由がそこにある以上は、幾ら魅力的な容姿や男好きをする肢体をしているからといっても、迂闊にその誘いに乗る訳にはいかなかった。

 もっとも、エレーナの目が怖いというのもレイがヴィヘラに靡かない理由なのだが。


(そもそも、自分に勝った相手に身体を委ねてもいいと公言しているんだからな。ヴィヘラが俺に向けている好意は男女間の好意じゃなくて、あくまでも戦いを楽しむ対象としての好意なのは間違いないんだし)


「……んー……」


 ヴィヘラの言葉に表情を変えないままに首を傾げるビューネ。

 自分達だけで異常種を倒すことが出来れば、儲けはポーターとして雇った人物をいれても3人で山分けになる。

 だがレイ達と共に行動すれば、儲けは減るが戦力的には圧倒的に上がる。それにアイテムボックスを持っているレイがいるのだから、ポーターをわざわざ雇う必要もなくなる。

 非常に悩ましい選択肢だったが、最終的にビューネが選んだのはヴィヘラに向けて首を横に振るというものだった。

 ビューネにしてみれば、パーティの戦力は異常種を倒せる程度あればいいのだ。そしてヴィヘラの戦闘力を知っているビューネとしては、十分に異常種を倒せるだけの戦力があると確信している。

 それにビューネ自身も直接的な戦闘力はそれ程高くは無いが、盗賊としての身の軽さには自信がある。敵の虚を突き奇襲を仕掛けたり、ヴィヘラの援護をするくらいは出来るだろうと、驕りではなく自分自身の実力は把握していた。


「そう? まぁ、ビューネが嫌ならしょうがないから諦めるけど」


 ヴィヘラにしても、出来ればレイやエレーナと共に行動したい……より正確には、その戦闘を間近で見たいという気持ちから提案したことだったが、パートナーのビューネがそれを拒否するのであれば致し方ないと諦める。


(それにこの2人の戦いを間近で見て、我慢できなくなったら意味が無いし……ね)


 内心で呟き、その瞬間脳裏にダンジョンで見たレイやエレーナの戦闘、あるいは月光が降り注ぐ中でレイと戦った記憶が蘇る。


「ああ……」


 一瞬浮かべた恍惚の表情。幸いそれが浮かべられていたのはほんの一瞬のことだったので誰に見られることも無かったが、もし誰かが見ていればどのように感じたか。

 あまりの艶っぽさに魂を奪われたかのように見惚れるか、あるいはその笑みの危険性に気がついて動けなくなるだろう。


「シルワ家からの依頼を受けた方はこちらに集合して下さい! パーティごとに登録し、それが済んだ人から地下11階に移動してもらいます! 報酬については今日の探索が終わってから纏めて支払われます!」


 ダンジョンの近くで1人のギルド職員が叫び、それを聞いた冒険者達は早速とばかりにそちらへと向かって行く。

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