第390話
「では、お嬢様、レイ様。行ってらっしゃいませ。今日も無事のご帰還を願っています」
ツーファルからの声を聞き、レイとエレーナは宿から出て行く。向かう先はセトとイエロがいる厩舎だ。
迷宮都市でもあるエグジルに到着してから3日目。今日の目的も当然の如くダンジョンの攻略である。
幸い、ダンジョン挑戦の1日目に関してはビューネと出会うようなアクシデントはあったものの、これといった危険は無かった。それ故に今日は地下2階を進んで地下3階に向かおうとエレーナとレイは話し合っていた。
(もっとも、どちらかと言えばダンジョンを出てからの方が騒動は大きかったがな)
内心で呟きながら、隣を歩いているレイを横目で見るエレーナ。
その脳裏を過ぎっているのは、下着のような格好の上から向こう側が透けて見えるかのような薄い布を幾重にも重ねて着ており、両手足に手甲と足甲を身につけているといった、見るからに怪しげとしか言えない格好をしたヴィヘラの姿だった。
(全く、レイもあのような女に迫られるのはともかく、毅然とした対応をすればいいものを。……も、もしかしてレイはああいう服装が好みなのか? だが、私にああいう格好は……待て、確か以前アーラが男は女の扇情的な姿を好むとか言っていたような気がする。となると……わ、私もあんな、服とも言えない服を着ないと駄目なのか!?)
表情を殆ど変えないままだが、それでも内心では思いきり混乱しているエレーナ。
そんなエレーナの様子を感じ取った訳でもないのだろうが、隣を歩いていたレイはチラリと視線を向けて口を開く、
「エレーナ、今日の目標は一応地下3階ってことになってるけど、罠には……エレーナ?」
「いや、しかし……けど、それならどこで……だが、公爵家令嬢があのような……」
レイの声が聞こえているような様子も無く、口の中で何かを呟いているエレーナ。
そんなエレーナを疑問に思いつつも、白い金属鎧に包まれた肩へと手を伸ばしながら声を掛ける。
「おい、エレーナ。俺の話を聞いてたか?」
「っ!? あ、ああ。勿論だ。今日は地下3階を目指すのだろう? 私としても問題は無い」
内心で懊悩とすら言える程に混乱しつつ、それでも頭の片隅で話をきちんと聞いていたのは姫将軍として活動してきた経験故か。あるいは単純に偶然の産物だったのか。
とにかくレイに何とか言葉を返しながらも、2人は厩舎に寄ってセトとイエロを引き取り街中へと繰り出していく。
周囲から向けられる視線は、恐怖7割、好奇心2割といったところか。残り1割に関しては、セトを愛でるかのような視線だ。
(たった1日でここまで視線の種類が変わるとはな。さすがにセトと言うべきか? まぁ、愛らしさという意味ではイエロも負けてはいないが……初めて見た時の衝撃はセトの方が身体が大きい分イエロよりも大きいからな)
自分の左肩に止まって周囲をキョロキョロと見回しているイエロへと視線を向け、その背を撫でながら道を進んでいく。
昨日と同様にリザードマンの串焼きを屋台で買うが、店主の表情は昨日と打って変わってセトに対して怖がることは無かった。
勿論全ての恐怖を完全に払拭できた訳ではない。だが、それでもセトが意味もなく襲い掛かって来るようなことは無いと理解したのだろう。表情に出さないだけの余裕を持っているのがエレーナの目からでもはっきりと見て取れる。
「今日もダンジョンに行くんですか? 昨日も行ったばかりでしょう?」
「ああ、そのつもりだよ」
そう告げるレイに、串焼き屋の店主は感心したような……それでいて心配そうな表情を浮かべて頷く。
「何かおかしいことでもあるのか?」
「いえ、こうしてダンジョンの近くで串焼きを売っていれば冒険者の方からもよく話を聞くんですが、普通の冒険者の方は1日ダンジョンに潜ったら1日、多ければ数日は休むって人が殆どなんですよ」
「体力的に考えればそれが正解だろうけど……それでやっていけるのか? 特に初心者が潜るような浅い階層だと碌な収入にならないだろ?」
「その辺は良く分かりません。何だかんだ言いつつもやっているのか、あるいはダンジョンに潜っていない時には他の仕事をして収入を得ているのか」
首を振る店主の言葉に、レイも数秒程首を傾げて考える。
だが、すぐに自分達は自分達のペースで進めばいいと判断し、串焼きの代金を払って礼を言ってからその場を立ち去る。
「さすがにダンジョンの近くに店を出しているだけあって、美味いよな」
最後の一口を食べ、串をミスティリングの中に収納しながら呟くレイ。
そのレイの言葉に頷くエレーナだが、その手には既に何も持っていない。エレーナもまた串焼きは食べたのだが、1本だけだったので串はその場で処理したのだ。
「グルルゥ」
セトもまた頷くように鳴き、そのままダンジョンと続く門を通って入り口近くの広場へと行き……
「待ってくれ! 俺達とパーティを組んでくれないか!?」
「いや、そこは僕達とお願いします!」
「こっちが先よ!」
「待て待て待て! 俺の方が先に決まってるだろ! 最初に声を掛けたのは俺なんだから」
「早い者勝ちな訳ないじゃない。ここは純粋に能力で決めるべきよ!」
「あの人達がああなるとちょっと長いですから、まず僕の話を……」
「おいこら、そこの。さらっと抜け駆けしてるんじゃねえよ」
「そうよ、大体あんたこの前も私達が誘おうと思ってた人を横から掻っ攫っていった癖に」
広場へと入った瞬間、3人の人物に話し掛けられたのだ。そのまま言葉を挟む隙も無く話し続ける男2人と女1人。
一瞬唖然としてそのやりとりを見ていたレイだったが、何が起きているのかはすぐに分かった。
セトが思っていたよりも随分と大人しいというのと、そのセトを従えているレイが尾びれや胸びれまでついて大袈裟になった噂程に凶暴ではないと知り、おこぼれを狙おうとしてきたのだろう。
「……」
エレーナもまた同様の結論に至ったのか、レイの方へと視線を向けながら小さく溜息を吐く。
前々から、自分達の実力が明らかになればこのような事態になるというのは半ば予想済みだった。昨日に関してはまだレイを含めてこの一団がどのような性格をしているのかが不明なこともあって直接声を掛けてきたのは1人だけだったが、それは昨日だけだったと言うことなのだろう。レイやエレーナが街中で買い食いをしたことにより、その性格が伝わったというのも今回の騒ぎを加速させた原因なのだろうが。
『……』
お互いに視線を合わせつつ押し付け合うが、結局最終的に負けたのはレイだった。セトの頭を軽く撫でてから言い争いをしている3人へと近付いていく。
少しの間目を離していた隙に、本来であればリーダー同士の言い争いだった筈がいつの間にかパーティメンバーを含んでまでの言い争いと化している。
お前のところは前回横から有望なメンバーを掻っ攫っていった、それを言うならその前にダンジョンでモンスターを倒した時の素材を多く持っていった。ダンジョンで見つけた鉱石を口で騙して持っていった等々。
リーダー達にしてみれば、レイとエレーナ、それにセトを自分達のパーティに引き込めば大幅な戦力アップは間違い無い。それ故に絶対に退けないとばかりに、声高く言い争っていたのだが……それが逆にレイやエレーナのやる気を減退させる結果へと繋がる。
「悪いが、今のところパーティメンバーは間に合っている。お前達に限らず、誰とも組む気は無い」
「そんなっ、幾ら強いって言っても2人だけでダンジョンに潜るなんて危険よ。ポーターを入れて、最低でも5人くらいが平均なんだから」
レイの言葉に、女の冒険者が言い募ってくる。溜息を吐いたレイは、隣にいるエレーナを見てふと何かを思いついたかのように小さく頷き、右腕に嵌っているミスティリングを女へと……ひいては、その場にいる全員へと見せる。
「この腕輪が何か分かるか?」
「……何かのマジックアイテムとか?」
そう答えたのは、女ではなくどこか少年の面影を残している――それでもレイよりは年上と思われる――冒険者の男。
その男に頷き、ミスティリングの中から愛用の武器でもあるデスサイズを取り出す。
いきなりレイの手の中に現れたその武器に、周囲の喧噪が一瞬ではあるが確実に静まる。それは、この場で最大の集団でもある聖光教もまた同様だった。
「アイテムボックス……を研究して作り出された、マジックアイテムがあるというのは知っているな? 収納出来る量はそれ程多くない、簡易的なアイテムボックスとも言えるアイテムだが、これもその1つだ」
レイはそう告げ、デスサイズを振るう。
本来であれば、本物のアイテムボックスだと言っても良かったのだ。だが、そうすると面倒なことになると判断したレイは、隣にいるエレーナの腰のポーチ、空間魔法を使って作り出されたマジックポーチに目を止め、その設定を借りることにしたのだ。
勿論空間魔法そのものが非常に難易度の高い魔法である以上、それを利用したマジックポーチも同様に価値が高い。だが、それでも世界に数個しか現存していないと言われているアイテムボックスよりはまだマシだと判断したのだ。
「それと、俺だけじゃない。エレーナの腰にあるポーチも同様のマジックアイテムだ。つまり、俺達にはポーターはいらない。理解して貰えたか?」
「なら、戦力はどうだ! 俺達のパーティは戦闘を重視している。戦力は幾らあってもいいだろう!」
次にそう口を開いたのは、20代程の男。3人の中で最初にレイへと声を掛けて来た男だ。
ハーフプレートアーマーに身を包み、手に持っているのはポール・アックス。
(俺が言えた義理じゃないが、ダンジョンの中であの柄の長い武器は使いにくいんじゃないか?)
自分が持っているデスサイズが、そのポール・アックスよりも更に扱いにくい武器であるのは横に置き内心で呟くレイ。
そのまま男を一瞥してからゆっくりと首を左右に振る。
「残念ながら戦力に関しては全く問題無い。俺とエレーナ、そしてセトがいる限りはな。それこそ、ランクAモンスター辺りが出て来れば話は別かもしれないが、俺達が活動しているのはまだ地下2階だ。どうしても戦力が必要なら、ランクAモンスターが出て来たらお前を頼らせて貰うよ。それでいいだろ?」
「……いや、さすがにランクAモンスターを相手にするのは……」
レイの問い掛けを聞き、言葉に詰まる男。
この男もそれなりに自分のパーティの戦闘力に自信はある。だからこそ、レイに対して戦力は幾らあってもいいと口にしたのだから。だが、それはあくまでも自分と同格の存在と比較しての戦闘力であって、ランクAどころかランクBモンスターが相手であっても自分達では手も足も出ないと理解していた。
また、そうであるからこそレイやセトといった破格の戦闘力を持っている人物を引き入れたいと狙っていたのだろう。
もしエレーナが姫将軍であるということに気が付けば、その勧誘の熱心さは更に増していたかもしれない。
(いや、さすがに公爵令嬢をパーティに入れるだけの度胸はないか?)
内心でそう考えつつ、決定的な言葉を口に出す。
「俺達がどうしても今必要としているのは、盗賊だ。……ただし、戦闘で俺達の足を引っ張らない程度の腕利きであるという条件はつくけどな」
盗賊が必要、というレイの言葉で一瞬男の顔にもしかしたらという希望が浮かぶが、戦闘で足を引っ張らないと告げられると残念そうに溜息を吐く。それは、男だけではなく盗賊をパーティに入れている他の2人、あるいは周囲で一連のやり取りを見ていた者達も同様だった。
ある者は溜息を吐き、またある者は仲間の盗賊になんでそこまで腕利きじゃないんだと責めるような視線を向け、その視線を向けられた盗賊は不愉快な表情を隠しもせずに自分に視線を送ってきている相手を睨みつける。
そんな風なやり取りを尻目に、レイは自分に向かって話し掛けてきた3人に向かって小さく肩を竦める。
「分かっただろ? じゃあ、悪いが俺達はそろそろダンジョンに入るから行かせて貰うぞ」
「あ、ああ……」
「うん」
「……しょうがないわね」
レイの言葉に3人がそれ以上言い募れる筈も無く、そのまま大人しく横を通って行く。
そんな中、その様子を見ていた聖光教の中にいた数名の盗賊が何かを言いたそうにしていたが、結局口に出すことは無かった。
聖光教の盗賊にしてみれば、自分はそれなりに腕利きだと判断しているので売り込みたいというのもあったのだろう。だが、自分達は求められて初めて相手に救いを与えるという立場をとっている以上、自分から声を掛けることは出来なかった。
そんな聖光教の様子を何となく感じ取りはしつつも、レイとエレーナ、セトとイエロの2人と2匹は転移装置に手を触れ、地下2階へと姿を消す。
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