第383話

「行ってらっしゃいませ、エレーナ様、レイ様」


 ツーファルの声を背中で受けつつ、レイとエレーナは宿を出て厩舎へと向かう。

 エグジルへと到着して2日目。ゆっくりとした朝食を済ませた2人は、早速とばかりにダンジョンへと向かおうとしていた。

 レイはいつものようにドラゴンローブとスレイプニルの靴という、いかにも魔法使いといった分かりやすい格好で。エレーナは前日にギルドへと向かった私服の時とは違い、白い金属鎧とマント、レイと同じくスレイプニルの靴、そして腰にはエレーナの象徴とも言える連接剣の収まった鞘といったように、万全の装備である。

 エレーナの身につけている装備は全てがマジックアイテムであり、そのマジックアイテムの価値を知れば恐らく盗賊やチンピラのような者達は躊躇うことなく襲い掛かって来るであろう程に価値のある物だ。

 もっともその場合は、マジックアイテム云々よりもエレーナ自身を目当てにするだろう。何しろその美貌、公爵家令嬢、姫将軍。エレーナ自身が襲われる理由が多すぎるのだから。

 ……ただし、襲い掛かってきた者がその目論見を達成するのは非常に困難だろうが。

 とにかく、黄金の風亭の入り口から出て行く2人は泊まり客からも色々な視線を向けられていた。

 それでも誰も声を掛けてこないのは、前日の夕食の時にエレーナの美貌に目が眩んだ酔っ払いや、レイの容貌からどうとでもなると判断した酔っ払いが手酷く叩きのめされた為だろう。

 勿論重傷を与えている訳では無いが、それでも痛みが翌日になっても引かないという程度の負傷を与えられたのだから、迂闊に絡むと酷い目に遭うと宿泊客が判断してもおかしくはなかった。

 宿側の従業員としては、食堂で騒いでいた酔っ払いを鎮圧してくれたレイやエレーナに感謝していたのだが。

 朝食で出て来た料理が、他の宿泊客に比べて若干ではあるが豪華だったのは宿側の好意を表していたのだろう。


「それにしても、今一緒にいないってことは昨夜イエロは戻ってこなかったようだけど……セトと一晩一緒にいたのか?」


 宿舎へと向かう途中で尋ねるレイに、エレーナは苦笑を浮かべながら頷く。


「そうだろうな。どういう訳かイエロはセトに対して妙に懐いている。それは前々から分かってはいたが、ここまでとは思わなかったな」

「……なるほど。まぁ、ある意味では似た素性だしな」


 周囲の目を気にして、端的にそれだけを告げるレイ。


(やっぱり使い魔として生み出されたイエロと、魔獣術で生み出されたセト。色々と細かい違いはあっても、魔力から生み出されたという点では同じだ。恐らくその辺が原因なんだろうな)


 以前にも感じた疑問を内心で考えつつ歩いていると、やがて2人は厩舎へと到着する。

 そんなレイを見て、真っ先に近寄ってくる人影が1つ。


「おう、早速出掛けるのか? そっちの方は……確かケレベル公爵に縁のある方でしたね。俺……いや、自分は黄金の風亭で厩舎を任されているプロトンといいます。色々と礼儀には疎いのですが、よろしくお願いします」

「ああ、よろしく頼む。早速だが厩舎の中に小さな竜がいるだろう? 恐らくセトと共にいる筈だが、中に入っても構わないか?」

「はい。問題ありません」


 プロトンと名乗った男に言葉を返すエレーナ。

 そんな2人のやり取りに、レイは小さく驚きの表情を浮かべる。

 何しろ、自分に対する言葉使いとエレーナに対する言葉使いが丸きり違っていたのだから。

 だが、それはある意味で当然だろう。同じ異名持ちとは言っても、片方はあくまでも冒険者であり、もう片方は公爵家の令嬢。同じ言葉使いであった方が後々問題になるのだろうから。

 プロトンと名乗った男から、どういう関係なんだといった風な疑惑の視線を受けつつ厩舎の中に入る。


「キュキュキュキュ!」

「グルルルルゥ」


 その途端、厩舎の奥の方から聞こえて来る2種類の鳴き声。

 既にお馴染みになったとも言える、セトの背にイエロが乗った状態で近付いてくる2匹。

 その2匹がレイとエレーナの近くまで来ると、イエロはセトの背を蹴ってエレーナへと飛びつき、セトは朝の挨拶としてレイに顔を擦りつけてくる。


「キュ!」

「うん、おはようイエロ。昨日は良く眠れたようだな」


 エレーナの言葉に本物の竜とは比べものにならない程に小さく短い尻尾を振りながら嬉しそうに鳴くイエロ。


「セトも、昨日は良く眠れたらしいな」

「グルルルゥ」


 撫でれ、とばかりに擦りつけられた顔を撫でつつ、笑みを浮かべて声を掛ける。

 そんな状態で、それぞれが数分程じゃれあった後で最後にエレーナが馬車を引くウォーホース2匹に軽く声を掛けてから、2人と2匹は厩舎を後にする。

 その際、厩舎の中からグリフォンという存在がいなくなって、他の馬や騎乗用のモンスターが安堵していたように見えたのは恐らくレイの気のせいではないのだろう。






「うーん、やっぱり最初はどうしても目立つよな」

「グルゥ?」


 大通りを歩いてダンジョンへと向かいながら呟くレイに、セトが小首を傾げて円らな瞳を向けて来る。

 昨日エグジルへと来た時は怖がられて落ち込んでいたセトだったが、今日はレイやエレーナが隣にいて、イエロも昨日に引き続き背中の上にいる。そのおかげで、寂しさは誤魔化されているようだった。


「お、ちょっと美味そうな匂いがするな。セト、ちょっと買っていくか」

「グルゥ」


 レイの言葉に喉を鳴らし、近くで店を出している屋台へと向かう。

 さすがに迷宮都市というだけあり、周囲にはこの時間からダンジョンへと向かっている冒険者の数も多い。

 その殆どがエレーナを見て目を惹かれ、同時にセトを見て驚愕の表情を浮かべ、レイを見て納得の表情を浮かべている。

 中には、可愛い物好きの女の冒険者がイエロに熱い視線を送っていたりもするのだが、そちらはあくまでも少数派だった。

 普段なら間違い無くエレーナ目当てにレイへと絡んでくる冒険者がいたのだろうが、前日にギルドでレイの深紅という異名が広まり、その後ギルドにやってきた冒険者にその辺の事情を話し……と人伝にどんどん話が伝わっていった結果ある程度の情報が広がっており、ギルムで活動を始めた当初のように意味もなく絡まれるというようなことが無かったのは幸運だったのだろう。

 とにかく、周囲からそんな視線を向けられながらもレイとセトは串焼きを売っている屋台の店主へと声を掛ける。


「美味そうな串焼きだな。何の肉だ?」

「ダ、ダンジョンで獲れるリザードマンの肉です」

「へぇ、リザードマンか。そうだな、とりあえず2本くれ」

「分かりました、すぐに用意します!」


 周囲にいる冒険者からの視線を感じつつも、気にした様子も無く料金を支払うレイに店主の男は大急ぎでタレの掛かったリザードマンの串焼きを焼き上げていく。

 まるで、少しでも遅れればグリフォンをけしかけられるとでも思い込んでいるかのような速度で用意された串焼きを受け取り、まずは自分が一口。

 口の中に広がるリザードマンの肉は、鶏肉に近い食感と味だ。タレを塗られて焼かれており、噛むとパリッとした食感と共にタレの甘辛い味が広がり、同時に肉汁が口の中に溢れ出る。


「美味いな。ほら、セト」

「グルルゥ」


 レイの差し出したリザードマンの串焼きに、喉を鳴らしながらクチバシで肉を串から引き抜きつつ食べるセト。


「グルゥ……グルルルゥ!」


 美味しい! と喉を鳴らすセト。

 その幸せそうな様子を見ていた店主は、つい数分前までは恐怖でどうにかなりそうだったのが嘘のように嬉しそうに自分の焼いた串焼きを食べるセトを眺める。

 それは周囲の冒険者や、あるいは串焼き屋周辺の店の店主も同様で、なんで自分達はこんなに幸せそうに串焼きを食べている相手を怖がっていたのだろう、と不意に思う。


(全く……串焼きを食べるだけで周囲の者達からセトに対する恐怖心を取り去るとはな。まぁ、それもこれもセトの愛らしさがあってのことだろうが)


 エレーナは肩にイエロを乗せたまま、セトを見ていた者達の身体から恐怖心が抜けていくのを感じ取っていた。

 同時に、動きを止めているのが気になって近づいて来た新たな住民や冒険者達もまた、同様に幸せそうにリザードマンの串焼きを食べているセトを見て、どこかほんわかした気持ちを胸に抱く。

 そのまま、約10分程。余程に串焼きが気に入ったのか数本追加して頼み、それすらもセトが食い尽くした頃には、セトに向けられる視線から恐怖の色は完全に払拭されていた。


「ご馳走さん。美味かったからまた寄らせて貰う」

「……あ、は、はい! またのおこしをお待ちしています!」


 屋台の店主が、慌てたように頭を下げる。

 当然屋台の店主の態度にも、既に恐怖は一欠片も存在していない。寧ろ、親しみを覚えるかのような視線をセトへと向けていた。


「その、これはおまけです。セトって言いましたっけ? そのグリフォンにあげて下さい」


 そう言い、レイへと差し出したのは数本の串焼き。ただし、売り物としては使えない部分の肉だ。


「いいのか? 悪いな。セト、ほらお前も」

「グルルルルゥ」


 レイの言葉に、喉を鳴らすセト。

 そんなセトの愛らしい様子に、店主は思わず頬を緩ませるのだった。






「さすがに迷宮都市と言うだけあって、随分とダンジョンに人が集まっているな」


 ダンジョン区画へと入る為の門の前に並んでいる冒険者を眺めつつ、レイが呟く。

 そんなレイの言葉に、エレーナもまた頷きながら視線を巡らせる。


「ただ、ダンジョン区画に入るのはともかく、ダンジョンの入り口はあまり混み合っていないようだぞ?」


 ダンジョン区画の入り口には門が設置されてあり、そこにいる警備員にダンジョンカードを見せて中へと入り、その後ダンジョンに潜るという形式になっている。レイとエレーナが唯一経験のある継承の祭壇があったダンジョンとは違い、ここでは入り口に冒険者が並んでいるようには見えなかった。


「ま、行ってみれば分かるだろ」


 呟き、レイはエレーナとその肩に乗っているイエロ、そしてセトと共に門へと向かって進んで行く。

 さすがにこれだけ冒険者が集まればセトについて知らない者も多いのか、その姿を見て驚きの表情を浮かべている者が多くいる。

 だが、それでも首に従魔の首飾りが掛かっているのを見ると逃げ出したりしない辺り、さすがに冒険者と言うべきなのだろう。

 やがてレイ達の番がやってきて、警備兵にダンジョンカードを見せて門の中へと向かう。

 セトを見て驚き、ダンジョンカードを見て更に驚きの表情を浮かべた警備兵をスルーしながら中へと入り、まず最初に見かけたのはダンジョンの入り口と思しき地下へと通じている階段の横にそびえ立っている、高さ3m程、直径1m程はあろうかという茶色の円柱だった。

 飾りの類は無く、ただ本当に茶色い円柱としか表現出来ないような存在だ。


「あれは……何だ?」


 思わず呟いたレイの言葉だったが、それが何なのかはエレーナが口を開く前に判明する。

 3人組のパーティがその円柱に触れると、円柱が鈍く発光して次の瞬間には3人組の姿が消えたのだ。


「なるほど、あれが聞いていた転移装置か」

「どうやらそのようだな。そして、あの転移装置があるからこそダンジョンへと入るのに必要以上に混雑することは無いのだろう。私も直接見るのは初めてだが……」


 この場で最も目立つ装置へと自然に目を惹き付けられていたレイとエレーナ。そんな2人をセトとイエロがそれぞれ正気に戻す。

 早くダンジョンに行こう、と。

 セトのクチバシに軽く突かれ、イエロの前足にペタペタと触られて我に返る2人。


「そうだな、実際に私達もダンジョンに潜ってみなければどんな具合なのかは分からないからな。レイ、早速潜ってみるか? 私達の場合は地下1階からだが」

「習うより慣れろ、か。確かにそれもいいけど……その前に見てみろよ」


 ダンジョン入り口の様子を眺めるレイ。

 先程は転移装置ばかりに目が向いていたのだが、よく見ると結構な人数がダンジョンの入り口近くに存在しているのが見える。

 何をしているのかとエレーナが注意を向けると、そこでは少なければ1人、多くても数人程の集団が固まって周囲にいる者達へと声を掛けていた。


「盗賊募集です。目的は地下3階の探索」

「戦士1人探しています! こちらは弓術士と戦士です!」

「魔法使い、魔法使いはいないか!? 他にも回復魔法を使える人物は優遇するぞ!」

「こちらポーター。荷物の運搬は任せて欲しい。力については自信があるから、俺を雇えば素材の運搬は心配いらないぞ!」

「ポーターですが、一応弓による戦闘の援護も可能です。誰か僕を雇いませんか?」


 そんな風に自らの能力や長所を口にし、あるいは自分達が希望する能力を持っている者がいないかと呼び掛けている人々。


「あれがいわゆる、野良パーティって奴か」


 エレーナの視線に釣られるように周囲を見回したレイが、納得したように呟く。

 野良パーティというのは、いわゆるその場限り、あるいはその日限りのパーティであり、レイが何度かギルドで経験した臨時パーティのダンジョン版のようなものだ。

 ただし、ギルドの依頼と違ってダンジョンはほぼ確実に戦闘がある。それを考えれば、殆ど見ず知らずの相手とパーティを組むというのは好ましくは無いのだが、誰もがきちんとパーティを組めるという訳ではないし、純粋に冒険者の数だけで言えばギルムよりも多い迷宮都市ではエグジルを含めて野良パーティというのはそれ程珍しいものでない。いや、寧ろある意味では名物とすら言える。臨時パーティとは違い、毎回ギルドに報告する必要が無いというのも手軽な理由の1つなのだろう。


「ま、俺達には関係無い……ん?」


 呟き、ダンジョンへと向かおうとしたレイの視線が、とある場所へと向けられる。 

 そこにいたのは他の野良パーティ募集の者達とは違い、20人近い集団だった。しかも全員が細かな意匠は違うが、どこか似通っている統一感を感じさせる装備を身につけている。大勢の戦士の他にも、数は少ないが盗賊や魔法使いといった存在も確認出来る。

 そんな中の魔法使いの1人がレイの魔力を感じ取って表情を強張らせていたのだが、レイはいつものことと受け流しながら口を開く。


「なぁ、あの集団って一体なんだと思う?」

「あれは聖光教の奴等だよ」


 レイの疑問に答えたのはエレーナ……ではなく、どこかまだ若い男の声だった。

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