第424話

 目の前に広がっているのは、巨大と表現しても問題ないだろう屋敷。

 その大きさ自体は、ギルムにある領主の館とそう大差は無い。もし違いがあるとすれば、建物の作りだ。

 確かに目の前の屋敷は良い建築素材を使われて作られているのが傍目から見ても分かった。だが良い物を過剰に組み合わせているせいか、それがかえって嫌みな程に己の主張をしている。


(何ともはやまぁ……これは予想外? いや、ある意味予想通りと考えてもいいのか? 馬車はいい趣味してたのに……この屋敷は別の意味でイイ趣味をしてるな)


 そんな風に考えつつも、レイとエレーナは屋敷の中へと入っていく。

 当然ながらセトは前もって言われていたように屋敷の中には入れず、庭に案内されて生えている木の陰に寝転がっていた。

 尚、イエロもそんなセトと行動を共にしている。


「こっちだ。前もって言っておくが、シャフナー様は色々と気難しいところがある人だ。その辺を理解して対応して貰えると助かる」

「……そっちの言い分は分かったが、それなら会わない方がいいような気がするけどな」

「申し訳ないが、こちらとしても主人に言われている以上は案内せざるを得ない。……こっちだ」


 屋敷の中に入り、メイドではなくここまで案内してきた男がそのままレイとエレーナを連れて廊下を進んでいく。

 ただ、わざわざメイドを呼ばなかったのはレイ達を案内する距離が短かったからだろう。数分もせずに1つの扉の前に到着すると、ノックをして声を掛ける。


「お客人をお連れしました」

「入れ」


 その言葉と共に扉が開かれ、レイとエレーナの目に入ってきたのは広さにして50畳程もあろうかという部屋。それ程の広さであるにも関わらず、部屋の中央にテーブルがあり……それだけならどこか寂しい部屋と表現してもよかったのだが、その寂しさを埋める代わりなのか部屋には幾つもの絵や彫像といった、いわゆる美術品の類が幾つも飾られていた。


「これは……」


 多くの料理が乗せられているテーブルがある以上、恐らくここは食堂なのだろう。だが、周囲にうるさい程に飾られている幾つもの美術品がそれを否定する。

 少なくてもレイはこのような場所だと落ち着いて食事が出来ないのは明らかだった。

 だがそんなレイの驚きとは裏腹に、エレーナは特にこれといった表情の変化も見せずに自分達を出迎えた老人へと向かって小さく頷く。

 本来であれば社交辞令を述べるのが礼儀なのだろうが、ケレベル公爵家の令嬢としては立場の違いから自治都市を治めているとは言っても三分の一の権力しか持たない相手に対してはこのような態度を取らざるをえない。


「エレーナ・ケレベル様、ようこそいらっしゃいました。そちらの深紅殿も」


 好々爺とした笑みを浮かべて自分達を出迎えた目の前の70代から80代程にも見えるこの老人が誰なのか、レイは既に理解していた。

 元々自分達を呼び出した人物が誰であるのか、そしてエグジルに流れているレビソール家の噂話を聞いていれば、目の前にいるのがシャフナー・レビソールであるというのは明らかだったからだ。

 ただ、噂と違うところがあるとすれば……


(短気で頭に血が上りやすくて傲慢……そんな風に聞いたんだけどな。いや、これは表面上のポーズか何かか?)


 機嫌よさげな笑みを浮かべている老人へと視線を向けつつ、レイは内心で考える。

 そんなレイの考えに気がついた訳でも無いだろうが、シャフナーは広い部屋の中にポツンと置かれているテーブルへとレイとエレーナの2人を誘う。


「さ、どうぞ。まずは食事を済ませてからということで。ダンジョンから出てきたばかりで空腹でしょう。いつもしている買い食いよりは美味しい料理を用意しましたので」

「……なるほど。レイ、シャフナー殿の言葉に甘えよう」


 一瞬だけ、微かに眉を顰めたエレーナがレイを促す。

 その言葉に頷き、レイは黙って椅子へと座る。

 短い言葉のやり取りだが、それだけでも多少の情報を得ることが出来た。


(俺達が毎日のようにダンジョン帰りに買い食いをしているのを知っているとなると、当然前もって情報を調べさせていたんだろう。まぁ、それは分かる。そもそも、俺達がエグジルに入る時にエレーナがケレベル公爵家の名前を出していたんだし。ただ、自分の都合を優先させるのはちょっとどうだろうな)


 ダンジョンから戻ってきたばかり……それも、砂漠の階層から戻ってきたばかりなのだ。ドラゴンローブや外套のおかげで汗の類は殆ど掻いていないにしろ、それをどうにかしたいと思うのは自然な流れだろう。

 だが、シャフナーは自分の思いを最優先にし、それを怠った。つまり、それだけ自分中心の考えをしているのだろう、と。


(そうなれば、この笑顔も薄っぺらく感じるから不思議だ)


 そんな風に思いつつ、それでも腹が減っているというのは事実だったので、勧められるままに料理へと手を伸ばす。

 ローストされた肉に甘酸っぱいソースが掛かった料理や、パイ生地で包んで焼き上げた白身魚、スープはあっさりとした塩味ではあるが、肉と野菜の旨味が出ていた。

 他にも珍しいところでは、テリーヌに似たような料理がレイの目を引く。

 口に入れると濃厚なレバーの味が広がり、レイの舌を楽しませる。

 エレーナもまた、ダンジョンから採れる野菜や果物が惜しみなく使われているサラダを十分に味わう。


「どうですかな? うちの食事は」


 サラダを口に運んだエレーナの、微かに見開かれた目に満足そうに頷きながら尋ねるシャフナー。


「うむ、非常に美味いな。さすがに迷宮都市といったところか」

「おや、お分かりになりましたか」

「以前にも何度か食べたことはあるのでな」


 特定の環境のおかげでダンジョンの中にしか存在しない植物や動物といったものがある。例えばレイやエレーナが地下11階で遭遇したプレアデス達が採取していた砂漠の薔薇といったものもそうだ。

 そして階層が深くなればなるほど、ダンジョンの核による魔力の影響を受けてそのようなものが発生しやすくなる。

 エレーナが口に運んでいるサラダや、レイが舌鼓を打っているテリーヌの材料に使われているモンスターのレバー、野菜や香辛料といった素材。それら以外にも、テーブルの上に並んでいる料理は全てがダンジョンの中から採れた材料を使い、エグジルの中でも腕がいいと評判の料理人を雇って作らせたものだ。

 レイやエレーナにとっては目が痛いと表現すべき食堂に飾られている美術品にしても、その1つ1つは間違いなく高値で売り買いされるものであり、目を楽しませるものだ。

 もっとも、価値のある美術品を無造作に集めた結果として全く無意味になってるのだが。

 ともあれ、迷宮都市ではあってもダンジョンから採れた素材というのは高価なのは間違いない。そんな素材を使った料理をこれだけ出しているのだから、それだけシャフナーが本気でレイやエレーナを重要視しているという意味なのだろう。

 それを理解したエレーナは、フォークとナイフで優雅にサラダを食べ終え、ワインに口を付けてから改めてシャフナーの方へと視線を向ける。


(確かにどの料理も美味だが、飲み物に関して言えばレイの流水の短剣とは比べものにならないな)


 そんな風に内心で思いつつ。


「さて、それでシャフナー殿。私とレイを呼び出した理由をそろそろ聞かせて貰おうか。本来であれば私をわざわざ呼び出すような無礼に応じる必要が無かったのは理解していると思うが」

「そ、それは……申し訳ありません。ですがご覧の通り、私は年の為に気軽に外に出られませんので、その辺を理解して貰えると助かります」


 公爵家の者として……それも、貴族派の中心人物でもあるケレベル公爵家の令嬢としてエレーナは釘を刺す。

 それを理解したのだろう。シャフナーもまた息を呑んで小さく頷く。

 もしもエレーナが貴族のプライドを勘違いしているような人物であれば、ここでまだネチネチと言葉を口にしていただろう。だが、幸いエレーナはそのような勘違いしたプライドを持っていなかった。それ故に、単刀直入に口を開く。


「それで、私達を食事に招待したのは何か用事があったからではないのか?」


 自分よりも上の立場にいる者を呼びつけた……ではなく食事に招待をしたと言葉を変え、この件を問題にするようなことは無いと暗に告げる。

 シャフナーもそれを理解したのだろう。軽く安堵の息を吐き、気持ちを落ち着けるようにワイングラスへと口を付け、それをテーブルの上に置いてから改めて口を開く。


「そうですな、エレーナ様のお言葉もあるようじゃし、こちらとしても率直にお願いしましょう。エレーナ様が頻繁にダンジョンへと潜っている話は聞いています。当然、多くの魔石をギルドに売っていることも。……そこで、じゃ。もし良ければ魔石と素材の買い取りをレビソール家に一任して貰えないかと思って、こうして足を運んで貰ったのじゃが……どうじゃろうか?」


 視線が向けられているのは、言葉通りにエレーナのみ。レイに対しては殆ど存在しないかのように扱っている。

 シャフナーにしてみれば、確かにレイは異名を持つ程の腕利きであり知名度も高いのだろう。だが、同じ異名でも春に広まったばかりのレイの深紅と、数年前から広がっているエレーナの姫将軍では重みというものが違った。更に言えばケレベル公爵令嬢とただの冒険者。扱いに差が出るのはしょうがない。

 シャフナーの勘違いは、レイはエレーナに従っている存在だと思ったこと。お互いの立場を考えれば無理も無いのだが、その勘違いはある意味で致命的でもあった。


「……レイ、どうする?」







 チラリ、と白身魚のパイ包み焼きへとフォークとナイフを伸ばしているレイへと尋ねる。

 本人はその言葉を受け、数秒考えて小さく首を振る。


「悪いけどギルドからの先約があるから、ちょっと無理だな。そもそも、なんでそこまでして魔石を集めるんだ? レビソール家とマースチェル家が魔石を買い占めているおかげで、出回っている魔石が少なくなってきているとギルドで聞いたけど」


 そんなレイの言葉に、微かに眉を顰めるシャフナー。

 だが、すぐに笑みを浮かべて小さく首を振る。


「悪いが、それに関してはレビソール家の極秘事項でな。幾らエレーナ様とそのパーティメンバーでも話す訳にはいかないんじゃよ」

「無理に聞こうとは思わない。けど、魔石を集めているせいでエグジルの住民が色々と不便を被っているらしいが、それはエグジルを治める3家のうちの1家としていいのか?」

「確かにその件については憂慮しておるし、だからこそ冒険者からは魔石の買い取り額を若干ではあるが増やしている。じゃが、魔石を集めるのが不味いというのなら、それは知っての通り儂のレビソール家だけではない。いや、寧ろマースチェル家の方が儂等よりも多く集めておるじゃろう。もしお主が本気でエグジルの民の魔石不足を解決したいというのなら、儂だけではなくマースチェル家にも言うべきじゃし、何よりも当主自らが率先してダンジョンに向かっているシルワ家にも、もっと魔石を取ってこいと言うべきではないかな?」


 それがいい、名案だとばかりに告げるシャフナーを見てレイとエレーナは眉を顰める。

 シャフナーの言葉は、自分だけが悪いことをしている訳では無いから他の人にも注意しろと言っているも同然だったからだ。

 同時に、目の前の人物の装っていた好々爺としてのメッキすらも剥げかけているのに気がつく。

 他の家に関して口にしているうちに、その目に嗜虐的とすら言ってもいいような色が浮かんでいるのだ。

 そう。ケレベル公爵令嬢でもあるエレーナが、自分の言うとおりに他の2家に対して言えば間違いなく自分に有利に働くと。

 シャフナー本人としては絶対の真理だとでも言うように笑みを浮かべる。

 その笑みの種類にしても、どちらかと言えばニタリと表現したくなるような粘着質な笑みだ。


(確かにエレーナが口添えすればシャフナーの言ったとおりの効果があるだろう。……そう。実際にそうすれば、だがな)


 内心で呟き、口の中で自分に都合のいい未来のみを呟いているシャフナーを横目に、テーブルの上に乗っている料理へと手を伸ばす。

 ダンジョン産の素材を使っている料理であり、少し前までは十分に美味いと思えた料理だったのだが、シャフナーと同席していると考えると不思議な程に美味さを感じなくなっている。

 そんなレイの気持ちを受け取ったのか、あるいは自分自身も同様だったのか。エレーナはフォークとナイフをテーブルの上に置くときっぱりと口にする。


「悪いが、私は今のところエグジルの権力闘争に関わる気は無い。少なくても今の私はケレベル公爵家のエレーナ・ケレベルとしてここにいるのではなく、ダンジョンに挑む冒険者としてここにいるのだから」


 きっぱりと断り、唖然としているシャフナーをその場に残し、レイに視線で合図をして席を立つ。


「ま、待って下され!」

「くどい」


 更に何かを言おうとした言葉を切り捨て、そのまま食堂から出て行く。

 自分の提案をあっさりと却下され、怒りで顔を真っ赤に染めているシャフナーのみをその場に残し。

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