第416話

 地下11階。その階層に降りたレイやエレーナ達をまず最初に襲ったのは空気だった。それもただの空気では無い。強烈な太陽の光によって熱せられた、ある種暴力的なと表現してもいいような熱気を伴った空気である。

 地下11階に降りた瞬間に感じたその空気に、2人と2匹は思わず目を見開く。

 何しろ、階段を降りている時は全く暑さの類を感じず、寧ろ洞窟特有のヒンヤリとした空気が周囲に広がっていただけに階段を降りて地下11階に到着した時には余計に空気の暑さを感じたのだ。


(暑いじゃなくて熱いだよな)


 魔法陣のある小部屋に降りてきてから1分も経っていないというのに、薄らとレイの額に汗が浮かぶ。

 ゼパイル一門によって作り出された肉体だからこそこの程度で済んでいるが、もし普通の人間がレイと同じように地下10階から地下11階へと降りてきていれば、その気温の違いによっては下手をしたら倒れる者すら出てくるかもしれない。


(いや、冒険者をやっている以上はそんな奴はいないか……いたとしてもごく少数だろうな)


 そんな風に考えつつ、取りあえずの暑さ対策とばかりにドラゴンローブのフードを被る。

 これによりレイの身体だけではなく、フードに覆われた頭部もドラゴンローブに付与された効果の1つでもある装着者を快適に保つという能力のおかげで暑さに悩む必要は無くなった。

 一息吐いたレイは、隣へと視線を向ける。

 自分はドラゴンローブがあるものの、エレーナにその類の装備は無い。それ故に大丈夫かと思ったのだが……


「ほう、これが砂漠の熱気なのか。実に興味深い」


 額には薄らと汗を掻きながらも、エレーナは特に堪えた様子も無く興味深げに周囲を見回している。

 そんなことをしてもまだここが魔法陣の設置されている小部屋であるというのは変わらないのだが、エレーナにしてみれば待ち焦がれていた砂漠の階層だ。それだけに色々と興味深いのだろう。

 そう思いつつ、マジックポーチの中から昨日購入した砂漠用の外套を取り出しているエレーナを眺めるレイ。


「結構平気そうだな?」

「ああ。どうやらエンシェントドラゴンの魔石を継承した効果だろうな。さすがに暑さは感じるが、それでも我慢できない程ではない。そっちは?」

「俺も同様だよ。元々肉体的に普通の人間よりも強化されているし、ドラゴンローブがあるからこの程度の暑さならどうということもない。……まぁ、その代わりこのフードを下ろすと熱気に襲われるけどな。……セトとイエロは……」


 呟き、レイは2匹の方へと視線を向ける。

 エレーナもレイに釣られるようにそちらへと視線を向けるが、セトは特に変わった様子は無い。いや、多少暑がっているのは分かるが、特にこれといった異常は見られなかった。だが、イエロはそんなセトの背の上でへばっているかのように腹をついた状態で力が抜けている。

 意識を失っている訳ではないのだろうが、それでもこの暑さは堪えるのだろう。

 一応種族的にドラゴンであるイエロが? そうも思ったレイだったが、イエロが生まれてからの年齢を考えればある意味でしょうが無いと判断する。何しろ、セトよりも年下なのだから。


「これは……」


 自分の使い魔へと視線を向け、一瞬悩んだエレーナ。だが、すぐにレイへと視線を向けて口を開く。


「レイ、悪いがそのローブの中にイエロを入れてやってくれないか?」

「それは構わないけど……そうなると俺は戦闘であまり役に立てないぞ?」


 ローブの中にイエロを入れるのだ。当然普段レイが戦闘でしているような急激な動きをすれば、それは中にいるイエロにも影響するだろう。


「構わない。今日は私とセトが前衛として出るから、レイは魔法で後衛を頼む」

「……ま、しょうがないか」


 この状態でイエロを放置すれば、どのような負担があるのかは考えたくないと頷くレイ。

 そのままセトの背へと手を伸ばしてイエロを抱き上げると、自分の懐へと……ドラゴンローブの内側へとイエロを抱え込む。

 周囲の気温の変化を竜族特有の鋭い感覚で察知したのだろう。小さく喉を鳴らしながらドラゴンローブの内側から顔を出して鳴き声を上げる。


「キュ……」


 いつもとは違って元気の無い鳴き声を聞きつつも、砂漠特有の気温でへばっていた時よりは大分マシになっているのを見て、レイとエレーナは満足そうに頷く。

 そのまま手に持っていた外套を黄金色のマントの上から纏うエレーナだったが、それを見ていたレイはマントの上から外套を纏ったエレーナに対して声を掛ける。


「……そのマントはいいのか? 邪魔になるならミスティリングで預かるけど?」

「いや、このマントはマジックアイテムだからな。外套の下に着けていても効果は発揮する。ダンジョンの中である以上、何が起きても対応出来るようにしておきたい」


 白い鎧と黄金の髪とマント。そんな煌びやかな外見であったエレーナだが、それだけに砂漠色の外套を纏うと一気に大人しくなったように見える。

 とは言ってもその顔立ちが整っている為、十分に目立つ要素を持っているのだが。


「よし、準備は整った。では……行くか」


 そう告げ、小部屋の入り口へと視線を向けるエレーナ。

 レイは頷き、まず最初の1歩目はエレーナに譲りながら小部屋から出る。

 すると……


「おおっ、これは確かに砂の海と呼ぶに相応しいな」


 小部屋の外から出たエレーナの声が聞こえ、レイもまた外の景色へと目を向けた。

 一面銀世界という言葉があるが、一面砂世界。どこまでも続く砂の景色は、確かに砂の海と呼ぶに相応しい景色だった。

 地下10階は洞窟で移動出来る範囲も限られていたというのに、今レイやエレーナの視界に広がっている景色はそれとは比べものにならない程に広大であり、小部屋の中で感じたよりも尚暑い日差しが降り注いでいる。

 それはやはり天井……と言うよりも、空にしか見えない場所に存在している擬似的な太陽が原因なのだろう。その光景だけを見れば、自分達が今いるのがダンジョンの中であるというのはとてもではないが信じられない。どこまでも広がっているような、夏のエグジルと比べても尚高い空だ。


「これは……継承の祭壇で見た森と比べてもかなりのものだな」

「ああ」


 エレーナの言葉に、それだけしか返事を出来ないレイ。

 散々砂漠に憧れるのはおかしいと言っておきながら、実際に砂漠を見たこの瞬間、より景色に目を奪われていたのは明らかにエレーナよりもレイの方だった。

 砂を巻き上げる風に、広大に広がる砂漠の所々に存在しているサボテンや岩、砂丘。


「レイ? ……レイ!」

「ん? あ、ああ」

「全く、人に散々言っておきながら、実際にはお前の方が砂漠の景色を堪能しているではないか」

「そうだな。正直、まさか人から聞いていたのと、実際に自分で見るのとでは全く違っていたのは驚いた」


 エレーナに言葉を返しつつ、地面に広がっている砂を掬い上げる。

 サラサラとした手触りの砂が指の間からこぼれ落ちていくのを感じつつ、改めて周囲を見回す。


「……このままこうしていてもしょうがない。取りあえず進むか」

「それは構わないが、洞窟と違って道が無い以上は地図は殆ど役に立たないぞ?」


 持っていた地図を差し出すエレーナだが、そこに描かれているのは大まかな地形だけであり、道のようなものは無い。


「となると、セトに乗って空から様子を探るとかも出来る訳だが……」

「確かにそうした方がいいか。……それにしても、こうして後ろを見ると随分と違和感があるな」


 呟き、背後を見たエレーナの視線の先にあるのは、砂漠の中にポツンと立っている石造りの部屋だ。

 視線の先にある、自分達が出てきたその部屋だけが砂漠の中で違和感を醸し出していた。


「恐らくあの小部屋を中心にして進む方向を決めるんだろうな。取りあえずセトに飛んで貰って様子を見てくるか。エレーナ、階段はどこの方向になっている?」

「この小部屋が地図の中心にあって、向こうに見える岩がこの地図に描かれている岩だとすると……南南西といったところか?」

「……また厄介な。せめて南とか西とかなら分かりやすいんだが」

「グルゥ?」


 どうするの? と喉を鳴らすセトに、難しい顔をして考えるレイ。

 そんなレイのローブの中では、イエロが涼しく過ごしやすい環境で嬉しそうに鳴き声を上げている。


「……悪いが、頼む。ただこのままここで待っていると暑さに体力を奪われる。少しでも進んでおこう。幸い、セトは空を飛べるし俺の存在をある程度感知出来るから、迷子になるようなことも無いしな」

「小部屋でセトが戻ってくるのを待っているという方法もあると思うが?」

「それも考えたけど、この砂漠という階層に慣れるのなら少しでも進んだ方がいいと思う」

「そうか。確かにこのままここでただ待っているよりは、進んだ方がいいだろうな。出来ればせめて今日のうちに地下12階に降りておきたいし」

「グルルゥ」


 レイとエレーナの意見に、セトが自分は問題ないと喉を鳴らす。

 残る1匹のイエロに至っては、そもそもレイの懐の中にいるのだから口出しする必要も無い。


「じゃあ俺達は俺達で南南西と思われる方向に進んでいるから、セトは先行してくれ。俺達が降りてきた部屋を思えば、恐らくは同じような小部屋がある筈だから、目標自体は見つけやすいと思う」

「グルルルルルルルルゥッ!」


 レイの言葉に高く鳴き、そのまま数歩の助走を経て翼を羽ばたかせながら空中へと昇っていく。例え場所が砂漠であったとしても、空気を踏み固めるかのように駆け上がっていくその様子はいつもと変わらず雄大なものを感じさせた。

 そんなセトの姿を見送ったレイとエレーナはお互いに顔を見合わせて小さく頷くと、セトの後を追うようにして砂漠へと足を踏み出していく。






「予想はしていたが、また随分と歩きにくいな」

「それはしょうがないさ。何しろ砂漠なんだからな」


 外套に覆われているエレーナが、腰のマジックポーチから取り出した水筒――中身は当然レイが流水の短剣で出した水――で喉を潤しながら呟く。

 地面が砂漠であるという関係上、どうしても1歩進むごとに足を奪われ、余分に体力を消耗させられる。

 あるいはこの階層に慣れている冒険者や、元々砂漠がある地域の出身者ならそれ程問題無いのだろうが、レイとエレーナは話に聞いていたり本やTV――これに関してはレイのみだが――で情報を得てはいたものの、実際にこうして砂漠に足を踏み入れたのは初めてだ。それだけに砂漠を歩き続けると急速に体力を消耗していく。

 それでも特に問題無く歩き続けていられるのは、純粋にレイとエレーナが持っている体力が通常よりも桁違いに多い為だろう。

 もしも通常の冒険者と同程度の体力しか無ければ、30分と歩かないうちに砂の足場によって進行速度は確実に鈍っていた筈だ。

 だが、それはこの階層に限らず砂漠に初めて挑んだ者に対する洗礼と言ってもいい。その洗礼を受け、徐々に砂漠という場所に対して身体を慣らし、身体の動かし方を習得していく。それが一般的なのだが……


「なるほど、砂を踏むよりも足を上げる時にコツがあるのか」

「砂を踏む時にも、踵やつま先ではなく足の裏全体で踏むようにすると歩きやすいな」


 お互いにそんな風に気がついたことを言い合いながら、砂漠での身体の動かし方を急速に習得していく。

 更にこの2人が異常だったのは、砂漠の峰に沿って歩くのでは無くひたすら真っ直ぐにセトの飛んでいった方へと歩いていることだろう。

 砂漠に慣れている者ならともかく、普通であればある程度平面に比べて砂が固まっており歩きやすい峰に沿って歩いて行くのだが。

 だがレイとエレーナはそれを知らず、ただひたすらにセトの飛んでいった方へと向かって真っ直ぐに歩いて進む。

 お互いに声を掛け合い、どうすれば砂漠をより効率的に歩けるか。それを考えながら進み、十分に……と言える程ではないしろ、それ程足を取られず歩けるようになっていく。

 レイ達がこの地下11階へと到着してから1時間程。そろそろ昼間も近くなってきた頃になると、砂漠を歩く速度も次第に上がっていっていた。


「にしても……」

「どうした?」


 砂の上を歩きながら、懐の中でじっとしているのが暇だとゴソゴソと動いているイエロを撫でてやりながらレイが呟く。


「いや、砂漠に来た割には全くモンスターの姿が見えなくてな。あるのは一面の砂漠とサボテンと岩の塊くらい……だったんだよな」


 周囲を見回しながら呟いたレイが、ふと視界に映るものを見つけて途中で言葉を止める。

 そう、1km程先から自分達の方目がけて走ってくる3人の冒険者。それはいい。いいのだが……


「後ろに何か大きな虫がいるように見えるな」


 レイの隣でエレーナが呟いたように、逃げている3人の冒険者を追っているのは体長5mを超える巨大なミミズのような虫、いわゆるサンドワームの姿だった。

 それも1匹ではなく、見える範囲だけでも3匹。


(俺の言葉がフラグにでもなったのか?)


 既にこの距離では逃げ切れないだろうと判断して即座に戦闘態勢を整える。

 事前に相談した通りエレーナが前衛に、レイは魔法を放つべく後衛へと移動して、自分達へと近づいてくる冒険者とサンドワームを待ち受けるのだった。

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