第415話

「さて、いよいよ地下11階の砂漠か」

「グルルルゥ?」


 小さく笑みを浮かべて呟いたエレーナの言葉に、セトが首を傾げながら喉を鳴らす。

 その背の上では、イエロもまた同様に小さい尻尾を振りながら首を傾げていた。

 そんなエレーナに向かい、レイは苦笑を浮かべつつ周囲を見回す。

 まず見えるのは土の地面と落ちている石。天井からは鍾乳石が生えており、壁と共に薄らと周囲を照らす程度に発光している。

 どこからどう見ても砂漠では無い。

 それも当然。ここはダンジョンの地下10階層である。エレーナが口にした砂漠の階層はあくまでも地下11階からであり、その為にはまずこの地下10階を攻略しなければならないのだから。


「楽しみにしているのはいいが、砂漠はこの下だぞ」

「うむ、それは当然分かっている。だが、どうしても気になってな」


 魔法陣と階段のある小部屋を出て、呟きながら道を進むエレーナの言葉にレイはセトやイエロ同様に首を傾げる。

 前日から思っていたのだが、妙にエレーナが砂漠に対して楽しみにしているように見えたからだ。


「何だってそんなに砂漠の階層を気に掛けているんだ?」

「それ程珍しい話ではないさ。ただ、私は砂漠という場所に行ったことがないからな。本物の砂漠ではないとしても、自分の目で見ることが出来るのは嬉しいものだ」

「……そんなにいいものじゃないと思うけどな」

「ん? そんな意見が出てくるとなると、レイは砂漠を見たことがあるのか?」


 話しながら進んでいる為、レイ達一行は当然目立つ。その目立つレイへと背後から攻撃を仕掛けようとしていたウィンド・バットに向け、今日もダンジョンに潜る前に食べてきたリザードマンの串焼きの串をミスティリングから取り出して投擲する。

 木で出来た串という、武器としてはあまり相応しいものでは無かったが、投擲したのがレイだ。空気を斬り裂きながら放たれた串は、今にも口を開いてウィンドアローを放とうとしていたウィンド・バットの胴体を貫通して洞窟の壁へと縫い付けた。

 そのままデスサイズの刃を振るい、作業のように敵の息の根を止めながらレイはエレーナに言葉を返す。


「俺も直接知ってる訳じゃ無いけどな。人から聞いたり、本で見たりした程度だから正確ではないと思うけど、かなり厳しい環境らしいぞ」

「一面の砂の海なのだろう? 雄大な景色だとか」

「あー、それはどうなんだろうな?」


 レイが日本にいる時にTVで見たのは、砂漠とは言ってもエレーナが口にしたような光景ばかりでは無く、寧ろ砂漠と言われて思い浮かべるような砂漠は珍しく、土や岩が広がっているような砂漠の方が多いということだった。


(もっとも、ダンジョンに向こうの世界の常識が通じる筈も無いんだけどな)


 さすがに魔法のある世界と言うべきか、そもそもダンジョンの中に太陽が存在しているのだ。砂漠=砂の海という認識であっても必ずしも間違いでは無いのだろう。


「グルルルルルゥッ!」


 そんな風にレイが考えながら進んでいると、不意にセトが高く吠える。

 同時に放たれる水球が2つ。そのまま飛んでいき、曲がり角から姿を現そうとしていたマッドパペットへと命中して周囲に泥を撒き散らかす。


「よし、セト。よくやってくれたな」

「グルルルゥ」


 頭を撫でる手に嬉しそうに喉を鳴らすセト。

 そのまま泥を集めて空の樽へと詰め、魔石を取り出してミスティリングへと収納しようとしたところで、レイはふと何かに気がついたかのように周囲を見回す。

 ここにいるのは自分とセト、そしてエレーナとイエロの2人と2匹だけ。幸い他の冒険者が周囲にいる様子も無いし、魔石を吸収するのなら今がいいのではないかと。


「……エレーナ、砂漠を楽しみにしているところ悪いが、ちょっと待ってくれ」

「どうした? 何かあったか?」

「何かというか、今のうちに魔石の吸収を済ませておきたい」


 その言葉を聞き、エレーナもまた周囲を見回す。だが、当然周辺には自分達以外の気配は無い。


「そうだな、確かに今のうちに魔石の吸収は済ませておいた方がいいか。特にこれからはまた異常種と遭遇する可能性もあるしな」

「異常種か。そういえばストーンパペット以降は全く出会わなくなったな」


 エレーナの言葉に呟きつつ、ミスティリングから魔石を取り出す。これでレイの手に現在ある魔石は、シール・ワーム、ストーンパペット、マッドパペット、ウィンド・バットの4種類が2個ずつだ。

 まずは試しとばかりに、ウィンド・バットの魔石を1つ取り出してセトへと与え……


「グルゥ」


 スキルを習得出来ず、落胆した鳴き声を漏らす。

 そしてレイもまたデスサイズで魔石を切断して吸収するが、同様にスキルの習得は無い。

 更にこれだけでは終わらなかった。シール・ワーム、ストーンパペット、マッドパペットの魔石を吸収したセトとデスサイズだが、合計4つずつの魔石を吸収したにも関わらずスキルを1つたりとも習得出来なかったのだ。


「……マジか……」


 呟き、ショックのあまり壁へと寄りかかるレイ。

 さすがに合計で8つも魔石を吸収して、1つも習得出来なかったというのはショックが大きかったらしい。


「グルゥ」

 

 ごめんね、とばかりにセトが小さく喉を鳴らしながらレイへと顔を擦りつける。

 セトにしても、出来ればスキルを習得してレイを喜ばせたかった。だが、魔石の吸収に関しては実際に吸収するまではスキルを習得出来るかどうか分からない。傾向としては強力なモンスターの魔石であればスキルを習得しやすいが、だからと言ってそれも絶対では無い。それにゴブリンの希少種の魔石でスキルを習得したこともあると考えれば、それ程強力ではないモンスターの魔石からもスキルを習得することが出来るのだ。


「いや、気にするな。今回の件は別に誰が悪い訳でもないしな。敢えて何が悪いかと言えば、巡り合わせだろう」


 健気なセトの姿に癒やされ、頭をコリコリと掻いてやるレイ。


「グルルルゥ」


 レイが立ち直ったと理解したのだろう。セトもまた嬉しそうに喉を鳴らして、もっと掻いてとばかりに頭を押しつけてくる。


「キュ!」


 そんなセトの様子が羨ましかったのだろう。イエロもパタパタと羽を羽ばたかせながらセトの頭の上に着地する。

 そのまま上を見上げ、自分も撫でろ、とばかりに鳴く。


「そうだな、確かにセトばかり構い過ぎたか。ありがとな」

「キュ!」


 自分を慰めているのだと悟ったレイが、イエロの喉元を撫でてやる。

 その感触が心地よいのだろう。イエロはセトと共に喉を鳴らして喜ぶ。

 右手でセトを、左手でイエロを撫でたまま5分程が過ぎ、やがてレイの手が止まって2匹を解放する。


「さて、そろそろ進むか。出来ればこうしてセトやイエロと戯れていたいけど、そんなことをしていれば地下11階の砂漠までの道のりが遠くなるだけだしな」

「グルゥ?」


 もう終わり? と小首を傾げるセトの頭をそっと撫で、じっと自分達の様子を見守っていたエレーナへと向かって口を開く。


「悪いな、情けないところを見せてしまった」


 レイとしては、落ち込んだ様子を見られたことに若干恥じ入りながらそう告げたのだが、声を掛けられたエレーナの方は何故か口元に小さく笑みを浮かべて首を振る。


「気にしなくてもいい。情けない姿を見せるということは、それだけ相手に気を許しているということだろう。それなら私としても歓迎こそすれ、厭ったりはしないさ」

「……情けない姿を見せた方は恥ずかしいんだが」


 溜息を吐きつつ呟くレイだったが、エレーナはそんな様子を気にせずに手を伸ばす。

 レイがセトを撫でるように、フードを被っていないレイの赤い髪を撫でるエレーナ。

 そのまま数秒が過ぎ、やがて満足したのかエレーナの手がレイの頭から離れる。


「さて、レイとのやり取りで気力も十分に回復したし、早速奥に向かうとしようか。この通路を真っ直ぐ進むと幾つもの小部屋がある場所に出るが、その中の1つが更に奥へと続いている」

「つまり、他の小部屋は?」

「地図によると行き止まりだな。……恐らくは罠とかが仕掛けられているのだと思う」


 エレーナの意見に、小さく眉を顰めるレイ。

 別にエレーナの言葉に腹が立った訳ではない。ある程度の金額を払って地図を購入しているというのに、その地図に罠のありかが書かれていないというのが眉を顰めた原因だった。

 通路に設置されている罠にしても、モンスターが仕掛けているようなものならまだしもダンジョンとして最初から仕掛けられているような罠に関してはきちんと地図に表記してもいいではないかと。

 だが、これに関してはレイの思い違いもあった。

 どのような理由かは不明だが、そのものに仕掛けられている罠の類は時々ランダムに場所を移動する。冒険者の間でも意見は分かれているが、恐らくはダンジョンの核が行っている冒険者対策では無いかと言われている。

 研究が進んでいないのは、ある程度まで巨大になったダンジョンでのみ見られる現象であるからであり、その巨大になった……つまり深くなったダンジョンの核がある場所まで辿り着くのは非常に難しい為だ。


「まぁ、こうしていてもしょうがない。今はとにかく地下11階に向かうとしよう。エレーナも楽しみにしているんだしな」

「うむ。砂漠の雄大な景色というのは是非見てみたい」

「……ダンジョンにそこまで期待するのはどうかと思うが」


 小さく肩を竦めたレイに、エレーナはどこか拗ねたような視線を向ける。


「別にいいでは無いか。実際に砂漠というのを見たことが無いのだから、少しくらい楽しみにしても」


 エレーナ本人が気がついてはいないのだが、レイがエレーナに対して弱みを見せたのと同様、エレーナもレイにしてはどこか甘えたような仕草を取ることがある。

 どちらの行動も相手を信頼しているからこそ出来る行動であり、もし姫将軍と深紅という異名だけでエレーナやレイを知っている者がいたとしたら目を疑うような光景だろう。

 そんな風にどこか甘い雰囲気を醸し出しつつも、レイ達2人と2匹は通路を進んで行く。






「この小部屋か」

「地図によるとそうなっているな。……この小部屋を抜けた先にもそれなりに複雑な迷路になっているのを考えると、当然油断はしないようにな」


 周囲に幾つも扉が並ぶ中、奥への通路があると地図に表記されている扉の前でエレーナがレイに注意を促す。

 実際ここに来るまでにも幾つかの罠があり、その殆どを作動させないようにして回避してきたのだ。

 それを理解しているだけに、レイもまたエレーナの言葉に頷く。

 何しろ地下11階へと向かうには絶対に通らなければならない場所なのだ。それを思えば、罠を仕掛けるのにこれ以上の場所は無い。


「いいか、開けるぞ?」

「グルゥ」


 レイの言葉にエレーナが無言で頷き、セトが周囲を警戒しながら喉を鳴らす。

 イエロもまたレイ達の邪魔にならないようにと、エレーナの左肩に止まっており、何かあった時には邪魔にならないようすぐに飛び立てるように準備をしている。


(十中八九、罠があると思われるのに、先に進む為には自分からその罠に引っ掛からないといけない、か。こういう時に捨て駒に出来るようなゴーレムとかを使えれば……あるいは奴隷? いや、でもこの為だけに奴隷を買うというのもな)


 内心で呟くレイ。

 現代日本で生まれ育ったレイだが、このエルジィンで1年以上を暮らしてきた今、それ程奴隷に対する忌避感という物は無い。

 ただ、奴隷を買うにしても色々と面倒な作業が増えると考えれば、結局レイがその選択肢をとることは無かった。

 何があっても対応できるように覚悟を決め、目の前にある扉を開け……


「っ!?」


 その瞬間、部屋の中から自分に向かって何かが飛んでくるのを本能的に察知し、持っていたデスサイズを振るう。

 キンッ、という甲高い金属音を周囲に響かせ、2つに分断されて飛んできた何かは床へと落ちる。

 それでもまだ油断はせず、注意深く周囲の気配を探り……そのまま10秒程の間何も起きないのを確認し、ようやく警戒態勢を解く。

 とは言っても、完全に解いた訳では無い。モンスターなり、あるいは新たな罠が襲いかかってきた時に対応出来るように最低限の注意はしながらだ。

 そのままデスサイズで斬り捨て、床へ落ちた存在へと視線を向ける。

 そこに残っていたのは、1本の矢だ。ただし鏃だけではなく矢全体が金属で出来ているのを考えると、非常に殺傷力の強い罠であると言えるだろう。


「……どうやら安全のようだな」


 いつでも攻撃できるようにして構えていた連接剣の切っ先を下ろし、安堵の息を吐くエレーナ。

 幾らレイの戦闘力を信頼してはいても、やはり心配するというのは別だった。

 だが、レイはそんなエレーナの気持ちに気がついた様子も無く2つに切断された矢を拾ってミスティリングへと収納している。


(何かに使うのか?)


 そんな風に思ったエレーナだったが、とにかく今はこの部屋を抜けるのが先決だと判断してレイやセト、イエロと共に歩を進めていく。

 そのまま歩き続け、モンスターを迎撃し、あるいは罠を回避し、どうしても回避が不可能な罠は意図的に引っ掛かって力業で強引に破壊しながら1時間程進み続け……ようやく地下11階へと向かう階段を発見するのだった。

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